川田稔のレビュー一覧
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第2巻は満州事変から日中戦争の泥沼にはまっていくまでの時期が陸軍内の権力闘争を中心に描かれる。
犬養内閣倒壊後、宇垣派が陸軍中央から排除されて永田鉄山が参謀本部情報部長に就任。しかし、小畑敏四郎と対立。一夕会はいわゆる統制派と皇道派に分裂した。1934年、永田が軍務局長に就任すると陸軍中央から皇道派は追放されるが、派閥抗争激化の中で永田が斬殺される。
1936年、皇道派につながる青年将校たちのクーデタ事件が発生し、鎮圧される。この事件をきっかけに陸軍は、皇道派を完全排除。実権は永田直系の武藤章、非皇道派系一夕会メンバーの石原莞爾らに。
そして、1937年盧溝橋事件勃発、日本と中国は全面戦 -
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著者は「昭和陸軍」が満州事変を契機に形成され、日中戦争から太平洋戦争へと続く道を作っていったと考えている。
第1巻はその満州事変がなぜ引き起こされたのか、「昭和陸軍」とはどのような組織だったのか、について永田鉄山、石原莞爾ら陸軍中堅幕僚によって組織された一夕会などと陸軍中枢(長州閥や宇垣派)などの力関係、その思想と行動を中心に叙述されている。
「一般には知られていないことだが」と前置きされて述べられている部分がちょっと鼻につく感じがするが、実際、勉強になる。
戦後70年の今年、元日に天皇陛下が「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと が、今、極めて -
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第一次世界大戦における、国家総力戦が日本に如何なる影響を与えたか?
大正十年、ドイツ南部のバーデン・バーデンにおいて永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の三人が落ち合い、将来の国家総動員態勢実現に向けて話し合ったところからはじまる。
昭和史を読み解くにあたって、もっとも重要なひとつにおける「一夕会」。
本書はタイトルにも示されているように、永田鉄山を中心に、昭和陸軍の軌跡に迫った一冊である。
中堅クラスのエリートであった永田ら一夕会メンバーが、如何にして軍の中枢を握り、自らの理想のために軍を動かしていったかが丁寧な筆致で語られている。
大東亜戦争における、原因のひとつといえる中堅エリートたち -
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山県有朋,原敬,浜口雄幸,永田鉄山の四人を軸に,WWIからWWII前夜にかけての日本の安全保障構想を見ていく。特に山県と原,浜口と永田の間で国際関係をどう眺めるかという視点の違いが際立つ。著者はこれまでにもこの四人についての著書を何冊もものしているようで,各人の思想についての深い洞察が感じられる。
パワーポリティクスの視点と国際連盟に期待する平和協調の視点のせめぎ合いは,少し前に読んだ『国際秩序』でも強調されていたが,本書でもそれを確認することができた。ただ満蒙地域の重要性は原,浜口といえども否定できなかったことに当時の日本を考える上で簡単でないものを感じた。
しかしまあ山県を除く三人は -
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昭和の日本陸軍の思想の系譜をたどる。
永田鉄山の構想では、第一次世界大戦を経て総力戦に突入する状況や米英仏等、ブロック経済に移行する中において、日本が生き残るために、満州や華北を含めた自給圏域をつくることになった。
その後石原完爾が華北に進出するよりは、どんどん国力を増しているソ連に対して、国力が増す前に戦い、北方の脅威を取り除くべきだと主張していく。
永田鉄山は惨殺され、石原は日中戦争に伴い主流から外れているなかで、永田の構想を引き継いでいったのが、武藤章、田中新一。
日中戦争が拡大し、泥沼化していく中で軍務局長となった武藤の構想は、永田の構想である満州、華北を含めた勢力圏の確保のほか、南方 -
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本書は、1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)の太平洋戦争の敗戦まで日本の針路を主導・壟断した日本陸軍の内実を詳細に調査・解明した興味深い書であると思った。
わが国の「昭和の戦争」について、つねづねその国力差から、負けることがわかりきったアメリカとの戦争になぜ突っ込んでいったのかという疑問は、誰もがあるのではないかと思う。本書を読むと、当時の日本に世界戦略がなかったわけではないことがわかる。
「日本陸軍省軍務局」。この日本陸軍の一機関が当時の日本の国家戦略を策定して日本を動かしていたとは、当時の日本の国家構造に疑問を抱いた。本来、国家戦略を練るべき政治家や外務省は何 -
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昭和初期に生きた2人の人物にスポットをあて、その考え方、特に中国の取り扱いの違いから日本のかじ取りをどう考えたかを対比・紹介した作品。
1人は民政党出身の首相浜口雄幸で国際協調による中国との宥和にて繁栄を築く政策。もう1人は陸軍省軍務局長永田鉄山少将で、総力戦に備えた資源確保のためには武力ででも中国を支配化に置く政策。中国を巡る路線対立とは、なかなか現在にも通じますね。
2人は結局時代の波にさらわれ、浜口は世界恐慌のあおりをもろにかぶった挙句に遭難。永田も対立した皇道派の相沢中佐に刺殺されてしまう。
この二人が生きていればその後の戦争はどうなったのだろうか?ただ、現在からみると浜口の路線はじり -
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当時日本で最も優秀な頭脳集団の一つだった旧日本陸軍。なぜあの太平洋戦争に至り、その後完全解体という悲劇に至ったのだろうか?本書は全3部作の第1部で、満州事変とその背景について論じている。そしてその原因を、陸軍内部に誕生した一夕会とその他の派閥抗争に端を発するとしている。一夕会が考える陸軍が取るべき方針は、第一次世界大戦を鑑みた国内体制の変革の必要性と満蒙親日傀儡政権樹立の必要性、そして内部にはびこる長州閥の打破と考えていた。そして、陸軍内部で人事介入工作を始め、満州事変に至る。
分からないことがある。一つは、結果的にみれば独断専行した関東軍の狙い通りと言える。しかし、当時は元老西園寺公望 -
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全7章のうち、5章を「満州事変」の通史、2章を永田鉄山と石原莞爾の戦略構想の比較分析に充てている。
本書の日本陸軍観・「満州事変」観の特色としては、第1に、宇垣一成を中心とする世代と永田ら「一夕会」グループの世代の対立抗争を重視し、前者から後者に主導権が移る犬養内閣成立(「一夕会」が推す荒木貞夫の陸軍大臣就任)をもって陸軍の体質に「断絶」を認めている点、第2に、「満州事変」を通俗的な「関東軍の独走」というよりも、永田が主導する陸軍中央の中堅幕僚クラスの「下剋上」に重きをおいて説明している点が挙げられる。いずれも従来の通説に比して、永田鉄山(柳条湖事件時は陸軍省軍事課長)の主導性を重視して -
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これまで敢えて避けてきた感のある昭和の陸軍に関する本。
イメージだけで言ってしまうと、海軍は論理的で欧米に精通したエリートであり日米開戦に最後まで反対し続けたベビーフェイス。
かたや、陸軍は精神論を武器に感情的・直情的であり、なんの戦略もなくなし崩し的に国家崩壊の寸前にまで追い込んだヒール。
そんなステレオタイプで捉えがちである。
かくいうボクも、満州事変以降、なぜ日中戦争へとむやみに戦線を拡大し、さらには太平洋戦争にまで踏み込んでいったのか、政党政治を潰してまで権力を掌握して実現しなければならないモノとはなんだったのか?この手の本をいくら読んでもいっこうにわからないのだ。
なぜなら、陸軍自