あらすじ
故郷の島ゴントで、妻テナー、顔に大やけどを負った養女テハヌーと、静かに余生を送るゲド。そこへハンノキというまじない師が訪れ、物語は再開する。ふたたび竜が暴れ出し、緊張が高まる。テハヌーは、レバンネン王に王宮へ呼び出され、重要な使命を与えられるが……。アースシー世界を救うのは、いったい誰か。
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Posted by ブクログ
“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。”
清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。
しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年経って著された「ドラゴンフライ」と「アースシーの風」では、これまでの正義や秩序、そして世界のありように疑念の目が向けられていく。
真の魔法使いは世俗を断って学問を修め、世界の均衡を壊さないように必要なときにだけ魔法の力を用いる。では“魔法の力”とはなんなのか?
人は死ぬと黄泉の国に赴くのに、何故、鳥は山羊はそこにはいないのか?
この問いを巡る思考がスリリングだ。
“死んだのに、あのヤギは向こうにいない。あれはあれのいるべきところに、土の中にいるのだ。土の中に。光の中に。風の中に。岩をかけくだる滝水の中に。太陽のオレンジ色の目の中に。ならば、なぜ?ならば、なぜ?”
そして死生観についてと共に、自由と善悪の意味も問い直される。
“動物は善もなさなければ悪もなさない。なさなければならないようになす。それだけのこと。私たちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。”
“動物たちには命こそ見えていても死は見えていないのだから”
ル=グウィンの思考は、自然や自由を礼賛して、欲に縛られて自由に生きれない人間を断罪したりするのではなく、その先へと向かう。
“竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく、それしかないのではないでしょうか。”
「ものをつくり形にしていく喜びも、所有していく欲の深さも」抱えて人は生きていく。自由に憧れながらも「善と悪に線を引くことを選び」自らをくびきにつなぐ決意も秘めて生きていく。
そして「死んだら、生かしてきてくれたすべてを、したかったのにしなかったこと、なりえたかもしれないのに実際にはなれなかったもの、選べるのに選ばなかったもの、なくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものを、まだ生きている途中の生命にお返しする。それが、せめてものこの世界へのお礼なのではないか」と、まだ年端もいかない少女に語らせる。
生と死を分つ扉を閉めることで世界の均衡を守ったゲドをして、“わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ”と言わしめる作者の覚悟と至った境地には感嘆しかない。
ゲド戦記(原題: Earthsea Cycle)は本巻で終わりではなく、未邦訳の“Firelight”がある。いつの日か訳されるのだろうか。読みたいなぁ。
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読み終えて、テナーとゲドがこれから歩いていく森のことを思った。テハヌー、レバンネン、セセラク、アイリアン、ハンノキ、皆のことを思い、ほっと溜め息と涙がこぼれた。『ゲド戦記』この物語には、この世で最悪の悪(レイプなど)との闘い、この世でこの自分で成せる最善を成そうとする人々、強く"fierce" に生きる人々、その交流が描かれる。この6巻の物語に人生で出会えて良かった。生に限りはあれど、物語は逃げていかない。ゆっくり読みたい物語だ。巻末、訳者清水真砂子さんとアーシュラ・ル・グヴィンの交流も、この物語の一部だった。作者と訳者に感謝。
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子どもの頃から読み続けて
遂に大団円。感慨深い。
読む度に発見があり、
最終感はローク的な価値観も相対化されている。
著者が常に現代を意識しながら
書き続けてきたからか?
著者も、鬼籍に入り
もう本当に続きが書かれないのが残念
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玉石垣で有名な八丈島で、石垣の上に腰掛けて読みました。
生死の国を分ける石垣。
アースシーとは違う風にのって西へ行くとたどり着く死者の国。
東の、最新技術の魔法は遅れてるけれど太古の力の残る国から渡ってくる輪廻思想。
3巻目から登場するレバンネンの葛藤がいいです。
王子と慕われ、優れた王として治世をおこなってますが、表面を取り繕いつつ内面は些細なことを他人のせいにしていらっとしてる。
皇女に対する蔑みと恋心を混乱させてる風情。
抽象的な描写の大円団だけど、落ち着く場所に落ち着いてるし、これで本当に最終巻だなって思います。
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ゲド戦記最終作。
アスーシー全体の成り立ちや竜と人間の関係性等
1つ1つの謎が解き明かされていく。
常に物語の中心にあったはずのハード語圏が
そういう場所だったのかと、気づかされた時に
やられたなーと思った。
この話のあと、人は人として生きていくのか
すごく気になるところ。
Posted by ブクログ
ゲド戦記は他のファンタジーとは違い、テンポが軽くなく読むのは少し大変だが、その分「性別」や「正義」、「生と死」という深く、実際の生活や社会の通じる内容もありとても面白かった。
最終的に全員がいい形で終わったことによんでいる自分まで満足したような気持ちになった。
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大円団!
テハヌーとの別れはうるっときた。
テナーが愛おしすぎて、、。
ゲドは山で待っている。
テナーはテハヌーのためにロークへむかう。
テハヌーは自分自身のために。
王は国のために。
ハンノキは愛する人のために。
世界の中心はロークの山だった。
壊していたのは誰か。
壊されたものをなおすのは誰か。
竜がかっこよかったなあ、最後まで。
最後まで通してよんだけど
やっぱり小学生にはすすめにくい話だよなあ、
これは児童書じゃないよなあ、とおもいます。
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テハヌーの独り立ち。
いつもテナーの陰に隠れていたテハヌーが、王やロークの魔法使い、カルカドの王女と関わりを持っていく。彼女の生い立ちを思うと、彼女を育てたのが、二人の子供を育て終わった熟練のテナーとゲドで良かったと思う。また彼女自身も彼らを父母と認められて良かった。
レバンネンは恐らく30歳前後になるのに、まだ結婚していないのには驚いた。
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ゲド戦記シリーズの最終巻。
第一巻が30年以上前に書かれたもののに対し、本作は原作が書かれてから10年程度しか経過していないため、随分と読みやすい。
これまで、作者が無意識にはっていた伏線のいくつかが、一本になり、気持ちよい形で終わる。世を反映してだろうか、自分の生き方や心の琴線に触れるフレーズがいくつか見られた。
レビューでは、ゲド戦記とハリーポッターシリーズを比較して書くことが多かったが、全館を読み終えたいま、訳者によるあとがきもヒントにして両者の作品の最大の違いにやっと気がついた。
ハリーポッターシリーズのJ.K.ローリングが、第一巻から意図的に多数の伏線を用意して最終巻まで物語を綴っているのに対して、アシュラ・K.ル=グウィンは、本能の赴くままに物語を綴り、その物語をたどっていくうちにまた新たな物語と自身が出会い、執筆していくスタンスである、ということだ。
もちろん、二人は世代も、作家がすべて同じスタイルで執筆するとも限らない。国民性が違えば、たとえ同じ言語を操る人間でも考え方も異なってくるだろう。
この2ヶ月間、私は全く間違った方法でゲド戦記をとらえようとしていたようだ。
世の中にはまだまだ、たくさんの良書と呼ばれる児童書が存在する。今後様々な作品に触れる際、今回の反省が生かされるとよい。
Posted by ブクログ
アースシーの物語をぎゅぎゅっと詰め込んだような物語。竜たちの話にガルガド帝国に伝わる話、さらに不死についての話などいろんな物語が詰め込まれていた。
世界観を楽しんでる人にはたまらない物語なのだろうな。
でも私は、前作の『最後の書』もこの『アースシーの風』も『魔法より愛の方が深く様々なことを知っている』みたいなのには吐き気がしてしまうんだよな。どっちもいいところあるよではダメなのか。ここにきていきなり愛を知らないのは、何も知らないことだみたいなのは気持ち悪いんだよな。
『人は義務を負い、結婚し、この世のくびきにつながれるもの』245p
こういうのも正直、吐きそうになる。前作と同じく。いきなり何言ってるんだ?どうしたんだ?と思った。この、『家族っていいよね』の押し付け感が気持ち悪いんだよな。
『技があるということは、たどるべき道がわかっているのと似ている』258p
こういうの『西のはての年代記』もそうだったけど、普通に暮らしている人間の大半は『自分の技』なんて気が付くこともなく『毎日やるべきことだけをやる』ことの続きで生きていくしかないんだよな。そして、今は『やるべきことすらない』状態の貧困層もいる。なんていうか、持たざる者。何もない人間や奪われつくされた人たち……みたいなのは一切出てこないの平和だなと思う。その辺りをスルーして書く物語なら気にしないんだけど、テハヌー(テルー)を出してきてるせいで微妙に引っかかって転びそうになる。
三冊でやめておいた方がよかったのでは?と思うのはだめだろうか。
三冊で終わってたら『そういう物語』だと思えたけど、続きを読むと……違和感が膨らむ。
ごちそうさまでした。
Posted by ブクログ
読む力が落ちてきていて、物語の情景をありありと描けなくなっているのを感じる。
ちょっと無理をしながら、時にこの人誰だっけと諦めながら読み進めた。
失うことは得ること。
裏と表の存在。世界は均衡。
愛おしい日常。そばにいる大切な人。
そんなメッセージを受け取った。読めてよかった。
Posted by ブクログ
面白かった〜!最後にふさわしい感じだった。ゲド戦記シリーズなんだけど、ゲドはもうクモを倒すのに力を使い果たしたからただのおじいさんで、今回こそ本当になんの活躍もないどころかほぼ話にも出てこなくてそれが悲しい。でも良い感じに完結してくれて満足感。テハヌーはようやく竜になり、レバンネンは最高の伴侶を見つけ、アイリアンも出てきたし、割と大集合な感じ。人と竜は昔ひとつであったが、それぞれ求めるものが異なり、やがて分かれていった。魔法使いという人と竜の中間的な力を持つ者が現れ、死から逃れたいと願い、石垣を作ってしまった。そこでは亡くなった人の魂は浄化されず、永遠に感情もなく彷徨い続けてしまう。
石垣は壊され、竜は西へ飛び、人と永遠に決別した。魔法はきっと、まだ生きてるのかな?
やがてまた、邪な考えを持つ人間、魔法使いが現れて繰り返すのでは?と思ったりもするし、次の大賢人は誰がなる?そもそも大賢人やロークの制度は続くのか?など疑問は残るけど、ひとまずゲドの冒険とゲドの周りの人たちのストーリーはめでたく完結、ということですね。
全体を通して、人の欲、男女間の性差やお互いに分かり合えない部分、愛、友情、魂の高潔さ、結構普遍的なテーマを感じられて考えさせられつつ、ストーリーに魅了された。大人向けファンタジーであることは間違いない。
Posted by ブクログ
最後まで読んでようやく面白さがわかったのと、やっと解放される喜びと。
ゲド戦記は、ファンタジーだからといって特別ワクワクするわけでもないし、魔法使いが出てくるからといって勇敢で立派なわけでもない。
でもこれは現実社会にも通ずるところであって、人間は愚かなんだということを痛烈に伝えているように感じた。そしてそれでも生きていくんだということも。
多くの人が哲学書のようだというのも納得です。
最終巻はいままでの登場人物たちがロークへ集結していくまでの過程が面白かったものの、これも毎度のことだが、肝心の盛りあがるべきところでは妙にあっさりした展開に不完全燃焼。
でもいつもこんな感じだったから、きっとこういうものなんだと諦め半分で読み終えました。
時間はかかったけど読んでよかった...たぶん。