鈴木大拙のレビュー一覧
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思惟の垢を脱ぎ捨て、無の深淵に臨むための書。
[思考の彼岸に立つ禅の本質]
『禅とは何か』は、単なる宗教哲学の解説ではない。
そこにあるのは、知の光をもってしても射し込むことのできぬ暗黒の核、すなわち「禅」の本源に迫らんとする、鈴木大拙の精神の跳躍である。
私が禅と出会った時の衝撃は、今でも忘れがたいほど記憶に刻まれている一方、その本質を掴むことは誠に難しい。
禅とは何か。
それは言語をもって定義されるものではない。
それは、沈黙の中に閃き、日常の行為の中に突如として姿を現す。
禅は「無心」であり、「空」である。
だがその「無」は、空虚を意味するのではなく、むしろ、万象を孕んだ創造の母胎であ -
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一禅者の思索
著:鈴木 大拙
講談社学術文庫792
衆生無辺誓願度
この世の一切の生きとし生けるものを必ず救ってみせるという誓いがでてきます
最後に、豊臣秀次の間が、高野山の金剛峯寺にあるという話がでてきます。
秀吉から、僧侶になったにもかかわらず、秀次が切腹させられた部屋のことです。
そして、それから15日余り後、秀次の側室や子供たちが、河原に集めらえて
腐乱した秀次の遺骸を前にして、次々に殺害されたとの話がでてきます。
大拙は、最後になぜこのような話をもってきたのでしょうか
一禅者としては、政治を救えないということをいいたかったのでしょうか。
日本人の一人として、このような非道を行 -
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無心ということ
著:鈴木 大拙
角川ソフィア文庫 H101 1
これまた難解な書、自分を捨てることが、必要ではあるが、ただ捨てるではいけない
無心なるも、ただの動物的な無心ではいけない。
無心ということは、仏教思想の中心で、東洋精神文化の枢軸をなすものである、と大拙は説く
依然として、まわりをうろうろするような感じをうける。真理を前に腑に落ちるという感覚がどうもつかめないのである
気になったのは、以下です。
■無心とはなにか
・無心が宗教生活の極致であるということは、受動性がわれらの宗教体験の極地に立っているという風にとりたいと思うのです
・人間は死骸にならないと本当のことがわ -
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日本的霊性
著:鈴木 大拙
著:篠田 英雄
岩波文庫 青323-1
おもしろかった、日本的霊性へと日本人が達するための旅、鎌倉時代に日本的霊性が覚醒したことを解説している
「仏教の大意」より本書を先に読めばよかった
日本的霊性の覚醒をみたのは、1つは、浄土系思想であり、今1つは、禅であった
■霊性とは
精神と物質の世界の後ろにいま1つの世界が開けて、前者と後者が互いに矛盾しながらしかも映発するようにならねばならない
これは霊性的直覚、または、自覚により可能となる
精神には、倫理性があるが、霊性はそれを超越している、超越は否定の義ではない、精神は分別意識を基礎としているが、霊性は、無分別 -
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仏教の大意
著:鈴木 大拙
紙版
角川ソフィア文庫 H104 4
知の巨人、鈴木大拙(1870/11/11-1966/07/12)が著した、仏教の集約の書(入門書ではない)です。裏表紙には、日本的霊性と対をなす名著とあります
仏教を英語で世界に広め、本書でも、その引用は仏典のみならず、聖書や、西洋哲学にも及びます。臨済禅を極め、円覚寺より、大拙の居士号を得る
李登輝総統の書に、大拙の名がありましたので、本書を手に取った次第です
英語で "The Essence of Buddhism" とあります
150頁の小書であるが、その内容は恐ろしく複雑であり、比喩や説話が多く -
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ネタバレ何かでの紹介を踏まえて読書
さすがの本で非常に奥深くて面白い。一度読んだだけでは全然理解しきれないが。
近代の本で読みやすいのも良い。
メモ
・禅は中国人の心がインド人の思想に触れた後に生み出したものの一つ
・詫びの真の意味は貧poverty。時代の流行に乗る人々の一員にはならないということ
・不完全の美。古めかしさや原始的な粗野さを伴う時、さびがかすかに見えてくる。ある芸術の対象が歴史的な時代感を表面的にでも示していれば、そこにはさびがある。
・さびの文字通りの意味は寂しさや孤独だが、ある茶人は次のとおり表現している。見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
・禅と武士の人生の間に -
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本書、書店でふと目にとまったので深く考えずに手に取ったが、とても感銘を受けた。なにか日本人が忘れかけているものを気づかせてくれる本である。もともとは禅宗およびそれと密接な関係のある日本文化を外国人に説明すべく英語で執筆された本を、北川氏が日本語に翻訳しているものであるが、その意味では、西欧文化との対比が意識的に書かれ、日本人読者にとっても理解しやすい物となっている。
私自身はビジネスに深く携わっているのだが、近年はMBAブームもあり、米国流の経営管理手法がもてはやされている。書店でもそのような本が多く、日本の経営者の多くもそのような論理的なフレームワークに従って戦略立案や意志決定をするケー -
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禅ってニーチェの考えに近いかも??他力本願ではなく、自分で苦難を乗り越えなければならないというのが教えだから。
ここから思ったのが、資本主義って案外悪くないのでは?自分の苦悩を乗り越えた部の結果がお金であるという考え方を持てるかもしれない。マックス・ウェーバーもプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の中で言っているぽいけど、めっちゃ働くというある種の禁欲主義的発想なのでは?
宗教はその人・時代に合わせて柔軟に合わせる必要がある。←仏の教えは変わらないけど、それを受け取る人々の差はある。いわゆる原理主義というものは意味がないとみていいのではないか?(これはさまざまなことに言えると思う)→ツ -
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ネタバレ鈴木 大拙、金子 大榮、曽我 量深の3人の対談の司会が西谷 啓治。
なにこの豪華絢爛さ。
くまなく真宗の肝要について話しをされるわけだが、鈴木師のつっこみが素な感じでものすごい。あくまで冷静、言葉を選ぶ金子師に自分の言いたいことが溢れてきたら止まらない曽我師。絶妙な質問を交えて話しを振っていく西谷師。これいろいろ考えられたけど空気感を伝えるためにそのままテープ起こしみたいな場面もあるんだろうな。
曽我師の見解については通して聴いてもちょっとわからないところはあった。世自在王仏と法蔵菩薩を同一と捉えるのはなんかこの話の流れだとよくわからなかった。あと、寺に来る年寄りにはむずかしいことはわ -
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鈴木大拙先生の講演録。
改めて彼の生きた時代といふものを見ると、それは決して最近のひとではないといふことに改めて気づかされる。養老孟司、吉本ばなな、Azuki七、松村栄子、宮崎駿、池田某、永井均、なだいなだ、福田恒存、小林秀雄、宮沢賢治、一休宗純、ブッダ、どこか綿々と続く精神の大きな働きの中にゐるやうな気がしてならない。かうして言葉は、普遍的な精神は誰かが死んでもどこかでまた息づいて生まれるのだと思ふ。生命の明滅を眺めてゐるそれは、本当に時間から垂直に立ち上がつてゐるやうだ。
無心といふこと。考へないで本能の赴くままではない。何かを感じないことではない。ないといふことさへ言えない、ことばの尽き -
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ネタバレ元来広い意味においての意志は、宇宙生成の根源力であるため、それが自分らすなわち個々の人間の上に現れるとき、心理学的意味の意志力と解せられる。この意志力が強ければ強いだけ仕事ができるというわけあいである。
精神家というのは形式ばらぬ人のことである。杓子定規や物質万能主義などにとらえられずに、なにか1つの道義的理念を持って万事に当たらんとする人である。
なにか二つのものを包んで、二つのものが畢竟ずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。
今までの二元的世界が相克し、相殺しないで、互譲し、交歓し、相即相入するようにな