ダニエル・キイスのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ読み終わったばかりで思考の整理が追いついてないが、率直にめっちゃ切ない、、、。久しぶりに泣くかと思った。
本作の重要なポイントは、オリジナルのチャーリーと知能を獲得したチャーリーが統合されるのではなく、別人格として成立している。かつ2つの人格が2人の人間として存在していることだと思った。
知能獲得後もオリジナルのチャーリーが天才チャーリーに自分の存在をたびたびちらつかせる。これは勝手な解釈だが、自分の存在を明らかにさせようと家族に会わせたりするのもオリジナルではと思った。最終的に天才チャーリーもオリジナルのチャーリーがずっと心の奥にいることに気付き、同時に自分の存在を残そうと必死になっている。
しかしその努力虚しく、知能を失っていくチャーリーのフラストレーション、焦り、恐怖をひしひしと感じた。持つことがそのまま幸せにつながるのではないと思わされた。
そして、最後にチャーリーがなるべく周りに負担をかけない形で養護学校へと向かうのは何とも皮肉だと思った。結局社会から隔絶した場所でないと生きていけない現実を突きつけられたように感じたからだ。
キニアン先生もノーマも結局は、オリジナルのチャーリーを周りに置くことはできないし、それを一番痛感しているのがチャーリー自身であり、だからこそ去るしかない現実があると思う。
作者も言及していたが、持ち込みで断られた出版社の編集者からはチャーリーが知能を獲得してキニアン先生と結ばれるというハッピーエンドにストーリーを変更するよう指摘されたという。本作のエンドが現実を突きつける形で終わってよかった。
こうした現実の厳しさはあるが、やはり何よりも重要なのはエンパシー、共感力である。天才チャーリーのセリフにある通り、共感力のない知識は無意味だと思う。そして、何よりもこの共感力が人間を人間たらしめているのだと思う。
そういう意味でいえば、オリジナルのチャーリーは誰よりも人間らしいのかもしれない。しかし、そんな彼も養護学校に戻るしかない。この事実が何よりも切ないのである。 -
Posted by ブクログ
最後らへん、実際自分が迎える自分の死に際を読んでいるようだった。最初の100ページくらいを読み進めるのに気が進まず2ヶ月くらいかかったが、賢くなり始めると一気に200ページほど、翌日に最後まで読み切った。
幼児レベルの文章を読むのが辛かったのは、内容が薄いし読みづらさもあるからだけど、最後らへんの拙い文章は、最後何を感じ考えて過ごしているんだろうと興味を持ちながら、且つ死への焦燥も駆り立てられながら、自分の動悸を感じながら読んだ。
8ヶ月くらいの出来事?だけど、私たちもこれを引き延ばしただけで同じような人生を送るのだと、どこか虚しく心を削りとられていく気持ちになりながら読み進めた。
映像化されたものも観てみよ〜、えっちな部分の描写がどんなのかが気になるぜ〜
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Posted by ブクログ
ネタバレ15年前くらいにドラマで見たのを覚えていたので、書籍でも読みたいと思ったのがきっかけ
最後の1ページで泣けた
賢くなったチャーリーがかなり利己的、衝動的で幼い印象だった。元の人に好かれたいという素直な性格や”友達”がいるチャーリーから、猜疑心が強くなり孤独、周りとの衝突が増えるなど対比が切ない。このままIQが元のように下がり、養護学校に入ってチャーリーが過去の自分とのギャップに苦しんだり知識を忘れていく姿を想像してさらに泣ける。
与えられた中でベストなパフォーマンスをすることが運命なのかも、今回は知能と心がメインでフォーカスされていたけど、持ちうる能力才能外見…すべて、どれか一つを無理に突飛させてもそれは自分ではないかもしれない -
Posted by ブクログ
アルジャーノンに花束をを読み終えて、強く残ったのは、これは知能の上昇や下降を描いた物語ではなく、人が世界とどう関係を結び、どう壊していくかを描いた物語だという感覚だった。賢くなることも、賢さを失うことも、主題ではない。変わっていくのは、世界の輪郭と、人との距離だ。その変化が、逃げ場のない形で積み重ねられていく。
物語の前半、チャーリーの言葉は拙く、文も不安定だ。けれど、そこには疑いのない視線がある。人を信じ、言葉を信じ、世界をそのまま受け取っている目線だ。胸が苦しくなるのは、彼が「足りない」からではない。むしろ、信じすぎているからだ。傷つけられていることにさえ気づかないほど、世界を善意で見ている。
やがて手術によって知能が上がり、文章は洗練され、思考は鋭くなる。その瞬間から、物語の温度は確実に変わる。理解できることが増えるほど、理解できなかった過去が浮かび上がる。親切だと思っていた言葉が嘲笑だったと知る瞬間。仲間だと信じていた関係が、利用だったと気づく瞬間。
知能の上昇は祝福ではない。それは、世界の残酷さを正確に読み取れるようになることに過ぎない。
ここで突きつけられるのは、賢さが人を幸せにするわけではない、という事実だ。むしろ賢くなるほど、人は孤独になる。相手の感情を読みすぎ、言葉の裏を疑い、自分の立ち位置を過剰に意識する。かつて無意識に成立していた関係は、分析の対象になった瞬間から壊れ始める。
後半、チャーリーが辿る道は容赦がない。失われていく知能、崩れていく論理、戻らない時間。だがこの物語は、単なる悲劇では終わらない。ここで浮かび上がるのは、「人の価値はどこにあるのか」という、極めて根源的な問いだ。
賢さとは何か。理解されるとはどういうことか。人として尊重されるとは、何によって決まるのか。
知能が高いときのチャーリーは、確かに優秀だ。だが、必ずしも幸せではない。知能を失ったあとのチャーリーは、確かに不完全だ。だが、そこには確かな人間性が残っている。この対比は、読む側の価値観を静かに、しかし確実に揺さぶる。
そして最後に残るのは、説明でも救済でもない。ただ、祈りに近い感情だけが残る。忘れないでほしい、覚えていてほしいという願い。それは知能とも能力とも関係のない、きわめて人間的な欲求だ。
この作品が忘れがたいのは、読み終えたあとに「自分はどちらの側に立ってきたのか」を考えさせられるからだ。理解する側か、理解されない側か。賢さを誇る側か、優しさに救われる側か。あるいは、その両方を無自覚に行き来してきた存在なのか。
『アルジャーノンに花束を』は、泣くための本ではない。感動するための物語でもない。自分がどんな眼差しで他人を見てきたのか、どんな言葉で世界を切り分けてきたのかを、あとから静かに問い返してくる本だ。
読み終えたあと、以前と同じように人を笑えなくなる。以前と同じように「賢さ」を手放しで称賛できなくなる。その不自由さこそが、この本が残す最大の痕跡だと思う。
これは、一度読めば終わる本ではない。時間が経つほど、年齢を重ねるほど、立場が変わるほど、読み返すたびに違う痛みを連れてくる。そしてそのたびに、人としてどう生きるかを、否応なく考えさせられる。
静かで、残酷で、そして限りなく人間的な一冊。忘れたい本ではない。忘れられなくなる本だ。
#2026年7冊目 -
Posted by ブクログ
全く別の人格が、都合の良い場面で登場するというのは、実は理にかなっているのではないかと穿ってしまう。
主人公は本来引っ込み思案でオドオドした性格。別人格では、明るくて陽気な人格や、冷静で知的で芸術家肌の人格など、私もほしいと思うような羨ましいものもある。凶暴な人格もあるが、戦わなければならない場面も生活には存在する。
もちろん、それらの人格がきちんと意識下にあり、コントロールできれば、という条件がつくだろうが。
不思議なことだが、本人が見たら全く理解できない書籍を別人格が読破していたり、難解な数式をいとも簡単に解いてしまうというのは、多重人格者には本当にあり得るのだろうか?24人のビリーミリガンでは、別の言語を話す人格もいたようだったが。
下巻では人格の統合がテーマになると思われる。どのように統合し、治癒されていくのか興味深い。 -
Posted by ブクログ
以前「24人のビリー・ミリガン」が家にあったので読んだことがある。これはその続編にあたるらしい。
というか、ビリー・ミリガン自体が実在の人物だからこれは彼のその後だけれど。
前回の「24人のビリー・ミリガン」では最後に比較的環境のいい精神病院に入院して話が終わっていた(と思う)。ビリーはその後、ライマという評判の悪い精神病院に移送させられた…というところから話が始まる。
ビリー・ミリガンという人は色んな番組でドキュメンタリーが流されたりしたので、知っている人も多いかもしれない。彼は本当にタイトル通りに、心の中に24人の人格がいる。彼本人も合わせたら25人だけど、彼は自殺する可能性があるとして大概他の人格に眠らされている。
ライマでの生活は本当に屈辱的かつ暴力的で、介護人は好き勝手に暴力をふるい、強制的に精神薬を飲ませてくる。
おかげでせっかく統合に向かっていたビリーの人格は再び混乱し、それぞれが好き勝手し始め…
私はてっきり前作で終わりだと思っていたので、続きがあるのに驚き。
これが過去の物語ってことは、彼は今どうしてるんだろう…とりあえず下巻を読み終わるまでは調べないでおこうっと。
個人的には「アレン」と「トミー」の人格がすごく身近に感じます。
というか、「人格」だけどちゃんと髪の毛の色や目の色、年齢や癖まで決まってるんだなあ…今更だけど、心というものの複雑さに驚きです。