作品一覧 2019/11/28更新 カント 実践理性批判 試し読み フォロー 戦争論 試し読み フォロー 日本的霊性 試し読み フォロー 日本美の再発見 増補改訳版 試し読み フォロー 1~4件目 / 4件<<<1・・・・・・・・・>>> 篠田英雄の作品をすべて見る
ユーザーレビュー カント 実践理性批判 波多野精一 / 宮本和吉 / 篠田英雄 カントは『純粋理性批判』で、人間の理論的認識は感性に与えられた現象にのみ関わるものであり、「物自体」を認識することはできないとした。したがって人間の理論的認識能力には限界があり、「神、自由、魂の不死」といった超越的理念を純粋理論理性が扱うのは理性の越権行為であるとした。 しかしひるがえって『実践理性...続きを読む批判』で彼は、「神、自由、魂の不死」は人間の純粋実践理性の要請であることを証明していく。 これは一見すると矛盾しているように見える。しかしよく考えてみるとそうではない。 人体の構成元素は、炭素原子20パーセント・水素原子10パーセント・酸素原子60パーセントくらいであるらしい。元素という視点で見れば、人間はそのへんに転がっている物質となんの違いもない。しかし自分や他人を物質のように扱うとしたらその人は異常者だろう。 つまりなんらかの不可知な事情によって、人間はだれでも、自分や他人をあたかも魂を持つかのように考えており、事実そう振る舞っているのである。(自分自身に魂がない、と思う人はいないだろうし、自分と同じような魂を他人も持っているととうぜん推測できるのだから。) 理論理性によれば、人間は単なる物質にすぎないが、実践的には人間は魂を持つものである、これこそは人間の常識的認識のあり方であり、普通人が意識せずに行っていることだ。これは、人間が理論理性と実践理性の使い分けをしているというよりも、魚が水の中を泳ぐように、不可知の「物自体」の中を生きているということだ。 ただし私がこのように言うからといって、いわゆる神秘家が不可知のことをあたかも自分は何でも知っているかのように理論理性に押し付けるということを、カントが認めているわけではない。むしろ彼は、そのような神秘家の態度は往々にして道徳を損ないがちだと警告している。 カントは「理論的認識(科学)に制約を課し、宗教と道徳を守った」というのはよく言われることだが、一方で彼は、批判を経ていない実践理性がみずからの宗教と道徳によって横暴に振る舞うことをいさめてもいる。つまり片面的な制約ではなく、両面に対する制約なのだ。ここを強調したい。 Posted by ブクログ 日本美の再発見 増補改訳版 ブルーノ・タウト / 篠田英雄 今年は桂離宮に行く! 高松の達磨寺と洗心亭は訪れました。あのこじんまりとした家屋から見下ろした高松の街を想像しながら、家屋のわきにある石碑に刻まれたich liebe die Japaneche Cultureの言葉の意味を思いました。 Posted by ブクログ 日本的霊性 鈴木大拙 / 篠田英雄 日本の仏教、哲学の第一人者の日本的とは何かを分析した名著。 日本文化、歴史に対する深い知見からの洞察は消化するのに何遍も読む必要がありそう。 現在の日本人的精神(鈴木大拙はこれを「霊性」と呼ぶが)は仏教が日本の大地に順応した鎌倉期に起源を発するとして、それが、真言であり、禅であるとする。 仏教に興味...続きを読むが湧き、座禅に行ってみたくなった Posted by ブクログ 日本的霊性 鈴木大拙 / 篠田英雄 キリスト教のは全くの他力である、自他を対立させておいて、その上に他の力のみを打ち立てんとするのである。仏教では、自他の対立は対立であるが、そこに対立を絶したものが動いていることを直覚し(これを霊性的自覚という)、この直覚から、対立の世界を見直すのである。 Posted by ブクログ 日本的霊性 鈴木大拙 / 篠田英雄 即非の理論について書かれていた解説の部分を何度も読み返した。 AはAである → AはAでない → それを踏まえた上でAはAである という理屈は厳密に展開すると… AはAである → 実は気付かなかったがAにはA´という要素が追加もしくは削除されうる → Aは本当はA+A’or A-A’となって...続きを読むいる…´ とAの改造がいつの間にかされている。 個々人がもっている概念を自身の手で改造していくことは、内面の深化につながると思う。 解説の死の捉え方は分かりやすかった。 Posted by ブクログ 篠田英雄のレビューをもっと見る