藤本タツキのレビュー一覧
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アニメの方を先に見る。小學生の人が同年の才能に衝撃を受け、へこみ、「卒業」するつもりがのめり込み、そして、は良い感じ。
小學五年生~六年生を登校拒否で過ごした自分としては、京本さんのナニがアレだが、ここまで引き籠ってると、時空を越えて何ぞが来るよなとか。
サメは偉大とか。
「テクスチュアルに調伏された」風景画を書く恐るべき小學生とその才能に圧倒される同年はよいと思ふ。
何かのすうぱあな「作品」がマンガになるばあひ、形式は四コマになるよな。
なんか和風の「お話」だと某かで凶器他が出る場合、刺突系のアレになるらしいのだが、「斧で切付ける」事件について、ソレがお話になると、ちゃんと刺さってた。なんか。 -
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私が死ぬまでを撮ってほしい──
病の母の願いで始まった優太の映画制作。
母の死後、自殺しようとした優太は謎の美少女・絵梨と出会う。2人は共同で映画を作り始めるが、絵梨はある秘密を抱えていた…。
現実と創作が交錯しエクスプローションする、映画に懸けた青春物語!!
「ルックバック」と同じく「親しい大きい存在の死に、創作でどう向き合うのか」というテーマだけど、それと同時にフィクションとノンフィクションの虚実入り混じる展開により、読んでいる側を振り回すトリッキーな語り口が良い。
現実を元にしたフィクションであっても、現実の痛みや喪失感を昇華することで自分が生きる力になる。
そういう力を持っているエンタメ讃歌という意味では、「ルックバック」よりシネマティックな青春漫画。 -
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ネタバレ第二部に入ってからは、正直、読者を置いてけぼりにしていたように思いますが、最後は意外と素直な終わり方でした。チェンソーマンが悪魔を喰うと、その概念が世界から消える。死の悪魔を喰った結果、生きるのが終わらない世界は混沌としてしまいます。最後にはポチタが自分自身を喰い、チェンソーマンがいなかった世界が再構築される。これまでの物語をすべて放棄したようなリスタートですが、単に最初へ戻ったわけでもありません。小屋にはポチタはいない。ゾンビの悪魔からデンジを助けるのはパワーで、公安のデビルハンターとしてふたりを迎える支配の悪魔はマキマさんではなくナユタです。アサにも出会いますが、二人には以前の記憶がなく、彼女は友だちと楽しそうにしています。そもそも、第1話のデンジは、ポチタがいればそれでよかった。女を抱きたいとか、パンにジャムを塗って食べたいとか、欲望がかなわなくても、そこには幸せがありました。そして最後、アサに「チェンソーマン」と呼ばれて鳴る心臓は、どう見てもポチタなんですよね。デンジの中にはちゃんとポチタがいる。新しい世界にも、これまでの物語の影響が潜んでいるのかもしれない。ひょっとするとそれが、「希望」なのかもしれません。
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海中のピアノが繋ぐ少年と人魚の恋『人魚ラプソディ』、芽生えたのは女心か恋心か!? 『目が覚めたら女の子になっていた病』、残酷な運命を背負った妹と兄の物語『予言のナユタ』、絵に懸ける姉妹の愛憎と才能が交錯する『妹の姉』──のちの大ヒット作への萌芽が散りばめられた奇跡の作品集!! 『チェンソーマン』藤本タツキの初期短編集第2弾!!
異形の者たちの交流がピュアな恋に収まるとこをハーレムっぽいオチになるのがらしい「人魚ラプソディ」、性自認が揺らぐ中での絆がユニークな「目が覚めたら女の子になっていた病」、「ルックバック」のプロトタイプという以上にお互いの背中を押している姉妹の絆の眩しい「妹に姉」が、心揺さぶられた短編集。 -
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ネタバレ自分の才能に絶対の自信を持つ藤野と、引きこもりの京本。田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。
月日は流れても、背中を支えてくれたのはいつだって――。
「チェーンソーマン」の藤本タツキが唯一無二の筆致で放つ青春長編読切。
アニメ映画版を観てから原作コミックを読んだが、アニメ映画版がいかに原作コミックのコマ割りや構図の演出の意図を組みアニメとして効果的に再構築されたかがよく分かるし、自分の才能に自信を持っていた藤野さんが京本さんの才能に嫉妬しながらも一緒に漫画家としてどこまでもやっていきたい気持ちと京本さんが藤野さんと対等な立場で漫画家としてどこまでもやっていきたい気持ちがすれ違い、予期せぬ悲劇で道が分かれても漫画で繋がるふたりの強い絆に心揺さぶられた青春漫画。