あらすじ
民俗学の祖として知られる柳田国男。しかしその学問は狭義の民俗学にとどまらぬ「柳田学」として、日本近代史上に燦然と輝いている。それは近代化に立ち後れた日本社会が、今後いかにあるべきかを構想し、翻ってその社会の基層にあるものが何かを考え尽くした知の体系だった。農政官僚、新聞人、そして民俗学者としてフィールドワークを積み重ねるなかで、その思想をいかに展開していったのか。その政治・経済・社会構想と氏神信仰論を中心としつつ、その知の全貌を再検討する。
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Posted by ブクログ
柳田國男の思想の全体像をえがき出している本です。
農政官僚であった柳田が、失脚を経験して民俗学への道へと方向転換することになったという見かたを著者はしりぞけ、柳田の農政論と後年の民俗学をつらぬく社会経済思想を明らかにしようとしています。自作農を創出することで、地域経済に根ざした社会的紐帯を生み出し発展させていくことをねらいとした柳田の立場が、大塚久雄の国民経済論に通じる発想を含んでいたと著者は考えており、その構想のひろがりを柳田のテクストから多くの引用をおこないながら示しています。
つづいて柳田民俗学については、ヨーロッパ滞在中に彼が摂取した文化人類学のあたらしい展開からの影響を受けていることが指摘されています。従来のフォークロアは、ことさら珍奇な習俗の蒐集に明け暮れていたのに対して、マリノフスキーらの文化人類学者は、現地調査をおこない対象地域の住民の生活文化全体を包括的に把握することをめざしました。著者は、こうした文化人類学の方法を、自国の民俗の研究に取り入れることで、柳田民俗学が成立したと論じています。
さらに著者は、柳田の氏神信仰にかんする研究をていねいに検討し、それが日本人の倫理的な心性の基礎を明らかにするというねらいをもっていたと主張します。ここで著者は、フレイザーとデュルケームの比較をおこない、呪術を倫理以前のものとみなしていたフレイザーではなく、トーテミズムなどの習俗のうちに倫理の基盤を見いだそうとしていたデュルケームに近い立場を柳田がとっていたとされています。さらに、そうした柳田の氏神信仰についての考察が、国家神道に対する根底からの批判としての意味をもっていたことが指摘されています。
新書としてはややヴォリュームのある本ですが、柳田民俗学の全体像について明確に把握するという著者のもくろみはじゅうぶんに果たされており、優れた入門書といってよいのではないかと思います。