奥野克巳のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人類学を始め、人文科学、自然科学に一定の素養がないと、著者が、これまでの人類学の、どのような点に問題があると考えているのか、どうすべきと考えているのかについて、なかなか理解が難しいだろうと思う。
著者は言うー私の定義では、人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である。
実に魅力的な言辞であり、著者は、それがどのようなものであるか、なぜそうした捉え方が必要とされるのかを、幅広く、深く考察していく。
訳文のおかげもあるのだろうが、著者の論旨自体は明晰であるし、論点も明確に示して叙述されているのであるが、いかんせん、当方の読みがついて行けないのが残念。是非再チャレンジしてみたい。
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Posted by ブクログ
パプアニューギニア、未開の地、首狩り族。そこで富豪の息子が消息を絶つというノンフィクション。
食われたのか?がテーマではない。
なぜ?食われたのか。そこを理解することが重要。
それにしても、読みづらい本だった。
ノンフィクションゆえに、実際の土地や人の名前が似通っていて、対立する村の名前は似ているしで大混乱。途中から、理解するのをあきらめて、とりあえず最後まで読むことが目標になった。
途中で、時系列に整理してまとめてくれている章があったので助かった。
普通はさ、の普通が相当違う人たちがいる。でもそういう部分があるというだけで全部ではない。
相手を尊重し理解しようとすれば防げたかもしれない。
まあ、書かれていることは衝撃的である。 -
Posted by ブクログ
1961年、ニューギニアで「プリミティブアート」を蒐集していたマイケル・ロックフェラーの船が座礁し、同船していた者と別れて陸に泳ぐ姿を最後に、彼は行方不明になる。サメに喰われたのか、溺死したのか、首狩り・人喰いの風習があるアスマットに殺されたのか。世界の富豪ロックフェラー家の一員の安否に注目が集まったが、事件は解決を見ずに終わった。事件から50年後、著者は民族学のフィールドワークのように現地に入り込み、彼なりに事件のフーダニット、ホワイダニットに至る。収集した証言をどこまで信用するのかはよく民族学でも問題になる。調査者の役に立ちたいという善意の嘘も含めて、相手が本当のことを言っているとは限らないからだ。本書でも著者はその限界に直面する。訳のせいか少々読みにくい文体だが、近代社会とアスマットのコスモロジーの違いが、事件の背後にあることがわかる。理解できない決定的な違いが、ある文化とある文化の間に谷のように横たわることがあるのかもしれない。
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Posted by ブクログ
1961年、世界有数の富豪、ロックフェラー一族のマイケルはニューギニアを探検中に行方不明になった。ロックフェラー家は莫大な財力、政治力をつぎ込んで大規模な捜索を行ったが、マイケルを発見することはできず、彼の消息は未だ謎のままだ。
実はマイケルがどうなったかについては、当時から結論が出ていたが、ロックフェラーのメンツや国際関係などが考慮されて、公式には認められていない。本書の最初の数ページで明らかにされる真相は、マイケルが地元のアスマット族に襲われ、食べられたというものだ。
というわけで、本書はマイケルの死因を探るドキュメンタリーではなく、なぜマイケルは食べられたのか、なぜアスマット族は人を食べていたのかという点をメインテーマとする。
マイケルの死から50年後、著者はその現場を訪れ、もはや人食習慣のなくなったアスマット族と日常生活を共にすることで、過去の彼らが他のどの文明とも異なる習慣、思想を持っていたことを明らかにする。アスマット族は儀式として仲間を殺して、その肉を食べていたのだ。そんな彼らにとって、白人だろうが、ロックフェラー一族だろうが、マイケルを食べることはありふれた日常だった。
考えてみれば、人を食べない文化があれば、人を食べる文化があるのも当然なのかもしれない。
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