小野寺健のレビュー一覧
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怒号や非難の応酬が飛び交う物語はまるで任侠映画だが主人公達は義理も人情もなくひたすら自己憐憫や恨みをぶちまける。突き抜けた自由さがこの小説の魅力の一つかもしれない。出生故とは言え異常に経済観念の発達したせこい復讐が長々と続き、アッシャー家の崩壊のような終わり方になるのかと思っていたところ、頑丈な彼が唐突に亡くなったと知らされるいよいよ終わりの部分で物語の雰囲気が切り替わった。次の世代では、負の感情が集約されたリントンが夭逝、つらい経験を経た、欠点もあるが優しい性格の2人が、復讐の呪いを振り切る結末は、それまでの話が暗かった分、大いに爽やかで心温まる読後感で、推理小説の意外な犯人がわかったようなカタルシス。
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オーウェルは、自らルポルタージュの為にパリ、ロンドンの底辺の世界に身を置いたらしい。
そこで、貧乏のどん底で心の平安を見いだす。
絶望ではなく、平安をである。
『貧乏のどん底に近づくとあることを発見して、後は大抵どうでもよくなってしまうからである。退屈で、家のやりくりに俺の家に、目が決まってればくるものの、貧乏には同時に大きな救いがあることを発見するのだ。
将来と言うものが、消えてしまうのである。金がないほど心配も少ないと言うのは、確かにある程度まで真理である。100フランでも持っていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。
だがたった3フランしかないとなれば話はまるで違う。
3フランあれば翌日までは食える。
そしてその先のことは考えられない。退屈ではあっても怖い事は無い。「明日は餓死すらだろうーえらいことだな」とぼんやり考えはする。だがそれっきり、また別のことで気が紛れてしまうのだ。マーガリン付きのパンと言う食事は、それ自体である程度の鎮静剤にもなるのだ。
このほかにも、陰謀なとき大きな慰めになる感情がある。どん底に落ちたことがある人なら、誰でも経験していることだろう。それは、自分がついに本当にどん底に落ちたと悟った開放感というか、喜びといってもいいほどの感情である。零落すると言う話は始終していたわけだけれども-ついに、いよいよ零落して朝にどん底まで落ちたと言うのに、それに耐えられるのだ。そう思うと、不安はあらかた消えてしまう。』
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ヒースクリフがイザベラを含めたリントン家での平和をかき乱し始める所からの下巻。
ストーリーの大筋はヒースクリフのキャサリン(母)との恋愛と破局、その復讐の物語だが、聞き手となるロックウッドか家政婦ネリーから聞く形式となっており、このネリーがいかにも偏見を持った語り口なのでその内容を鵜呑みにできずに読むという状況を作っているところが読者の想像力を要求しており面白い。故に読み手の考え次第では評価は大いに分かれそうです。
終盤でロックウッドが聞き手から物語に参加する可能性が示されたときは少しときめいたが、残念ながら空白の数カ月は意外な方向に展開して、しかも主人公とも言うべきヒースクリフの死が予告され困惑する。読み終えて考えるに1番座りのよいところに落ち着いた印象もあるが、亡霊に取り憑かれて絶食して死するヒースクリフの末路は強靭な肉体と精神を宿す者のはずなのに納得がいかない。
とはいえ何か余韻の残る読み応えのある作品と感じるのは巧みな描写、繊細な感情表現、時代を感じる設定などを味わえたことです。1847年作品とのことで、その当時を体感できる感覚は古い小説の味わいですね。 -
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「1984年」で知られるイギリスの作家である著者の、有名になる前の経験を下敷きにした作品。
名門校を出て公務員になったのに、安定した人生を捨ててパリとロンドンの貧民街で暮らす人生に。結構悲惨な暮らしなのですが、その中でも彩り豊かな登場人物や著者の余裕のある語り口が読みやすい作品にしています。
例えば、「いたるところで、買い手のない山のような食べ物がわたしを侮辱する」という表現、困窮している割に何ともユーモラスです。
時代感をあまり意識せずに読み始めたら、暮らしぶりの酷さに「産業革命後かな?」とも思ってしまったのですが、メトロもタクシーも走ってるし、1927年からの世界恐慌前夜だったんですね。
GEが電気冷蔵庫を作り始めていた時代にも、着る物も満足になく、寒さに凍えながら寝る人々が多くいたというのは、きっといつの時代でも多かれ少なかれこういう要素は残っているもので、もちろん今でも同じことで、忘れてはいけないことなのだと思います。
ちなみに、表紙のあらすじには「自らに窮乏生活を課す」って書いてあるのですが、読んでいて受けた印象としては、どうにもやむにやまれずに貧民街に腰を落ち着けて、そのうち抜き差しならなくなったようにも見えます。。
しかし、47歳の若さで結核で亡くなられた著者。どうにもこの生活が影をさしていたのではないかと…。 -
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第一章、ネリーに手紙を預けたヒースクリフが実際にキャサリンを訪れるシーンには圧倒されました。
ヒースクリフの心情描写がものすごく濃ゆくて濃ゆくて。
お互いからすべてを奪い合うような恋ってこういうことなのか。正気の沙汰じゃない。
そしてキャサリンが亡くなってからの転がり落ちるようなアーンショウ家の悪夢。エドガーも結局一度もキャサリンは振り向いてくれず、報われない男でしたね…。
なにより母のいない幼いキャシーが可哀想でしかたなかった。リントンもヘアトンもみんな蔑まれながら生きていて、読み進めるのしんどすぎ。
でもきっと、この物語はヒースクリフが最も気の毒な話なのかもしれない。
ーー世界全体が、かつては彼女がいたのにおれはその人を失ってしまったという、恐ろしい記録そのものなのだ。
っていう彼の言葉が悲しい。
終盤には希望がさし光があふれるようで本当に救われた。
ヒースクリフ、キャサリン、エドガー。嵐が丘に安らかに眠れって感じです。 -
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7年前のクリスマスに買って、それで満足しちゃって本棚にさしっぱ。
なぜかクリスマスが近づくと毎年そわそわ気になってたのですが、満を持して?ようやく上巻読み終えました。
イングランド北部、ヨークシャの荒野に立つ屋敷〈嵐が丘〉と、4マイル離れたスラッシュクロス屋敷の、2つの一族で巻き起こる愛憎劇。
時代を経て、新たにスラッシュクロス屋敷を借りようとするロックウッドが、ベテラン女中のネリーに寝物語のようにその過去を教えてもらうという回想形式です。
ヒースクリフがとんでもない奴だと思っていたのですが、なんのなんのやばいのはキャサリンでした。
破天荒というかメンヘラというかトリッキーというか、まぁそういう情緒不安定な高飛車な女の子。
でも、ヒースクリフと彼女との間にある目に見えない絆というか、イノセンスな感情がたまらなく私好みでした!
キャサリンが嫁いでしまっても、二人の間に永遠にあるもの。それは決して恋であるとか、べつによろこびであるとかではない。ヒースクリフはただキャサリン自身なのだ。
であるのに、彼はこんなこと知らないだろうし、絶対に聞かせてはいけないと言い切ったキャサリンの健気な、でも不器用な、女性らしい芯の部分もみてしまってむしょうに切ない。
対してヒースクリフが一体何を考えてるのかは分からなかったから、下巻ではやくそれを知りたい。
二人には幸せになってほしいのになぁ。 -
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ネタバレ途中で二代目のキャシーやリントンの振る舞いに辟易してしまい、読み続けるのがしんどくなったが……
それぞれに自分の境遇に対する不満や、それに伴う自己正当化があるのだろう。それをもとに展開される発言は、読み手に媚びずに登場人物たちを存在させる。(自分勝手で意地汚くて、結構ストレスにはなるけれど…) 人が人らしいのは、見られているという意識が感じられないからではないか。
はっとするほど印象的な、活き活きとした場面がある。多くはヒースクリフの熱のこもった多弁さが披露される時だ。この作品には、手放しで尊敬できたり好きになったりする好人物というのは存在しないが、すべての人物の運命を貫くヒースクリフが、やはり一番存在感がある。
結末にヒースクリフの血は残らない。幸福は彼を必要としなかった。同情の余地はないものの、さみしい。 -
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人間の心の底のマグマが描かれてはいる。ただやはり解説の内容から忖度しても、それは母国語で読んでこそ伝わってくるマグマであり迫力なのかもしれない。
非常にこなれた訳で読み易くはあるが、まどろっこしく無駄なセンテンスも多くあると感じてしまうのは、私だけだろうか…?傑作と呼ばれる小説ほど、長編であっても無駄なセンテンスが一切無く、繰り返し読めば読むほどに「この箇所はこういう意味、役割を担っていたのだなぁ…」といった発見があるものだ。
そして何より、初回に読み終わった時の衝撃といったら、計り知れないものがある。
そうした衝撃は、あまり感じなかった。 -
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英文学の講義を取っている。課題その2。
『嵐が丘』は子供向けにリライトされたものを読んだことがあって、キャサリンとヒースクリフの恋愛小説だとずっと思っていた。
のだが。
これ、恋愛小説?
二人の間にロマンティックな感情が介在するようにはとても思えないのだけど。いや、確かに強靭な絆は存在していて、二人は互いに互いの片割れという唯一無二の存在なのだが、その関係性が「あらかじめ与えられている」ように見える。いつから、なぜ、彼らがこれほど強く結びつくようになったのかが全く不明なのだ。恋愛小説の重要なファクタとして恋人たちの関係性の発展を描くという面があるはずなのに、そこんとこはまるっとすっぽ抜けている。常人の理解を超えてどこまでも惹かれ合うキャサリンとヒースクリフは、なんだか人間のように思えなかった。
さて、一旦気づいてしまうと、ほとんどすべての登場人物が人間とはかけ離れた動きをしているような気がしてきて困る。聞くところによると、『嵐が丘』は登場人物の誰にも感情移入できない名作として名高いらしい。それも頷ける。これでもかとばかりに強烈な喜びや憎しみが描かれるのに、その感情の発生メカニズムがほとんど見えてこないのが不気味でならない。奇妙な隔絶感をずっと感じていた。
下巻に入ると、第二世代が登場する。第一世代と同じ名前と気性を受け継いだ子どもたち。相変わらず行動原理がよく分からないままに愛し合い、憎み合う。与えられた人格が永遠に固定している。持ち主のいない激情の塊がただ飛び交う様を見せられているようで、だんだんと当てられてくる。疲労困憊しつつ終わりを見届けた。
私には最後まで、ヒースクリフのことが分からなかった。ただ何か大きな恐ろしいものが滅びるのを見た。 -
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ブライズヘッドという広大な邸宅、そこに住む人々――。華麗にして、精神的苦悩に満ちた回想録。
やはりなんといっても、主人公の友人・セバスチアンの人物造詣が魅力的であった。
貴族の次男であり、大変な美貌の持ち主、そして人を魅了せずにはいられない人柄。
そんな彼が、厳重なカトリックの家(この家がブライズヘッドである)にどんどん蝕まれていく様子が読者をひきつける。家族が彼に構えば構うほど、荒廃していくセバスチアン。ああ、なんと繊細でいて純粋な存在。しかも美しいと来た。彼がその生来の魅力ゆえに、家族の影響を受け流すことができずにいる様が、鮮やかに描かれている。
純粋なものがその純粋さゆえに傷つくのを描写するのは、ときにあざとくなりがちだと思うけれど、本書ではそれが必然的に描かれていて違和感がなかったと思う。
その友人の姿に傷つきながらも、どうすることもできずにいる主人公が、非常に冷静でこれまたよい。彼は後年画家になるのだが、その鬱屈しているとも取れる芸術への傾いだ態度が面白く、説得力があった。
全体的に文章は美しく感傷的なのだが、一方で皮肉っぽく、ときにそれは辛辣にも感じられた。しかし解説によると、この著者の著作ではこの本はむしろ異例で、他の本はもっと突き放した書かれ方だそうである。こ、怖いなぁ。この本でもかなり突き放してると思ったのに。
ちなみに、この本ではセバスチアンの家族をめぐって、かなり宗教的(ほぼカトリック)の話も展開されるが、素人にはそこらへんのニュアンスがさっぱりであった。
カトリックの人が読んだらどう思うのだろう。
下巻では話の展開がややまどろっこしく感じられるところもあったが(ジューリアのところ、私は少々長いと思った)、やはりセバスチアンの存在が大きくて、全体の話を上手く引き締めてくれていたと思った。
しかし私は、話の本文とは関係ないところでちょっと気に入らないところがあったのだ。それは、上巻に解説が載っていて、その解説内で下巻の内容がネタばれされていることである。
どうして下巻に解説をつけなかったのだろう・・・それがわからない。どうして全てを読んでしまう前に、読者の可能性を狭めるようなことをしたのだろう??
感想を書いてみるとたくさん褒めているのに、評価という点になるとあまりぱっとしない本があるが、これはどうもそれらしい。解説だけが不満の全てではないけれど、なぜか☆3つ。