清水真砂子の作品一覧
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ユーザーレビュー
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墓所の大巫女アルハが、ゲドをきっかけにテナーとしての人生を取り戻す物語。闇の中で安逸に暮らす事よりも、未知である外の世界で生きることを選んだ。
ファンタジー世界の物語なんだけれど、闇からの心の解放など、現実の世界にも通じることがテーマになっていて、奪われた時間を思って泣くテナーのシーンでは、私も足を
...続きを読む踏み出すことをおそれて、無駄な時間を過ごしていないだろうか、いつかこんな風に泣く日が来るのではないか・・と思えて、人生をの一歩を踏み出す勇気をもらえた気がする。
そして一作目と比べて、立派な魔法使いとして心の落ち着いたゲドを見れるのもうれしい。
Posted by ブクログ
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清水真砂子
1941年、朝鮮半島に生まれる。児童文学者・翻訳家。青山学院女子短期大学名誉教授。主な著作に、『子どもの本のまなざし』(日本児童文学者協会賞受賞)、訳書にU・K・ル=グウィン『ゲド戦記』全6巻
ただ、私が気がかりなのは、黙っていたいのに、無理をしてでも、しゃべらなくてはいけな
...続きを読むいと考える人が一〇代の人々の中にますます増えているように見えること、 内容はどうであれ、しゃべるという行為そのものを価値と考える人々が多くなっているように思われることで、こういう状況のもとでは他者の声に耳を傾けたり(小さな声はなおさら)、自分自身の内なる声に耳を澄ますことはむつかしくなってきているのではないかということです。
そうです。生きてごらん、と言ってくれているのです。宇宙は、世界は。人々が遠い昔から生み出してきたたくさんの絵も、音楽も、物語も。そこに自信なんていりません。そんなのは、あったって吹けば飛ぶようなものです。世界を信頼して自らをゆだねればいい。自分で自分を評価する必要もないし、外からの評価に一喜一憂する必要もない。繰り返しになりますが、自分をまるごと受け容れ、丁寧に、省エネしない で、つまりは手を抜かずに、生きてやる、それしかないように思います。そのとき 「自信」は何の意味もなくなるに違いありません。
子どもの育ちのこと、さらには人間の「能力」について、岡本夏木氏が語っていたことばを思い出したのです。岡本氏は『幼児期』(岩波新書)という本の中で「能力主義」にふれ、「ヒトリデデキル」こと、さらには「ヒトリデハヤクデキルコト」という能力主義の一大スロー ガンが持つ危険を指摘し、「「できないこと」こそが人間を結びつける原動力」なのに、と言っているのです。その「原動力」の一角に、質問するということは、もしかすると、位置づけられるかもしれません。 全くのところ、道を尋ねることから始まって、私は質問することで、これまでどれ だけ他人とつながり、新しい世界への扉を開けてもらったか、しれません。中学・ 高校・大学時代、私は超がつくほど無口でしたが、授業のときは質問しました。NHKの朝ドラ「花子とアン」(二〇一四年四月〜九月放映)の中で生徒だった村岡花子が先生に質問するのを見ていて、ああ、私もこうだった、とよく思いました。四〇年ほど前の小さな出来事も、どうしてか、繰り返し思い出します。
私の友人に、いたるところですばらしい人間の物語を聞き取る人がいます。彼は自分分からしゃべる人ではなく、どちらかというと静かな人ですが、他人の話を聴く耳を 持っている。その聴く耳が、質問しなくても相手の話をうながしているように思われ ます。そうです。あのシンガーの『お話を運んだ馬』(マーゴット・ツェマック絵/ 工藤幸雄訳/岩波少年文庫)に登場するレブ・ツェブルンのように。では、その聴く耳はどうしたら持てるのか。一言でいえば、他者への愛と尊敬かなと思います。相手を大切に思い、こちらには踏み込めない厖大な世界があると知ること。そのとき始めて私たちはそっとその人のドアをたたき、かすかな音にも必死に耳を傾けるのではないでしょうか。
今日はこの手紙を結ぶにあたって、関連してもう一つ言っておきたいことがあります。それは、あえて「こわい」人に会いにいってほしいとい うことです。あなたに畏怖を抱かせる人と会う機会を可能なかぎり持つように努めてほしいということです。社会的地位は関係ありません。金持ちか否か、有名か無名かも関係ありません。親切な人、優しい人に私たちは容易になびくものですが、そこで足を止めたきりにしないで、こわい人、きびしい人、とっつきにくい人、わかりにくい人に思い切って近付いていってごらんなさい。これがあなたに言っておきたいことです。身の丈にあったものにばかり安住しないで、たとえ不安でも、どうしても惹かれるならば、あるいは惹かれなくても必要とあらば、飛び込んでいってほしい。だっ て、これも憶えているでしょう? そうあなたには――そして誰にもー傷つく権利 があるのですもの。大丈夫です。 居心地のいいところにだけ身をおくのは、およしなさいって言いたいのです。固いもの、自分をはね返してくれるごつごつしたものに思い切ってぶつかっていってごらんなさい。あなたをして途方に暮れさせるもの、立ち往生させるものに立ち向かって いってごらんなさい。必要なら日本を飛び出してみるのもいい。でも、国内にいたって、いえ、たとえば中学校の同じクラスの中にだって、そういう人はいてくれるかもしれません。そうなのです。私の夫は中学二年の教室でのある日の出来事を六〇年近 くたった今も、あざやかに思い出すといいます。彼のクラスにはきわめてめずらしい、読み方によっては、からかうのに恰好の苗字の生徒がいて、何かというといわゆる悪ガキから大声ではやしたてられていたといいます。しばらくはその生徒も相手にせず、聞き流していました。けれどついにその日、少年は反撃に出て、言ったそうです。
ごく最近になって、私は精神科医の中井久夫氏が一〇代の人たちに向かって、「一目をおく同級生を宝とせよ」と語りかけていることを知りました。ああ、これは本当だと夫と話しています。
自らの精神の自立なくして、他者と本当の意味でつながることはできないし、他者の内面を侵さずにいることもできないと考えるからです。それにしても今や退屈を埋めるもの、退屈を奪うものは、巷に溢れています。幼い子どもにおもちゃを与えすぎると創造性が育たなくなるとよく言われますが、大人たちもまた次々と生産される"おもちゃ"の洪水の中で、自ら考えることを放棄し始めているようにも見受けられます。
前にもちょっと書きましたが、私たちの多くは小さいときから、一人で何でもできることこそ大事な、疑いようのない価値だという思い込みの中で育ってきました。学校の確たるものさしは、その時代時代の大人たちがつくる社会が要求してくることが、そこにいる子どもにできるか、できないか、でした。できる子はいい子とされ、 できない子はだめな子とされました。それ以外にたくさんのものさしがあるなんて、 子どもの私は知りませんでした。後になって思い返せば、本当はそのときそのときの支配的な価値観からはずれたところをだって子どもはちゃんと生きているし、一〇代のときだって二〇歳を過ぎたって、あたりまえのように、そうした瞬間瞬間を生きてきたのに。ただ、そうはさせまいとする圧力は強く、気が付けば、私たちはいつのまにか、自らその圧力の一部になってしまっていたりするのですね。そして、動かない 人、何かをしない人だけでなく、動こうにも動けない人まで追い詰めてしまってい る。人としてゆたかに賢く生きることのなんとむつかしいことかと思いますが、でも 一方で、よく見れば、人はとうに思いのほかゆたかに賢く生きていることに気付かさ れ、楽しくなってもきます。
では、その大変な子ども時代をどうやって生き延びたのか。先日も近しい友人とそれぞれの子ども時代を語らっていて、ふたりの口から同時に出たのが「本があってくれてよかった」でした。もちろん本のかわりに音楽がくる人もあれば、美術がくる人もあり、昆虫採集がくる人もあれば、何かスポーツがくる人もありましょう。本を読むなどということは、もはやごく少数の人々の行為になっているかもしれません。 今のインターネットの時代に、本などいちいち開かなくても手に入れたい情報はすぐに出てくるというのに。でも、本って情報を得るためだけのもの?本をこう詠った(たぶん)若い娘さんがいます。
Posted by ブクログ
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夏読55冊目。
#ゲド戦記 シリーズ1作目。
15歳の少年ゲドが、ロークの学院で禁じられた魔法を使い、影を呼び出してしまう。
そして影を探す旅に…
まだまだ青臭く、初々しいゲド
Posted by ブクログ
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夏読56冊目。
#ゲド戦記 シリーズ2作目。
アチュアンの大巫女アルハとゲドとの出会い。
迷宮を命懸けで探索するアルハたちには、ワクワクした
Posted by ブクログ
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夏読57冊目。
#ゲド戦記 シリーズ3作目。
この本が、映画の大筋となっている。
アレンは相変わらず不安げだけど、成長が楽しみ
Posted by ブクログ
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