安藤礼二のレビュー一覧

  • 吉本隆明 思想家にとって戦争とは何か

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    94 おそらく誤字 吉本が「古本」になっている


    26 言語の2面性
    指示表出=言語は、音や時空間、社会的習慣の影響を受けて、媒介的に成立する。

    ☆自己表出=すべての間接的・習慣的なものから脱して、言語それ自身自律的で、自らを動かすような「表現」。
    82 そこでは言葉同士の微細な変化や、韻律の響き合い、さらにはそこに表現されたイメージの分裂と融合だけで、詩の新たな次元を拓こうとする。


    50 共同幻想論→上部構造の自律性を主張
    人間関係の三つの位相
    ・共同幻想=上部構造
    ・自己幻想
    ・対幻想=他者との一対一の関係、異性との関係(肉体関係の有無は問わない)、家族的概念

    119 エルンスト・ヘッケルのテーゼ
    胚胎が成長する過程は、それまで生物が進化してきたあらゆる段階と類比的関係にある。

    122
    アジア的段階=部族国家、弥生時代
    アフリカ的段階=縄文時代

    123 段階とは、空間と時間を繋げ、共に考えることができる歴史哲学的な指針である。

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    2024年02月20日
  • 日本の祭

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    昔の学者の人の言うことや書くことって、喩えると、視力のとてもいい人が、自分の見ているものを細かく伝えてくれるというのに近いような印象があります。同じように地面を見ていても、現代人よりも細かいところまで見えているし、気にも留めないようなところにも注意を払っている、というように。

    たとえば一般化している「お祭(祭礼)」は神道の行事。でも日本人はあまりそれを宗教として感じていません。キリスト教やイスラム教、仏教には教義があるけれども、日本の神様に対しての教義を学ぶ一般人はいない。日本人の風俗をみれば日本人は無宗教ではないのだけれど、教義というものがないのだから日本人の意識上無宗教になっているのでしょう。そういった内容を、端的に指摘するところから話は始まっていきます。

    本書は東京大学での昭和16年の講義録です。その当時、科学の発展が目覚ましいものと人々の意識に映り、そういったものこそがえらいものだ、とするようになっていた影響で、そんな社会の意識から薄れていき失われそうになっていた民俗的なものの連続性を土壇場でつないだ感がある著者です。その、土壇場で何をつないだのかを、本書の読解をもとにもうちょっと解説してみましょう。

    近代化した日本では子どもたちは学校に通うことになります。学問などのために20代前半までその仕組みの内側で人生を送る者も多いことはみなさんおわかりだと思います。古来からの日本の村落で伝えられてきた習俗というものは、今で言えば前述のような、学校に通う期間に学校に通わずに身に染み込ませたものでした。なので現代人は、古来からの物心両面の生活様式を受け継ぎ覚え込む機会を失うことになりました。柳田国男は、そういった古来からの習俗を、近代化・西洋化・産業化の波によって闇に帰してしまうのに抗い、そこで踏みとどまり、後世に残す努力を果たした。それが、民俗学であり、柳田国男が興した学問ということなのでした。

    では、どんなことが書かれているかを、ふたつではありますが、短く紹介していきます。

    まず、「物忌み(精進)」。今でも、神社では水で口を漱いだり手を洗ったりして身を浄めますが、祭りに際しての浄め方はもっと念が入っています。各地方によって差はあるのですが、たとえば家は戸締りをきちんとし、誰も外に出ず、誰も中に入れず、物音を立てずに過ごす。死の穢れを遠ざけ、夫婦の交わりも禁じられる。針仕事を止められたり、農業などで水が近辺にある地域だときゅうりを警戒したり(河童につながる話です)、いろいろと拘束があります。こういった習俗が、全国各地にあったわけです。それぞれに違いはあれど、共通する何かがそれらの行いには内在していて、つまりは根っこはかつて一つだったことを意味するのでした。中国などからの外来の文化や言葉が入ってくる以前から、日本には日本の神様があったというわけです。

    次に氏神への祈願。氏神っていうのは本来、群れすなわちその土地の人間全体からの祈願を全体のために叶えるという性格のものだったのが、いつしか個人の祈願を受け付けるようになっていったのだ、とあります。個人の祈願はいわゆる抜け駆けなのでした。それが認められるようになったのは、個人の信心の深浅が目に付くようになったからだと柳田国男は自説を論じる。氏神を大切にする者と形式的に扱う者とが同じ恩恵を得ることに疑問が浮かんだのが、個人の祈願が受け付けられるようになった端緒ではないかと。そういうようなことが彼らしく解説されています。

    というような解像度で「祭」を見ていく本です。最近では、祭りといえば観光化していて、見物人中心のものになりましたが、従来はその土地の氏神などとの交流が重要な点だったといわれます。神楽、舞、音楽。そういったものは神に対してのものであったのが、いつしか見物人を集めるものになった。儀式の意味が変わっていき、形骸化もしてきたのでした。この先、祭りは単なるイベントとしての性格を強めていくのでしょうけれども、古来の祭は意味が深くて様々で、人々の精神性と密着していたものだったことを、本書を皮切りとした学問から知ることができます。

    風俗を風化させず残した柳田国男の仕事はとてもすごいものだと頭が下がります。この仕事の意味を、たとえば臨床心理学的な考え方から見てみると次のようになります。まず、人は自らの過去と真正面から対峙し、見つめ直したり受け入れたりすることが大切な場面はあると言われます。そこで、良いか悪いかはちょっとわからないのですが、そこから類推して考えてみれば、日本人であることのアイデンティティーだとか、実存性だとか、血の連続性だとかを自分自身で振り返ってみたい、知りたい、と思ったときの足がかりとなるのが、この民俗学ではないでしょうか。

    教義のない宗教である神道が日本には空気として存在していて、その意味がまるで分からずにいてもまあ困らないことは困りません。ですが、ふと立ち止まって考えたい人っていうのは必ずいるわけです。そういった人は足場をしっかり固めたかったりするんですよ、しっかり踏ん張りたいがために。そして、そのような種類の人たちが、日本人総体としての舵取りをとったりもするんです。そっちにいっては危ないよ! と危険をかぎとって言ってくれる。そういう意味でも、知的空間の広さって大切で、知的空間を押し広げてくれるのが、「学問」であり、知ろうとしたときにそこに足掛かりや手掛かりがあると助かるものです。とくにこういった日常生活の謎についての学問であるような民俗学って、「知」と「生活」の溝を埋めるもののような気がします。亀裂や断絶を埋めたり、谷間に橋を架けたり、そういうふうな意味合いがあるのではないでしょうか。

    なんだかだらだらと喋ってしまいました。それだけ伝えたい隙間のある本でもあるのです。喋るなら、同じ分量になったとしてももうちょっと端正にやればいいのに、難しいものです。そんなところで、終わっておきます。

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    2023年09月21日
  • 大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる

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    少し前の新聞に中村文則の「掏摸」が紹介されていた。中村さんは今や海外でも名を知られた作家だが、そのきっかけになったのが大江健三郎賞を受賞した本作が、賞の特典として翻訳されたからだ、という内容だった。
    大江健三郎賞は聞いたことがあったが、選考委員は大江健三郎さんひとりで、賞金の代わりに海外に翻訳されて紹介される、賞は八年続いて既に終了しているということも知らなかった。
    で、その賞の始めから終わりまでの受賞作の紹介とそれぞれの著者との対談を収録されているのが本作。
    なかなか手ごわい本だったがおもしろかった。
    受賞作のどれも読んだことが無いが、長島有の本は読んでみたいと思った。対談も一番楽しかった。
    大江さんも最後の方で言及されている。
    大江健三郎もよく知らなかったが、ご自身のことに触れられている部分も多く、知ることができた。
    大江さんの文学に対する誠実さで成り立っていた賞だった。それを支えていた優秀な編集者も。

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    2020年07月24日
  • 折口信夫

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    大著だが飽きさせずに読めるのは、衒学的研究ではなく、文芸評論として、著者がモノを考えながら折口に迫っているから。基本的なことであるが、この大物への対峙による著者の成長は凄まじいものに違いないと、羨望頻り。

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    2019年04月07日
  • 日本の祭

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    日本人の生活に溶け込んでいる「祭」の原始的な姿とは何か?をひたすらに問い続けた一冊。
    現代に存在する祭式儀礼は、拝礼ひとつ取ってみてもすべて簡略化されたものだという指摘は驚き。
    本来の意味から語呂だけが抜け出して全く異なる祭礼になるパターンも面白かったな。

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    2013年10月02日
  • 日本の祭

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    柳田『日本の祭』は実は既に持っている本に入っていたので、改めて買う必要はなく、単に間違ったのである。しかし、ほとんど覚えていないこれをこうして読み返してみた体験は得難いものだった。
    たぶんこの書は柳田国男の代表作の一つと言ってよいだろう。比較的体系的に、日本の民俗的な祭について書かれており、いつもより散漫さが少ないし、読みやすく、民俗学入門書としてもわりといいのではないだろうか。
    一カ所印象的だったのは、近頃の日本人は正月の意味もわからずに「おめでとう」とばかり言っている、と柳田がぼやいているくだり。そういえば正月もまた神事であったかもしれない。しかし世は移ろうものであり、民俗的事象も、日本が西洋文化を浴びるように受け入れ、めざましく「発展」を遂げた現在から言うと、「神事」が完全に忘却されてしまっているとしても、それをただ受け入れるしかないのではないかと思う。
    ぜんたいに柳田国男には啓蒙的スタンスがいつもあって、日本の伝統的「民俗」の痕跡について、もっと日本人はみんな学ばなければならない、としつこく言っている。ほとんど一人で「日本民俗学」を創始したような人だから、そういう感情を持っていても仕方がないというか、共感的に理解することもできるのだが、さすがに21世紀の現在の時点からは冷めた目で見つめざるを得ない。
    それはそれとして、やはり日本の民俗事象の「起源」をさぐってみるのは知的冒険として、実に楽しいことは確かなのだが。

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    2013年06月29日
  • 日本の祭

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    日本における祭りとは何かということについて、日本各地の祭りの事例をあげ、分析した結果を記述した本。
    正直、文章も難しいし難解でくじけそうだった。

    が、このように深く考察できることこそが学者といえるのだなと思わせる本でした。

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    2013年07月25日
  • 折口信夫文芸論集

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    折口信夫の文芸論を集めたもの。折口信夫が、文学と民俗学によって日本人の想像力のふるさとを明らかにしようとしていることがわかる。「零時日記」が折口の文学に賭ける想いが露わになっていて、生々しくていい。また、「詩語としての日本語」などを読むと、折口は、短歌的な、詠んだ瞬間溶けてしまうような気分的な日本語に対し、俳句、詩的言語によって、日本語の新しい文体・言語/思想を創ろうとしていたのかもしれないなどと想像できる。

    中公クラシックスの折口信夫全集(民俗学萹)と読むと理解が深まると思う。

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    2013年03月10日
  • 日本の祭

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    柳田国男、遠野物語しか読んでいなかったのでたまたまシリーズで並んでいたので購入。ちょうど日本古来の祭りの起源に興味があったので。

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    2018年11月30日
  • 折口信夫文芸論集

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    正直一回読んだだけでは、理解をすることはできなかった。
    困ったことに、わからない言葉もたくさん。
    そして、同世代として関わった作家の数々、谷崎、堀
    日本文学と折口との接点が少しでも実感できるとおもしろい。
    民俗学以外の面を垣間見れたといったかんじでしょうか。

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    2011年01月30日