あらすじ
平和の訪れたアースシーで、自分の持つ力をつきとめるため、大賢人不在の魔法の学院ロークへやってきた、ある少女の物語「ドラゴンフライ」。アースシー世界を鮮やかに映し出す短篇「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」。さらに作者自身による詳細な解説を収録する。『ゲド戦記外伝』を改題。
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Posted by ブクログ
「私たちは揺るがない確かなもの、遠い昔からある真実、変わることのない単純さを、ファンタジーの領域に求める。ー
するとそこに多額の金が注ぎ込まれる。模倣と矮小化された“商品化されたファンタジー”は、かわいく安全なものとなり、ステレオタイプ化されてガッポガッポと金を儲けていく。ー
私たちは長い間、現実と空想の両方の世界で暮らしてきた。しかし、その暮らし方は、どちらの場合も、私たちの両親やもっと前の先祖たちのそれとはちがう。
人が楽しめるものは年齢とともに、かつまた時代とともに変化していくものなのだ。-
物事は変化する。
作家や魔法使いは必ずしも信用できる人たちではない。
竜がなにものであるかなど、誰にも説明できない。」
再びアースシー世界に足を踏み入れるにあたってアーシュラ・K. ル=グウィンが記した警句である。
それは自らが創りあげた美しい世界に目を凝らし、そこに潜むひび割れを鋭く批判する作業である。
賢人の島ロークの権威が孕む矛盾と欺瞞が語られるとき、ファンタジーの魔法は解けるのか?
いや、『カワウソ』そして『ドラゴンフライ』はアースシーとリアルな世界を共鳴させることで、物語をより重層的にそして切実に感じさせてくれる。ファンタジーのテーマは剣と魔法だけじゃない。
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ゲド戦記、アースシーを舞台にした短編集だが、これは4と6と同時進行で読むか、4、5、6と順番に読むのがいいかもしれない。
作者がどうしてフェミニスト作家と呼ばれるのか、よくわかった。フェミニストといっても、エコロジカルフェミニストという範疇にはいるのではないだろうか。
女をどう描くかというのは常に挑戦のようなものではないかと思う。女の描き方は画一化されていたり、変に理想的だったり、添え物のようだったり、ヒロイン、登場人物として魅力的、オリジナリティがある人物像を描くのは難しいと思う。
しかし、ル・グウィンの描く女たちはどうだ。ファンタジーなのにリアル。等身大なのに奥底に何かとても価値があるものが秘められているような感じがする。どの女もそうだ。
「ドラゴンフライ」のアエリアンもそうだが、女は待ち、受け入れ、導き、そして自分だけで完結することもできれば、仲間とつながることもできる。根のように大地に広がり、揺るがない。支配ではなく連帯、男とでさえもそういうことができる。男は有史以来、女の支配しか頭になかったのに。
そういう不条理とそこからの脱出、解放を書いたのが、女の側から見たゲド戦記かなと思う。ゲドという英雄の物語ではあるものの、その英雄さえ魔法の力を失ってただのおじさんになり、力があると思われていた知の拠り所ローク学院が、実は女によって作られて女によって救われるっていうのが、象徴的である。現実の世界でままならないことをファンタジーの世界でやってのけ、かつそれが実現することを夢として描き出すというのは、まさに文学的だと思った。
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外伝と言いつつ、6冊目「アースシーの風」につながってます。
ひとつひとつの小さな短編にも、著者が全力で立ち向かってるのがよくわかります。これぞファンタジー。
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ゲド戦記、読み終えた。どこかで読んだような。と思ったら、西のはての年代記と似た作り……いや。作者さんが同じだから似てて当たり前なのだけど、ゲド戦記から魔法と竜をぬいたら西のはての年代記になるのねと思った。
本編を終えてから、伝外を読んでよかった。『アースシーの風』を先に読むか、伝外を先なのか……迷った。結果。私は伝外を後にしてよかったと思った。
迷うのはこの伝外に帰還とアースシーの風の間の物語が入ってるから。時系列順に読みたいというこだわりがあるなら、伝外が先の方がいいのかも。……私、時系列よりもメイン重視。脇道の話は後からじっくり読みたい。
物語は5つ。
「カワウソ」
魔法の島、ロークの学院がどうやってできたのかという物語。最初のゲド戦記のようにあちこちに移動するのは楽しかった。そして、最初の成り立ちには女性たちの力が必須だった……というのを読みながら、でも権威が確立したら女たちを追い出してしまうのはえぐいなぁと思う。
「ダークローズとダイヤモンド」
魔法使い見習いと魔女の恋愛の物語。うーん。恋愛? 書かれてない部分が多すぎて、正直いまいちわかりづらい。
「地の骨」
地震を食い止めた魔法使いの物語。
地面の中の骨の描写が好き。この雰囲気すごく好き。魔法は結局よくわからないけど、こういう描写が好きだなぁ。
「湿原で」
最初の「影との戦い」を思い出してしまった。影との戦いは思いあがったゲドが影に追われる物語だったけど、これは思いあがった男がそれに破れ自分の愚かさに気が付く物語。追いかけてくるのがゲドだけど、結局ゲドは一人でロークに戻る。
「トンボ」
帰還とアースシーの風の間のアイリアンの物語。アイリアンがロークの学院に行き、ロークの学院でどのように過ごしていたのかが描かれてる。これはこれで面白いんだろうな。
「アースシー解説」
アースシーの世界の事があれこれ書かれてる。
今までの物語の設定を、アースシーの歴史に沿って説明してあるので、わかりやすかった。
これ、ゲドの物語だと思ってたけど違うのね。『アースシーの物語』だったのね……と思った。『ゲド戦記』というタイトルが紛らわしい。
世界設定が緻密だけど、あちこちの文化を入れてるなぁとわかるのが楽しいな。
ごちそうさまでした。
Posted by ブクログ
スピンオフ作品って感じの。ゲドさんは今、くらいに、ああそういう人もいたわね、って感じに前に出てきた人も出てくるけど、ぶっちゃけあんまり覚えてないよ。名前がね、覚えにくいというか、真の名前がとか言っちゃうからもうね、しょうがない。
でね、もうゲドさんのことは忘れて読むにね、いや悪くないかも。じんわりくる恋愛モノとか、償いの旅に出る年寄りみたいな話とか。最後の話も唐突ではあるけど、それもまたファンタジーやねぇ、ってなって、不思議な読後感。
これが本場のファンタジーってことか。
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当初は「ゲド戦記外伝」という題で出されたもの。アースシーの五つの物語が描かれている。「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「血の骨」「湿原で」「ドラゴンフライ」の五作品。
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ゲド戦記五作目(日本的には?)。
いくつかの短編集で構成されている外伝的作品。
個人的なオススメは地の骨とドラゴンフライ。
オジオンの昔話はぜひ読みたかったから嬉しかった。
そして、彼だけはオジオンの方がしっくりくる。
ドラゴンフライについては、四作目と六作目の繋ぎの
話でもあるから、これだけでも絶対読むべき。
Posted by ブクログ
異世界ファンタジー。魔法使いや竜の存在する、アースシーという架空の世界を舞台に生きた伝説の大賢人・ゲドの生涯を綴った壮大な叙事詩。
第一巻では、飛びぬけた魔法の才をもって生まれたゲドの少年時代、若さゆえに犯した過ちとその償い、自分自身の影との長い戦いについて描かれています。
以後、巻を重ねながら、やがて大賢人となったゲドが人々を襲う竜と戦い、闇の世界に囚われた巫女を外に連れ出して平和の象徴である伝説の腕輪を取り戻し、長らく不在だった王を即位に導き、不死を求めた魔法使いによって崩された世界の均衡を取り戻し……と、さまざまな伝説を残していきます。
第四巻からは、それまでの戦いによって力を失い魔法使いではなくなったゲドの、その後や、竜でもあり人でもある不可思議な宿命を背負った娘たちの話などが綴られていきます。
アニメ映画にもなりましたね、あっちはどうも今ひとつだったけど。(つまらなかったということはないのだけれど、途中から理解を超える超展開だったような……)
「ファンタジー好きなら読まないと嘘だ、映画のことは忘れろ」と人に言われていたので、そのうち読もう読もうとずっと思っていたのだけれど、なんとなく先延ばしになっていました。馬鹿か私は。さっさと読んでおくべきでした。面白かった!
歴史、人々の行動様式や言語、文化、宗教や神話、自然などの背景、魔法等々の設定がとても緻密で、そういうのが好きな人間にはかなりたまりません。
ストーリーはというと、やや好みがわかれるかもです。神話的なものが好きならハマると思います。シリーズの後半になるにつれて、壮大さが増すと同時に抽象性が増してきたような感じがあって、個人的には三巻までのほうが、より好きだったかなあ。でも五・六巻の竜と人間の間のエピソードそのものはすごく好きで、最後まで読んでよかったとも思うのですが。
ともあれ、とても楽しめました。ファンタジー好きな方なら一度は読んでおいて損はないと思います。
Posted by ブクログ
年代順に並ぶ短編集
まえがきにある作者の物語へのスタンスが面白い
アーキペラゴへ行き、収集してきた話を書きつけているという
実際書いている感覚はそんな感じなのかなと想像してみるも、アースシー解説の記述の詳細さにくらくらする
Posted by ブクログ
外伝の位置らしい短編集。
「ドラゴンフライ」はいよいよ最終巻へ、という感じがしてわくわくした。
「湿地で」もとてもよかったな。
大賢人のゲドの話、安心する。
4巻から急に「男と女」の色が濃くなってきて、そこだけは戸惑う。これを児童書の位置にしておくのはきついのでは。