あらすじ
現代仏教哲学の頂点をなす著作であり、著者が到達した境地が遺憾なく示される。日本人の真の宗教意識、日本的霊性は、鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し、その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる。著者は、日本の仏教徒には仏教という文化財を世界に伝える使命があると考え、本書もその一環として書かれた。
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日本的霊性
著:鈴木 大拙
著:篠田 英雄
岩波文庫 青323-1
おもしろかった、日本的霊性へと日本人が達するための旅、鎌倉時代に日本的霊性が覚醒したことを解説している
「仏教の大意」より本書を先に読めばよかった
日本的霊性の覚醒をみたのは、1つは、浄土系思想であり、今1つは、禅であった
■霊性とは
精神と物質の世界の後ろにいま1つの世界が開けて、前者と後者が互いに矛盾しながらしかも映発するようにならねばならない
これは霊性的直覚、または、自覚により可能となる
精神には、倫理性があるが、霊性はそれを超越している、超越は否定の義ではない、精神は分別意識を基礎としているが、霊性は、無分別智である
日本的霊性とは、浄土宗でいえば、ただ念仏を称えること、称え続けることである
要するに鎌倉時代における日本的霊性の覚醒は、知識人から始まらないで、無智愚鈍なるものの魂からであったことに注意したいのである(一般庶民からであるといっている)
■霊性と文化の発展
霊性は民族が或る程度の文化階段にすすまないと、覚醒せられぬ
霊性の覚醒は個人的経験で、もっとも具体的に富んだものである
<平安期>
平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え付けられたものが、大地に落ち着いて、それから芽を出したと言える
日本人はそれまでは、霊性の世界というものを自覚していなかった
平安時代は、なんといっても女性文化時代である、あるいは公卿文化時代といいってもよい
大宮人全盛期である。日本精神ととなえられるものの一面がいかんなく発揮せられている
平安時代を通過しないと日本精神のこの方面が出なかったかもしれぬ
仮名文字の発達がどれくらい日本思想の独自的展開に資することがあったかは、十分に認識する必要がある
漢文字と、漢文学とに支配されている限り、日本思想は自由な立場に置かれない
江戸時代に国学が盛んになって、みずからの主張をもつようになったのも、仮名文字に負うところがある
文学が男性の手にのみ委ねられていたなら、日本文化は漢文学の圧迫的勢力から容易に脱却し能わなかったに相違ない
日本魂は当時の日本女性によりて発揚させられたと言わなくてはならない
<鎌倉期>
平安朝時代の女性的感覚性と感情性の上皮層が崩れて、霊性の中枢が働き出たのは、鎌倉時代である。
即ち、鎌倉時代で、日本民族のもっている宗教意識が自己肯定をやったのである
元寇来襲という歴史的大事変は我が国の上下を通じて、国民生活の上に、各方面にわたりてなみなみならぬ動揺を生じたものであろう
各種の動揺の1つで、精神的方面には、わが国民は自分らの国ということについて、深く考えさせられたことと思う。
神道家が神道-我が国の神の道というものを意識し始めたのも鎌倉時代である
日本的霊性なるものは、鎌倉時代ではじめて覚醒した
まず浄土系思想の日本的な新たな展開を挙げたい
つぎは、禅宗の伝来である
その次は、日蓮宗の興隆を忘れてはならない
真宗の中に含まれていて、一般の日本人の心に食い入る力を持っている者は何かと言うと、純粋他力と大悲力である。
霊性の扉はここで開ける
浄土教が教える浄土よりも、その絶対他力のところに、この教の本質がある
何か日本民族の霊性そのものの響がこの間に鳴りわたらなければならぬのである
武家階級は禅道に入り、庶民階級は、浄土思想を創案した
超個の人が本当の個己である。歎異抄にある、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり、という、この親鸞一人である
超個の人が個己の一人一人であり、この一人一人が超個の人にほかならぬという自覚は、日本的霊性でのみ経験せられたのである
超個の個としての一人は孤独性をもっている。絶対に孤独であると言わなければならない。霊性的自覚は個己の上のおける最後の経験であるから、一人性をもっているのである
宗教意識の形成確立には霊性的直覚がまずなくてはならない。そうして思想的機構は、その上にできるというのである
鎌倉時代になって、日本人は初めて人生に対する痛切な反省をやったものである
霊性的生活は、反省から始まる。反省のない霊性的生活はないのである
■仏教
仏教は単に日本化して日本的になった、仏教は日本のものだということ話はすむのではない
まず、日本的霊性なるものを主体において、その上に仏教を考えたい
仏教が外から来て、日本に植え付けらえて、何百年も千年以上もたって、日本的風土化してもはや外国渡来のものでなくなったというのではない
はじめに、日本民族の中に日本的霊性が存在していて、その霊性がたまたま仏教的なものと逢着して、自分のうちから、その本来具有底を顕現したということに考えたのである
日本へ落ち着いて、日本的霊性の洗礼をうけた仏教であるから、インドのものでも、シナのものでもない、日本の仏教というのである
インドで発生した仏教は固よりインド性をもっている。それが、中央アジアを通ったので又、その地方性をもってきたが、それからシナで一大転換をやったので、シナ性は十分にある
そうして、最後に日本に入ってきて日本的霊性化したので、日本仏教は、すべての東洋性を持っていると言わなければならない
ただそれだけではない。仏教は南アジア方面をも通ってきた、そして南方的性格もその中に包蔵しているのである
「日本」仏教なるものは、それ故に北方民族的性格も南方民族的性格も、インド的直観も、シナ的実証心理もみなともに具有しているのである
日本仏教は、日本化した仏教だと言わずに、日本的霊視絵の表現そのものだと言ってよいのである
■禅
禅が日本的霊性を表詮しているのは、禅が日本人の生活の中に根深く食い込んでいるという意味ではない
それよりも、むしろ、日本人の生活そのものが、禅的であるといったほうがいい
■浄土系・念仏
日本的霊性の情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲を指すのである
無縁の大悲が、善悪を超越して衆生の上に、光被して来る所以を、最も大胆に最も明白に闡明(せんめい)してあるのは、法然・親鸞の他力思想である
絶対者の大悲は悪によっても遮られず、善によりても拓かれざるほどに、絶対に無縁、すなわち、分別を超越しているということは、日本的霊性でなければ経験せられないところのものである
親鸞はお寺を作らなかった、愚禿に相応なのは、草庵であって、七堂伽藍ではなかった
親鸞は、仏教者であるからその経験、その言説はいずれも仏教的だと考えているが、そこと彼を見ることの欠陥がある。
彼はまた日本人なのである
日本人ということが彼の本質で、仏教者であることが彼の偶然性だと言ってよいのである
日本的霊性の人格的開顕という点から見ると、法然上人と親鸞聖人とを分けない方が合理的かと思われる
法然と親鸞とを一人格にしてみて良い
それは、親鸞の告白にもあるように、彼は法然の教えを遵奉するものとのみ思惟していたのである
浄土系思想の中心は、念仏であって、極楽往生ではない、念仏なしの往生はないのである
念仏そのものが大切なのである、一心の念仏だけが、大切なのである
破戒の僧、愚痴の僧を供養しても功徳になるか、との問いに対して、法然は、破戒の僧、愚痴の僧を、末の世には、仏のごとくたとむべきにて候也 と答えている
目次
緒言
1 日本的霊性につきて
第1篇 鎌倉時代と日本的霊性
1 情性的生活
2 日本的霊性の自覚
第2篇 日本的霊性の顕現
1 日本的霊性の胎動と仏教
2 霊性
3 日本的霊性の主体性
第3篇 法然上人と念仏称名
1 平家の没落
2 浄土系思想の様相
3 念仏と「文盲」
4 念仏称名
第4篇 妙好人
1 赤尾の道宗
2 浅原才市
解説
索引
ISBN:9784003332313
。出版社:岩波書店
。判型:文庫
。ページ数:286ページ
。定価:910円(本体)
1972年10月16日第1刷
2023年12月05日第63刷
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日本の仏教、哲学の第一人者の日本的とは何かを分析した名著。
日本文化、歴史に対する深い知見からの洞察は消化するのに何遍も読む必要がありそう。
現在の日本人的精神(鈴木大拙はこれを「霊性」と呼ぶが)は仏教が日本の大地に順応した鎌倉期に起源を発するとして、それが、真言であり、禅であるとする。
仏教に興味が湧き、座禅に行ってみたくなった
Posted by ブクログ
キリスト教のは全くの他力である、自他を対立させておいて、その上に他の力のみを打ち立てんとするのである。仏教では、自他の対立は対立であるが、そこに対立を絶したものが動いていることを直覚し(これを霊性的自覚という)、この直覚から、対立の世界を見直すのである。
Posted by ブクログ
即非の理論について書かれていた解説の部分を何度も読み返した。
AはAである → AはAでない → それを踏まえた上でAはAである
という理屈は厳密に展開すると…
AはAである → 実は気付かなかったがAにはA´という要素が追加もしくは削除されうる → Aは本当はA+A’or A-A’となっている…´
とAの改造がいつの間にかされている。
個々人がもっている概念を自身の手で改造していくことは、内面の深化につながると思う。
解説の死の捉え方は分かりやすかった。
Posted by ブクログ
やっとここまで来たという到達感。
濫読の途中で仏教というテーマの中間整理になった。
この本は読み出すまでは難解で近寄りがたいと思っていた。生涯の友西田幾多郎の『善の研究』を連想して勝手にそう思い込んでいた。
鈴木大拙は激動の時代にあって日本仏教の霊性の覚醒を洞察しそれを鮮やかに表現した。濃密な内容は読む者の頭に深く沁み、混沌が一つ一つ整理され得心する手応えは格別だ。戦後を生きる日本人の思考の原点となり仏教を世界に知らしめた意義は大きい。
彼は第四高等学校で西田と交流し、西洋思想に傾倒するが父の早逝で中途退学し、英語教師を経て21歳で東大専科生になる。鎌倉の建長寺で傑僧今北洪川や釈宗演から禅の指導を受ける。27歳で渡米し独宗教学者ポール・ケーラスの助手になり11年間出版活動に従事する。難解な高橋巌の『大乗起信論』を共訳し『大乗仏教概論』を著す。
39歳で帰国し学習院や東大で英語を教える。
柳宗悦はその時の教え子である。
41歳でビアトリスと結婚、ズヴェーデンボルグの
『霊界日記』を翻訳しキリスト教の神秘主義と仏教の霊性の構造的類似性に惹かれる。
1944年74歳の時、この『日本的霊性』を発表する
太平洋戦争で日本の敗色濃厚ななか、軍国主義イデオロギーの日本精神と弁別し日本仏教の霊性を考察。
1946年「大智と大悲」を天皇に進講
(‘47『仏教の大意』、’49『臨在の基本思想』出版)
戦後日本の再出発に日本の仏教の意義を説く。
1953年からエラノス会議会員となり講演をする
1967年井筒俊彦に引き継ぐ
世界を視野に神秘主義や言語・哲学を研究する。
晩年、親鸞に回帰し『教行信証』の英訳を行う。
禅宗から臨在・華厳教をへて浄土教の「絶対他力」
に行きつき、そこに日本的霊性の極致を見いだす。
96歳で没。
邦文著作百巻超、外国語著作三十巻余
確固たる宗教体験で、思惟能力・表現能力・伝導
精神が傑出した日本の最もすぐれた仏教哲学者。
本文は霊性の定義、精神との違いから始まる。
日本的霊性は鎌倉時代の禅と浄土仏教で覚醒する。
平安時代までの仏教は為政者の政治手段であり、
文献解釈と仏像や豪華建築の権威誇示であった。
万葉集や源氏物語のかな文字も有閑エリート層の
恋愛やもののあはれをうたうものであった。
浄土教の他力本願は鎌倉時代に法然と親鸞によって
大地に生きる農民の切実な宗教として確立する。
蒙古襲来で日本民族の主体性を自覚する武士の禅宗
とともに日本的霊性の発露である。
親鸞で完成する法然上人の浄土思想、この全貌を解明した後、最終章で妙高人という信仰厚く徳行に富んだ象徴的信者の実像を示す。筆頭に越中赤尾の道州、次に石見の国の浅原才市、両人の法悦三昧・念仏三昧の生活と心がけを活写する。凄まじい浄土教の実践行は当該論考の掉尾を飾って余りある。
「即非の論理」について
肯定されている概念をいったん否定し、この否定を経てもういっぺん肯定に戻ったときに初めてその概念に対応する物の真実がとらえられる。
心が主観と客観に分かれて成立する関係がいわゆる知識或いは認識であり分別とも呼ばれる。ところが主観は人によってそれぞれ異なる。こういう認識作用によって知られるものは「存りのままの存る」ではない、それは常に主観による変容が加わっている。そこでこのような分別をまず否定する、つまり主観と客観の対立を掃いのける、或いは心が主客に別れる前の状態に戻る。心はもともと一心であり絶対の一であり、これを主観と客観に分けたのは我々自身だ。いずれにせよ初めの肯定がこうして否定されるとそこへありのままの物が現出する。これが「即非の論理」の意味である。
普通に言われる知識は知性即ち分別の所産である、これに反して物の真実を直観する能力は智慧である。直観には直観するものとされるものという対立はない、「存りのまま存る」をじかに直観するのだからそこに主客の区別はない。このような智慧を般若或いは「般若の智慧」と呼び、「即非の論理」は「般若の論理」とも言われる。
このように物の真実をとらえる方法が即非の論理であり、この論理は論証的思惟で認識されるのではなく霊性的自覚という体験においてのみ得られる。例えば神や仏、自由、不死或いは不生というような概念はすべて霊性の世界での話である。
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(01)
霊性という語には仏教味が少なく,著者が近代の知を浴びながら捻出した造語とも言える.しかし,精神でもなく心でもなく,ましてや無意識でもないし,もちろん物でもない霊性とは何か.
浄土真宗(*02)こそが,著者の信条を捉え,身体性に染み付いた実践でもあったと考えられる.真宗の創始にあたった法然と親鸞,そして真宗の近代的な実践者である道宗や才市の例をあげ,それが他の宗派や宗教ではなし得なかった霊性に着地した思考(*03)と実践であったと説いている.
(02)
浄土真宗の念仏は,常に問題となる.日蓮宗の「南妙法蓮華経」よりもさらにコンパクトになった名号「南無阿弥陀仏」が膾炙し,膾炙するだけの理由が語られていく.それは理論的なものでもなく,狂信的なものでもなく,霊性的な境地にのみ発せられる人間の表象とでも家るのではないだろうか.もちろん意味をなす言葉でないところにその六字の聖性があるする考えはよく了解される.
(03)
鎌倉仏教や禅宗に至るちょっとした精神史,思想史も霊性の立場から説かれており,「大地」というイメージも面白い.また,その思考は,武士道にも引き継がれ,言わずもがな,明治以降の国家神道に差し向けたアンチなテーゼとしてもとらえられる.また,キリスト教ほかも視野に入れた世界史の中での日本的霊性の位置付けもなされている.
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日本的霊性は大地から始まる。
自覚されるのは、鎌倉時代。
華やかな平安は「天」、実質的な鎌倉は「大地」。
親鸞は京から田舎の地に移ったから、大地から学ぶことが出来た。
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引用メモ。
自分の主張は、まず日本的霊性のあるものを主体に置いて、その上に仏教を考えたいのである。仏教が外から来て、日本に植え付けられて、何百年も千年以上も経って、日本的風土化して、もはや外国渡来のものでなくなったと言うのではない。初めに日本民族の中に日本的霊性が存在していて、その霊性がたまたま仏教的なものに逢着して、自分のうちから、その本来具有底を顕現したということに考えたいのである。ここに日本的霊性の主体性を認識しておく必要が大いにあると思う。(p.65)
今までの日本的霊性は、伝教大師や弘法大師やそのほかの宗教的天才によりて幾分か動き始めていたことは確かであるが、まだ十分に大地との関連をもっていなかった。即ち十分に具体性をもっていなかった。個己が超個己との接触・融合によりてみずからの存在の根源に目覚めていなかった。それが親鸞の世界で初めて可能になった。彼はいくらかは公卿文化の産物ではあったが、彼の個己は越後でその根柢に目覚めたのである。京都で法然上人によりて初めの洗礼を受けたのであるが、それはまた超個己の【人】には触れていなかった。後者は彼が京都文化のまだ到り及ばなかったところに定住したとき、初めて働き出したのである。彼が、具体的事実としての大地の上に大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して、彼らの大地的霊性に触れたとき、自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。法然によりていかほどの信心を喚起したにしても、京都文化以外に出る機会がなかったなら、他力本願の親鸞も伝教・弘法以上に出られたかどうか、甚だ危ぶまれるのである。「親鸞」はどうしても京都では成熟できなかったであろう。京都には、仏教はあったが日本的霊性の経験はなかったのである。(p.90)(引用者注:【】は傍点部、以下同。)
彼(親鸞のこと)は実に人間的一般の生活そのものの上に「如来の御恩」をどれほど感じ能うものかを、実際の大地の生活において試験したのである。ここに彼の信仰の真剣性を見出さなければならぬ。(p.95)
霊性は、上記四種の心的作用(感性・情性・意欲・知性のこと)だけでは説明できぬ【はたらき】につける名である。水の冷たさや花の紅さやを、その真実性において感受させる【はたらき】がそれである。紅さは美しい、冷たさは清々しいと言う、その純真のところにおいて、その価値を認める【はたらき】がそれである。美しいものが欲しい、清々しいものが好ましいという意欲を、個己の上に動かさないで、かえってこれを超個己の一人の上に帰せしめる【はたらき】がそれである。この【はたらき】は知性の能くするところであると考える者もあろうが、知性は意欲に働きかける力をもたぬ。知性はかえって意欲の奴隷に甘んずるものである。 …(中略)…
しかし霊性の【はたらき】は、これだけではすまぬ。もしこれだけのものなら、日本的霊性ということはできぬ。霊性は大円鏡智で妙観察智たるに止まる。一般普遍性のものは白か黒かの素地を作るだけで、海のものにも山のものにもなる。従って海のものでも山のものでもない。霊性には仏教の語彙で言えば、成所作智がある。ここに日本的と言い得る霊性の特殊を認めるのである。即ち日本的にはたらき出るのである。この【はたらき】の現われをどこに認得するかというと、話は今までのと違った方向に転じなくてはならぬのである。大円鏡智を霊性の知的直覚というなら、成所作智はその意的直覚である。霊性の【はたらき】の二方面は、知的直覚と意的直覚とであるというと、前者は感性と情性の上に働き、後者は意欲の上に働くと見ておきたい。(pp.115-116)
この世の生活が罪業と感ぜられる。そうしてその罪業がなんらの条件もなしに、ただ信の一念で、絶対に大悲者の手に摂取せられるということを、我らの現在の立場から見ると、その立場がそのままそれでよいと肯定せられることなのである。即ちこれは自然法爾である(p.117)
何ゆえに神道的直覚は情性的であるかというに、それはまだ否定せられたことのない直覚だからである。感性的直覚もそうであるが、単純で原始性を帯びた直覚はひとたび否定の炉韛(ろはい)をくぐってこなければ霊性的なものとはならぬのである。否定の苦杯を嘗めてからの直覚または肯定でないと、その上に形而上学的体系を組立てるわけにはいかないのである。(p.124)
霊性的直覚なるものは、まず個己の霊の上において可能である、すなわち【一人】の直覚である。ところが神道には、集団的・政治的なものは十分にあるが、【一人】的なものはない。感性と情性とは、最も集団的なるものを好むのである。それは集団の上にみずからを映し出すことによりて、みずからの存在が最も能く認められるのである。冷静的直覚は、孤独性のものである。これが神道にない。神道に「開山」というべきもののないのはその故である。「開山」はどうしても超個己を個己の上に映した【一人】であるから、集団性を持ち能わぬ。集団は【一人】の「開山」をめぐりて集まりきたるものである。集団の上に一面に拡がっているものには中心がない。或る意味でそれは全体的であるが、この種の全体性は中心のない集合で、いわばただの群衆でしかない。そのときどきの感性と情性との動きに任せて蕩揺不定の行動をなすのが常である。これらは冷静的直覚によって指導せられねばならぬ 。なんとなれば霊性的直覚の上にのみ、形而上学的体系が加えられ得るのである。(p.128)
鍬をもたず、大地に寝起きせぬ人たちは、どうしても大地を知るものではない、大地を具体的に認得することができぬ。知っていると口でも言い、心でもそう思っているであろうが、それは抽象的で観念的でしかない。大地をそれが与えてくれる恵みの果実の上でのみ知っている人々は、まだ大地に親しまぬ人々である。大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。ただ鍬の上げ下げでは、大地はその秘密を打明けてくれぬ。大地は言挙げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れて、みずからも大地になることができると、大地はその人を己がふところに抱き上げてくれる。大地は【ごまかし】を嫌う。(pp.131-132)
煩悩具足が具体的事実として体験せられるとき、信心決定の機がおのずから出るのである。前者が真剣であればあるほど、後者は的確性を帯びてくる。まず前者を体せよ、後者の来らんことを期するな。それは仏を拝んで、その功で自分も成仏したいというのと同じである。道宗が猛烈な自己練成をやったのも、実に霊性的直覚の道を進んでいたのである。(p.203)
「わしが阿弥陀になるじゃない、阿弥陀の方からはわしになる。なむあみだぶつ。」名号は阿弥陀の方から来て才市に「あたる」と、才市は才市で変わりないが、しかしもはやもとの才市ではない、彼は「なむあみだぶつ」である。そしてこの「なむあみだぶつ」から見ると、一面は弥陀であり、一面は才市であって、しかもまたそれ自身たることを失わぬ。「なむあみだぶつ」は霊性的直覚の又の名である。直覚の内容であるというのが正当かもしれぬ。或いは弥陀の個己化が「なむあみだぶつ」だと言うべきであろうか。文字の上で詮索すると、こんなようなことよりほかに言われない。(p.220)
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平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、霊の自然•大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい。鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち霊性の生活に目覚めたと言える。
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甲は甲ではない、故に甲である―そんな一見論理的に破綻している「即非の論理」をその思想の根本に置く仏教思想についての代表的書物。仏教では西洋哲学の主体たる客観的知識に対してそれはあくまで主観から捉えた一つの認識でしかないという立場をとっており、主客の区別なくものの真実を直観する「般若の智慧」の取得を第一とする。難解な仏教的用語が頻出する上に1944年に執筆されたという時代性についても考慮を払う必要があるが、それでも日本において「宗教的なものとは何か」について考えていく上で避けて通れない本だと思う。
Posted by ブクログ
日本における霊性(国内で大衆により育成された独自の宗教意識)を持つ宗教として真宗と禅宗を上げ、此の書では真宗を中心的に取り扱う。
浄土宗は善導教学の発見及び享受であるが真宗は善導教学を基盤としたうえで独自の宗教体系を築き上げる。
ここにおいて真宗を日本的霊性を内包する宗教であるとする。
そういった真宗の日本的霊性という点を絞っていく書。
Posted by ブクログ
自身の知識・価値観によるところが大きいのかもしれないが、論調や話の流れ、展開を追うことができなかった。理系的な?論理思考フォーマットで捉えがちな思想にとらわれてしまった自分が、流し聞きで理解できる価値観ではない、ということがわかった。日本的霊性は鎌倉仏教の伝来を機に形成されていった(もっと古代から徐々にというイメージだったけど)という説はなんとなく抑えた。
Posted by ブクログ
尖閣・サンデル教授の政治哲学・そしてこの地震ときて、時間があったのでひとまずいろいろ振り返ってみると、ここまで自分の気持ちを揺り動かしているのは人間愛的なものよりも「日本」に対する不気味な執着なんじゃないか、と結論したんで読んでみました。読み辛くて理解は半分にも満たないかもしれないけど、日本元来の神道と中国から渡ってきた仏教、それが鎌倉時代になって日本人の「霊性」として定着した、とする著者の説が、ひたすら繰り返すような形で展開されていた。『禅とはなにか』 同様にいや~に宗教臭いところもなく、単純に知識として頭に入る。今後も信仰に目覚めることは無さそうだけど、自分は無宗教であると断定した場合、付きまとうようにして生じてしまう隙間が少し埋められた気がします。
Posted by ブクログ
08/12/29、何か今までと違った趣向の本が読んでみたくて、神保町・村山書店の店頭で売られていたのを購入。
戦時中、西洋文化との対峙の中で日本の日本的なるものを剔抉しようと苦闘している様子が、まだ緒言しか読んでいないながらも伝わってくる。少なくともこの著作っていわゆる「日本文化論」の系譜に入るんじゃないのかな?と仏教に疎い自分ながら考えた次第。