森田真生のレビュー一覧
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ネタバレ常に身体と共にあった数学が、証明や記号(+,=)を含んで、どんどん抽象的で普遍的な物へと変わっていく。
そして遂に「コンピューター」「AI」という産物を生むに至る。
そのプロセスは「身体」「心」と「物」とを分離していく事であった。
そしてそれを進めたのは、数学者たちの普遍の追求に対する情熱だった。
だから、今日の数学は一見身体から数字が離れて一人歩きしている、空虚な物に見える。
しかし、「コンピューター」「AI」は再び人と人の心を通わせる。
「物」と「心」はそう簡単には分離できない。
アラン・チューリング / 岡潔の2人の巨人は、「数学=物」を追求する事で、「心」とは何かを追求した。
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書店で「計算する生命」という書籍を目にして読んでみようと思ったのだが、著者が過去の著作を先に読もうと思って手に取ったもの。
人類が数学をいかに発展させてきたかという概論を論じたのちに、数学を介した心の追及に焦点が当てられる。
本書の後半は、情緒を重んじた岡潔の業績とその生活について考察されている。コンピュータ科学の父とされるチューリングが心のありかを探るために心を作るアプローチをとったのに対して、岡潔は数学を深く突き詰めることで心になるというアプローチだったと考えられる。
数学に深く向き合うことで自分の心の在り方にまで関係が出てくるという、数学という学問の奥深さに興味を持った。
ギリシア時代の -
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数学から一番縁遠いと思っている自分が、この本に魅了された。岡潔という巨人に導かれながら、著者はこころに迫ろうとしている。文庫174p
聞くままにまた心なき身にしあらば己なりけり軒の玉水という道元禅師の和歌を岡潔は次のように読み解く。外で雨が降っている。前肢は自分を忘れて、その雨の音に聞き入っている。このとき自分というものがないから、雨は少しも意識に上らない。ところがあるとき、ふと我に返る。その刹那、「さっきまで自分は雨だった」と気づく。これが本当の「わかる」という経験である。
森田は、それを次のようにとらえる。自分がそのものになる。なりきっているときは「無心」である。ところがふと「有心」に還る -
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センスオブワンダーとは、驚きと不思議に開かれた感受性。
親子の教育、子供目線、自然を説く本書。
読んでいると、子への向き合い方が素晴らしいな、と。
同時に自分の子供時代や親は自分にどう接していたのかを回想する訳ですが。
皆さんは、子供の頃、今日1日終わる事が惜しいと感じたり、明日が待ち遠しいなんて思いはしませんでしたか?
大人も子供の時代があったのに、上手く汲み取って上げられず、後々反省、なんてありませんか?
きっと見方や接し方、感じ方に何かしら変化や気付きを与えてくれるでしょう。!^_^!
そして、宇宙に地球、そしてそこに存在する様々な生命について、そのサイクルについても考える事 -
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トークン メソポタミア 数える対象と紐付け → 粘土板の記号へ
算用数字 16世紀に普及 10個の記号であらゆる数を書き表す
数直線 数を「量」ではなく「位置」を表す
虚数 平面 数直線の0の前後でなく上下にある
計算+演繹という推論 仮説から出発 推論を頼りに結論を導く
ギリシャ数学 図と口語による定型表現 知的ゲーム
ユークリッド「原論」BC3C 12世紀アラビア経由で西欧へ
高校までの数学=18世紀以前の数学=数式と計算
現代数学=直観的な要素を混入させない
リーマン
19世紀後半 複素関数=平面間の写像 式ではなく 多様体
カント
認識=感性:空間と時間の枠組 -
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前半は数学の刺激的な歴史のはなし。
subitizationスービタイゼーション:
人間は少数のものは一瞬で判断できるが、およそ3個を超えるとこの能力は消える。それで、指折り数えるような方法は世界には様々発展した。漢字やローマ数字のみならず、マヤ文明でも古代インドでも、数を表す文字は1から3までは棒の本数、しかし4から異なる。
紀元前5世紀ギリシャ:
古代文明の時代から、数は測量や暦など、日常の具体的な問題の解決のために発展してきた。ところがこの頃「いかに」正しい答えを導くかよりも「なぜ」正しいかを重く見る動きが現れる。→ユークリッドの『原論』:素数が無限にある証明で有名。
定理theo