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世界的禅学者たる著者が禅を平明に概説した講演録をまとめたもの。その現代的学識と深い禅経験によって、初めて禅を学ぶ人には手引となり、久しく学んだ人にも永遠に価値を有する入門書である。 (※本書は1993/3/1に発売し、2022/2/10に電子化をいたしました)
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Posted by ブクログ
思惟の垢を脱ぎ捨て、無の深淵に臨むための書。 [思考の彼岸に立つ禅の本質] 『禅とは何か』は、単なる宗教哲学の解説ではない。 そこにあるのは、知の光をもってしても射し込むことのできぬ暗黒の核、すなわち「禅」の本源に迫らんとする、鈴木大拙の精神の跳躍である。 私が禅と出会った時の衝撃は、今でも忘れが...続きを読むたいほど記憶に刻まれている一方、その本質を掴むことは誠に難しい。 禅とは何か。 それは言語をもって定義されるものではない。 それは、沈黙の中に閃き、日常の行為の中に突如として姿を現す。 禅は「無心」であり、「空」である。 だがその「無」は、空虚を意味するのではなく、むしろ、万象を孕んだ創造の母胎である。 剣道の一太刀に、俳句の一音に、茶の湯の一滴に、禅は潜み、そこに生命の根源たる直感が凝縮する。 鈴木大拙は、東洋の深奥を西洋の冷厳なる理性に対置しつつ、彼岸の知を開示するのである。 [鈴木大拙という人間ーー静謐なる叛逆者] 1870年、加賀の城下町・金沢に生まれた鈴木大拙は、その生涯を禅の「無」を西洋世界へ伝えることに捧げた。 青年期に鎌倉の円覚寺にて釈宗演の膝下に参禅し、後にアメリカに渡ってケーラスと親交を結ぶ。 仏教をして生きた宗教たり得せしめるのは、知識ではない。 体験であり、沈黙である。 大拙は終生、この信念を貫いた。 彼は学者でありながら学者を超え、翻訳者でありながら霊的導師でもあった。 その言葉は、英語で書かれてさえも日本の山河の気韻をまとい、異国の精神に風穴を開けた。 大拙は、語る者ではなく、語らずして伝える者であった。 そこにこそ彼の異様なまでの魅力がある。 [大拙が影響を受けた人物――思想の種火をともした者たち] ■釈宗演(1860〜1919) 大拙の精神を鍛え上げたのは、円覚寺の峻厳なる禅僧・釈宗演であった。 思想ではなく生のあり方を以て、彼に「坐り、沈黙し、ただ在ること」の重みを教えた。 ■ポール・ケーラス(1852〜1919) 洋の東西を結ばんとする志を持ったドイツ系アメリカ人の哲学者ケーラスは、大拙に西洋的表現の鋳型を授けた。 その思想的器がなければ、大拙は世界的な「声」を持ち得なかったであろう。 ■井上円了(1858〜1919) 理性の剣で東洋思想の幽明を斬り開こうとした哲人であり東洋大学の設立者。 大拙にとっては、思考と直観の拮抗を教える教師であった。 [大拙が与えた影響――言葉の枠組みを破壊した者] ■アラン・ワッツ(1915〜1973) 禅をロンドンの霧の中からカリフォルニアの陽光へと導いた伝道者。 大拙の思想に触れ、彼は理性の殻を脱ぎ捨て、精神の裸体を求めた。 ■ジョン・ケージ(1912〜1992) 沈黙という音楽の可能性を開いたアメリカ人の作曲家。 大拙の禅的無に触れ、「音なき音楽」の創造へと踏み出した。 ■ジャック・ケルアック(1922〜1969) アメリカ文学の反逆児的小説家であり詩人。 『路上』の疾走の中に、大拙の禅的瞬間が閃く。 彼にとって大拙は、精神のアナーキストであった。 [西田幾多郎との関係ーー無をめぐる魂の交歓] 大拙と西田幾多郎ーー彼らは同じ年、同じ石川の土に生を受け、異なる道から同じ深淵を覗き込んだ兄弟である。 西田は「場所の論理」において、存在の根底に「絶対無」を据えた。 大拙はそれを、禅の「空」として生きた。 両者は常に対話し、交わらずして深く通じた。 西田が「善の研究」で語る「純粋経験」は、大拙の直感的悟りと同根である。 それは「考える私」を越えた「無の場所」にほかならない。 西田の哲学は、大拙にとって禅を思惟の形式に昇華させたものであった。 かくして、思想と宗教、哲学と実践という分断された知の大地に橋がかけられたのである。 [無の裡にひらく真の自己] 鈴木大拙の禅は、沈黙の哲学である。 言葉は常に裏切り、概念は常に遅れる。 だがその裂け目から、しばしば真の「自己」が顔を覗かせる。 『禅とは何か』は、そのような自己を呼び覚ますための一書である。 読者がこの書を手に取る時、知を越えた感応の刹那が訪れるであろう。 それは、現代という煩悩の海を渡る者にとって、ほとんど奇蹟に近い灯火である。
禅を世界に広めた鈴木大拙が、英語で書いたものを翻訳した逆輸入モノ。西洋人向けにかかれているので、変な話ですが、かえって解りやすい。思考のループにはまって抜け出れない人向け。
世の中物質主義に走りがちだけれども、科学・知識・情動・神秘・宗教・儀礼などすべてを組み合わせて見ることが大切なのかもしれない。他力の重要性、それでも自分でも悩むことの重要性…もちろん仏教に特化した内容なのだが、人生訓としても深い印象を残す本だった。
理系/科学という括りの中だけに生きていた小僧に、文化や歴史や宗教、あらゆる外の世界への固い門をまるごと開いてくれた。宗教というものを、特定の教義や宗派としてではなく、古来から普遍的な人の心のもつ働き『宗教経験』として、根本から説いている。いまの時代、自分が特定の〜教と付き合うなんて考えられないわ、と...続きを読むいう人でもあまり抵抗を感じずに読めるのではないでしょうか。
たまに読み直す本。禅とは何か?ひとによっては読みにくいと感じるかもしれませんが、わたしが読んだ中では鈴木大拙さんのこの一冊がおすすめです。
禅と仏教との位置関係とか気になっていた所の説明が為されていてよかったと思います。禅は体験、経験を重視する宗教であることが改めて分かりました。
禅宗の入門的解説書なのだけれど、文章が読みにくい。意味が難解というのではなく、改行や句読点の位置が適切ではなくて、日本語の文として、かなり読みにくかった。同じ文章の繰り返しが何度も出てくるところは、さすがにちょっとひどいと思う箇所もある。 しかし、話しの内容は、もともと、一般向けに講演された内容を筆...続きを読む記したものであるということもあって、かなり日常に近い言葉で簡明に説明がされていると思う。講演は、昭和2〜3年のものということなので、だいぶ昔の話しだけれど、普遍的なテーマばかりが語られているので、まったく古い感じはしない。 一般的な禅の教義の解説をしているのかと思いきや、著者独自の考え方がかなり色濃く出ていて、これは随分、ありきたりな解説書とはかけ離れた本なのではないかと思う。 仏教は、知と情、という二つのものから成っていると大拙氏は語っている。禅宗というものをどこまでも知的な宗教であるとしながらも、その話しの中には、「情」という側面から考えを進めている内容が多い。 「こう言う人もあると思うが、私はこう思う」と、自分自身の解釈をはっきりと述べている。著者の考えには突飛と思えるところもあったけれど、共感出来るところのほうがより多くあった。 なんらかの条件による心の激変はすなわち宗教的意識の発芽を意味している。すべて人間は自己分裂を感じ始めたところに宗教心の芽ばえがあるのである。(p.16) いったい禅宗はどこまでも知的な宗教であるからして、これにはいるには何にせよ幾ばくかの知識が必要である。他力本位の宗門ではこの知識ということを全然排斥するが、しかしその知識を排斥するところまではいってゆくには、かえって無非常な知識と非常な努力とを必要とするのである。知識の無用が考えられるのはただでき上がった人、回心の人々から見ての話なのである。(p.20) われわれが人の言うことを聞いて信ずるということは、その言うことが本当であり、論理的であるということだけで、必ずしもそれを信ずるということにはならないのである。まず言うことが本当でなくてはならぬが、その外にその言っているところの者の人格が、その真実の中に加わって来ることが必要である。(p.28) 釈迦は四十九年一字不説と言うけれども、四十九年間説法せられたという点より見ると、やはり表現に言語を籍らなければならなかったことは分明である。われわれには思索が必要である。しかもただ物を考えただけでは駄目で、これを何かの形式で表現発表しなければならぬ。人間というものは、何かで自分の考えというものを伝えるものである。(p.48) 馬鹿と大天才との区分をつけようとするならば、大馬鹿にも大天才と同じ因子があるかも知れない。ただ天才はそれを表現することを知っているが、それをもたない者が大馬鹿となる。二つの岩があって一つの岩には彫刻者は美しき像を彫り出した。他の一つの岩は何にも手が着かぬゆえ依然として元の岩にすぎない。ここを考えてみると、馬鹿にはまだ自分を表現するだけの力の持ち合わせがないというだけのことである。だから表現というものをしなければならぬ。知るというだけに止めてはならぬ。(p.50) われわれはいろいろと重重無尽に、次から次へと無窮にわたっているところの、この網の目の関係に立っているのであるから、その関係だけがあって、それ以外には何もないと言ってもよいのである。それを一切空であると仏教は教える。(p.130)
禅は大乗仏教の一派であり、南インド出身の達磨が中国に入り教えを伝えて成立したとされている。 禅の考え方は面白い。正しい考え方を保つというのは非常に労力がかかる。
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