川田稔のレビュー一覧
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[両翼の相克]盧溝橋事件前の日本政治・外交において、それぞれ異なる思考と体制で運営を試みようとした浜口雄幸と永田鉄山。新たなる時代が到来するという点では認識が一致したものの、その時代が日本にとってどのような性格を持ち、日本はどう対処するべきかという点において、きれいな対比を見せた両名の考えを中心に据えた作品です。著者は、名古屋大学で政治外交史・政治思想史を専門とされている川田稔。
事実関係や本人たちの手記などを踏まえながら、浜口と永田の思考が見事に整理されている点に読み応えを覚えました。方向は異なりますが、政治・経済・社会体制・外交などの分野を横断するグランドデザインを描くことができ、それを実行に移すための影響力を行使し得たという点で2人に相似が見られることもあり、この両名の対比から昭和前期に支配的であった異なる思考の潮流の一端を覗くことができるかと思います。
根本的には「次の戦争は回避できるか」という点に浜口と永田の間で差異があったという指摘は的を射ているものだと思います。「できる」という回答から当時の永田の考えは導き出せないでしょうし、「できない」となれば当時の浜口の考えは理想論として退けられる類のものだったのではないでしょうか。変な用語ですが、「比較近代日本思想史」といった色合いを持った良作品でした。
〜安全保障の問題について、浜口は、国際的国内的諸条件の総合的な判断から、自国の軍事力のみならず、国際連盟の存在と、軍縮や平和維持に関連する多層的多重的な条約網の形成による平和維持システム、戦争抑止システムの構築によって対処すべきだし、対処可能だとの観点に立っていたのである。〜
永田鉄山って思っていたより鍵となる人物なのかも☆5つ -
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「昭和初期、満洲事変を契機に、陸軍は、それまで国際的な平和協調外交を進め国内的にも比較的安定していた政党政治を打倒した。その推進力は、陸軍中央の中堅幕僚グループ「一夕会」であり、彼らが、いわゆる昭和陸軍の中央を形成することとなる。
その昭和陸軍が、どのように日中戦争そして対米開戦・太平洋戦争へと進んでいったのか。その間の陸軍をリードした、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一らは、どのような政略構想をもっており、それが実際にどのような役割を果たしたのか。筆者の主要な関心はその点にある。」(410ページ)
長大な昭和陸軍史全3巻を読み終えて、筆者の問題関心である昭和陸軍中枢の「政略構想」については、よく理解できたと思う。一般に思われているように当時の陸軍が、何の構想も持たずに無謀な戦争に突入していったとの「常識」は覆される。とくに欧州大戦勃発から太平洋戦争突入までを中心に描かれる第3巻は、武藤、田中の政略構想の違いに力点が置かれ、その綿密な叙述がキーになっている。その意味で東條英機は独自の構想を持たない人物として脇に置かれているように思う(それが正しいかどうか私には判断しかねるが、川田氏の書きようではそのように読める)。
日米開戦以後の日本陸軍は、武藤が更迭され、田中が更迭され、そして最後には東條もいなくなり、「聖戦完遂」の名の下に多く内外の犠牲を生み出していったのである。
今一度、3巻全体を振り返って読み直すと新たな発見があるかもしれない。 -
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満州事変から始まる所謂15年戦争の過程を日本陸軍から検証するシリーズの第2弾。
川田氏の著作は何冊か読んでいるが、共通項として丁寧に組織だけでなく各個人の考え方、そこから繋がっていく決定プロセスも説明してくれるので非常にわかりやすい。
今作も永田vs小畑にはじまり、永田vs石原、石原vs武藤といった陸軍中枢部の戦略論による政策の決定過程は一読に値する。
一般的に陸軍は戦略論がなく、強硬論の行き当たりばったりという見方をされがちであるが、本書を読む限り、それぞれにそれ相応の説得力がある。結果として見込みが外れ、複雑怪奇な国際情勢に引きずられ最悪の結末を迎えることになるが、結果論から逆算した見方とは違う、決定プロセスに対する視座は大事にしたい。 -
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日本はなぜ、あのような無謀な戦争に突入していったのか?
日本を破滅へと引きずり込んでいった「昭和陸軍」を主導した人物たちにスポットを当て、破滅への道を辿る・・・
全3巻の第2巻、日中戦争・・・
満州事変から泥沼の日中全面戦争へ・・・
「日中戦争は、その発端においては、陸軍内の政策対立に起因するもので、武藤らが、石原の政策的指導権を破砕しようとしたことが重要な動因になっていた。
武藤ら拡大派も、事件当初は、中国の植民地化や領土分割を企図したというより、華北分離(華北の勢力圏化)を実現し、それを国民政府に、認めさせようとするものだった。
だが、中国側抵抗力への過小評価と、石原に対抗しその対中政策を打破しようとしたことが、当初の華北分離の意図を超えて事態を拡大させ、戦争目的を広げていったといえる。」
第2巻はこの泥沼に嵌って行く経緯を辿る・・・
次期世界大戦は不可避であり、総力戦体制を整えるため、大陸の軍需資源を確保するべく満州事変を起こし、満州国建国を一気に推し進めた陸軍の中堅幕僚グループ、一夕会の面々・・・
満州事変が一応の終息迎えた塘沽停戦協定後、その一夕会が分裂、皇道派と統制派に分かれ対立が生じる・・・
天皇親政を志向し、とりあえず対ソ防衛が第一(短期戦)、中国とは提携、欧米列強とも協調という荒木貞夫、真崎甚三郎、小畑敏四郎がリードする皇道派・・・
対ソ戦は国運を賭けての長期の総力戦になるとの認識であり、総力戦に備えるため、資源を確保するべく中国、そして欧米にも強気のスタンスで臨む永田鉄山がリードする統制派・・・
政策の違いや陸軍の主導権争いが相まって皇道派と統制派の対立が激化していく・・・
その対立の最中、皇道派を追い詰めていった永田が皇道派の相沢三郎に斬殺されちゃう・・・
永田斬殺の翌年、隊付青年将校国家改造グループの一部がクーデターによる国家改造を企図し、武装蜂起するも失敗(2・26事件)・・・
事件後、彼らと繋がりのあった皇道派と、それと抱き合わせる形で宇垣派の主要な人物が陸軍から追放される・・・
皇道派と宇垣派の一掃を推し進めたのは永田直系で永田から強い影響を受けた統制派中核人物の武藤章・・・
以後陸軍省では武藤章が、参謀本部では満州事変の首謀者の石原莞爾が、強い影響力を持つことになる・・・
そして、その2人を中心とする陸軍の圧力によって、広田弘毅内閣下で軍部大臣現役武官制が復活し、陸軍の政治的発言力が急速に増大していく・・・
さて、陸軍中央を主導していく石原の構想は・・・
ソ連の極東軍に対して、日本軍の戦力が大幅に劣後しているので、まずは対ソ戦備の充実こそが急務・・・
対ソ戦力の充実をもってソ連の極東攻勢を断念させ、背後の安全を固め・・・
その後に、イギリスの東亜(東アジア、東南アジア)における根拠地(中国、マレーシア、シンガポール)を奪取し、その勢力を駆逐・・・
東亜を、イギリスだけではなく、フランスやオランダなどの植民地状態から独立させ・・・
東亜への白人の圧迫を排除し、東亜の保護指導者たる地位を確立し、東亜諸国を指導し、持論であるアメリカとの大決勝戦(日米世界最終戦争)に備える、というものであった・・・
で、急務である対ソ戦備の充実のため、五ヵ年計画を策定し、実行へ移していく・・・
工業生産力拡充のため、5年間は不戦方針、絶対平和維持の方針を打ち出す・・・
このために、そして後に東亜の保護指導者たるの地位を確立するために日中親善が不可欠であるとし、対立関係を調整するとして、従来の華北分離政策を中止する方針を打ち出す・・・
しかし・・・
その華北分離政策は・・・
斬殺された永田の遺志であり、その遺志を継いだ武藤が起案したものだった・・・
なもんで、武藤は上司である石原の方針に反発し、対立していくことになる・・・
また、石原はいずれ勃発するであろう欧州の大戦には日本は不介入、とのスタンスだったが・・・
一方で、永田はかつて日本は次期大戦に不可避で巻き込まれていくと予測し、そのために国家総動員体制を築くべく諸々手を打ってきたのであり、石原と永田のスタンスの相違が、永田の跡を継ぐ武藤との対立に影を落とすことになっていく・・・
そして!
この対立が!
1937年の盧溝橋事件の時に爆発する!
盧溝橋付近で日中両軍の間で小規模な衝突が起こるわけだけど・・・
事件への対応を巡り、陸軍中央で激しい対立が巻き起こる・・・
石原は事態を拡大すれば全面戦争に突入し、長期の持久戦になる危険が大きく、そうすると自身の戦略構想が崩壊する。また長期戦になりソ連が出てきたらもうお手上げ、との判断から事態不拡大の方針を示す・・・
対する武藤や陸士同期で同じく統制派の田中新一などは、蒋介石ら国民政府に一撃を加えて屈服させ、従来からの政策だった華北分離を実現させようと、事態拡大を強硬に主張した・・・
この対立に、陸軍中央の多くの幕僚は武藤ら事態拡大派を支持・・・
彼らは華北の権益放棄という石原の方針に不満で、石原ら不拡大派は少数派でジリジリと拡大派に押され、なし崩し的に事態が拡大していく・・・
日本軍の華北での総攻撃を受け、ここに至っては、と蒋介石も徹底抗戦を宣言・・・
戦線は華北から上海(超激戦)、そして南京、徐州と、ジワジワとどこまでも拡大していく・・・
その間、北支那方面軍は河北省だけでなく、山西省や山東省へ、関東軍も察哈爾省、綏遠省、山西省に進撃・・・
華北だけでなく、ズルズルと全面戦争へとなっていった・・・
現地軍を指導しなければならない陸軍中央で、意見が激しく対立して、統一した戦争指導ができなかったことが現地軍の独走を許すことになってしまう・・・
武藤らの強硬姿勢の背景は、欧州情勢が逼迫してきたことから、早急に石原の華北分離工作の中止や華北の権益放棄の方針を打破し、永田以来の構想である華北の資源と権益を確保しようというのが主な要因だった、と著者・・・
そして石原は部下である武藤、そして田中ら拡大派との抗争に敗れ、陸軍中央を去る・・・
以後は拡大派の武藤、田中を中心に東条英機、冨永恭次が統制派の主流になり、陸軍をリードしていくことになる・・・
ちなみに・・・
ドイツのトラウトマンを仲介とする和平工作が行われたりもしたが・・・
この和平工作の頃はイメージと逆で、いつもは統帥権の独立を盾に強硬派の参謀本部が慎重で、いつもは慎重とされる内閣や陸軍省の方が強硬派であったそうな・・・
結局、そのトラウトマン工作は打ち切られ・・・
首都南京が落ちても、国民政府は重慶に移り、中国軍は決戦を避けながら戦争を継続・・・
戦線も延び切り、広大な中国を制圧するには兵力が絶対的に足りず・・・
日本軍の統治は都市や鉄道や主要道路など、点や線の支配に留まり、面として制することはできない状況が続き・・・
軍事的にも政治的にも日中戦争解決の見通しが立たなくなっていった・・・
そしてさらに、近衛内閣の東亜新秩序声明や天津英仏租界封鎖問題などを通じて、いよいよ英米との対立が深まっていくことになる・・・
と、2巻の流れはこんな感じ・・・
自分のまとめ用に書いてたらこんな長くなっちゃった・・・
このシリーズは本当に学べますね・・・
この巻に書いてある日中戦争は、泥沼にハマっていく感が凄くて、読んでいて気が重くなった・・・
前巻では、永田と石原の次期大戦への認識や構想の違いが書かれていたが、永田のそれが武藤に受け継がれ、石原との対立を引き起こし、ひいてはそれが・・・
それこそが日中戦争を拡大させていく隠れた主因であった、というのが著者の主張・・・
そして、満州事変の時に中央を引っ掻き回した強硬派だった石原が、盧溝橋の時には不拡大派で、今度は部下で拡大派の武藤に強引に押し切られるこの、何ともいえない皮肉感たるや・・・
嗚呼・・・
その時その時の強硬派に引っ張られて、なし崩し的にズルズルズルズルと深みに引き摺り込まれていく・・・
満州事変この方、太平洋戦争敗戦までこのパターンで行く感じですね・・・
日本の悪しきパターンなんでしょうか?
仮に強硬派の(そう呼べる代物だったのか分かりませんが)戦略が合っているならまだまだまだしも、見通しが甘甘で、戦略が間違っていた時の悲惨さがコレか、と嘆かわしいですね・・・
あまりにも犠牲が大きすぎましたね・・・
肝に銘じておきませんと・・・
ね・・・
今回も読み応えバッチシで、非常に参考になりました・・・
さて、次はいよいよ太平洋戦争の巻・・・
夏が待ち遠しいです・・・ -
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なぜ無謀な戦争は始められたのか?
日本を破滅的な戦争へと引きずり込んでいった昭和期の陸軍・・・
さらにその昭和陸軍を引っ張っていった人物たちにスポットを当てて、満州事変から太平洋戦争までを振り返る・・・
全3巻の第1巻、満州事変・・・
著者の前著の「昭和陸軍の軌跡」がとっても面白かった(勉強になった)ので購入・・・
その「昭和陸軍の軌跡」をより詳しく書いたのが今作ですね・・・
満州事変・・・
一般的には世界恐慌で苦境に立つ日本・・・
その困難を打開するために、関東軍の石原莞爾や板垣征四郎らが中心となって勝手に暴走し、政府や陸軍中央の首脳部は後手後手に回り、
事変拡大へと引きずり込んでいった・・・
というイメージかと思われます・・・
が、しかし、この本を読むと・・・
石原は、世界恐慌以前に既に満蒙(満州と内蒙古)の領有計画を立案していたことがわかる・・・
むしろ世界恐慌が、満蒙領有計画実行の絶好の追い風、チャンスとされた、と・・・
そして、事変は関東軍の独断じゃなくて・・・
陸軍中央でも、永田鉄山らを中心とする中堅幕僚たちが結成した一夕会(石原らも所属)の面々が、謀略による満蒙領有計画は了承済みで、事変のきっかけになった柳条湖事件後の関東軍の動きを支援していく・・・
関東軍は暴走したのではなく、満蒙を領有するという目的のために、関東軍と陸軍中央の一夕会の中堅幕僚たちとが連携して事を進めていったのだとわかる・・・
では、なぜ満蒙を領有するのか?
それは・・・
いずれ必ず起こると観ていた次期世界大戦のため・・・
その次期大戦を勝ち抜くために必要な国家総力戦体制を構築するために資源の豊富な満蒙は不可欠!だから日本が領有する!
この方針の下、関東軍は独走、内閣の不拡大方針を無視して陸軍全体でドンドン独走していった・・・
で、その方針を作っていった中心人物が2人の天才異才、永田鉄山と石原莞爾・・・
当時、第一次世界大戦が世界の軍人たちに与えた影響は激烈だったようで・・・
戦争の量や質が激変した、と・・・
今までのような戦争とは比べ物にならないぐらいの規模であり・・・
国家が軍事面だけでなく、経済面や精神や文化面などありとあらゆる要素の総力を挙げて戦争を行う総力戦に変質した、と・・・
この2人もご他聞にもれず、というかむしろ誰よりも敏感に受け止め、2人それぞれ大戦の定義や細かい認識、考えは違うのだけれども、いずれ世界大戦は必ず起こると確信にいたる・・・
日本はその次期世界大戦へ向けて準備をしておかなければならない・・・
勝ち残るためには今の日本のままでは到底無理・・・
まずは何はともあれ、満蒙や、そして中国の資源が必要になってくる・・・
日本のものとしておく必要がある・・・
という共通認識の下、陸軍の少壮の中堅幕僚ら、志を同じくするメンツを集めてグループを作り・・・
陸軍、ひいては日本を主導していくことを目指していく・・・
満州事変までの陸軍は、陸軍を長く牛耳っていた山縣有朋以来の長州閥の流れを引き継いだ宇垣一成を中心とする派閥が中心で・・・
結構政党政治に理解があり、さらに国際協調路線だったのに・・・
非主流だった永田らが、長州閥打倒や自身らの信念(戦略)を貫くために、長州閥を受け継いだ宇垣派を追い落とし、主導権を握るべく策謀していく・・・
永田らはクーデターなどで一気に権力を握るようなことはせず、現行の制度内で着実に陸軍内で主導権を握っていく・・・
内閣を構成する政党には積極的にプレッシャーをかけて、自らの思うように動かしていくという方針だった・・・
そして、満州事変時の意図的なゴタゴタで、宇垣派は追い落とされ、永田ら一夕会の面々が陸軍の主導権を握っていく・・・
こうして陸軍内で権力転換が行われたわけだけれども・・・
永田は英米も含めて世界中のどこの国と次期大戦で戦うことになるかまだ分からないから、自力で資源を確保し、自給自足できるようにしておくことが必要という考えだし・・・
石原は将来、アメリカと世界の行方を賭けた人類最後の大戦争(有名な世界最終戦争)が行われるというのが持論なので・・・
この権力転換、陸軍の変質がつまり、英米などとの協調路線から離れていくことを意味していた・・・
この点において満州事変は戦前日本にとって、大変に大きな岐路となっている・・・
その後5・15事件で犬養毅首相らが海軍青年将校や陸軍士官候補生、極右勢力らに殺害され・・・
永田など陸軍のプレッシャーもあり、政党政治が終焉を向かえ、国際連盟から日本は脱退する・・・
満州事変を主導した2人・・・
永田鉄山と石原莞爾・・・
2人に共通していたのは、どちらもいずれ必ず大戦が起こる、そのためには満蒙など中国大陸の資源を日本のものにしておかなければならない、というものであった・・・
この認識の下に満州事変を主導していった・・・
永田は満州事変より4年後の1935年(昭和10年)に、陸軍内の永田ら統制派と皇道派の派閥争いで白昼殺害される・・・
その後、石原莞爾の時代を迎えるけども・・・
満州事変時には浮かび上がってこなかった永田の戦略構想と石原の戦略構想の微妙な違いが・・・
このあとの日中戦争へ影を落としていくことになる・・・
永田の構想を受け継いだ統制派の面々が石原を追い落として、その後の昭和陸軍を主導していくことになる・・・
それは第2巻で、ということで発売が待ち遠しいです・・・
なぜ無謀な戦争は始められたのか?
その戦争に引きずり込んでいった陸軍の指導者たちの構想を辿っていくことは・・・
漂流する世界、そして緊張感が増し続けている東アジアに住むボクらにとって必要な知識だと・・・
やっぱり思うよね・・・
と、いうことでこれはオススメ・・・ -
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戦前、特に両大戦間期の日本の安全保障構想はどうだったかってのを山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山の四人をあげて検討する。
全体の説明がくどいぐらいのところがあって、そこはおつむのそんなよくないおれには理解するのにありがたい。
明治末の山県有朋は欧米列強による中国分割を避けて保全しつつ、日本の影響化におこうと目論んでいた。また、日英同盟が空洞化し日米関係が悪化するにつれて日露同盟の道を模索する。1916年の第四次日露協約では開戦した場合の軍事援助の密約があった。しかしロシア革命で帝政ロシアが崩壊し、日露協約は破棄され密約が公表されると日本は国際的に孤立した。
第一次大戦期、山県有朋ら藩閥官僚勢力と対抗した原敬は、米国の国力や中国への影響力を考慮して、多少の犠牲を払っても米国と協調すべきと考えていた。また、大隈内閣の二十一カ条要求やら何やらで中国のみならず列強からも野心を疑われ孤立していたところ、援段政策をやめ、新四国借款団へ加入するなど対米英協調に切り替えた。また、米のなすがままにならないようアジアにおいて米英のキャスティングボートになろうとの構想を持っていた。米のなすがままにならないようにという点では集団安全保障機関としての国際連盟にも期待をしていて、強制手段としての武力行使ができるよう兵力分担に応える義務があると考えていた。
昭和初期の浜口雄幸は、原内閣以来の国際協調を重視しつつ、満蒙政策については国民政府による統一を容認する姿勢だった。九カ国条約などに示すような多国間協調のもと統一された中国が発展すれば日本の発展にもつながるとの考えからだった。また、戦争を違法とした国際連盟の次期大戦防止、東アジアの平和のために重視し、軍縮にも積極的に対応しようとしていた。自国の軍事力による抑止よりも国際連盟、ワシントン軍縮条約、九カ国条約、不戦条約などの多層的多重的な条約網による戦争抑止システムを重視した。
これも昭和初期の永田鉄山は一夕会のメンバーで、統制派の指導者となる。彼はヨーロッパ滞在中の第一次大戦の経験から戦争が総力戦になり、政治経済関係の複雑化から世界大戦が誘発されると考えていた。そこから総動員態勢の構築、資源の自給、工業の発展、軍備の近代化を目指した。それが満州事変、華北分離工作へと繋がった。
戦前日本の指導者たちの世界戦略から現代日本が学べることは多いと思う。 -
Posted by ブクログ
15年戦争の経緯をわかりやすく説明してくれた良本。今の時代から回顧すれば、100%無理だと感じる太平洋戦争になぜ陸軍は向かっていったのか。そもそも満州事変は何を狙い、日中戦争はどのような戦略のもと行われたのか。それを解き明かしていく。陸軍の流れは、山形有朋の長州閥→一夕会の永田鉄山による総力戦準備のための資源確保のための北支領有→対ソをめぐり主戦派の皇道派と時期尚早説の統制派の対立→統制派の勝利後永田暗殺と二二六事件で皇道派の失墜→石原莞爾の反拡大派→武藤の満蒙確保→日中戦争行き詰まりで武藤の非拡大と田中の対米戦不可避の対立という流れがわかる。
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Posted by ブクログ
この本、ちょっと新鮮な視点でございました・・・
戦前の日本軍、特に陸軍は何の戦略、見通しもなく、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と暴走し、泥沼にハマって国を滅ぼした・・・
いやいや意外にそうでもないですよ、と・・・
本書を読むとわかる・・・
や、別に大日本帝国礼賛の本じゃないですよ・・・
念のため・・・
陸軍首脳は・・・
太平洋戦争開戦をどのように決意したのか?
何であんな無謀と言われる戦争を起こしたのか?
っちゅーのを、戦前の昭和を主導してきた陸軍の・・・
さらにその陸軍を主導していった永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一らの構想を辿って紐解いていく・・・
永田鉄山っていう、カリスマ性があって、頭のハイパーイイ軍人の・・・
資源が超少ない日本が・・・
いずれ必ず起こるであろう世界大戦・・・
それも長期に渡る、経済競争も含めた国家の存亡を(勝手に)賭けた総力戦・・・
その国家総力戦に生き残る、いや勝ち残るためにはどうすべきか?
そのための構想がすべての軸・・・
満州事変から始まる、永田のその構想がのちの大東亜共栄圏など、昭和陸軍の源流となる・・・
永田自身は陸軍内の永田率いる統制派と皇道派の激しい派閥争いの中、斬殺される・・・
けども・・・
その永田の亡き後を主導していく石原莞爾もまた、永田が属していた一夕会のメンバー・・・
ただ石原は永田に劣らずデカい構想(最終戦争論)があって、いずれ起こるであろう、アメリカとの世界の行方を賭けた最後の決戦へ向けて陸軍、ひいては日本を主導していく・・・
いや、いこうとしたんだけど・・・
永田ほどの人望は無かったんですかねぇ・・・
中国を巡る考えで・・・
自分の部下なんだけど永田の影響をモロ受けている武藤章たちに激しく抵抗され・・・
結局、途中で陸軍中央を去っていくという・・・
石原を追い出した武藤章や田中新一は永田の構想を強く引き継ぎ、かつ各自拡大し、彼らが陸軍を主導していくことに・・・
そして対米戦争開戦時の首相、東条英機は永田の弟分的存在だったけども・・・
構想や戦略は永田に遥かに及ばず、その武藤や田中に頼る形だったので・・・
開戦後、武藤や田中が次々と東条と決別した後は・・・
もはやナァナァ(というには忍びないけど)という有様に・・・
一気に戦略性が蒸発していくことに・・・
永田鉄山の構想が源流にあったけども・・・
それに固執するだけで・・・
状況が変わっても方向転換できず・・・
皆、永田ほどの構想を新たに作れず・・・
皆、永田ほどのカリスマ性、もしくはリーダーシップが無いので・・・
対中、対独、対ソ、対米と、事あるごとにそれぞれの考えが対立し・・・
毎回その時々の強硬派に掻き乱され、引っ張られ・・・
ズルズルと悪いほうへ悪いほうへ向かって行く・・・
そんな流れが見て取れます・・・
結構明快に見て取れます・・・
これがヤバイ・・・
知っといて損はない・・・
なのでゼーヒーでオススメ
永田が死ななければ、とも考えられるけども・・・
その永田にしたって主導権争いで殺されているのでアレですね・・・
ちなみに太平洋戦争は何故起きたか・・・
中国を巡る日米の対立によるものではなく・・・
それは欧州戦線にて、ドイツに劣勢なイギリスを崩壊させないため、という・・・
いつもと違った話が展開されております・・・
詳しくは読んでみてちょ・・・
最後に・・・
この著者・・・
読んでて何だかスゲー説得力を感じさせる文章をカマしやがるぜ・・・ -
Posted by ブクログ
近年のこういった分野を扱うものとしては抜群におもしろかった。
対米戦争については一般的には軍部、それも陸軍が無定見、無計画に突っ込んでいったというのが定説のような気がする。
しかし、永田鉄山から発するいわゆる「統制派」の流れは、まったくそうでなく、満蒙問題を解決し中国国内に資源を求め自主自衛の体制を整えてから、最終的な世界大戦に備えるというものだった。
それにむけて特に陸軍要職に「統制派」幹部を就かせるという人事をもって、その「構想」の実現に向かっていた。
その人事の強引さからか、永田は軍務局長の要職にありながら惨殺される。
そして、その衣鉢をついだ石原莞爾や武藤章がその思想を変容させながら突き進んでいく。
永田生きざれば対米戦争は行われたであろうか。
また、東京裁判の「共同謀議」というものが仮に当てはまるとすれば、この「統制派」流れが筆頭であることも指摘しておきたい。
今までの常識を覆す好著である。 -
Posted by ブクログ
太平洋戦争は、陸軍、特に統帥部が暴走し、海軍やその他の省庁がひっぱられて、戦争に突入したという常識がある。
しかし、この本は、丁寧に昭和陸軍の人物の思想、具体的には、永田鉄山、石原完爾、武藤章、田中新一の考えをおって、極めて冷静に現状を分析しつつ、戦争に追い込まれていく状況を明らかにしている。
個別の事項で認識を新たにした点と、教訓がある。
(1)上記4軍人に共通しているものとして、すばらしい構想力を持っているが、組織の指示、指揮権に従わすに、組織的判断を停滞させるという、陸軍に対する欠陥をつくりだした。
今の役人と同じく、局長、部長、課長という職種のものが、大臣の意向、あるいは、部長が局長に従わないといった行動が、実は、統一的な行動をとらせなかった原因ではないか。
自分も役人として上司の意向にあわないことはあるが、組織の長として、最終的には従わなければいけない、自分で単独でこれに反した行動はとらないと決意している。このような決意がなくなった組織は暴走することがよくわかる。
(2)先日読んだ『スターリン』では、日本が早々に対ソ戦を断念したため、極東軍をソ連が対独戦にまわせたという記述を読んだが、日本陸軍は、冬に入るのぎりぎりまで、むしろ極東軍の移送状況を分析して、30%しか、対独戦にまわされなかったことから、対ソ戦をあきらめたとしている。(p253)
こちらの方が確かに説得力がある。ソ連も日本を十分に牽制して、日本が攻撃にでないと判断した後に軍隊を移送したのだろう。
(3)開戦時の陸軍省の軍務局長の武藤章は、対米戦開戦をできるだけ避ける努力をしていたが、参謀本部の作戦部長の田中新一は開戦やむなしと早期に判断していた。(p263)
対米戦になれば物量等で圧倒的に不利になるとわかっていて、陸軍の枢要な地位のある軍人でも対米戦を避ける努力をしていた。
(4)武藤軍務局長は、海軍に戦争に自信ないのなら海軍からそう発言すれば陸軍内を押さえるといっていたのにかかわらず、及川海軍大臣は自分で責任をとらず、近衛総理に一任すると発言した。(p292)
責任のあるものが、悪い予測であっても、責任をもって発言しないことがどういう悲劇を招くかがよくわかる。責任者はえばるだけでなく、まさに責任をとる必要がある。 -
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第二次大戦前、二二六事件近辺の歴史を読むと必ず出てくる日本帝国陸軍の統制派と皇道派。
文字面だけを見ると「皇道派」が天皇寄り?「統制派」の方がまとまりがよかった?つまりはよく知らないので、その辺りを知りたくて読んだ。
天皇機関説などとも深く関連しているようだし、、、。
ちなみに永田鉄山は統制派のトップとも呼べる人物で、執務室において日本刀で斬殺された。
本書は「皇道派とは?」、「統制派とは?」という部分も含めて、彼らが何を争っていたのか?ということを語るとともに、「総力戦」というのは当時の大日本帝国が日露戦争、および第一次大戦後に、どういう戦略を構想し、どういう矛盾を生んでいたのかというところを明らかにする。
よく第二次大戦の日本軍は兵站を軽んじていたがために戦争に負けたと言われるが、そもそもの大方針、国家を挙げての「総力戦」という思想の中にすでにその矛盾が生まれていたということがわかります。 -
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戦争のやり方が大きく転換する契機になったと言われる第一次世界大戦。人類が登場してから様々な理由で人は争いを続けてきたが、この大戦では、殺傷力の高い大量破壊兵器や近代的な戦車、飛行機による空からの攻撃(当然命中率は今ほど高くなく民間人にも被害が出る)などが登場した。同大戦に於いては期間も4年と3ヶ月の長期に渡り、世界中の国々が連合国とドイツを中心とする同盟国に分かれて戦いが続く。その犠牲者の数は、死者数が戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上、負傷者が2,000万人と、それまでの戦争を遥かに凌ぐ死傷者がでている。ちなみに使われた砲弾は、13億発。これは日露戦争で使われた砲弾の500倍にも上という。日本は連合国側に加わっていたものの、欧州が主戦場となったため、大きな被害は被っていないが、この世界大戦が大きなインパクトを与えた事は想像に難くない。その日本に於いて軍隊が強いだけでは、その後の戦争に勝つのは難しく、国家のリソース全てを賭して戦う必要性にいち早く気付いたのは、本書に登場する永田鉄山や関東軍の石原莞爾である。彼らは当時の軍隊の在り方だけでなく国民が総出で戦争協力する必要性を訴え、科学技術力の発展、工業生産力の拡大、そして国民の意識自体を変革する必要性を説く。これが国家総力戦のベースになる考え方である。
前述の永田にしろ石原にしろ当時の帝国陸軍の軍人であるが、国家を戦争のために変革する為には、軍部だけでは実現できないから、次第に政治への介入を強め、日本が劇的に軍国主義に変わる契機を作ったと言っても良いだろう。特に本書の主題となっている永田鉄山はその中心的な役割を果たしており、彼の考え方がその後の太平洋戦争に至る流れに大きく影響を及ぼした事は言うまでもない。そうなると結果的には悪い方向性を作った張本人=悪人的なイメージになるが、世界大戦を経験した当時の各国では、そうしなければ自国を守り、混乱する世界の中で生き残ることは出来ない。それにいち早く気付いた人物という事である。永田自身も自分が進める施策が国家を守る為に必要であるとは言え、力をつける事でより軍事的に世界へ打って出る力(戦争をするための力)になり得る事にも気づき、そのジレンマに悩む事になる。
そしてその道は平坦なものではなく、皇道派と統制派の権力争いや、美濃部達吉による天皇機関説事件、要人暗殺など苦難に満ちた歩みとなっていく。それらは何も天皇を中心とした強力な国家づくりの為には必要だったといえるかもしれないが、急激に変わる国家体制はそれに見合う犠牲も出し続け、結果的には自らも職務中に暗殺されるなど、劇的な運命を辿った人物である。今なお永田が生きていればその後の歴史の流れが大きく変わったと言われる程、ある意味で神格化された人物である。
永田を取り扱う書籍は多くあるが、本作の筆者である川田稔氏は帝国陸軍のキーパーソンとなった人物個人にフォーカスした多くの作品を出しており、歴史背景と人物の関わり合いをわかり易く描いた物が多く読み易い。今年は戦後80年という節目の年であり、そこで永田を扱った作品を出したというのも大きな意味を感じる。永田が何に悩み、どの様にして強い日本を作ろうとしたのか、それを知る意味は大きい。それが右傾化していると言われる現代の政治を眺める時にも何か大きな参考になるだろう。永田の前に永田なし、永田の後に永田なしと言われる大人物ではあるが、日本という国の在り方を中長期に考察し、平和を希求する国民の1人として、こうした書籍に触れる事は大切だ。そして、読者の中に大きな印象を残す事にもなるだろう。 -
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今年2025年は太平洋戦争終結から80年を迎える。何故国力で圧倒的に劣り、敵うはずもないアメリカとの戦争に突入したのか、当時の軍部や政治が何を基準に判断したのか、現在に於いても様々な研究が行われている。GDPでは10倍以上の差があり、重化学工業の製造力や資源の量も全く日本は及ばない。とは言え日清日露戦争の勝利、第一次大戦でも戦勝国として名を連ね、世界の列強のうちの一国としてのプライドも自信も持っていた事は間違い無いだろう。中国に進出し満州に多くの兵士、民間人を送り込むなど日本国内から飛び出して、アジアへ進出する日本。長期化する中国との戦争、北からはソ連の脅威、そして太平洋を挟んで睨みを利かすアメリカと、日本は四方を敵に囲まれ、どこへ向かうにしても一国の力だけでは限界がある。そうした中でナチス・ヒトラー率いるドイツが欧州で周辺諸国を次々と攻略し、大国ソ連と事を構える段階に至る。イギリスさえも飲み込まんばかりの圧倒的な強さを見せ、第三帝国が世界を支配せんとばかりの勢いで、イタリア・日本を加えた三国同盟を成立させる。アメリカを相手にするか、米英に服従しドイツを敵に回すか、長期化泥沼化する中国との戦争をどの様に処理していくか。そして何にしても資源の枯渇にどうやって対処すべきか。それぞれの課題・問題の関係性は複雑で、自国以外の出方の予測も確実性に欠けるものばかりである。アメリカから突きつけられたハル・ノートは実質的な日本への宣戦布告と言わんばかりの内容であり、それまでの日本が中国から得たものと失った代償を考えれば容易に受け入れざる内容だ。
こうした状況はどの書籍でも語られるものであるが、軍部に於いては石原莞爾、武藤章、佐藤賢了、そして東條英機など、書籍に散々取り上げられて、よくなを知る者も多い中、個人的には田中新一にフォーカスした書籍を見かけた事はそれ程多くなく、また一つ違った視点で考えるきっかけとなった。勿論、前述したような人物が登場し、そことのやり取りも面白い。石原莞爾と考え方を共有する部分、先見性などは、少し時間軸を短くし、より正確に間近に迫る危機を読み解く点はある意味、石原を上回る部分もあったのでは無いか。更には武藤章に近い思想や考え方も持ち合わせ、太平洋戦争開始時の作戦部長でありながら、戦後に武藤がA級戦犯で処刑されるのと対象的に、戦犯からも外れるという、全く異なる運命を辿る。何が2人の人生を分けたのか。確固とした自身の考えを持ち、誰を相手にしても怯まず意見をぶつけ合う姿は、現代の空気ばかりを読んでいるビジネスパーソンから見ると憧れかもしれない。
何にせよ、田中新一の作戦部長の立場から太平洋戦争開始に至る経緯をもう一度じっくり見てみたい方にお勧めする。そして組織の中での立ち位置から、その相応しい振る舞い方を学び、自身と照らし合わせ反省する良い材料となる。読む人によっては、読んでなお馬鹿げた戦争に導いた人物と捉える方もいるかもしれない。だが当時の不鮮明で不正確な情報に満ち溢れた状況に於いて、貴方がもしその立場に置かれたなら(後世にあって歴史を学んでいる圧倒的に情報を持った事を忘れて)、果たして戦争を回避出来たか。回避する方法を今一度考えてみても良い。きっとその判断情報を当時の立場に於いて、本当にかき集めて整理判断出来たか、シミュレーションしてみては如何だろうか。