ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
故郷の島ゴントで、妻テナー、顔に大やけどを負った養女テハヌーと、静かに余生を送るゲド。そこへハンノキというまじない師が訪れ、物語は再開する。ふたたび竜が暴れ出し、緊張が高まる。テハヌーは、レバンネン王に王宮へ呼び出され、重要な使命を与えられるが……。アースシー世界を救うのは、いったい誰か。
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
試し読み
1~7件目 / 7件
※期間限定無料版、予約作品はカートに入りません
Posted by ブクログ
“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。” 清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。 しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年経って著された「ドラ...続きを読むゴンフライ」と「アースシーの風」では、これまでの正義や秩序、そして世界のありように疑念の目が向けられていく。 真の魔法使いは世俗を断って学問を修め、世界の均衡を壊さないように必要なときにだけ魔法の力を用いる。では“魔法の力”とはなんなのか? 人は死ぬと黄泉の国に赴くのに、何故、鳥は山羊はそこにはいないのか? この問いを巡る思考がスリリングだ。 “死んだのに、あのヤギは向こうにいない。あれはあれのいるべきところに、土の中にいるのだ。土の中に。光の中に。風の中に。岩をかけくだる滝水の中に。太陽のオレンジ色の目の中に。ならば、なぜ?ならば、なぜ?” そして死生観についてと共に、自由と善悪の意味も問い直される。 “動物は善もなさなければ悪もなさない。なさなければならないようになす。それだけのこと。私たちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。” “動物たちには命こそ見えていても死は見えていないのだから” ル=グウィンの思考は、自然や自由を礼賛して、欲に縛られて自由に生きれない人間を断罪したりするのではなく、その先へと向かう。 “竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく、それしかないのではないでしょうか。” 「ものをつくり形にしていく喜びも、所有していく欲の深さも」抱えて人は生きていく。自由に憧れながらも「善と悪に線を引くことを選び」自らをくびきにつなぐ決意も秘めて生きていく。 そして「死んだら、生かしてきてくれたすべてを、したかったのにしなかったこと、なりえたかもしれないのに実際にはなれなかったもの、選べるのに選ばなかったもの、なくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものを、まだ生きている途中の生命にお返しする。それが、せめてものこの世界へのお礼なのではないか」と、まだ年端もいかない少女に語らせる。 生と死を分つ扉を閉めることで世界の均衡を守ったゲドをして、“わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ”と言わしめる作者の覚悟と至った境地には感嘆しかない。 ゲド戦記(原題: Earthsea Cycle)は本巻で終わりではなく、未邦訳の“Firelight”がある。いつの日か訳されるのだろうか。読みたいなぁ。
子どもの頃から読み続けて 遂に大団円。感慨深い。 読む度に発見があり、 最終感はローク的な価値観も相対化されている。 著者が常に現代を意識しながら 書き続けてきたからか? 著者も、鬼籍に入り もう本当に続きが書かれないのが残念
玉石垣で有名な八丈島で、石垣の上に腰掛けて読みました。 生死の国を分ける石垣。 アースシーとは違う風にのって西へ行くとたどり着く死者の国。 東の、最新技術の魔法は遅れてるけれど太古の力の残る国から渡ってくる輪廻思想。 3巻目から登場するレバンネンの葛藤がいいです。 王子と慕われ、優れた王として治...続きを読む世をおこなってますが、表面を取り繕いつつ内面は些細なことを他人のせいにしていらっとしてる。 皇女に対する蔑みと恋心を混乱させてる風情。 抽象的な描写の大円団だけど、落ち着く場所に落ち着いてるし、これで本当に最終巻だなって思います。
こっちでもドラゴンフライになってるんですねぇ。 この、”物語が終わった”巻がものすごいです、ホントに…!
ゲド戦記は他のファンタジーとは違い、テンポが軽くなく読むのは少し大変だが、その分「性別」や「正義」、「生と死」という深く、実際の生活や社会の通じる内容もありとても面白かった。 最終的に全員がいい形で終わったことによんでいる自分まで満足したような気持ちになった。
大円団! テハヌーとの別れはうるっときた。 テナーが愛おしすぎて、、。 ゲドは山で待っている。 テナーはテハヌーのためにロークへむかう。 テハヌーは自分自身のために。 王は国のために。 ハンノキは愛する人のために。 世界の中心はロークの山だった。 壊していたのは誰か。 壊されたものをなおすのは誰...続きを読むか。 竜がかっこよかったなあ、最後まで。 最後まで通してよんだけど やっぱり小学生にはすすめにくい話だよなあ、 これは児童書じゃないよなあ、とおもいます。
テハヌーの独り立ち。 いつもテナーの陰に隠れていたテハヌーが、王やロークの魔法使い、カルカドの王女と関わりを持っていく。彼女の生い立ちを思うと、彼女を育てたのが、二人の子供を育て終わった熟練のテナーとゲドで良かったと思う。また彼女自身も彼らを父母と認められて良かった。 レバンネンは恐らく30歳前後に...続きを読むなるのに、まだ結婚していないのには驚いた。
ゲド戦記シリーズの最終巻。 第一巻が30年以上前に書かれたもののに対し、本作は原作が書かれてから10年程度しか経過していないため、随分と読みやすい。 これまで、作者が無意識にはっていた伏線のいくつかが、一本になり、気持ちよい形で終わる。世を反映してだろうか、自分の生き方や心の琴線に触れるフレーズ...続きを読むがいくつか見られた。 レビューでは、ゲド戦記とハリーポッターシリーズを比較して書くことが多かったが、全館を読み終えたいま、訳者によるあとがきもヒントにして両者の作品の最大の違いにやっと気がついた。 ハリーポッターシリーズのJ.K.ローリングが、第一巻から意図的に多数の伏線を用意して最終巻まで物語を綴っているのに対して、アシュラ・K.ル=グウィンは、本能の赴くままに物語を綴り、その物語をたどっていくうちにまた新たな物語と自身が出会い、執筆していくスタンスである、ということだ。 もちろん、二人は世代も、作家がすべて同じスタイルで執筆するとも限らない。国民性が違えば、たとえ同じ言語を操る人間でも考え方も異なってくるだろう。 この2ヶ月間、私は全く間違った方法でゲド戦記をとらえようとしていたようだ。 世の中にはまだまだ、たくさんの良書と呼ばれる児童書が存在する。今後様々な作品に触れる際、今回の反省が生かされるとよい。
読む力が落ちてきていて、物語の情景をありありと描けなくなっているのを感じる。 ちょっと無理をしながら、時にこの人誰だっけと諦めながら読み進めた。 失うことは得ること。 裏と表の存在。世界は均衡。 愛おしい日常。そばにいる大切な人。 そんなメッセージを受け取った。読めてよかった。
第5巻の『外伝』を除いて、これが最終巻とのことだが、やはり蛇足のような印象は否めない。第3巻までで物語を閉じたほうが自然であったろう。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
ゲド戦記
新刊情報をお知らせします。
アーシュラ・K.ル=グウィン
清水真砂子
フォロー機能について
「岩波少年文庫」の最新刊一覧へ
「児童書」無料一覧へ
「児童書」ランキングの一覧へ
大人になるっておもしろい?
子どもの本のもつ力 世界と出会える60冊
作者のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲アースシーの風 ゲド戦記6 ページトップヘ