アーシュラ・K.ル=グウィンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1巻でゲド中心の物語を読んでいると、中盤まで「ゲドは?」と思いながら読んでしまう。それはこの本がどういう話なのかを最初に書いていないからこそ起こるのだが、主人公や舞台は毎度変わるのだと思った方がいいのかもしれない。
中盤、ゲドが姿を現れてから物語は一気に加速。1巻で<影>に打ち勝ったゲドが、闇を切り裂く光となって、暗黒の地下迷宮を守る大巫女アルハの奢りと傲慢、そこからくる孤独と不安を打ち払っていく。
それでもいつまでも迷う彼女に読者はやきもきともするが、丁寧に言葉にされているので、自分の身にもあるその<影>にアルハを重ねているだろうという解説にも頷ける。
考えないで奴隷のように暮らすこと、自由を求めて戦うこと、どちらを選ぶか。軽くもなく、重すぎもせず爽やかに描き切るので舌を巻く。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ墓所の大巫女アルハが、ゲドをきっかけにテナーとしての人生を取り戻す物語。闇の中で安逸に暮らす事よりも、未知である外の世界で生きることを選んだ。
ファンタジー世界の物語なんだけれど、闇からの心の解放など、現実の世界にも通じることがテーマになっていて、奪われた時間を思って泣くテナーのシーンでは、私も足を踏み出すことをおそれて、無駄な時間を過ごしていないだろうか、いつかこんな風に泣く日が来るのではないか・・と思えて、人生をの一歩を踏み出す勇気をもらえた気がする。
そして一作目と比べて、立派な魔法使いとして心の落ち着いたゲドを見れるのもうれしい。 -
Posted by ブクログ
“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。”
清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。
しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年経って著された「ドラゴンフライ」と「アースシーの風」では、これまでの正義や秩序、そして世界のありように疑念の目が向けられていく。
真の魔法使いは世俗を断って学問を修め、世界の均衡を壊さないように必要なときにだけ魔法の力を用いる。では“魔法の力”とはなんなのか?
人は死ぬと黄泉の国に赴くのに、何故、鳥は山羊はそこにはいないのか?
この問いを巡る思考がスリリングだ。
“死んだのに、あのヤギは向こうにいない。あれはあれのいるべきところに、土の中にいるのだ。土の中に。光の中に。風の中に。岩をかけくだる滝水の中に。太陽のオレンジ色の目の中に。ならば、なぜ?ならば、なぜ?”
そして死生観についてと共に、自由と善悪の意味も問い直される。
“動物は善もなさなければ悪もなさない。なさなければならないようになす。それだけのこと。私たちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。”
“動物たちには命こそ見えていても死は見えていないのだから”
ル=グウィンの思考は、自然や自由を礼賛して、欲に縛られて自由に生きれない人間を断罪したりするのではなく、その先へと向かう。
“竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく、それしかないのではないでしょうか。”
「ものをつくり形にしていく喜びも、所有していく欲の深さも」抱えて人は生きていく。自由に憧れながらも「善と悪に線を引くことを選び」自らをくびきにつなぐ決意も秘めて生きていく。
そして「死んだら、生かしてきてくれたすべてを、したかったのにしなかったこと、なりえたかもしれないのに実際にはなれなかったもの、選べるのに選ばなかったもの、なくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものを、まだ生きている途中の生命にお返しする。それが、せめてものこの世界へのお礼なのではないか」と、まだ年端もいかない少女に語らせる。
生と死を分つ扉を閉めることで世界の均衡を守ったゲドをして、“わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ”と言わしめる作者の覚悟と至った境地には感嘆しかない。
ゲド戦記(原題: Earthsea Cycle)は本巻で終わりではなく、未邦訳の“Firelight”がある。いつの日か訳されるのだろうか。読みたいなぁ。 -
Posted by ブクログ
「私たちは揺るがない確かなもの、遠い昔からある真実、変わることのない単純さを、ファンタジーの領域に求める。ー
するとそこに多額の金が注ぎ込まれる。模倣と矮小化された“商品化されたファンタジー”は、かわいく安全なものとなり、ステレオタイプ化されてガッポガッポと金を儲けていく。ー
私たちは長い間、現実と空想の両方の世界で暮らしてきた。しかし、その暮らし方は、どちらの場合も、私たちの両親やもっと前の先祖たちのそれとはちがう。
人が楽しめるものは年齢とともに、かつまた時代とともに変化していくものなのだ。-
物事は変化する。
作家や魔法使いは必ずしも信用できる人たちではない。
竜がなにものであるかなど、誰にも説明できない。」
再びアースシー世界に足を踏み入れるにあたってアーシュラ・K. ル=グウィンが記した警句である。
それは自らが創りあげた美しい世界に目を凝らし、そこに潜むひび割れを鋭く批判する作業である。
賢人の島ロークの権威が孕む矛盾と欺瞞が語られるとき、ファンタジーの魔法は解けるのか?
いや、『カワウソ』そして『ドラゴンフライ』はアースシーとリアルな世界を共鳴させることで、物語をより重層的にそして切実に感じさせてくれる。ファンタジーのテーマは剣と魔法だけじゃない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み終えて、テナーとゲドがこれから歩いていく森のことを思った。テハヌー、レバンネン、セセラク、アイリアン、ハンノキ、皆のことを思い、ほっと溜め息と涙がこぼれた。『ゲド戦記』この物語には、この世で最悪の悪(レイプなど)との闘い、この世でこの自分で成せる最善を成そうとする人々、強く"fierce" に生きる人々、その交流が描かれる。この6巻の物語に人生で出会えて良かった。生に限りはあれど、物語は逃げていかない。ゆっくり読みたい物語だ。巻末、訳者清水真砂子さんとアーシュラ・ル・グヴィンの交流も、この物語の一部だった。作者と訳者に感謝。
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Posted by ブクログ
1は自分の内なる影との戦いだったけど、2は影や死の世界と繋がる真っ暗な地下の迷宮で、他者を闇から救う物語。今回の舞台である、名を持たぬ者(?)の墓がとにかく暗い!描写で暗闇がありありと表現されている!恐ろしい姿のモンスターは全く現れないのだけれど、こわい。
人間の慣れとは恐ろしいもので、ひどい環境や扱いを受けていたとしても、それが当たり前になってしまうことがある。気付かなくなってしまうのだ。違和感って実はすごく大事なのかもしれない。主人公の彼女も自分の小さな違和感を見逃さなかった。それが彼女の運命を大きく変えていく。テナー、よかったね。自由は辛く厳しいこともあるけれど、自分で選択する、ということが生きることだと私は思う。アルハのままでは、どうしたって幸せにはなれなかっただろう。しかし、生まれてきてすぐに過酷な運命を背負う、というのは、ひどい話のように思うが、誰も自分の親も国も選べない。容姿も能力も選べない。不平等な世界で、それでも、どう生きるか、の選択ひとつひとつが自分を人生を決めていくんだ。きっと。彼女が墓の番人から解放された夜の星空の輝きに胸を弾ませたその感覚を、ずっと持って生きたいものです。
2021.05.10 -
Posted by ブクログ
第二部 アチュアンの墓所(日本タイトル: こわれた腕輪)での主人公はテナー(アルハ)という少女。
8歳で、アチュアンの墓所に連れてこられてここのの大巫女として、生涯名も無き者の生贄のようにここを守るものになっていた。15歳になるまでの辛く孤独な生活がかさ語られていく。
罪人が送られてくると、残忍な処刑をも行った。話も中盤、アチュアンの墓所に忍び込んだアルハより10歳ほど年上の盗賊が捕らえられた。
迷宮に隠されてあるエクス・アクベの腕輪の欠片を探しに来たのだった。処刑をしなければならない。だが、アルハには、ゲドが気になってしまった。長い日々、二人は忍び逢っていろんな話をし、若い男が魔法使いだと知った。
二人は信頼を共にすることになる。
アルハは大巫女として罪を犯してしまった。
アメリカのテレビドラマ【ゲド 戦いのはじまり】の原作にされて、第一部と第二部がごっちゃにされて放送されている。原作は、第一部から10年の月日が経過しているようだ。
無論、原作の方がドラマより面白い。
暗くじめじめしたアチュアンの墓所での情景はずっと夢見そうだ。
素晴らしい作品である。