森田真生のレビュー一覧
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子供達の自然への目線や感性は本当に凄い
拾ってきたどんぐりをいつまでも触ってる
蠢くアリンコたちをしゃがみ込んでいつまでも眺めていられる
掃除されず、ついにミイラ化した黄金虫が片隅に落ちてる通路を通るたびに「いるねぇ〜」って毎回新鮮
センス・オブ・ワンダー
この本は、著者であるレイチェル・カーソンが
彼女の甥っ子ロジャーに自然のセンス・オブ・ワンダーを伝えるエッセー
私は逆に3歳の男の子にその感覚をいつも思い出させてもらってます
そんな私がレイチェルさんから学んだこと
自然に熱中している時間を尊重して
大人の都合じゃなく
その時に得られる尊さを優先する
カッパを着て長靴履いて
雨の日に外の景色を見に出かけたり
月や星を見に夜お散歩してみよう
虫や鳥の声を聞いて
良い声だねって一緒に楽しもう
自然の面白さ 不思議さ 素敵さを
一緒に感じていこう
お月様を双眼鏡で眺めるレイチェルさんのアイデア
素敵!
同時に収録されている
訳者森田真生さんの
「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」は
私が感じたこのワクワク感を理性的に語ってくれています
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Posted by ブクログ
岡潔さんの文章は平易なのに、何を言ってるのかよくわからない。
情緒はスミレを見ていいなあ、と思うこと、というのは何かわかるけど、どうやらそういう心持ちだけでなくもっと広い意味であるらしい。わからない。
ただ情緒の話をしているけれども文章そのものにべたついた感情の記述は全くない。喜怒哀楽の記載がない。親友が亡くなったときも、毎夏見舞って、ずっと夏休み中そばにいて、毎日布団を並べて学問の話をしたとあるが、亡くなったあとの描写はほぼなく、悲しかったとは書いてない。だけどものすごい喪失感だったんだろうということが伝わってくる。
書かれてあることはよくわからないけど、非常に澄んだ、美しいものに触れているというか、その思想に揺蕩っているような気持ちになる。多分無理やり構造を理解しようとしなくてよくて、それでいいんだと思う。 -
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レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』と、そのバトンを引き継いだ森田真生の『僕たちの「センス・オブ・ワンダー」』を一冊にまとめた本。西村ツチカの装画と挿画がワンダーな感覚をより刺激してくれる。
カーソンさんの文章が素晴らしいのはもちろんだが、森田さんの翻訳と文章も更に素晴らしくて、子どもたちとのやりとりは、まさにカーソンさんの物語の続きとなっていると思う。子どもから学ぶことはとても多い。何より、楽しむのに理屈や知識はいらないのだと改めて教えてもらえて嬉しくなった。
「センス・オブ・ワンダー」を忘れないためにも、近くに置いておきたくなる本だ。
全体的には生の根源的な喜びを書きながら、「結び」として人類が直面している問題についても(レイチェル・カーソン『沈黙の春』を引用しながら)考えを伸ばしている。
人間は地球の癌なのだろうかなどと悲観してしまう私だったが、あとがきに書かれたこの本に込められた森田さんの想いに背筋が伸びる。大人がしっかりせねば!
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面白かった。数学を専門としていない人間にとっても、数学の紡ぎ出す世界に触れてみたい、と感じさせるような文章。
身体性からみた数学史の解説それ自体も面白いのだが、やはりなんといっても数学者・岡潔の数学と一体化することにより見えてくる世界の表現がとても美しく感じた。なにより、文章が綺麗で読んでいて気持ちがいい。
4章より引用:
> 生きることは実際、それだけで果てしない神秘である。何のためにあるのか、どこに向かっているのかわからない宇宙の片隅で、私たちは束の間の生を謳歌し、はかなく亡びる。虚無と呼ぶにはあまりにも豊穣な世界。無意味と割り切るには、あまりに強烈な生の欲動。その圧倒的に不思議な世界が、残酷なまでに淡々と、私たちを包み込んで、動き続ける。
> 不思議で不思議で仕方ない。この痛切な思いこそが、残酷なまでに淡々と、私たちを包み込んで、動き続ける。
言い古された内容ではあるけど、学問に向き合う人間として心に刻んでおきたい一節。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「沈黙の春」で農薬に含まれる化学物質が自然に与える影響を指摘したレイチェル・カーソン。一歳の甥のロジャーを抱いて海鳴りに包まれ「感じること」の大切さを訴える。著者は言う。多くの親御さんが「自然の素晴らしさを教えてあげたいけれどそんな知識もない」と尻込みする。人間の「知識」など「感じること」に比べたらごくごくわずかな、些細なものに過ぎません。ただ子供と一緒に、自然の不思議さを「感じ」て下さい、と。しかし著者は途中で亡くなり半分は訳者・森田真生氏のエッセイ。(2024/07/12記)
カーソンのパートは一歳八か月の甥のロジャーを毛布にくるんで、彼女が嵐の夜に彼を抱いて海辺に降りていくシーンから始まる。雨が降りしきって二人を濡らす。嵐の海は波音を轟かせる。腕の中に感じる確かな命を抱いてカーソンは、自然の咆哮の中に包まれていた。そこでカーソンは腕の中の小さな命と、自分を飲み込みかねない嵐の海という大きな命の二つを全身で感じていた。
森田氏のパートも同じこの「ミクロとマクロの共通点」を、虫やカエルに目を輝かせる子供の目を通して見出していく。多様な虫が、多様な力関係で命をつなぐ傍ら、人間もまた人間たちで活動して命をつないでいる。これらすべてを受け入れる「地球の懐の深さ」に森田氏は感嘆する。
中には「生成AI」についての言及もある。虫の中には枝に擬態するものもある。AIは人間を擬態している。けれど肉体を持たない彼らの言葉は、人間のそれとはまったく違う。こうした指摘は森田氏の文章自体から強く伝わってくる。
当初私は「ふわっとした感傷的な日記風エッセイが始まるんだろうな」と思っていた。けれど、彼の文章は彼自身の「五感」に根差すものだった。子供たちが目を輝かせる虫や爬虫類に、自分もまたルーペを持ち出して一緒に観察し、一緒に触れた上で書いている。だから読んでいるこちらも、虫の描写が生々しければ悪寒を感じながら読むことになるし、カブトムシを27匹も孵化させたというシーンに、「カブトムシって採ってくるだけじゃないんだ」と驚かされたりする。彼の言葉は常に彼の体から発されていた。
ラスト、飛び立つセミの姿が描かれている。セミはわずか数日の寿命を懸命に鳴いて過ごす。地球から見れば人類もまた、セミのように短い命をつなぐ存在に過ぎない。生き物はみな、こうしたマクロ(巨大なもの)とミクロ(極小のもの)が完全な相似形を成していて、それが同じ地球で何ら破綻することなく折り合って生きている。破綻を生じさせているのは人間が科学技術で作ったものばかりだ。
カーソンの甥のロジャーが彼女に言った。「きてよかったね」。
命はある時突然この世に現れ、自然にその子と一緒の物語が紡がれ始める。地球にとってみれば人間は「訪問者」であり、人生は旅のようなものだ。「きてよかった」と子供が思える地球を続く世代に残していくこと。そのために「センス・オブ・ワンダー」がある。身近なものに驚異を感じ目を輝かせる力。知性はその中から生まれ、決して逆行しない。カーソンは「子供に教えられることなんてない」と自信を持てないお母さんたちに「ただ一緒に、感じるだけで十分なんですよ」と言っている。地球が人類をセミを、命を包容するように、感じる力は「知」を包容している。(2026/5/25記) -
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あまりにも有名なセンス・オブ・ワンダー
自然と共に生きることの素晴らしさ、環境問題についてとことん考える本になっている
読みながら、ずっと思い出していました
子どもの頃、あんなにも虫や草木の中にいて、なにも恐れることはなく遊び歩いていたこと
庭にある野菜を摘んではそのままに食べていたこと
山に行けば、動植物が奏でる音に耳を澄ませていたこと
海に行けば、その波音をいつまでも聞いていたこと
夜空を見ては、星の瞬きに感激していたこと
あの頃の、無邪気だった自分を思い出しては
もう、あの頃のようにはできないかもしれないと少しの寂しさを感じたりもしました
でも違うのかもしれない
私が望めばいつだってすぐそこにワンダーは広がっている -
Posted by ブクログ
森田真生さんが新訳をし、更に京都を舞台とした自らの「センス・オブ・ワンダー」を書いた本です。
「センス・オブ・ワンダー」とは、驚きと不思議に開かれた感受性のことです。子どもがそれを保ちつづけるためには、少なくとも一人の大人の助けが必要だそうです。レイチェル・カーソンは、この本で幼い子どもと接するときに大切なことを教えてくれています。自然を子どもとどう味わえばいいのか。そして子どもが大きくなる前の大切な時間の過ごし方です。世界的ベストセラーのこの本は、特に幼い子どもと接する人におすすめです。
視覚、嗅覚、聴覚を研ぎ澄ますと、自然の奥深さに改めて気づかされます。海、空、土、木々、花、そして小さな生き物達など自然のことを、実は大人はほとんどわかっていないもしくは忘れていると教えてくれるのは、幼い子ども達ですね。大人がセンス・オブ・ワンダーを保つためには、少なくとも一人のこどもの手助けが必要だと書かれていました。私も幼い子ども達から自然を間近に感じる時を過ごしたことを思い出しました。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』は未完です。けれども何度でも読み返したい魅力的な本でした。それを森田真生さんが自分の子ども達との日々のなかで、続きを書いた感じでもありました。そして今の私達へのメッセージにもなっていました。良書でした。
〈目次〉
センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン 文
森田真生 訳
僕たちの「センス・オブ・ワンダー」
森田真生
結 僕たちの「センス・オブ・ワンダー」へ
あとがき
参考文献
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Posted by ブクログ
ネタバレほんと、この人の言葉が好き。私が大切にしたいと思ってることを掬い上げてくれるよう。
動画やゲームなどの人から与えてもらう楽しみだけではなく、自分で楽しみを創り出せる人になるためには、「感じる」「分かち合う」経験をいかにしてきたかだなと思った。
・今回改めて実感したのは、虫や草花や木々や土など、人間でない者たちの存在がいかに、子どもたちの才能を引き出していくかだ。「教室」で「人間」の話だけを聞くという特殊な環境に「education」を閉ざしてしまっては、あまりにもったいないのである。
・食べ物や、資源を社会で分け合うときも、厳密な数値や計算を提示すると、いかにも公平感を演出できる。だが、分配に公平さを感じる人間の心は、もっとはるかに 複雑で曖昧なものである。厳密で正しい計算だけが、分配の全てではない。たとえば弁当を家族で分けるとき、いちいち重さを厳密に計測していたら、食事の時間も楽しくないだろう。分配の本質は、みんなが少しでも楽しく 喜びを分かち合うことである。
・現代の人類が直面している気候変動やパンデミックは、「どこが違う場所に逃げる」ことで回避することができない。「この場にいながら問題を解く」という、植物がこれまでずっとやってきたことを、僕たちは自分の課題として、背負ってしまったのである。だから、もっと植物に学ぶ必要がある。粗雑な現状認識のまま、闇雲に動くのではなく、まずは現状を精緻に把握するための感覚を磨いていきたいと思う。
・自分のどこを探しても、自分でないものがいない場所はない。これが、地上で生命を持つすべてのものを共通する最も基本的な原理なのである。自分であるとは、自己の存在を、他者とシェアしていることなのである。
・自然の生き物は、人間をいたわってくれるからではなく、人間に無関心でいてくれるからこそ、僕たちをなぐさめてくれる。
・何をしていいと言われるよりも、何をすることができないかをはっきりさせていくことでこそ、新しいもの、面白いものが、生まれることがある。目の前の制約を、新しい何かが生まれる支えととらえてみること―制約を遊びと創造に転じる、ひとつの楽しい工夫である。