ダニエル・キイスのレビュー一覧
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ネタバレ15年前くらいにドラマで見たのを覚えていたので、書籍でも読みたいと思ったのがきっかけ
最後の1ページで泣けた
賢くなったチャーリーがかなり利己的、衝動的で幼い印象だった。元の人に好かれたいという素直な性格や”友達”がいるチャーリーから、猜疑心が強くなり孤独、周りとの衝突が増えるなど対比が切ない。このままIQが元のように下がり、養護学校に入ってチャーリーが過去の自分とのギャップに苦しんだり知識を忘れていく姿を想像してさらに泣ける。
与えられた中でベストなパフォーマンスをすることが運命なのかも、今回は知能と心がメインでフォーカスされていたけど、持ちうる能力才能外見…すべて、どれか一つを無理に突飛させてもそれは自分ではないかもしれない -
Posted by ブクログ
アルジャーノンに花束をを読み終えて、強く残ったのは、これは知能の上昇や下降を描いた物語ではなく、人が世界とどう関係を結び、どう壊していくかを描いた物語だという感覚だった。賢くなることも、賢さを失うことも、主題ではない。変わっていくのは、世界の輪郭と、人との距離だ。その変化が、逃げ場のない形で積み重ねられていく。
物語の前半、チャーリーの言葉は拙く、文も不安定だ。けれど、そこには疑いのない視線がある。人を信じ、言葉を信じ、世界をそのまま受け取っている目線だ。胸が苦しくなるのは、彼が「足りない」からではない。むしろ、信じすぎているからだ。傷つけられていることにさえ気づかないほど、世界を善意で見ている。
やがて手術によって知能が上がり、文章は洗練され、思考は鋭くなる。その瞬間から、物語の温度は確実に変わる。理解できることが増えるほど、理解できなかった過去が浮かび上がる。親切だと思っていた言葉が嘲笑だったと知る瞬間。仲間だと信じていた関係が、利用だったと気づく瞬間。
知能の上昇は祝福ではない。それは、世界の残酷さを正確に読み取れるようになることに過ぎない。
ここで突きつけられるのは、賢さが人を幸せにするわけではない、という事実だ。むしろ賢くなるほど、人は孤独になる。相手の感情を読みすぎ、言葉の裏を疑い、自分の立ち位置を過剰に意識する。かつて無意識に成立していた関係は、分析の対象になった瞬間から壊れ始める。
後半、チャーリーが辿る道は容赦がない。失われていく知能、崩れていく論理、戻らない時間。だがこの物語は、単なる悲劇では終わらない。ここで浮かび上がるのは、「人の価値はどこにあるのか」という、極めて根源的な問いだ。
賢さとは何か。理解されるとはどういうことか。人として尊重されるとは、何によって決まるのか。
知能が高いときのチャーリーは、確かに優秀だ。だが、必ずしも幸せではない。知能を失ったあとのチャーリーは、確かに不完全だ。だが、そこには確かな人間性が残っている。この対比は、読む側の価値観を静かに、しかし確実に揺さぶる。
そして最後に残るのは、説明でも救済でもない。ただ、祈りに近い感情だけが残る。忘れないでほしい、覚えていてほしいという願い。それは知能とも能力とも関係のない、きわめて人間的な欲求だ。
この作品が忘れがたいのは、読み終えたあとに「自分はどちらの側に立ってきたのか」を考えさせられるからだ。理解する側か、理解されない側か。賢さを誇る側か、優しさに救われる側か。あるいは、その両方を無自覚に行き来してきた存在なのか。
『アルジャーノンに花束を』は、泣くための本ではない。感動するための物語でもない。自分がどんな眼差しで他人を見てきたのか、どんな言葉で世界を切り分けてきたのかを、あとから静かに問い返してくる本だ。
読み終えたあと、以前と同じように人を笑えなくなる。以前と同じように「賢さ」を手放しで称賛できなくなる。その不自由さこそが、この本が残す最大の痕跡だと思う。
これは、一度読めば終わる本ではない。時間が経つほど、年齢を重ねるほど、立場が変わるほど、読み返すたびに違う痛みを連れてくる。そしてそのたびに、人としてどう生きるかを、否応なく考えさせられる。
静かで、残酷で、そして限りなく人間的な一冊。忘れたい本ではない。忘れられなくなる本だ。
#2026年7冊目 -
Posted by ブクログ
『アルジャーノンに花束を』が良かったので。
私のビリー・ミリガンに関する知識は、多重人格の犯罪者、といったものだった。実際読むまではその”犯罪”は殺人だと思っていた(なぜだ)。
多重人格という題材はある意味アイキャッチーで、興味本位で書かれたものには食指が働かず、よって本書にも手が伸びなかった。
ノンフィクションというのもためらった理由の一つだったのだが(現実は救いがないからだ)、本書はまるで小説のようだった。
一気に読んだ。
まずはダニエル・キイスは誠実に描こうとしており、私の勝手な先入観とは全く異なり、決して興味本位の本ではなかった。
執筆のきっかけはビリー本人によるものであり、ビリーが純粋に虐待や多重人格について世間に知らせたいと願ったからであった。担当医からの紹介の通り、キイスはその期待を全うしたと感じる。
先に”小説のようだ”と書いたが、これはキイスの読みやすさを意図しての手法か、あるいは作家故にこのような表現になったのだろうか。いずれにせよ私にとっては読みやすさの助けになり、良い効果が得られた。
構成も(あくまで上巻読後時点)、まずは注目の発端となった事件から始まり、理解が進み、クライマックスのような”教師”の登場、そして過去を語る、という、読者を飽きさせないものとなっている。
ノンフィクションだからと言って事実を淡々と描かなければということはなく、周知を目的としているのならば、読者を飽きさせない方法を取ることは賢明である。そういう意味でもうまく書かれているなあ、という感想。
表現としては”時間を奪う”がいい。
比喩ではなく、本人の実際の感覚なのだとは思うけれど。
ここからは作品自体からは離れてしまうが、多重人格について、個人的な考察。
統合されると能力が均されるというのが興味深い。人というものは、やはり伸ばそうとすると、様々な能力をある程度かなり高いレベルにまで発達させることができるのかもしれない。ただ機会や興味がないだけで。もちろんビリーが元々様々な能力の素質があるのかもしれないけれど。
また別人格は自分を守るために出てくるのだと思うが、根底にあるものは自分なのだろうか。
興味本位な本は食指が、とは書いたが、やはり興味深い症例であることは否めない。
下巻に期待。 -
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ネタバレ辛い現実を前に、人格を分散させることによって心を保ち、命を守る。そんなこともある人間の精神や脳の不思議。一人ひとりの人格はビリーが生み出したもののはずなのに、統合されていくと一部の人格だけしか表れなかったりする。
じゃあ、本当のビリーって??
そんな問いは、場面によって顔を使い分けることにも重なるようで。友人と過ごす自分、家族と過ごす自分、恋人と過ごす自分、一人で過ごす自分。どれも現実で本物なのに、本当の自分に悩んだりする。もしも、これらが統合されて一つの顔しか持てないのなら、どの自分が残るんだろうか、なんて。
ー現実の世界を閉めだすことによって、ぼくたちは自分たちの世界で平和に暮らせます。
ぼくたちは、苦痛のない世界は感情のない世界だと知っています……でも、感情のない世界は、苦痛のない世界なんです。
ビリーの中の子どもの人格を見るたびに切なくなる。犯罪者の人権問題も考える。 -
Posted by ブクログ
全く別の人格が、都合の良い場面で登場するというのは、実は理にかなっているのではないかと穿ってしまう。
主人公は本来引っ込み思案でオドオドした性格。別人格では、明るくて陽気な人格や、冷静で知的で芸術家肌の人格など、私もほしいと思うような羨ましいものもある。凶暴な人格もあるが、戦わなければならない場面も生活には存在する。
もちろん、それらの人格がきちんと意識下にあり、コントロールできれば、という条件がつくだろうが。
不思議なことだが、本人が見たら全く理解できない書籍を別人格が読破していたり、難解な数式をいとも簡単に解いてしまうというのは、多重人格者には本当にあり得るのだろうか?24人のビリーミリガンでは、別の言語を話す人格もいたようだったが。
下巻では人格の統合がテーマになると思われる。どのように統合し、治癒されていくのか興味深い。 -
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ネタバレ新品で上下巻揃えて買っていたのに途中まで読んで積読していた本作。久しぶりにISOLAを読んだのをきっかけに、数年の時を経てまた読み始めた。
感想は下巻の方にまとめるとして、
とりあえず、翻訳された本にしては格段に読みやすかった!
きっとダニエル・キイスの文章も読みやすいものなんだろうし、翻訳者の方も優秀なんだろうなぁ。
時間を奪われている、気づくと違う場所にいる、という表現でファイトクラブを思い出した。
多くの作品に影響を及ぼしているはずなので、これはしっかり読まなくては…。
それにしても映画はいつやるんだろうな〜。スプリットのマカヴォイの演技がすごかったのでレオ様にも期待しちゃいます。
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Posted by ブクログ
ネタバレアルジャーノンに花束をの作者ダニエル•キースによる実際に存在したビリー•ミリガン氏について書かれたドキュメンタリー小説。
この小説は上・下の2巻構成であり、上巻は主にミリガンにいる人格の解明と人格が分裂するに至った経緯が書かれている。下巻は前半に事件が起きるまでのミリガンの半生、後半にミリガンを刑務所に入れないようにするために世間のバッシングと戦ったミリガンと医者たちの奮闘が書かれている。
この物語はアメリカで起きた3件の婦女暴行事件の犯人であるビリー•ミリガンが捕まったところから始まる。
逮捕され勾留されたミリガンは様子がおかしかった。子供のように怯えていたかと思えば、あるときは知的なイギリス訛りで話し、またあるときは荒々しいスラヴ訛りで話したり、拘束衣から簡単に抜け出したりと。
ミリガンの公選弁護人や心理学者が彼を調べると多重人格であり人格それぞれが技能を身に付けていたことが分かった。
例えば、リーダー的人格のアーサーはIQが高く医学に詳しい。危険な場所での支配権を持つレイゲンはアドレナリンをコントロールし力を最大限に出すことが出来、アレンは口が達者など。
一見、とても便利なフィクションの世界の話のように思えるが、この話は現実でミリガンにとっては幼少期に義父から受けた性的虐待によって自我が保てなくなり分裂したという悲惨な過去から多重人格に苦しめられる人生が始まり、決して羨む特殊能力などではない。
また、この小説は世の中に多重人格という症状を広め、児童虐待の危険性を世に訴えたもので、少しでも精神や多重人格に興味のある方には是非おすすめしたい。
個人的にも多重人格という特殊な病気の方の苦悩を知ることができてとても興味深かった。
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Posted by ブクログ
これが実話であり、他にも精神分裂病苦しんている人々がいることは真実であると考える他ない。
幼少の頃の虐待によることが要因であるならばこのような事象を広く世間に認知され、虐待のない世の中になることを願う。虐待する側も病んでいるのだろうし、病が伝染すると考えさせられる。
ビリーの場合、主人格を乗っ取る交代人格による性犯罪で窮地に陥るが、その犯罪履歴を持つものが身近にいるのは確かに恐ろしいし、隔離しておくべきとの主張もよくわかるので難しい問題である。
その犯罪、フィリップが主犯であろうが、レイゲンの暴走による所が大きいと感じた。
多国語を読み書きできる人格がいるのも驚き。自分の脳にも強いきっかけがほしいものである。
上巻では多重人格というものに憧れすら覚えたが、下巻の悲惨な状況に閉口。多重人格という病気が正しく認知され、治療法が確立されることを願う。 -
Posted by ブクログ
多重人格は言葉では知りながらもここまで明確に1つの肉体に共存出来るとは知らず、これがノンフィクションである事に驚く。人格同士は話し合い、スポットとして表の世界に立つ人格と、待機する人格。お互いに存在を認識しなければ確かに生活に支障があるが、ある意味便利な1面を持つ状況、これは娯楽読み物としてと秀逸な設定と感じる。
子どもの頃の悲惨な体験がその人格を形成したのは明確だが、誰もが多少なりともあり得ることで、一般的にも多重人格者が多く存在しているのでは、と考えさせられる。
レイゲンが他に共存する子どもの人格者を守るとか、いかしてる。人格によっては色弱だったり利き手が違ったりなのが不思議で、脳が担う身体の特徴が思いもよらず広いことを思う。
以前読んだ百田尚樹の小説が本作の引用だと今更ながら気がつく。