舞城王太郎のレビュー一覧
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匿名
購入済みわかる!!
舞城王太郎さん気になっていましたがちゃんと読んだのは初めてでした。
天才とか才能とかに対して、よくわかんないけど感じる心のざわめきが言語化されてこの小説にあるのを感じました。読んでるうちにそうそう!そういうことだよ!わかる!!と思わず言ってしまうような言葉が散りばめられていて、テンポも良くて、とても面白かったです。 -
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疾走感とハチャメチャ感が満載! パンクでキュートな少女の思考を味わえる作品 #阿修羅ガール
またもや変態世界に引き込まれてしまった…
相変わらずのグルーヴ満載の文章で、もはや文字の麻薬。少女のパンクな脳みその中を、山盛りで堪能させていただきました。
本作はなんといっても主人公の少女が最高!
彼女はなにもかも楽しいことが最優先で、自分の気持ちに鬼正直。純粋で幼稚で馬鹿な魅力がたっぷり伝わってきました。しかしこれは真理だと思いますよ。
仕事、政治、人間関係、経済、社会、戦争、宗教などなど、生きていると考えないといけないことがいっぱいあるけれど、楽しんで生きなきゃ自分に嘘をつくことになる。所詮、生命が尽きるまでの暇つぶし。死ぬのも含めて楽しめば最高ですわな。
でも「愛」に関しては、乙女な部分を持ってる。めっちゃキュートで愛くるしいの。完全に爆裂少女に翻弄されまくった作品でした。
例によって完全に人を選ぶ舞上先生の純文学でしたが、私は大好きです。
■推しポイント
我が国 日本には死刑制度というのがあります。
賛否ありますが、現存している以上、現代にも必要なんでしょう。
ただ本書を読むと、主人公の少女から伝わってくる想いがひとつあります。
どんな奴でも良いところがひとつくらいあるでしょ。前向きに楽しく生きようよ。
これが人としての素直な願い、人を思いやる気持ちだと思いますね。
まぁもちろん、悪いことなんてやらないで欲しいけどさ。なかなか難しいですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレテーマは、愛、もしくは人を愛すること。
多分短編集。
大抵、死にゆくパートナーか死んでしまったパートナーと対峙する「僕」の話なので、どれもそれなりに重い。
精神状態が安定してる時に読んだほうがいい(舞城はいつもそうか)。
どの話も特にオチがないというか解決しないというか答えがないというか、舞城作品にはこれまで感じなかった読後感かも。対峙してる「僕」の心情が吐露されることで、当事者の今を描いてる、のかな。
舞城王太郎が大切な人を亡くしたのだろうか、とちょっと思ってしまった。
自分が、大切な人が死にゆく時どんなふうになるか、と考えながら読んだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ凄い!
舞城王太郎さん。
デビュー作の「煙か土か食い物」で度肝を抜かれたが、そのあとは意味がつかめない作品が多くてご無沙汰してましたが、久しぶりに手に取りました。
怖い。というより不気味。
個性的な3人が理不尽に異常な世界に引きずられる物語。
そもそも誰が語っているのか分からない。
二人称かと思ったがそうでもない。守護霊的なもの?
●中島さおり 「私は光の道をあゆまねばならない」18歳の秋に宣言した彼女は友人の危機に……。
●堀江果歩 負けず嫌いで努力家の少女はマンガ家を目指して……。
●中村悟堂 諦めない。呪いだろうが、怪異だろうが、友人を救い、惚れた女を取り戻すまでは! -
Posted by ブクログ
ネタバレツライ。今回は辛さが勝(まさ)ってしまった。
この場合の「ツライ」はしんどいとか悲しいとかの意味です。
しばらく立ち直れないかもしれない。
清涼院流水のJDCシリーズの二次創作なのかと思って読み始める。
九十九十九が主人公で、美しすぎるって設定はそのままで、九十九十九が誕生するシーンから始まるんだけど、美しすぎて生まれた途端周りが失神して、美しすぎるので誘拐されて、美しすぎて顔を傷つけられたり折檻されたりして…って展開に、清涼院流水の世界ではまるっと無視されていた美しすぎることの現実(いやフィクションなんだけど)を突き付けられて、のっけから雲行きの怪しさを感じ取る。
誘拐犯で虐待者である鈴木君の暴力から逃れるため、夫の加藤君が、鈴木君と加藤君のコドモであるツトムとともに九十九十九を連れて実家の福井に帰る(福井かぁ舞城王太郎だなぁ)と、九十九十九は加藤家のコドモであるセシルとセリカにペット扱いされる。
この時点で、これいわゆる二次創作じゃなくね?と気づく(←遅い)。
清涼院流水が自作で繰り広げる言葉遊びを舞城も見せるんだけど、舞城の方が巧みで(あくまで個人の感想です)、清涼院流水の立場無いなぁとか思ってしまう。
でも清涼院流水は先駆者という点において絶対的な存在なのは揺るがない。
で、舞城は流水を凌駕しつつ、流水をすごく良く理解しているとも感じる。「JDCシリーズの本質は執拗なアナグラムと駄洒落にあるからね」なんて台詞は、鋭い指摘だなと思う。
清涼院流水の創作世界は現実とは切り離された「優しい世界」なのに対して、舞城王太郎のそれはとことん現実が介入してくる。しかも楽しくないほうの現実。
私は多少なりとも現実逃避したくてフィクション読んでるところがあるので、全然逃避させてもらえない舞城王太郎の世界はツライ。
第二話で清涼院流水の書いた第一話が届くのは、清涼院流水作品を踏まえてるが、その内容は、第二話の九十九十九が経験したこととそうでないことの両方が取り込まれてて、つまり事実に反している。第一話というフィクションと第二話という現実の二重世界が進行するくだりは、清涼院流水以上に『匣の中の失楽』ぽい。
でも第三話で届く清涼院流水の書いた第二話は(それを読む九十九十九が言うには)やはり事実に反していて、ここでも世界は分岐する。『匣の中の失楽』では奇数章と偶数章のパラレルワールドだったけど、舞城の世界はマトリョーシカを仕舞っていく感じでどんどん外殻が出来る。
そのうち、舞城の過去作品で起こったエピソードが挿入されたり、エキストラが舞城作品のどこかで出てきた人の名前だったりして、自らの作品をも取り込んでゆく。
作品中にはあらゆる見立てが散りばめられている。
でも見立てって見立てられるモノが万人に共有されていることで成立する手法なので、名物編集者やら話題の作家やら、よほどミステリ業界と講談社ノベルス界隈に詳しくないと通じない楽屋落ち的な一面は、ぼんやりとしか分からない(やけに佐藤友哉推しなのが気になる)。
一方、作品の核でもある創世記の見立ては、自分が創世記をちゃんと知らないものだから、こちらもぼんやりとしか分からなくて残念(これは教養の問題なので私の落ち度である)。
でもぼんやりとしか分からなくても、九十九十九の美しさとは何なのかという核心に物語が迫ってくると、ツラサMAXになる。
これ、JDCでも何でもないやん。
奇形児を中心に繰り広げられるネグレクトや虐待と、家族愛という、作品世界の正体は、最高にツライ。
ここに閉じ込もるべきか現実を受け入れるべきか、と当事者が葛藤する。
神(=創造主=作者)の設定は清涼院流水に重なるけど、物語を破壊しようとする行為は、舞城王太郎による「優しい世界」の否定でもあるのかも。(ちょっとこの辺りは確信がない)
虐待と家族愛は舞城王太郎の不変のテーマだけど、今回辛さが勝ってしまったのは、いや舞城は決して虐待を肯定してるんじゃないのは分かってるんだけど、ほんのちょっとそんな兆しをどこかに見てしまったからな気がする。
タイムワープして行ったり戻ったりするあたり、戻って読み直した方がより判るだろうとは思いつつ、舞城王太郎はやっぱり二度は読めないのである。
(追伸:ネット上に落ちている本作品の批評に良質なものがありました) -
Posted by ブクログ
ネタバレ久々の舞城。
エキセントリックでサイコ、それでいて最高な青春小説としての爽やかさを持っているのが舞城作品だと思います!
まー君との奇妙な関係とか、フェラチオのチョコちゃんとか、共感は全然出来ないくせに、なんだか胸が熱くなる。この読み味が堪らない。
相変わらず、句読点ガン無視の文章とか、クスッと笑える語彙やツッコミとか、舞城独自の文体は癖になるなぁ。マックをむしょーに食べたくなる感覚と似てる。読む麻薬。
・不安をすぐに取り去らなければという信念は非常に分かる
・猫のお化けとか、解かせる気のない見立てとか、普通反則なんだけど、舞城なら許せる。てかカモンという感じ
・バット男のNTR要素きつかった。「割りを食いたくない」「犠牲になりたくない」「バット男になりたくない」というのは本当に共感できて、さらにきつかった。軽くトラウマだけど、それだけ力のある作品
・西暁の方言(福井弁?)好き -
Posted by ブクログ
人のままならなさ、自分だけの文脈では世界はわからないということ、そして当たり前だけど他者を操ったり従わせたりは普通はできないよねということが書かれているように思った。
舞城王太郎作品では、そこで暴力が生まれるのかもしれない。人を従わせたいと思って暴力は振るわれるのではなく、なんで従わないんだよと思って振るわれるように思う。
「パッキャラ魔道」で慎吾くんがお父さんに「お前らもう少し人に対して優しくなんなさい」と言われて「そんなのお兄ちゃんに言ってよー」と言い返したらビンタされるのとか最高にリアル。だってお父さんの方が正しいもんね。でも、この時のお父さんの行動は間違いなのだ。
「イキルキス」でも「鼻クソご飯」でも、誰かが「相手がこっちの正論に従わない」と思った時、暴走してる。それが「アンフーアンフー」「無駄口を数える。」では主人公が冷静になれてるから、暴力が発生しないのだろう。