奥野克巳のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレはじめに、難しいと感じる一冊。基礎知識が必要であるからか、翻訳が文脈の流れを妨げているのか、理解が滑らかに進まず、集中して読み進めにくく感じた。
さて、ここでは、現代における人や人間社会の持続的なあり方を問うているのだろうと考える。そして、そのためには「これだ」と理解ができなかったためか、問いを考える視点として語っているためか、読み終わった疲労感と共に、静かにまた読み直してみようと感じるものであった。
最後に、気に留まった言葉を残しておこう。
◼︎「動物は性を物語として生きることができる。動物はこの性を生きることにおいて物語を語る。。。。しかし、動物にできないことは、生きることと語ることを区別し、自らの生を生きることの中に他の生の物語を織り込み、それらを共に多くの生からなる物語へと編み上げていくことである。この能力は確かに人間に特有のものである」
◼︎「先住民たちにとって。。。保全も開発もなんの保証もなく与えてはくれないのだ。むしろ、未来への約束は、先人たちがそうしたように、異なるたぐいの生き物たちが、それぞれの道を歩みつつ、お互いの性質に対して注意を払い、反応し続けること可能にする。。。」
◼︎「。。。性を進ませ続けるという概念の起源へと立ち返ってみることである。これは、人間以上の世界の中心に人間の存在を置くという、適切な意味における人間中心主義であり、そうした人間以上の世界の中心から、私たちは責任と気遣に基づいて、地球とそこに住まうものたちとの関係を再交渉することができる」
◼︎「現役世代にとって、老人と無知なものたちが共に未来を築くという考えは、馬鹿げたものかもしれません。しかし、知恵と好奇心を取り入れることは、生を再生させるために欠かせない。。。その希望を現実に変えるためにはまず、老人と若者がふたたび一緒になって、生産的で相互に変革的な共同を、公共の利益のための再生の力へと変えていかなければならないのだ。。。。」 -
Posted by ブクログ
ひっくり返す人類学 を読み進めながら、人類学が「当たり前」を揺さぶる学問であることを強く感じた。第一章では、ヘヤーの「誰々から教わるという概念がない」という話に違和感を覚えた。折り鶴を見て覚えるのも広い意味では「教わる」ではないかと思ったが、本書が問題にしているのは、学校的な「教師が説明し、生徒が知識を受け取る」という近代的教育観なのだと理解した。プナンの人々の学びは、説明よりも模倣や実践を通じた身体的な習得であり、「知識を伝達する」というより「環境の中で身につける」ものなのだろう。
また、マレーシア政府がプナンに学校教育を推進する背景には、国家統合や近代化の思想がある一方、プナン側から見ると森で生きるための知恵こそが重要であり、学校教育は必ずしも生活に結びついていないことも印象的だった。著者が問いかける「学校に行かなければならないのか」という問題提起には共感する部分が多かった。日本では学校文化が強く、学校外で力を身につける場が少ないため、なおさら難しい問題だと思う。
第一章終盤の「知識をぐらつかせる知恵」という表現も興味深かった。知識を蓄積すること自体が目的ではなく、それをどう使い、状況に応じて組み替えるかが重要なのだろう。ただ一方で、幅広い知識を持っていることで後から役立つことも多く、知識そのものを否定するのではなく、「知識を絶対視しないこと」が大事なのだと感じた。
プナン社会に格差が少ない理由や、社会主義国家との違いについて考えた。社会主義は制度として平等を目指したが、プナンの平等は小規模共同体の文化や生活様式に根ざしている点が大きく異なる。また、クン・サンの「獲物をけなす文化」は独特だったが、これは上下関係や誇示を抑えるための知恵なのだと知った。日本の「成功してもあまり自慢しない文化」にも少し似ている気がしたが、日本の場合は共同体維持というより「妬まれないため」の防衛的側面が強いように思う。SNS時代にはむしろ成功を拡散し承認を得る方向に変化しているが、自分を過度に大きく見せる姿にはどこか不安定さや自信のなさも感じる。
本書を読んでいると、「教育」「平等」「成功」といった普段当たり前だと思っている概念が、実はかなり文化依存で相対的なものなのだと実感する。人類学は異文化を知るだけでなく、自分たちの社会を逆照射する学問なのだと改めて感じた。 -
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人間を知るための学問。人類が人類自らを知るのは常識に囚われてなかなか難しい。それを生の観点で、時代背景や置かれた環境が異なる偉人4人のフィールドワークを通じて感じるという話。
文献や知識だけの理論でなく、未開の「外部」となる現地で生活や経験から、文化(人類の本質)を捉えるのがポイント。個々の具体例は興味深い。たた、言わんとしていることは何となく感じることはできるが、体系だった論理的な明確な知識として捉えるのが難しい。無形の文化なので成文化が難しく、そういうものと相性が悪いのか。理解が浅いだけというのも多分にあるが。
現代においては未開の「外部」も少なくなり(全人類にスマホが行き渡りつつあり画一化)、人類以外も研究対象にの方向性は面白い。 -
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レヴィ=ストロースの悲しき熱帯を読んだので、全体像を知りたくて手に取った。人類学のターニングポイントとなった研究者たちと歴史の紹介。人類学は、自分と他者は何で違うのだろう、という素朴な思いが根本にあるのだろうけど、異文化を触れる機会となった植民地主義的なものから始まっているように思い、根深い闇も感じてしまった。ともあれ、世界には色んな人がいて、思いもよらないけどなるほどと思うような生活をしていることを知り、世界観を広げるのはよいと思う。岸政彦さんの社会学の本にも書いてあったけど、たまたま出会って話した人たちが、その人たちの文化圏の代表である、と決め打ちするのは乱暴である、という問題は必ずあって、なかなか難しい学問だ(比較対象となる自身の固定観念などにも打ち勝たねばならないだろう)。
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マレーシアのボルネオ島の熱帯雨林に住む プナン という民族の話
プナンは
物を所有するという感覚がない
あるものは みんなで分け合う
「ありがとう」も「ごめんなさい」もいわない
資本主義に取り込まれていない
お金や権力が特定の人に集中しない仕組みが生活に根付いている
たくさんのものを持っている私たちが幸せそうではなく、何も持っていないプナンが幸せに見えるのはなぜか、について書かれた本
彼らは下ネタが好き、ということで、下ネタについて多く語られていて、そこは苦手だった
でも、たまには自分の価値観と全く違う生き方をしている人の話を聞くと、自分自身についても新発見があるんじゃないかと思う
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Posted by ブクログ
哲学や思想などリベラルアーツ系の本を読み進めていると、いつのまにか「文化人類学」と呼ばれる分野に手を出していることに気づきました。
レヴィ=ストロース、マルセル・モース、グレゴリー・ベイトソンなど、思想界にその名を残す文化人類学者は数多く存在します。
なぜ私たちは人類学を学ぶのか。
本書はそのヒントを教えてくれます。
本書では、マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドの4名を取り上げて人類学の系譜を辿ります。
彼らの偉大な功績は、未開の部族の中に入り込んで、外部に学び、西洋を中心とする社会を批判的に見つめたこと。
日本の柳田國男も近代社会を憂いて、民俗学を創始したと伝えられています。
先人が持った危機感を受け継いでいくこと。
それが、人類学を学ぶ意義ではないか。
入口としておススメです -
Posted by ブクログ
人類学という学問は20世紀前半から盛んに研究されるようになった。その考え方の変遷がまとめられた本。
最近の学問だったのか。
・重要人物
ブロニスワフ・マリノフスキ:生の全体
クロード・レヴィ=ストロース:生の構造
フランツ・ボアズ:生のあり方
ティム・インゴルド:生の流転
・変遷
15世紀:大航海時代、海の向こうの世界と出会う、「他者」についての学問が始まる
17、18世紀:人間の本質、人間社会の成立への関心が高まる
19世紀:進化主義的な考え方が広まる
20世紀:フィールドワークによる新しい人類学が始まる
・機能主義:文化の見取り図
制度や慣習の機能を、文化と社会の関連において解明する。様々な「部分」が、「全体」に対してどのように働いているのかを探り、全体がどのように成り立っているのかを理解しようとする。
・参与観察:
現地の人々が働いたり話をしたり、儀礼をおこなったりしているところに実際に参加しながら、他方で観察を行ってデータを収集する調査研究の手法。
参与だけで観察するのが疎かになると十分なデータが得られない。観察ばかりに徹して参与をしないでいると、中途半端な見通しだけで現地の人を理解してしまうことになりかねない。
・構造主義:
私たちが生活している社会や文化の背後には、目に見えない構造があり、人間の活動はその構造によって支えられている。人間の精神は進歩するのではなく、最初から完成してしまっている。
遠く離れた辺境の地に住む人たちを未開人(文明から取り残されている人)と見下してきたが、それぞれの社会に「生の構造」がある。
・クリスマスの起源
古代ローマやケルトなどの異教の祭り。太陽の力が弱まり、秋が深まる時期に、死者が生者を攻め立てるように夜が昼を脅かす。その時期に死霊に贈り物をしてあの世にとどまってもらう。それが、いい子にしていると家の外の闇から贈り物を与えてくれる存在に取って代わるようになった。
人類の普遍的思考:野生の思考
・(ボアズ)文化とは環境との関連や移住の経緯、隣接する文化からの借用など、歴史の積み重ねによって形成されるもの。
文化相対主義:すべての文化には価値があり、そのすべてに経緯が払われるべきである。
・菊と刀
欧米の「罪の文化」:善悪の絶対的な基準を用いて良心の啓発を説く
日本の「恥の文化」:世間の目によって自分の行動を決める
・(フィールドワークのインフォーマント/情報提供者が作り話をしていたことが後々発覚した事件)
フィールドにおける真実というのは、いったいどこにあるのでしょうか。何が真実で何が嘘であるかという判断は、どのようになされるべきなのでしょうか。嘘や冗談を見極めて人類学者が真実に接近するためには、いったいどんなことをしなければならないのでしょうか。
・(インゴルド)人類学とは、世界の真っただ中に分け入って、人々「とともに」考えること。
フィールドの人々は情報提供者としてのみ位置づけられることが多い。調査した人々「について」語る。
ではなく、フィールドで人々「とともに」研究することが生きる方法を探る人類学。
・人類学は、それを真剣に学ぶならば、私たちをふだんの思考の「外部」へと連れ出してくれます。
外部というのは、知らない町や県、これまで行ったことがなかった国や地方、身近にありながら触れることがなかった集会や店。新たに興味を持った昆虫や土や山塊の世界だけでなく、風や宇宙など森羅万象まで開かれています。
実際に出かけてみて体験してみると、当の「外部」は、訪れる前に思い描いていたのとは違っていることに気づくでしょう。そしてそのことを手掛かりとして、自分自身の生の問いをより一層深められるでしょうし、自己を変容させていくこともできるでしょう。
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