※※※ラストまで完全ネタバレしていますのでご了承ください※※※
「ゲド戦記」シリーズ2冊目。
ゲドシリーズとは言っても、ゲドががっつり主人公なのは1冊目だけで、他の本はそれぞれ主人公が別になる。
こちらの「こわれた腕輪」は、「影との戦い」から30年後くらい。
舞台も、海に浮かぶ島々と魔法が日常の「
...続きを読む影との戦い」とは違い、古代の神「名もなき者」たちを祀る神殿のあるアチュアンの墓所。
近隣の村から集められた巫女と、国を治める大王の巫女と、そして何千年もの間古い体から新しい体へと魂を移す大巫女とがいる。
「こわれた腕輪」の主人公は、大巫女に選ばれた少女で、彼女は最初はテナーという名前があったが、大巫女になり「喰らわれし者」という意味のアルハと呼ばれるようになった。
アルハはまさにその中身を喰われた存在だった。彼女の世界といえば神殿と、墓所と、その墓所の地下に広がる広大な迷宮だけ。近くの村も他の人々の存在も海も山も知らない。
そしてやることといえば農業や織物といった仕事、宗教儀式、地下迷宮を覚えてそこの宝を守ること、ヤギや大王が送ってくる囚人を生贄として殺して血を備えること。
神の大巫女であるアルハはその狭い世界、死んだ世界で大切に、そのため傲慢で尊大に暮らしていた。
だが彼女は喰われて空虚だった。
そんなアルハはある時地下迷宮に忍び込み、伝説の二つに割れて奪われた「エレス・アクベの腕輪」を取り戻そうとする大魔法使いのゲドの存在を感じる。
アルハの世界では魔法使いなどただの詐欺師だった。自分たちは魂を持ち生まれ変わるが、魔法使いは魂を持たずに死んだら朽ちるという。偉大な名も無き者の前では小さな存在だ。
しかし外から来てハイタカの通り名を持つ魔法使いという存在がアルハを揺さぶる。
アルハは魔法使いハイタカを地下に閉じ込めて、話を聞きに通っていった。
他の世界がある。自分が全てと思っていた闇と迷宮だけではなく。
アルハは世界の話を聞くが、自分が動けないことの葛藤、信仰の揺らぎを隠すように魔法使いに言う。「たしかにお前は世界を旅して竜と戦った。ここには闇と迷宮しかない。だが結局人間にあるのは闇と迷宮だけだ」
そんな彼女に向かって魔法使いは一緒にここを出ようと言う。
そして彼女の本当の名前を言った。
「テナー」
名前を取り戻した。
彼女に芽生えた自我により、彼女が大巫女アルハとしてアチュアンの墓所にとどまるか、普通の少女テナーとして世界にゆくかの選択を迫られることになる…。
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海に浮かぶ多くの島々で、竜や魔法使いが存在し、嵐の海を渡った第1巻とは全く違った宗教、人々の暮らし、歴史の国の話で、作者の語るこの世界はいったい幾重になっているのだろうか。
転生を繰り返す者というのは、チベットで転生ダライ・ラマとかで聞くのだが、そのためか本書全体的に東洋哲学や宗教観を感じる。
今回の話では空虚なものに君臨する少女が自由に向かって旅立つ姿が書かれるのだが、自由の重みへの葛藤や、今までしてきたことの後悔に苛まえる姿、そして言葉もわからず何も役に立つことを知らない自分が世界へ放り出されることへの不安などが実によく出ている。
そんなアルハ/テナーに対し、魔法使い/ハイタカ/ゲドはいろいろな方向から話して聞かせる。
あんたはその器に悪いものを入れられたが、その器を自分で開けたんだ。あんたはけっして邪なものや闇に遣えるために生まれてきたんじゃない。灯りをその身に抱くために生まれてきたんだ。
ゲド自身も1巻で闇に向き合ったので、闇がなんであり、どのように迫ってきて、そしてどのように戦うのかがわかっているのだ。
物語はゲドとテナーがハブナーの都に入るところで終わる。ゲドが奪いに来て、アルハ/テナーが持ち出した輪の半分により、国には平穏が戻ると示唆される。そしてテナーは、輪を収めたらゲドの恩師の魔法使いオジオンのところで、この広い世界に出てゆくための力を付けることになる。
彼女がどのような人生を歩むかは読者の想像次第となっている。しかし最後の眼差しは、彼女が静かにしかし強く歩んでゆく姿を想像できる。
…↑と思ったら、この先の話で25年後のテナー(40歳!)が書かれているようだ。