川田稔のレビュー一覧
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2025/12/16 川田稔「陸軍作戦部長 田中新一」
陸軍で世界戦略を構想できたのは、武藤章と田中新一、そしてその師匠は永田鉄山と石原莞爾。彼らが幕僚から外れ、最終的に東條英機が全権を掌握するも、佐藤賢了軍務局長らは国家戦略の構想なく、ただ「持久戦」方針の下、『場当たり的対処=作戦至上主義』で犠牲を累増させた。「一撃決戦論」は敗戦の先送りでしかなかった。
終戦シナリオなき戦争運営はいたずらに犠牲を増やす。1944年サイパン以降、膨大な1年間の戦死者は無駄な犠牲者でしかない。それが国家戦略を苦手とする日本の国家的課題であり現代も全く変わらない。高市総理の「台湾有事の存立危機事態」発言は、場当たり的。「戦略は戦術に勝る」そもそも日本は中国と戦える力があるのか?少なくとも、単独では有り得ない。
日本は世界の小国の一つとして、「世界情勢の中で全方位外交」を基本方針として国家運営をしていくことがベスト。石橋湛山のいう「小日本主義」である。 -
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戦後80年・昭和100年に相応しい一書。NHKスペシャル「昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹)」とセットで読むのをお勧め。対米開戦の謎が少し解ける。
満州事変・日中戦争を経て日米開戦そして敗戦までの10年間、日本は陸軍の軍事政権だったと改めて思う。その政権を担ったのは、「東條英機陸相-武藤章陸軍省軍務局長-田中新一参謀本部作戦部長」の3名で、構想は武藤が担った。
武藤は米国の動向を最重要視し「対米避戦」を基本として世界戦略を構想したのは松岡洋右外相とスタンスを同じくする。
「日独伊+ソ連」の4国同盟で英米体制を牽制し、世界の新体制を構築する。
危うさはあるし、肝心のヒトラーが理解できていたか疑問だが、構想は納得できる。
残念ながら、ヒトラーの独ソ戦開戦が全てをぶち壊してしまった。
[1940年のGDP]
日独伊ソの合計1,212億ドル 日本90 イタリア99 ドイツ392 ソ連631
日独伊のみ 581億ドル
米英の合計 1,273億ドル 米国1,003 英国270
この数字を知れただけでも大ショック・大成果でした。
長年の疑問、「日本のリーダーはそんなに大馬鹿揃いだったのか?」に漸く一石投じる本に会えた。ぜひご一読を。
強いて言えば、著作名「武藤章」は誤解・矮小化する。勿体ない。 -
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旧日本陸軍軍務局長を務めた武藤章が描いた戦略を解き明かす本作。
第二次世界大戦前夜の国際情勢、その時に世界を支配していたプラグマティズムを淡々と描き、そのプラグマティズムの中で採りうる大日本帝国の針路を探り続けた戦略家の思考を追う良作である。
武藤が対米戦回避に邁進したのはあくまで対米戦に勝利することが出来ないと確信していたからであって、国際協調などといった観点ではない点が当時の空気感を感じさせる。あくまで冷徹な現実思考の結果として導き出された結論が対米戦回避だった。
対米戦回避のため、中国からの撤兵を決意出来なかったのは、永田鉄山が追求した国防国家論が無に帰すことを肯んじなかった点は興味深い。中国権益を手放すことが出来なかったのが、武藤章、日本陸軍、そして大日本帝国の限界だったのだ。 -
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満州事変以降、組織として政治化していく陸軍を「昭和陸軍」と定義し、永田鉄山を中心にした陸軍官僚の動きを追いながら太平洋戦争へ至る過程を明らかにしていく。永田鉄山は皇道派と統制派の対立の中で暗殺されたが、彼の構想は後継者たる武藤、田中らに引き継がれて昭和陸軍の動向を規定していた。
以下気になった記述のメモ
60ページ 満州事変は関東軍に陸軍中央が引っ張られたイメージだが、中央の一夕会系中堅幕僚は関東軍に呼応して陸軍首脳を動かしていたのが実態。
91ページ 対ソ戦略をめぐり一夕会は対立。速やかにソ連侵攻を目指すべきと考える小畑(皇道派)、ソ連侵攻前に未だ調整すべきことが多いので早急な侵攻は控えるべきと考える永田(統制派)。 201ページ 日中戦争は世界戦争に備えて資源を確保するために起こしたもの。日中戦争解決のために太平洋戦争に突入したわけではない。
218ページ 南方から資源を輸入しようとしても、対価となる工業製品を生産し輸出する国力は日本にはない。大東亜共栄圏といいつも、一方的な略奪経済とならざるをえないことを陸軍中央は認識していた。
267ページ 南部仏印進駐に対するアメリカの対日石油全面禁輸は、日本の更なる南方進出の抑制と同時に北方での本格的な対ソ攻撃を阻止するためのものだった。禁輸により資源に余裕が失われた日本は必要性の低い対ソ攻撃を断念するとの見通しに基づく。これにより、ソ連がドイツに敗北し、ドイツのイギリス侵攻を本格化することを防ぐ。アメリカにとって大英帝国の崩壊は安全保障上絶対に回避しなければならなかった。 -
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昭和陸軍といえば、川田先生。今回は永田鉄山の後継者ともいえる武藤章を取り上げている。
武藤は陸軍内部ではいわゆる「統制派」の中心人物として、大東亜戦争開戦直前の日本の外交、政治をリードしてきた人物の一人でもあった。他の陸軍軍人と同様、地位があがることによって視野が広がり、それまでの方針を変更していくという過程は同じ(例えば、石原莞爾も似たような思考変化を見せている)で、その点は興味深かった。特に興味深い点が、石原と対峙したものと同じことを、開戦前に田中新一と立場を変えてやったのは、因果応報というものか。
どちらかというと軍政家であり、永田鉄山の理想を忠実に踏襲していく。いわゆる「昭和陸軍」を構成した中心人物であることは間違いなく、さらに永田の構想を時期に沿って発展させていこうとする力もあった。ただ、自身の人脈が政治方面に偏った結果、陸軍内部での支援者を持てなかったことが、その後の失脚につながったのではなかろうか。
流れからいくと、川田先生の次の対象は田中新一だろうか? -
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ネタバレ第二次、第三次近衛内閣という歴史的に枢要かつ重要な時期に内閣書記官長を務めた富田健二が、戦後に書いた手記の内、近衛内閣時代および大東亜戦争期の部分を収録した本である。
日本近代史において近衛文麿が果たした役割というのはマイナスのイメージが強いが、本書においては、近衛自身が意図していたものとは違った方向に事態が進んでいく場面もあり、この手記により近衛に対する評価をあらためて再検討する必要があると感じた。
解説は陸軍および昭和政治史に多くの論文や著作がある川田稔氏である。本書の1/5にわたって書かれた解説部分は、非常にわかりやすく纏められているだけでなく、既存の先行研究等も明記されているので、これから詳しく調べるには有用である。
富田が手記の中でしばしば指摘するのは、大東亜戦争に至った経緯について、単に軍部や当時の内閣等の責任だけではなく、政治家の責任も重大であった点である。これは私も驚きであった。
本書は、支那事変以降から敗戦までの政治的動向を調べている方にはぜひ読んでいただきたい。 -
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ネタバレ内大臣・木戸幸一を通して昭和史を考察する本書。
読み終わって改めて思ったのが、当時の日本が思い上がり、のぼせ上っていたのだという点。特に指導者層やエリート、軍部、上流階級といった上層部の思い上がりは甚だしい。
こういう時に出る、国民もという論法ではとても希釈できない体たらくである。
明治の第一世代、本当に国(藩、幕府)が滅びる事はどういう事かと肌身で感じていた世代が交代すると、ここまで視野が狭くなる(劣化する)かと忸怩たる思いを抱く。
本書の木戸幸一もその点では同罪であり、トップクラスの人物である。
勿論、終戦時の根回しなど功績に値する部分はある。それでもマッチポンプが酷すぎて、功が霞んで霞んで仕方ない。盛大なしっぺ返しを食らっているようにも見える。
例えば、反英(米)、反政党のあまり軍部に同調するのみならず、軍部を「善導」しようという思いあがった姿勢。「善導」するならば何か独自の国家戦略なり構想なりを考えていたかというと、それに関しては軍部の構想に全乗っかりというお粗末さ。
総理大臣任命の際、昭和天皇から訓示される憲法尊重、対米英協調、財界を動揺させずの3カ条の内、近衛からの要請で前2カ条を削った事を本書で初めて知ったが、本当にこの近衛一党(同じ穴の狢)は碌な事をしないとつくづく思った。
別に思想が反英米でも構わない。当時の欧米列強の植民地支配は酷いものだし、健全な感性ならそれに反感を覚えるのもある種当然の部分がある。
しかし、国家の要職にあるものの優先順位一番は、所属する国家の生き残りであろう。それが木戸をはじめとする近衛たちには欠けていると言わざるを得ない(勿論、軍部やアジア主義者などは言わずもがなであり、左翼は元々欠けている)。
言う事はいかにも立派なのだが、中身がなく、しかも粘り強く泥臭く実現しようとする姿勢もない。官僚的で貴族的な悪い部分がもろに出ている(その点、岩倉具視や三条実美はバランサーとしての役目も含めて偉大だった)。
木戸については、終戦前後の侍従長・藤田尚徳が「あまりにも人間的に弱く、君側にあって百難を排しても正しきを貫く気力に欠けた一貴族の姿がある」と述べたらしいが、近衛も含めてとても腑に落ちる見解である。 -
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2020/11/30木戸幸一 川田稔 ☆☆☆
太平洋戦争の傑作本 これまでの歴史書にはない明晰さ
「昭和天皇の日本国敗戦記」というほうが適切と思う
日本はなぜ日米戦争に突き進んだのか
「失敗の本質」が本書でかなりクリアーになった
これまでの歴史書を凌駕する
380116近衛「爾後国民政府を相手にせず」
400827近衛「新体制運動」 天皇に対する「幕府」との批判で頓挫
400927近衛「三国同盟締結」 米国の欧州参戦を牽制(ヒトラー)
4011 近衛「南京の汪兆銘政権を承認」重慶蒋介石との和平絶望
410413「日ソ中立条約」 米国を牽制 南方武力行使=対英開戦へ
410414「日米諒解案」 米国の対独参戦
410622独ソ開戦 バルバロッサ作戦 なぜ?→過信 -
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政治外交史の専門家、特に日本の戦前政治史に詳しい著者による、石原莞爾の構想について書かれた本。永田鉄山を中心とした陸軍統制派の動きや考え方に焦点を当て、満州事変から日華事変、太平洋戦争へと突入していく中で、どのような決断に至ったかを詳細に記している。永田や石原は、日華事変や太平洋戦争がどのような戦争になるかを10年以上前から正確に予測しており、その行動力と相まって陸軍中枢で活躍する。戦後、厳しい批判が多い陸軍ではあるが、多くの逸材が存在したことがよくわかった。
「支那全体を観察せんか。軍閥、学匪、政商など一部人種の利益のために支那民衆は連続せる戦乱のため塗炭に苦しみ、良民また遂に土匪に至らんとす」p100
「永田は、前の大戦を一つの「世界戦」「世界大戦」として捉え、次期世界大戦が不可避との判断に立っていた。その次期世界大戦は、前回の大戦と同様、国家総力戦となり長期の持久戦となる、そして日本も否応なくそれに巻き込まれると考えていた」p139
「(1925年講義録)日本の物質力は「すこぶる貧弱」であり、先の欧州大戦のような100万規模の動員を必要とする戦争を行えば、日本は破産する」p140
「永田は、次期大戦における持久戦は、限定的な戦争目的の実現による途中講話はありえないと考えていた。それは国の生存そのものを賭けた全面戦争となり、どちらかが継戦意思を失うまで続く執拗で徹底的な戦争となると見ていた」p142
「(1932年)シベリア経由でジュネーブに向かう途中、石原は、モスクワで赤軍トップのエゴロフ参謀総長と会見し、ポーランドでは中堅将校らに講話。ベルリンでも講演。ロンドンでは、イギリス陸軍関係者や各国駐在武官が多数出席し、満州問題について、石原と質疑応答を行う会が開かれている。この頃、石原の名は、軍関係者の間では世界的に知られていたのである。石原は欧州各地で歓迎を受け、講演会なども盛会で、本人も意気軒昂たるものがあった。このジュネーブに向かう旅が、石原にとって生涯で最も華やかな時期だったといえよう」p152
「(昭和12年度予算)全予算案額は30億3900万円、前年度より7億2700万円の膨張となり、歳出の46.4%が軍事費であった。二二六事件を契機に、もはや内閣から陸軍への財政的抑えが、ほとんど効かなくなったのである。軍事クーデター再発の無言の威嚇などによる陸軍の政治的発言力の増大を要因とするものだった」p187
「石原らの「日満産業五カ年計画」は、日中戦争開始直前の1937年5月には、「重要産業五カ年計画」として陸軍省に移管された。この間石原はその計画案を、近衛文麿元首相や池田成彬三井合名会社理事に示している。そこから、結城豊太郎日本興業銀行総裁、木戸幸一内大臣秘書官長などにも渡され検討されたようである。石原が軍のみではなく、政財界に一定のネットワークをもっていたことがわかる」p189
「(星野直樹、岸信介は)満州産業開発のため、鮎川義介の率いる日本産業株式会社(日産)を満州に進出させるよう働きかけた。日産は日立製作所や日産自動車、日本鉱業、日産化学などを傘下に、重化学工業を中心に急成長した新興財閥だった」p192
「(1935年)当時石原は、中国との戦争は当面できるだけ回避したいと考えていた。それは五カ年計画中の不戦方針からだけではなかった。石原は、対ソ戦略上、英米との良好な関係を維持することが必要だと判断していたが、両国は中国に強い利害関心をもっていたからである」p222
「永田の国家総動員論は、あくまでも次期大戦を不可避と予想し、それに対応するためのものであった。つまり、次期大戦には、好むと好まざるとにかかわらず、日本もコミットせざるを得なくなる。その場合に備えて、国家総動員の準備と計画を整えておかねばならず、そのための態勢構築が不可欠だ。永田はそう考え、さまざまな方策を実施してきたのである」p229
「盧溝橋事件時の陸軍中央:陸軍大臣 杉山元、陸軍次官 梅津美治郎、軍務局長 後宮淳、軍事課長 田中新一、軍務課長 柴山兼四郎、人事局長 阿南惟幾、補任課長 加藤守雄
参謀総長 閑院宮載仁親王、参謀次長 今井清、 第一(作戦)部長 石原莞爾、作戦課長 武藤章、戦争指導課長 河辺虎四郎、第二(情報)部長 渡久雄、ロシア課長 笠原幸雄、欧米課長 丸山政男、支那課長 永津佐比重、第三(運輸通信)部長 塚田攻、第四(戦史)部長 下村定、総務部長 中島鉄蔵」p249
「(盧溝橋事件直後)目下は専念満州国の建設を完成して、対ソ軍備を完成し、これによって国防は安固をうるのである。支那に手を出して大体支離滅裂ならしむることはよろしくない」p251
「奇妙な偶然だが、この重大な時点で、戦争指導を統括する参謀本部の参謀次長と情報部長、現地の最高責任者である支那駐屯軍司令官が、そろって病臥中だったのである」p256
「内地三個師団を実際に派遣すれば、全面戦争に発展することは不可避で、それは長期持久戦となることを意味する。だが、現状では相当数の精鋭師団を対ソ国境に配備しておかねばならず、十分な兵力を中国に投入できない。そのような状況下で、中国の広大な領土を利用して抵抗されれば、戦争は長期化し収拾の見通しがたたなくなる」p260
「石原は、今は対ソ戦備の充実のための五カ年計画に全力を挙げる時で、中国との軍事紛争となれば、その阻害要因となるため「極力戦争を避けたい」と考えていた。だが、内地3個師団派遣は対中国全面戦争の誘引となり、対ソ戦備の充実どころではなくなる。しかも、今の中国はかつての分裂状況から国家統一に向かいつつあり、民衆レベルでの民族意識が覚醒してきている。そのような中で戦争となれば、一撃では終わらず、行くところまで行く。全面戦争突入は、長期持久戦となる危険が大きく、自らの国防戦略が崩壊する。そうみていたのである」p261
「(武藤章)中国は国家統一が不可能な分裂状態にあり、日本側が強い態度を示せば蒋介石ら国民政府は屈服する。今は軍事的強硬姿勢を貫き一撃を与え、彼らを屈服させて華北五省を日本の勢力下に入れるべきだ。現在の事態は、それを実現する絶好の機会で、この好機を逃さず目的の達成をはかるべきだ」p262
「(昭和12年7月17日)石原は杉山陸相を訪れ、梅津次官、田中軍事課長の同席の場で、次のように華北からの撤兵を主張した。本年度の動員計画師団数は30個師団である。そのうち支那方面にあてられるのは11個師団である。このような兵力では広大な中国において、とうてい全面戦争は不可能だ。しかし、このままでは全面戦争の危険が大で、その結果は「底なし沼」にはまることになる。この際「思い切って北支にあるわが軍隊全部を一挙に山海関まで下げる。そして近衛首相自ら、南京に飛び、蒋介石と膝づめで日支の根本問題を解決すべきだ」と」p272
「(服部卓四郎)夜中2時頃品川から帰って三宅坂の参謀本部の玄関を入ると、階段の途中に石原さんが軍刀をつて立っているのでびっくりした。「どうされましたか」と聞くと、「3個師団の動員について総長、大臣のサインをもらってきたところだ」と答えられ、二度びっくりしたものである。不拡大主義者の石原さんが2時間たらずの間に拡大の決心をされ、下僚の補佐によることなく自分で案文を書き決済をもらい、夜明けと共に動員下令の処置をとられたのであった」p280
「(開戦2ヶ月前)石油がほしいからといって、戦争する馬鹿があるか。南方を占領したって日本の現在の船舶量では、石油はおろか、ゴムも米も絶対に内地へ持って来ることはできぬ。ドイツの戦争ぶりを冷静に観察すると、地形の異なるバルカンでも、西部戦場と同一の戦法を採っている。現在ロシアでやっている戦法でも何ら変化の跡を見ない。これではドイツはロシアに勝てぬ。もし勝算もないくせにドイツに頼って、米英相手に戦うというなら、こんな危険なことはない」p382 -
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全三冊!長かった。
昭和の世界対戦を、陸軍の視点から解剖する本。
とにかく情報量が多くて読むのけっこう大変でした(*_*)けど、読んで本当に良かった!!陸軍内の派閥争いが戦争をどのように助長させたのか。また、参謀本部と陸軍省との政治的対立とかも、興味深い。
どうして、日本は、勝ち目のない戦争へと突入したのか。WW2における日本の目的は、イギリスをアジア圏から追い出す(植民地支配を止めさせる)ためだった、とか、
アメリカVS日本 は本当は是が非でも回避したかったけど、日独伊、三国協定とロシアが絡んだ複雑な経緯によって、仕方なくそうなってしまった、、とか
ちょっと感想がうまくまとまらないんですが(すみません)、昭和の戦争史を学びたい方は絶対に読んだ方がいい!と思います。 -
Posted by ブクログ
永田が思い描く理想の日本とは、政治的、経済的、軍事的に苛烈な国際競争にさらされながらも自主独立を堅持する国家である。しかし理想を達するためには、来るべき次期世界大戦を勝ち抜かなければならないことが確信されている。彼にとってその勝ち負けが、日本が国際社会において落伍者になるか、先頭集団にキャッチアップし続けるかの分かれ道であった。
次期大戦は第一次大戦以上の総力戦になるという予想から、第一次大戦でドイツが敗北した決定的理由が探られる。それは軍事的なものに限らず、思想的、経済的なものが大勢をしめた。したがって日本での平時戦時を問わない国家総動員体制構築の重要性が語られる。
当時の国際社会を冷静に見渡せば正しい認識なのかもしれない。しかし、このビジョンのイニシアチブを政治家が主導し得ず、ただ軍人が持ち続けたがゆえに、様々な国際的ハードルに対して武力解決の道を重ねてしまう失敗があったのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ◆内容メモ◆
陸軍内部の派閥対立(統制派のリーダー・永田鉄山と、皇道派のリーダー・小畑敏四郎の対立)かつての一夕会の盟友は対中国戦略を巡り対立・袂を分かつ
永田は同じ一夕会出身で皇道派であった真崎甚三郎教育総監を罷免する。このような陸軍内部での派閥抗争が激化した結果、皇道派の隊付青年将校らの手によって、永田軍務局長は暗殺され、その翌年、二・二六事件が起こる。
隊付青年将校国家改造グループの一部が、兵約千五百名を率いてクーデターを起こした事件である。この時、木戸幸一内大臣秘書官庁が事態収拾に一役買った。
永田が居なくなった後、陸軍省のトップに武藤章、参謀本部のトップに石原莞爾が立つことになった。2人とも永田の部下である。事件後、皇道派は陸軍中央から一掃された。が、この武藤・石原の間にも後々、“華北分離政策”に関する意見の相違を巡って対立が発生する。この対立が、日中戦争勃発時の拡大・不拡大を巡る対立の伏線となってゆく。
昭和12年・盧溝橋事件発生。この衝突の事態についての対処法で、拡大派の武藤と不拡大派の石原が対立する。石原は、今は対ソ戦備充実のために全力をあげるべきで、中国との軍事紛争は極力避けるべきという見解だった。石原の思想も空しく戦線は苦境に陥り、武藤の指示で動員派兵が決定され、戦争は泥沼化してゆく。
こうして日中戦争は、宣戦布告のないまま、全面戦争になっていった。
上海への三個師団増派が決定したのち、石原莞爾は作戦部長を辞任した。こうして石原は失脚。参謀本部を去る時、「とうとう追い出されたよ」と語ったらしい。
石原失脚によって統制派の武藤章参謀本部作戦課長と、それに繋がる田中新一陸軍省軍事課長が、陸軍中央で強い影響力を持つことになった。
昭和12年12月・南京進行作戦が開始される。日本軍は、中国軍との激しい戦闘のすえ、南京を占領した。日本側は、駐華ドイツ大使トラウトマンを介して、南京政府に和平交渉を持ちかけるも、蒋介石によって拒否され、トラウトマン和平工作は失敗に終わり、戦線は膠着する。このような戦況の中、近衛文麿内閣は『東亜新秩序』なる声明を発表。中国国民政府のみならず、米英からも批判を浴びることになる。さらに、この後アメリカによって日米修好通商条約の破棄も起こってしまう。一方で、日本は、日独伊三国同盟を締結した。これは、武藤の意見によると“英米仏”に支配されていた「旧世界秩序」を転覆し、「世界の新秩序」を構築するためにあるものと認識されていた。日独伊三国同盟とソ連の連携による圧力で、アメリカ参戦を阻止し、日米戦を回避しながら大東亜共存圏の建設を実現しようと考えていた。この、武藤による“大東亜共存圏”の構想は、のちの“大東亜共栄圏”の原型として、太平洋戦争への重要な動因となっていく。
◆感想◆
2巻は陸軍内抗争と日中戦争について。そしてその延長にある太平洋戦争に至るまでの、流れ・・・って感じですね。日中戦争が泥沼化していなければ…石原莞爾が失脚していなければ…近衛内閣が変な声名だしていなければ…太平洋戦争で日本は甚大な被害を受けなかったかもしれない、と、歴史 if なんて語るも愚かなことですが、そう思わずにいられないのも悲しいことであります… -
Posted by ブクログ
日本はなぜ、必敗の戦争へ突入していったのか?
日本を破滅へと引きずり込んでいった「昭和陸軍」を主導した人物たちにスポットを当て、その破滅への道を辿る・・・
全3巻の最終巻、太平洋戦争・・・
満州事変から泥沼の日中全面戦争・・・
そしてついに太平洋戦争へ・・・
何であんな無謀な戦争へ突入していったのか?
勝てるわけないじゃんね?
まぁ、確かに・・・
ではなぜか?
泥沼化した日中戦争の解決が困難になり、その状況を打破するために陸軍が強引に南方に進出し、対米戦へと突入していった、とか・・・
英米蘭に追い詰められたために戦争を始めた、とか・・・
いろいろありますが・・・
とりあえず軍人がアホだった、と・・・
特に陸軍が実力差を考えずに(または知らずに)、精神論で暴走して開戦、破滅をもたらした、と・・・
こんな具合の話をよく耳にします・・・
が、しかし・・・
本書を読むと、よく聞く話と違う様相が見えてくる・・・
対米戦は当時の日本のトップの方々のほとんどは回避したがっていた・・・
実力差を考えれば対米戦の結果、大日本帝国が傾くことはわかっていた・・・
ええ、陸海軍共にね・・・
それなのに!
結局開戦に至ったわけです・・・
その経緯を・・・
主に陸軍内の主要な人物にスポットを当てて辿っていく・・・
さて最終巻は・・・
満州事変以来、陸軍内の権力闘争を勝ち抜き、陸軍中央の実権を握った統制派の面々・・・
中でも永田鉄山の後継者と自他共に認める武藤章陸軍省軍務局長と、基本は永田の影響を受けつつも、さらに石原莞爾の影響も受けた田中新一参謀本部作戦部長が主役・・・
で、その武藤ら陸軍中央は何も考えなしに南方に進出したわけではない、という・・・
次期大戦は必至であり、その大戦で生き残るためには自給自足が可能な総力戦体制(国防国家体制)を構築しなければならない、との考えを持つ武藤は・・・
これまでの満州や中国だけではなく、南方(東南アジア)の資源も確保する大東亜共栄圏(当初は大東亜協同経済圏とか大東亜生存圏とか)の建設を構想する・・・
南方進出はそのためであった・・・
ちなみに武藤や田中らが拡大させていった日中戦争も上記のように同じ理由(詳しくは第2巻ね)・・・
で、その際、主要な攻撃対象はあくまで英国であり、可分できるか不確実ながらも米国とは極力コトを構えない方針だった・・・
特に武藤は『米国と戦争するのは不可』との姿勢だった・・・
欧州情勢を好機として1940年9月にまず北部仏印に進駐し、タイへの影響も強める・・・
そして欧州大陸をほぼ席巻したドイツとイタリアとの軍事同盟、日独伊三国同盟が締結される・・・
これは外相の松岡洋右が主導・・・
武藤も南方武力行使に際して、独伊との軍事同盟が必要と考えていた・・・
松岡はさらに1941年4月に日ソ中立条約も締結する・・・
日独伊三国同盟だけでは米国への牽制が足りないという見立てだったので、ソ連がコレに加わるというのは武藤らにとっても大歓迎だった・・・
三国同盟は対米戦のために、と思ってたけども、必ずしもそうではなく武藤の考えは逆で、米国との戦争阻止のため、という発言をしている・・・
で、三国同盟にソ連も加わり、これで米国も迂闊に参戦できまいと小躍りしていたら・・・
日ソ中立条約締結の2ヶ月後にまさかの独ソ開戦・・・
バルバロッサ作戦ですね・・・
ヒトラーが気が狂わない限り、そんなことはすまいと思っていた武藤らは衝撃を受ける・・・
ドイツは英国とソ連と同時に戦争ということに・・・
独ソ開戦により日独伊ソの4カ国で米国を封じ込めるという構想が破綻する・・・
で、武藤も田中も大東亜共栄圏を建設するために、南方武力行使によって東南アジアを日本の勢力下に置くという構想は同じだったんだけど・・・
この独ソ戦への評価と対応を巡って、2人の間に亀裂が生じていく・・・
そして、それが三国同盟の意味づけや対米認識の相違を浮かび上がらせることになる・・・
武藤は・・・
独ソ戦は総力戦となり長期化する・・・
対ソ武力行使には反対・・・
三国同盟は英国に対する軍事同盟で、英国打倒のものであり、日米戦を阻止するためのものと位置づけ・・・
対米交渉の妨げになる三国同盟からの離脱も選択肢としてあり・・・
大東亜共栄圏の建設を諦めることもあり・・・
米国は中国問題だけでは日本と開戦はしない、満州国、華北の資源確保とそのための在華駐兵は交渉で認めらさせられる。万が一認めさせられなかったら、最後の最後でそれすら譲歩する余地もあり・・・
とにかく米国との戦争は国の存在を危うくするものであり、何としても回避する・・・
という考え・・・
一方、田中は・・・
独ソ戦は短期間でドイツの勝利・・・
ソ連へ武力行使し、東西挟撃によってソ連の崩壊を早めるべき・・・
対米戦は避けられないのであり、三国同盟はそのためのもので、対米戦にはドイツとの軍事同盟が不可欠・・・・・・
日本が大東亜共栄圏の建設を進めるということは、英国はアジアの植民地からの資源物資が入らなくなり、対独戦の継続が困難になる。
米国は自国の安全保障上、英国の崩壊は絶対に許さない構えである。故に、日本が大東亜共栄圏の建設を進めていく限りは、米国との戦争は避けられない・・・
また米国が独英戦に軍事介入すれば、結局いずれは日米戦となる。ドイツを倒してから、次は日本というわけ・・・
三国同盟を抜け、大東亜共栄圏の建設を破棄して、今は日米戦を回避しても、欧州大戦が片付いた後、日本はすべて(満州国や華北権益)を吐き出させられる・・・
対米戦は避けられない!そしてそれは対米戦の主役となる海軍の戦力比率(艦艇比率)からすると今(1941年中)でなければならない!
という考え・・・
この考えの相違から2人は対米開戦までの日米交渉中幾度となく怒鳴り合い、激しく対立していく・・・
武藤は対米戦回避のために奔走し、田中は対米開戦の急先鋒となる・・・
武藤と田中の差はどこから来たのか?
著者によると、ドイツ駐在の時代が違ったことと、影響を受けた人物から差が出たのだろうとのこと・・・
影響を受けた人物である永田鉄山と石原莞爾に関しては1,2巻を・・・
ちなみに陸相(のち開戦時の首相兼陸相)の東条英機は基本的に武藤の考えに沿っていた・・・
1940年7月南部仏印進駐・・・
それを受けて8月に米国は対日石油全面禁輸へ・・・
追い込まれていく例の流れですが・・・
一般的に、陸海軍首脳部・幕僚は全面禁輸を全く予期していなかったとされている・・・
けれども武藤などの発言から陸海軍首脳部は南部仏印進駐が対日全面禁輸を引き起こすだけでなく、それが対英米戦に繋がっていく可能性も念頭においていた、というのがわかる・・・
え?ではなぜ南部仏印に?
これは田中ら参謀本部が対ソ戦に逸るのを防ぐために、とある・・・
著者は『武藤は、南北同時戦争に陥ることを回避するには、彼自身対日禁輸強化を危惧していた南部仏印進駐実施を容認し、まずは対ソ開戦が不可能な状況を選択するしかないと考えていたのではなかろうか』と・・・
対日石油全面禁輸により日米関係がより一層緊迫なかで対米交渉が進められる・・・
首相の近衛文麿は日米首脳会談を希望し、対米戦絶対回避を志向していたが、どうにもグズグズで・・・
海相の及川古志郎は内々には近衛に海軍は協力するとしながらも、表立っての援護はしなかった・・・
陸相の東条にしたって、陸海相の会談で海相の及川からこの場限りにしておいてくれとしながらも、勝利の自信はない旨を聞いていた・・・
それに別の日の陸海相会談で及川に「支那事変にて数万の生霊を失い、見す見す之[中国]を去るは何とも忍びず、但し日米戦とならば更に数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えざるべからずも、決し兼ぬる所なり」と述べている・・・
陸海軍ともにトップは対米戦への自信なし・・・
そういう中で9月6日、御前会議が開かれ、10月上旬に至っても要求を貫徹する目処がない場合は、ただちに対米英蘭開戦を決意することが、国家意志の最高機関レベルで正式に決定された・・・
陸軍は東条も武藤も田中ら参謀本部からのプレッシャーに苦しみ、海軍に対米戦自信なしと公言させて、対米戦を回避させたかったが・・・
しかし海軍はそれは組織内外の状況からできない立場だった・・・
もちろん陸軍も同じく自分からは言い出せず・・・
うーむ・・・
これって・・・
で、グダグダしている内に宮中や近衛、外務省に海軍の動きを知った東条が態度を硬化・・・
さらに米国側からの首脳会談への条件が日本が譲ることが極めて難しいもの(中国の撤兵問題)だった・・・
結果、陸軍が引導を渡す形で近衛内閣が10月16日に総辞職・・・
木戸幸一内大臣主導で17日に東条内閣が成立・・・
木戸は東条なら天皇の意向を尊重し、陸軍を統率できる、だけでなく、9月6日の御前会議決定を白紙にできると考えて首相に奏薦した・・・
実際、東条も木戸の考えと同じで御前会議決定を白紙還元する方向に同調していた・・・
東条に天皇から白紙還元の優諚があり・・・
一度御前会議の決定が覆る・・・
それを受けて再度の(そして最後の)日米交渉が行われる・・・
東条自身、この時点でもまだ日米戦に踏み切るかどうかかなり迷っている・・・
しかし、東条内閣で海相となっていた嶋田繁太郎が態度を急変させ戦争決意を示す・・・
どうした嶋田?どうして嶋田・・・
海軍次官や、軍務局長、次長、作戦部長などが未だ慎重姿勢の中、海相と軍令部総長が態度を変え、これまで開戦に慎重だった海軍が開戦容認に転換する・・・
これにより、陸海軍ともに日米開戦やむなしとの意見が大勢となった・・・
開戦回避の最後の望みであった日本側提案(甲案、乙案)に対して、11月26日いわゆるハル・ノートが提示される・・・
その内容に、東条や外相の東郷茂徳も愕然とする・・・
一同、これにて交渉の余地なし・・・
開戦やむなし、となる・・・
開戦回避に奔走していた武藤もこれで開戦と受け入れる・・・
12月1日御前会議で開戦が決定され、8日ハワイ真珠湾攻撃とともに英領マレー半島に上陸を開始、こうして太平洋戦争が始まった・・・
で、その他・・・
対米開戦時に、陸軍には戦争終結の見通しを持ってなかった、と思っていたけど・・・
まずは東アジア・南太平洋の米英蘭の根拠地を覆滅し、長期自給自足の態勢を整える・・・
その後、適時米国海軍を誘い出し、これを撃滅する・・・
東亜諸民族を白人から解放し、大東亜共栄圏の建設を呼びかけ、その協力を求める・・・
独伊と提携して英国を屈服させ、米国の継戦意志を喪失させる・・・
というものはあったよう・・・
日本には米国を直接屈服させることはできない・・・
という、ちゃんとそういう認識はあった・・・
とにかく英国を潰す、これが終戦の見通しであった・・・
ちなみに・・・
東亜諸民族の解放、って言葉からすると素晴らしい大義だけど・・・
大東亜共栄圏建設のため、当初は日本が占領して、一方的な搾取の形になることは御前会議の時の蔵相や陸軍首脳は認識していたそう・・・
また・・・
米国は日本が飲めない条件と分かっていてハル・ノートなど回答してきたわけだけども・・・
米国は日本と戦争するつもりだったのは間違いなさそう・・・
中国が原因?
いや、著者によると中国ではなく、英国こそがその原因だったという・・・
日本がアジアを席巻し、英国の植民地から資源が入ってこなくなると独英戦が継続不能になる・・・
日本が南方に進駐し、アジアの英領が危機にさらされる事態は看過できない・・・
もし英国がドイツに屈服させられると欧州への足がかりがなくなり、太平洋と大西洋の両側から米国が封じ込められてしまう・・・
英国の存続は米国の安全保障上欠くことのならない問題だった・・・
なので太平洋、大西洋の同時戦争になることを覚悟してでも、日本の南方進出を放置することはできなかった・・・
太平洋戦争とはゆえに・・・
日本にとっても米国にとっても英国を巡る戦争であった、と言える・・・
あと、それから開戦後の記述は少ないのだけど・・・
ミッドウェーでの大敗以降、戦局の悪化が続くわけだけど・・・
戦線を縮小していく過程が酷すぎる・・・
戦争を始めることより止めることの方が難しい・・・
の最たる事例だと思う・・・
本当に酷い・・・
武藤も田中も陸軍中央を去った(というか東条との確執で飛ばされた)後の陸軍・・・
東条に明確な戦略はなく、終戦の目処としていた英国の屈服の目もなくなったのに・・・
少しでも有利な条件での講和を求めつつ、米国の圧倒的な戦力にその機会を逸し続け・・・
ドンドン犠牲が増えていく・・・
ドンドン状況は悪化していく・・・
しかし、方針は変わらず、とにかくどこかでいったん米国を叩き、どうにか!有利な!条件を!
このせいで日本軍・日本人、もちろん海外の皆々様の犠牲が増えまくっていく・・・
東条が退陣させられてもあの日を迎えるまで結局変わらなかった・・・
太平洋戦争中の日本人兵士戦死者230万人の大部分、民間人死者80万人のほとんどは、サイパン陥落以後に犠牲になったんだそう・・・
何なのそれって、読んでてイライラしましたわ・・・
太平洋戦争・・・
まず十中八九負けるだろう・・・
日本の存亡にかかわる戦争である・・・
と陸海軍のトップも認識していたのに・・・
結局、現場や田中新一などの強硬派を抑えきれずに開戦へと雪崩れ込んでいく・・・
これは満州事変以来の同じパターン・・・
その時その時の強硬派に引っ張られて事態が拡大し、混迷を深めていくというヤツね・・・
で、軍人はアホだったかどうか・・・
これは膨大な犠牲を出し、国を滅ぼしたんだからアホと言わざるを得ない・・・
ただ、教科書や一般的に言われているように何の考えもなく暴走して戦争に突入して行った、というのではないということが分かる・・・
後記にあるけど、最近の研究では昭和初期の政党政治は不安定で脆弱で、政党の腐敗や世界恐慌で簡単に崩壊したのではなく、政党政治の体制はかなり強固で、相当の安定性をもっていたそうな・・・
それにもかかわらず、政党政治は終焉を迎え、軍部が主導権を握ったわけですね・・・
簡単ではなかったはずなのに・・・
なぜ?どうやって?
全3巻と長いけど、どのような戦略構想の下、どのように軍部が日本の主導権を握り、どのように日本が破滅へと向かっていたのか・・・
戦前の日本を主導した昭和陸軍、さらにその昭和陸軍をリードした一夕会や統制派の主要な人物の構想や行動をもとに辿れる・・・
参考文献一覧も充実しまくりで、それらを参考に書かれている本書は非常に勉強になる・・・
このシリーズはハイパーオススメ!
ゼヒとも!