川田稔のレビュー一覧
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柳田國男の思想の全体像をえがき出している本です。
農政官僚であった柳田が、失脚を経験して民俗学への道へと方向転換することになったという見かたを著者はしりぞけ、柳田の農政論と後年の民俗学をつらぬく社会経済思想を明らかにしようとしています。自作農を創出することで、地域経済に根ざした社会的紐帯を生み出し発展させていくことをねらいとした柳田の立場が、大塚久雄の国民経済論に通じる発想を含んでいたと著者は考えており、その構想のひろがりを柳田のテクストから多くの引用をおこないながら示しています。
つづいて柳田民俗学については、ヨーロッパ滞在中に彼が摂取した文化人類学のあたらしい展開からの影響を受けている -
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タイトルのとおり、戦前の陸軍を中心にしながら、どうして日本は対米開戦を決意するに至ったかを満州事変のあたりから説明する本。
その際に、陸軍の大きな戦略構想を担った永田鉄山、石原莞爾、東條英機、武藤章、田中新一などを中心に、その戦略思想の流れ、共通認識と対立点などを通史的に説明している。
この辺のながれは、すでにある程度理解していたつもりなのだが、あらためて陸軍にフォーカスして読んでみると、思想と思考の多様性がわかってくる。
また、これまで誤解していた点もいくつかわかった。
歴史に「もし」はないというが、日米開戦につながっていく必然性とともに、日米開戦が多くの偶然のなかにあり、いくつかの -
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天皇を「常侍輔弼」する内大臣を太平洋戦争期に務めた木戸幸一の要を得た評伝。重要なキーパーソンであった木戸を通して、太平洋戦争の開戦から敗戦に至る昭和戦前政治史についての理解が深まった。
なんとなくのイメージで木戸も西園寺公望などと同じく根はリベラルと思い込んでいたが、実際の木戸は元来政党政治に反感を持ち、外交でも対米英協調路線からの脱却を模索する陸軍の伴奏者的存在だったというのは目から鱗だった。木戸と近衛文麿とがずっと二人三脚で歩んできたということも改めて確認できた。
太平洋戦争の開戦から敗戦に至るまでに、独ソ戦など木戸等のアクターにとっての誤算が重なり、かつ、適切な判断ができずにずるずるとい -
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副題に「内大臣の太平洋戦争」とあるように、本書は木戸幸一を通して見た満州事変から太平洋戦争開戦に至る過程を詳細に分析したものである。同著者の『昭和陸軍全史』(全三巻、講談社現代新書)も併せて読むことをお勧めしたい。
読者の問題関心は日本はどうしてあのような無謀な戦争に突入してしまったのかという点に集中するように思われる。満州事変や五・一五事件、二・二六事件、近衛内閣の成立と日中戦争の泥沼化、三国同盟締結、北進・南進政策をめぐっての意見対立、独ソ開戦、日米首脳会談挫折、東條英機内閣の成立、そして開戦してからはどのタイミングで戦争を止め得たのか……すべて昭和戦前・戦中期のターニングポイントであり -
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良書だと思う。
多くの方が、指摘する繰り返し、時間軸逆行もそほど気にはならない。
人間の営みの本質の多くは変わってなく、やはり歴史を学ぶことの意義を感じさせる。
本書の流れを企業の内部抗争と見立てて読んでもまた、現代の先進国と開発途上国との軋轢と読んでも十分応用が可能であろう。
自らの主張をぶつけるだけで決定することの責任を徹底的に回避する大物たちの小物ぶり。裁定者不在(国家間であれば国を超越する機関の不在)か裁定できないシステム(閣議不一致→総辞職)に問題があっただろう。
以降人物別に思うこと
本書は永田を中心軸に語られるが、永田の分析にはそれなりのロジックを感じるが、そこから紡ぎだし -
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陸軍長州閥と一夕会の派閥争いから発生した満州事変。其の後あの泥沼の日中戦争に突入したのはなぜか?本書でもその原因を陸軍内部の派閥争いと考えている。陸軍内部の主導権を握りつつあった一夕会内部に亀裂が入り、統制派と皇道派の対立が深まる。華北分離工作をめぐっての統制派の台頭、領袖永田鉄山の暗殺、二・二六事件以降の皇道派の衰退。盧溝橋事件の扱いを巡っての統制派内部の対立から、出口を無くした日中戦争に突入。そして太平洋戦争。
しかし、そもそも何故こんなにも内部の覇権争いが繰り返されていたのだろうか?中央の指示を派遣軍が従わないとか、挙句の果てには石原莞爾と武藤章の対立は同じ部局内での上司の決定を部下 -
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2013.3記。
第一次世界大戦のさなか、のちの陸軍軍務局長永田鉄山は、在ドイツの駐在武官としてその災禍を目の当たりにし、いずれ再度の大戦は不可避であり、そうなれば資源小国の日本に勝機はないという強い危機感を抱いていた。本書の根幹は、「次の大戦に向けた『総力戦の備え』としての資源をどう確保するか(それは軍事的勢力圏の版図決定に他ならないのだが)」についての議論と言える。
最初は「満州の確保」から始まる。その後「満州+米英との貿易堅持」と、いやそれでは米英と組めなかったら終わってしまう、「満州+華北(中国の一部)」まで必要、との二軸が論争となる(1930年代の仮想敵国はソ連だった)。無数の不 -
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現代日本に昭和陸軍性悪説というようなものが定着したのは、司馬遼太郎のような作家の影響なのだろうか。
昭和陸軍全史と銘打たれているが、三冊の新書を通して描かれるのは昭和陸軍の高級幕僚史である。石原莞爾と永田鉄山が理論的支柱となり立ち上げた一夕会が、やがて陸軍省と参謀本部を牛耳り、さらなる権力闘争を経て武藤章と田中新一に引き継がれる。この第三巻で描かれるのは、太平洋戦争に至るまでの彼らの暗闘である。
戦略眼と行動力を兼ね備えた彼らは、確かに当時の日本で突出した影響力を放っていた。しかし、この巻で描かれる様は、どこか空しい。それはおそらく、日本が最後のターニングポイントをまわってしまい、対米戦が -
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満州事変の石原完爾は、勝てる戦しかしない。しかし、石原の部下であった武藤は、日中戦争を敢えて拡大することで石原を追い落とし、権力の中枢に立とうとした。戦火が燃え広がろうとするタイミングでは、それを消そうとする者より、煽る者に支持が集まる。ましてや近衛のようなオポチュニストの下では尚更だろう。一般に戦争への道を主導したのは陸軍であるというが、トップの責任は重い。
それにしても、常備15個師団しか持たない日本が北京や南京を占領したとて、何ができるというのか。二年後からの第二次世界大戦では、ドイツ軍は戦車と飛行機で重武装し、欧州を席巻した。歩兵てわ勝る日本軍は一つ一つ都市を占領していくが、蒋介石も一 -
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1928年3月1日、陸軍の少壮中央幕僚グループ木曜会の会合で、以下のように申し合わせた。
帝国自存のため、満蒙に完全なる政治的権力を確立するを要す。これがため国軍の戦争準備は対ロ戦争を主体とし、対支戦争準備は大なる顧慮を要せず。ただし、本戦争の場合において、米国の参加を顧慮し、守勢的準備を必要とする。p12
一般に、満州事変は、世界恐慌下(1930年代初頭)の困難を打開するため、石原莞爾ら関東軍によって計画・実行されたものとの見方が多い。だが、実は1929年末の世界恐慌開始より1年半前に、陸軍中央の幕僚のなかで、満州事変につながっていく満蒙領有方針が、すでに打ち出されていたのである。満洲事 -
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なぜ日中戦争は止められなかったのか?という疑問に、一つの回答を提示しています。
永田鉄山暗殺後に統制派を率いた武藤章と、自らの世界最終戦論を前提に陸軍を動かそうとする石原莞爾らの動きがつぶさに分かります。
日中戦争が拡大した要因の一つに、拡大派の武藤と不拡大派の石原の派閥争いがあったというのは驚き、そして飽きれました。
また、随所で戦線拡大を止められる機会があったにも関わらず、その全てが武藤に限らず、現地軍や政府関係者らによって芽が潰されていったようです。
本書で扱われているのは1933年(昭和8)から1940年ごろまでというわずか7年間ではありますが、この短くも濃い歴史の動きから学ぶべき -
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読んでいて思うのは破綻した論理的展開。戦略家達が、歴史と現状を分析して、国がどう振る舞うべきかを考える。
そこには覇権を争う欧米列強に対する生き残りをかけた論理がある一方で、愛国心(?)からなのか、アジア諸国を低く見て、日本を救済者、指導者とする傲慢さが垣間見える。そこで論理は大きく破綻しているが、彼らにはそこからしか先を見る視点がない。
それを狂気というのは容易い事だと思うが、当時の世界情勢では破綻した論理でしか未来を語れなかったのかもしれない。もっとも、これは後知恵で言ってることで、当事者になればその破綻に気づく事なんてできないかもしれない。