安藤礼二のレビュー一覧
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南伝とも北伝とさえも一線を画す、中国および日本の仏教。そこで展開される「空」「無」「道」「仏性」「不二」等々の概念と、キリスト教やイスラム教の神秘主義思想との異同や、それらが東西の哲学者・宗教者の中で響き合う様を、鈴木大拙の評伝を軸として描いていく。西田幾多郎やスウェデンボルク、あるいはスピノザやライプニッツの思想との関わりなども朗々と語られている。ただ、「一即多、多即一」の世界観が様々に形を変えて、巻頭から巻末まで繰り返し語られるのだが、そうしたあり方を「経験」したことのない者としては、どうしても言葉遊びのように聞こえてしまう。そしてそれは第5章「戦争と霊性」において、上のような議論が結局は
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94 おそらく誤字 吉本が「古本」になっている
26 言語の2面性
指示表出=言語は、音や時空間、社会的習慣の影響を受けて、媒介的に成立する。
☆自己表出=すべての間接的・習慣的なものから脱して、言語それ自身自律的で、自らを動かすような「表現」。
82 そこでは言葉同士の微細な変化や、韻律の響き合い、さらにはそこに表現されたイメージの分裂と融合だけで、詩の新たな次元を拓こうとする。
50 共同幻想論→上部構造の自律性を主張
人間関係の三つの位相
・共同幻想=上部構造
・自己幻想
・対幻想=他者との一対一の関係、異性との関係(肉体関係の有無は問わない)、家族的概念
119 エルンスト -
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昔の学者の人の言うことや書くことって、喩えると、視力のとてもいい人が、自分の見ているものを細かく伝えてくれるというのに近いような印象があります。同じように地面を見ていても、現代人よりも細かいところまで見えているし、気にも留めないようなところにも注意を払っている、というように。
たとえば一般化している「お祭(祭礼)」は神道の行事。でも日本人はあまりそれを宗教として感じていません。キリスト教やイスラム教、仏教には教義があるけれども、日本の神様に対しての教義を学ぶ一般人はいない。日本人の風俗をみれば日本人は無宗教ではないのだけれど、教義というものがないのだから日本人の意識上無宗教になっているのでし -
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少し前の新聞に中村文則の「掏摸」が紹介されていた。中村さんは今や海外でも名を知られた作家だが、そのきっかけになったのが大江健三郎賞を受賞した本作が、賞の特典として翻訳されたからだ、という内容だった。
大江健三郎賞は聞いたことがあったが、選考委員は大江健三郎さんひとりで、賞金の代わりに海外に翻訳されて紹介される、賞は八年続いて既に終了しているということも知らなかった。
で、その賞の始めから終わりまでの受賞作の紹介とそれぞれの著者との対談を収録されているのが本作。
なかなか手ごわい本だったがおもしろかった。
受賞作のどれも読んだことが無いが、長島有の本は読んでみたいと思った。対談も一番楽しかった。 -
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柳田『日本の祭』は実は既に持っている本に入っていたので、改めて買う必要はなく、単に間違ったのである。しかし、ほとんど覚えていないこれをこうして読み返してみた体験は得難いものだった。
たぶんこの書は柳田国男の代表作の一つと言ってよいだろう。比較的体系的に、日本の民俗的な祭について書かれており、いつもより散漫さが少ないし、読みやすく、民俗学入門書としてもわりといいのではないだろうか。
一カ所印象的だったのは、近頃の日本人は正月の意味もわからずに「おめでとう」とばかり言っている、と柳田がぼやいているくだり。そういえば正月もまた神事であったかもしれない。しかし世は移ろうものであり、民俗的事象も、日本が -
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特に最初の出だしが難しいが20P超えたあたりからだいぶ読みやすくなる、途中哲学がやたら出てくるところも難しい。自分の理解した内容を記述。
ホカヒビト=乞食者。台湾蕃族慣習調査報告書、沖縄での体験から。蕃族においては結婚、戦争、狩猟はみな同じ霊的コミュニケーション。古代日本と台湾蕃族、沖縄。南の方からきた海の遊牧民であり他界への信仰を布教する伝道者でもある海部。組織的にわたってきた集団が天孫族。
ミコトモチ。言霊=霊的力を持った言葉。流動言語、喩。語根、言葉の意味の根源的なもの。
象徴言語:包括的→仮絶対→曖昧→無意義→暗示的→象徴的
エルンスト・マッハの感覚一元論、折口と親密な関係だった藤無染