舞城王太郎のレビュー一覧
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舞城王太郎の九十九十九は、やっぱり舞城王太郎の九十九十九でした。
てか、加藤九十九十九って! 名字、別にあるのかよっ、みたいな。
キャラも全然違うしね。
あたしとしては、舞城王太郎の九十九十九の方が好きです。
というのも、清涼院流水の九十九十九は、なんか人間味がない。
で、それゆえにあまり魅力的とは思えないのだけど、舞城王太郎の九十九十九は、それとは違って、全然完璧でなく、悩んだり、迷ったり、困ったり、いろいろ「ふつー」だから。
とはいえ、清涼院流水の九十九十九とは違う意味で、人間を逸脱している感は否めないけど(目玉の取り外しが出来たり…)。
ストーリーの方は、ん〜…ぐちゃぐちゃ?
九十九十九がいっぱい。
舞城王太郎のこういうジャンルの本の書き方は、考える暇を与えないくせによく考えないとわかんない、っていう…。
その複雑ぐあいは、もう、目次構成で一目瞭然です。
1章→2章→3章→5章→4章→7章→6章。
目次で章を入れ替えるって、初めて見た。
びっくりです。
単純に入れ替わってるだけだったら、まだ混乱しないけど、これは…この書き方は…そりゃ、何人もの人が「5章以降わからなかった」って言うわけだ…。
興味がある人は直に読んでみて下さい。
この複雑加減は、読まなきゃわからないのです。
さて、長くなってきたので、最後に、この本の主題とはまったく関係ないところで一番おもしろかったとこ。
それは、清涼院流水のJDCメンバー、それぞれの推理法に対する記述です。
みんなそう思ってて、言わずにいたのに…みたいな。
抜け駆けちっくです。
…でもこれも、あたしがここで引用するより、直接読んだ方がおもしろいと思うので、JDCについて多少知っていて、興味がある方は、書店で流し読みでもしてください。 -
Posted by ブクログ
短編集。
単行本の『みんな元気。』に収録されていた、「スクールアタック・シンドローム」と「我が家のトトロ」の2編に加え、書き下ろし「ソマリア・サッチ・ア・スウィートハート」1編。
3つの中であたしが一番気に入っているのは「スクールアタック・シンドローム」です。
なんか、よくわかんないんだけど、わかる気がする。
ん〜…。
たとえば、帯にも書いてる「暴力は、伝染する」というワード。
基本的には、そんなわけないだろう、と思うのだけど、でも、そういうこともありうるかも、みたいな。
話は少し飛ぶのだけど、江國香織の『すいかの匂い』の解説で、川上弘美(←あたしはこの作家も好きです)が、江國香織の文章を読むと、「今まで一度も思ったことがなくても、いつの間にかそう思っている。大昔から、そう思っていたような気分になっている。」と述べています。
そういう感じ。
舞城王太郎の文章も、江國香織の文章とはスタイルは全く違えども、なんか、そんな感じ。
実際にはありえないような状況でも、あ〜、ありえるかも、みたいな気分になって、そういうことが起きたらあたしもそうしちゃうかも、あたしもそう考えるかも、みたいな。
ペテンちっく。
でも、そういうとこが、すごいなぁと。
で、舞城王太郎の文章が、読んだ人にも登場人物と同じように考えさせ、感じさせる力があるのだとすれば、それはやっぱりスピード感のせいかなぁ、と思ったり。
舞城王太郎の文章は、いきなりすごい話が飛ぶんだけど、その飛び具合、あるいはその飛んだ先での思考の増殖(?)具合が、まさに思考そのもの、って感じ。
意識のオートポイエーシス?
…って、ここまで書いて、てか、これ、舞城王太郎の文章全般についての話であって、「スクールアタック・シンドローム」に限った話じゃないじゃん、と思ったり。
ん〜、そうすると、あたしは「スクールアタック・シンドローム」の何が気に入ってるんだろう?
よくわかんない。
雰囲気?
ま、いっか。 -
Posted by ブクログ
キミトピア、というタイトルはなんかぞくっとくるものがあってどうかと思いますが。7編の中・長編入りの作品集。
初めて舞城王太郎読んだの阿修羅ガールが文庫化した直後で阿修羅ガールで初めて読んだんだけど、舞城王太郎は女の人のような気がする。どうなんでしょ。
舞城作品は比較的メタファーががっつりしているんだけど、結構後半までそれがうまいこと隠されたりしていて、それが解けたときの快感が強い。
主題もはっきりしている。
「やさしナリン」ではかわいそうな人を見るとなんとかしなきゃ!というスイッチが入って冷静なときにはできる判断がどうにもうまくいかずに暴走してしまう兄妹を兄の嫁視点で描いている。
そのかわいそうな人をみたときに出てくるドーパミンみたいのに主人公は「やさしナリン」という名前をつけてわかりやすくする。言葉ってほんとうにすごくて、そうなると読んでる側(私)もやさしナリンに思い当たるフシが続々と湧き出てきたりする。
「やさしナリン」だけじゃないけど、この作品集は言葉の繊細さといものがひとつの大きなテーマだったのかな、とも思う。
「美味しいシャワーヘッド」は、「好き好き~」の柿生がやったことと同じようなことを樽歩がやり、もっと大きな枠で主人公が読者に対してやる。
「あまりぼっち」読んでちょっと働かねばと思った。ヴェイユを読んでても思ったことだけど。 -
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一般論に「世界を変えたければまず自分が変わるべき」というのがありますね
そりゃ、物事の順番として
「まず自分が」というのがスジであろうと僕なんかも思う
しかし、そうであるからといって、いったい誰が保証してくれるだろうか
「自分が変われば世界も変わる」なんてことを?
そうだ、自分を変えたからといって、それに合わすように
世界のほうでもその形態を変えてくれるわけでは、必ずしも、ない
特に、彼がこの世界における「異物」だったりなんかした場合にはね
そして、世界の変わらないことを「自分の変わりかたが足りないからだ」
「自分の変わりかたが間違っているからだ」
などと思い詰めたあげく
寛大さや誠実さや正直さなんかをかなぐり捨てて
モンスターになっちゃったりする人も、まあ、いたりするわけだ
そんなことになるぐらいなら、一生自分の殻にとじ込もって
妄想の世界に生きたほうがマシかもしれない
けれども、人は老いてゆくものであり
老いは人を否応なしに凡庸な死へと追いやる
だから、やっぱり
アキレスは立ち止まることなく亀を追い越してゆくべきなんだ
それがどんなに恐ろしいことでも
後悔のないように、手遅れにならぬうちに
平行世界モノに見せかけて、これは一種の夢オチであると思う
主人公の「メタ探偵」ぶりは第一話から圧巻、なんだけど… -
Posted by ブクログ
間違いのほうが正しい答えよりも正しい場合があって、これがそうなのである。
(冒頭より)
やさしナリン
添木添太郎
すっとこどっこいしょ
ンポ先輩
あまりぼっち
真夜中のブラブラ蜂
美味しいシャワーヘッド
全てのお話で、誰かが何かしら混乱してて、それに共感したり、笑ってしまったり、なるほど〜と思わされたり。
始めの4篇が好きでした。
すっとこどっこいしょの「ニンニン」からの「くせ者ーっ」の流れとか大爆笑です。いやぁ、ますぅヤバイ。ヤバすぎる。
P116
神がごめんとひと言謝ってきたなら許さないでもないという気持ちで生きている。
P260より
言葉は間違える。
感情も間違える。
心も間違える。
私はこれを憶えておかなくてはならない。 -
Posted by ブクログ
“榎本芙三歩のことを好きになってから僕はずっと落ちつかなくて、そわそわもぞもぞ、それは興奮していると言うよりいささか混乱しているのだった。なぜなら好きというのは僕の中に生まれた全く新しい気持ちだったし、僕はそれがこんなふうに乱暴でとっ散らかっててちっとも休もうとせずにぶくぶく脹らんでゴンゴンいろんなものにぶつかりかち合い僕の中にそもそもあった展望や計画や気分や価値観を無茶苦茶に壊してしまうとは知らなかったのだ。皆誰かのことが「好き」とか言って笑ってるときこんなふうに内心グルグルしてたのかよ、本当に?と僕は疑わざるをえなかった。”
やだ格好良い。
よく分からない世界観にぽいと放り投げられる感じ。
主人公達の後ろの世界観が徐々に分かるような、今ひとつよくわからないような。
樹木の山村さんってのは樹木吸い込んじゃったとか?
ルビにクローンサイトウさんと振られているのにときめき。
どんな展開がくるのか楽しみ。
“『なんだろう……?
全然そんなタイミングじゃないのに。
いつかアイツがオレに言ったセリフが
ぐるぐるぐるぐる頭の中・リフレイン。
「おまえさ その可もなく不可もなくみたいな人生に
どっぷり浸りすぎて大事なモンなくしてんだぞ?」
"大事なもの"……!?』”