小山内園子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
わたしはサッカーはやらないが長く好きで見てきたので、共感できることがたくさんあった。サッカーを知らない人でも、自分の物語として読める部分があると思う。ユーモアがあって読んでいて楽しいし、注釈のアシストも絶妙で親切だった。好きなことを楽しむパワーをもらえた。
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“マンスプレイニングを楽しんでいる一部の男たちは、女性サッカーファンのことを俗にいう‘オルパ’(顔重視のファン)と断定する傾向も強いからである。彼らには、女が男と同じ理由でサッカーやサッカー選手を好きになるということがイメージできない。理由を情緒的、審美的なものに矮小化してようやく受け入れることができるらしい。あのさ、私もあの選手のキレのある動きや視野の広いところが好きなんだってば。あんたと同じようにね。”(p.44)
“あることについて、自分もやれるという可能性をまったく想像できずに生きてきたものが、突然「やれるかも」という現実と出くわすと、「やりたい」を通り越して「ずっとこの瞬間を待ちわびていたんだ」という感覚になることは、なんとなくわかる気がした。運命的な出会いは時として時間をさかのぼり、現在から過去を照らしだす。”(p.224)
“つまり私たちは、自分らしい人生を生きて、好きなことをしたいだけなのに。社会に抑圧されたこの「~したいだけ」が集まって運動になり、波のように打ち寄せ、境界線を少しずつ、消していくのだ。
だから、社会にはサッカーをする女たちのチームが一つでも多くあったほうがいい。”(p.256) -
Posted by ブクログ
28篇の物語。共感という分かりやすい言葉では、とても言い表せられない。
娘・妻・嫁・母という役割、役割を脱いだ一人の女性・ひとつの個として、時代も国境も超えて届けられる思いには読んでいて込み上げてくるものが多く、思わず何度も涙した。
この間、将来の夢が特に思い浮かばないと言う娘に、つい「ママはその歳の頃なりたいものだらけだった。でも何にもなれなかったな」とぽろっとこぼしてしまったことを反省した。
自分のようにはならないでほしいという親の希望でさえ、きっと子どもが選びとる将来にとっては何も関係のないことなのだ。
ちなみに、韓国を旅行した際に持って行った一冊でもある。作中にでてくる地名や、食べ物、文化などまで立体的に思い起こされて、訪れなければきっと感じられなかった物事ってこんなに多いのかと思った。
百聞は一見にしかずってこういうことなのかと、大袈裟じゃなく新しい読み方を得た気がした。自分の足で土地を踏むことの大きさをしかと感じた。
韓国で出会った人たちとても親切だった。流行の発信地に集まる若い女性たちは、みんな生き生きしてるように見えた。また行きたい。 -
Posted by ブクログ
『ナツメ』
屋敷のナツメの木を眺めながら、煙草をくゆらす祖母の姿は、幼い頃の私の憧れだった。しかし今では叔父の事業の失敗で屋敷は人手に渡り、祖母は重い肺がんで入院中。嫁を使用人のように使い、「私」が買ってきたナツメも吐き出す。祖母のお気に入りは男の孫、ヨンソク。ヨンソクが昔の屋敷にナツメを取りに行こうと誘う。
韓国では道端でよくナツメを売っている。ご馳走なのだろうな、と思っていた。根底にあるのは、日本にも残る家父長制。娘よりも息子。しかしその息子は祖母が自分の親に何をしたか全部お見通し。これ、息子は絶対自分はこんな風にはならない、と思うのだろうか。
『安』
「私」には、自分を殺して旧家の長男の嫁の務めを果たしてきた叔母と、次男の嫁で、女はどんどん働くべきで、キャリアアップすべきと信じる母。結婚を機に「私」は義母というもう一人の母が登場し、自分の人生を見つめなおす。
実家に戻れば、よき嫁と認められる叔母を肯定し、自分と同様キャリアアップを勧めてくる母がうっとうしい。しかしいざ結婚して長男の嫁=叔母と同じ立場になった時、果たして叔母の態度が正しかったのか?という疑問を抱く。何でも、見ているだけではわからない。
『ギョンジャ』
上司のパワハラがきっかけで交通事故を起こして、拘置所にいる弟のために、母は「私」に、父のいとこのギョンジャお嬢さんを訪ねて欲しいと懇願する。一族の反対を振り切って映画スターになるために上京し、生活のためにナイトショーで歌っていたギョンジャは、最終的には過去の独裁者の庇護を受ける。親族からは誹りを受けるが、一族で最も権力に近い存在であることは間違いなく、「私」はギョンジャがひとりで住むマンションを訪ねる。
ケア=介護と考えると、本編はあまり関係ない。昔、歌手志望や女子大生が、権力者に気に入られてそのまま関係を持たされるという事が、軍事政権下ではあったらしい。確かに今ではないだろうが、当事者だけに拒めというのも難しい。守ろうともしなかった家族は批判だけして、都合のいい時だけ頼ろうとする。それは確かに自分本位過ぎる。
『ヨンジュの半分』
かつて同期だったヨンジュは息子を3歳で亡くしていた。「私」は育休中に子どもと出かけた公園で偶然ヨンジュと再会する。頻繁に会うようになったヨンジュの存在がワンオペ育児の唯一の息抜きになっていたが、ある日、ヨンジュが子どもの面倒を見てくれていた時に、死んだ子の名前で子どもを呼んでいる場面に出くわす。
結婚で先を越されたと思っていたヨンジュが、亡くなった子供の名前で自分の名前を呼んでいたことに激怒する「私」。自身としては、「私」が過剰反応しすぎでは?と思ったが、母としてはやはり嫌なものなのか。
『ケアする心』
八か月の娘を抱えたミヨンは、職場復帰を前にベビーシッターを探すが、信頼できそうな人はなかなか見つからない。そんな時、同じ団地に夫婦で暮らす高齢女性、ナムヒが名乗りを上げ、自宅で子どもを預かりたいと言う。ミヨンは監視カメラを設置する条件で子どもの世話を頼むが、ある日、映らない場所の秘密を偶然目撃してしまう。
これも主人公に違和感を覚えた。ないものねだりのような気がする。他人に託すので、どこかで妥協が必要だったのでは。それとも、作劇上わざわざ相いれない人物ばかりを入れてきていて、最後とても陰鬱な気分にさせるのが目的だったのか。
『私の隣人との距離』
航空会社に勤め、育休中のジョンユンと、一回り下の専業主婦ヘミ。同じ地域で似た年齢の子供を育てていることで親しくなったが、ジョンユンはヘミに優越感を抱いていた。理由はジョンユンの家の方が高級だったから。しかしコロナ禍と不動産価格の高騰を経て、二人の立場が逆転する。
子供同士が同じ年ということで、何となくライバル意識を持っていたら、当の相手がいつの間にか自分よりも裕福になっていた。どっちもどっちでは、という感想。
『特別災難地域』
イルナムは、90過ぎの実父を療養病院に入院させ、自宅では夫と二人で孫娘ガヨンを育てている。ガヨンの父は公務員試験に挑戦中だが、なかなか芽が出ない。幼い頃から女性が家事をするべきだと考えていたイルナムは、長女と馬が合わない。そこへ新型コロナウィルスのパンデミックが始まり、ガヨンに犯罪の影が。
親でなく祖父母が孫を育てるケースを祖孫家族というそうだが、韓国でも日本同様、サポートの仕組みが整っていないそうだ。これから携帯など新たな機器の用い方を覚えていく孫を、衰えていく一方の祖父母がフォローできるはずがない。危険はSNSなど新たな情報ツールにこそ潜んでいるのに。
『入所』『ケアセンター天国』『台風注意報』収録。 -
Posted by ブクログ
韓国男性史を韓国人男性がフラットに事実として述べ考察してる内容だと思った。ただ全員ではないだろうけど、想像以上に韓国男性が女性に抱く感情が拗れすぎていて、受け止めきれない。端的には、男性ほど兵役を含む義務のプレッシャーもないくせに、女性は結婚などで自分たちよりも上流生活を営むのが許せないってことなのか?女性の方が社会的に搾取されて虐げられてるんじゃないかと思うのだが。この風潮になるに至った背景や過去の韓国の黒歴史の一端を知ることはできた。そこに日本の植民地支配が影響も及ぼしている。日本もまだ韓国ほど顕在化してない問題かもしれないが似通ったものは多々あると思った。
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Posted by ブクログ
2026年5月再読
同名ミュージカルの原作ということで手に取りました。(新国立劇場2026年3月7日(土)~22日(日))小説も舞台も韓国発。
読みにくいと感じた方もいたようですが、自分は割と好きな文体でした。
主人公は60代の女殺し屋チョガク。老いにまつわる描写や心情が肌にじわじわ吸い付くような感覚で描かれる。自分も60代を目前に控えているせいか、感覚的にわかる部分がたくさんあった。失われていくことへのもどかしさ、怖さ、焦り、諦め…
いまはもういない、心を寄せた人への想いが昇華できず、ずっと思い出のあの人と心で対話している。しかしそれは自負の脳内が作り出したもの。結局自分と対話している。そんな心理学的側面から読み進めるのも楽しい。
小説ではハッキリ描かれなかったチョガクを狙うトウの心情が、舞台を観てから再読すると、そういう解釈もアリなのか、と思える。舞台を脳内再生しつつ行間を探りながら物語を噛み砕いていくのも味わい深い。小説と舞台の合わせワザで楽しめた。
2026年5月27日 -
Posted by ブクログ
すごく良い本だった。8つの短編集が入っている。
人間をクラゲにする変種のクラゲが大量発生したり、家に帰ると知らない人が木になっていたり、知らないおじさんの冬眠を手伝ったり、死んだ後幽霊になってこの世を去る前の時間が与えられる世界だったり、変わった設定の話が多い。
だけどどの短編も、永遠に続くかと思われる、苦しくて息が詰まるような毎日に、奇妙な変化が訪れて、その変化によって主人公の心が少しだけ前進するような瞬間を描いている。
特に最初の「幽霊の心で」がとても好きだった。
ある日、自分の感情を映す自分とそっくりの幽霊があらわれる話。事故で意識のなくなった恋人に接するうちに、重苦しい毎日に感情の固まった主人公が、幽霊の発現によって、自分の意思や感情を自覚していく様子が、とても鮮やかに描かれている。ちょっと泣いた。