小野寺健のレビュー一覧
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J.オーウェルというと1984年と動物農場のイメージしかなく、生活のために書評や短文エッセイを書いていたとは知らなかった。
文化や自然に関してあくまで保守的な態度である点、産業主義的な娯楽や全体主義に関しては批判的である点、洞察力に優れている点はイメージ通りだが、あの理知的な文章で食器洗いに毒付いているのには笑った。先進的技術憎しではなく、あくまでそれによって社会に齎される負の影響に懸念を抱いていたのだということがよく分かる。
また、オーウェルの書物・文章への美学と拘りを知ることができた。
彼が風刺した未来の只中であっても、「一杯のおいしい紅茶」を楽しむ心の余裕は持ちたいものだと思う。 -
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ヒースクリフの復讐は次の世代をも巻き込んでいく。ネリーの語る回想は、冒頭で青年が見た光景まで進むが……。
恋愛を扱っているのに恋愛小説っぽくなく、むしろ不気味なサスペンスを感じる下巻。しかしヒースクリフとキャサリンの愛にはすさまじいものがあり、そこだけは素直に感動した。キャサリンの方は上巻で本音を語るシーンがあったのでわかるが、ヒースクリフを突き動かしているのは何だろう?単に愛情からくる復讐心、だけでは説明がつかない気がする。徐々に子どもたち3人の話に移っていくなか、彼の圧倒的な存在感はさらに増していく。そしてラストは……。
訳者の解説で補助が得られたものの、初見では深い理解には届かなかったかもしれない。ヒースクリフの復讐が達成されていく過程に目を奪われがちになる……と書かれてあるとおり、筋書きを追うのに夢中で、この小説の底にある強烈なエネルギーについては漠然と感じるだけで終わった。他訳にもいつか挑戦したい。
作中で都合よく人が死にすぎじゃね?と思ったが、エミリー・ブロンテの年譜を見て納得。本人も30歳の若さで亡くなっているし。没後何十年もたって評価されるとかつらすぎる。しかし今後も読み継がれる力を持つ名作だろう。 -
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ネタバレ文学史上に残る世界的な傑作……とされているが、個人的にはそこまで評価したいとは思わなかった。理解が難しいこともあるが、そもそも内容が暗すぎるのである。とくにヒースクリフは、いまでいう「サイコパス」としか思えない。屋敷を2つとも手中に収め、両家の家族をバラバラにしてしまうその様は、人こそ殺してはいないが、「北九州一家監禁殺人事件」「尼崎連続殺人事件」を想起させられた。むろん、内容が暗いからといって文学として質が低いということはないし、実際このような物語を着想することはすばらしいと思うが、とはいえやはり1人の読者として、積極的に評価したい気持にはなれなかった。最終的にキャシーとヘアトンが結ばれたことはよかったが、キャシーもまたさんざん悪態をついていたので、すなおに喜ぶ気にはなれない。とにかく登場人物の誰もが「イヤなヤツ」で、誰にも感情移入ができないのである。そういうなかで延延と恋愛要素を描かれてもしらけてしまう。作品の舞台同様に、まさに荒れ果てた大地のような小説である。
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ネタバレ文学史上に残る世界的な傑作……とされているが、個人的にはそこまで評価したいとは思わなかった。理解が難しいこともあるが、そもそも内容が暗すぎるのである。とくにヒースクリフは、いまでいう「サイコパス」としか思えない。屋敷を2つとも手中に収め、両家の家族をバラバラにしてしまうその様は、人こそ殺してはいないが、「北九州一家監禁殺人事件」「尼崎連続殺人事件」を想起させられた。むろん、内容が暗いからといって文学として質が低いということはないし、実際このような物語を着想することはすばらしいと思うが、とはいえやはり1人の読者として、積極的に評価したい気持にはなれなかった。最終的にキャシーとヘアトンが結ばれたことはよかったが、キャシーもまたさんざん悪態をついていたので、すなおに喜ぶ気にはなれない。とにかく登場人物の誰もが「イヤなヤツ」で、誰にも感情移入ができないのである。そういうなかで延延と恋愛要素を描かれてもしらけてしまう。作品の舞台同様に、まさに荒れ果てた大地のような小説である。
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『1984年』のジョージ・オーウェルの随筆および書簡集とあったので読んでみた。
これを読むと、ごくありふれた生活感情の持ち主だったことがわかる。紅茶の淹れ方のこだわりや、ビール大好きなところなど、何だか微笑ましくさえ感じられる。だからこそ、『1984年』や『動物農場』がこの人によって書かれたのだということに意味を感じる。当たり前の生活感情を持った一個人だからこそ、当たり前でない「何か」が生活の中に忍び込んでくることにアンテナを立てられたのかもしれないということ。そして、当たり前の生活感情と非凡な表現能力は乖離しないものなのだということ。当たり前に暮らしながら、当たり前でない何かを残せることに、ますます畏敬の念が深まった。 -
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ジャック・ロンドンと違い、著者はイギリス人=ヨーロッパ人であること、そして、必要に迫られて貧乏暮らしをしたことなど、貧しさが他人事ではない印象。
そして面白いのは、母国については批判的なのに、パリに対しては友人のような気安さがある。
「金が人間を労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる」
そして、考えないようになっていく。
本当の貧乏の中で、革命は生まれないのではないかという気づきが新鮮だった。
そういう意味で、今の日本は全体的に貧しいと思う。誰も自分で考えず、誰かが考えてくれるのを待ち、それが気に入らないと「批判」する。
そんな仕組みの中で、埋もれないようにしたいものだ。 -
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初めてのブロンテ、と言うより元々海外の小説はあまり読まないので、こんな有名な3姉妹作家と作品それ自体の存在を知らなかった…。何人かの友人はこのウェブ本棚を見てくれているので、幾人かが失笑している顔が思い浮かびますw。
まだ下巻を残しているが、この小説は間違いなく当たり。血縁、愛憎を用いて地獄絵図を描くというのはベタベタな手法だし、ヒースクリフは「よくもまぁここまで…」というほどの極悪人なのだが、何故か「カッコイイ」のだ(そしてヒンドリーはカッコ悪いのだ)。ヒースクリフみたいなタイプを彼氏や結婚相手には絶対にしないだろうが、女性の読者にとっても魅力的なのはヒースクリフではないだろうか?(あくまで小説の中の登場人物だから言えること)
TPOを弁えて時には紳士的な対応も出来る、色気のある美悪人、遊び相手としてはモテるだろう…笑。「嵐が丘」は日本でも舞台化されたりしたらしいが、多分、相当な美男子がヒースクリフ役をもらったのではないか?
子供の頃に読んでいたマンガ「幽遊白書」の定期的なキャラクター人気投票では何故か毎回、主人公の浦飯幽助よりも準主役の「飛影」が一位だったような気がする。ヒースクリフと飛影はイメージが結構被る。
肩に力が入り過ぎて一緒に居て疲れる、堅物な生真面目、暑苦しい人…同じ男性として、こういう人は嫌い。でもチャラい男も嫌い。要は、バランスなのだろう
(尊敬する福田恒存「生真面目なものを憎む」云々、やはり個人的にも「非」真面目が一番好き。また、創造は「非」真面目さがないと出来ないとさえ思う。勿論「不」真面目はバツ、論外)
こうして登場人物について熱く語ってしまっている時点で、この小説が魅力的な裏付けなのだろう。
最後に…
光文社文庫の訳がここまで読み易いとは!目から鱗。以前から、カバーの雰囲気や書店でザッとめくってみた感覚で「読みやすそうな訳だなぁ」とは思っていた。注釈を出来るだけ排除した、読者の事を気遣った訳である事がよくわかる。何より注釈が多過ぎると、読書において決定的に大事(だと私が考えている)なリズムが生まれない。「失われた時を求めて」も「悪霊」も、光文社で読もうっとw
日本人作家に関して言えば、Sn潮社文庫ほど確たる地位と威厳のある文庫もないだろう。しかし海外作家の訳は、私なんかが読むには格調が高過ぎて学術的過ぎる。←悪口ではなく、レベルが高過ぎてついていけないという意図です。 -
Posted by ブクログ
私は『嵐が丘』というのは、イメージで恋愛ものだと思っていたけど、読んでみて要素はあるけど、とんでもない!復讐なのだ。
狭い世界で数人しか知らない中で暮らしている。そんな中での復讐劇。
最初の方で、家系図があり、なぜこの3人が一緒に暮らしているのか、とても疑問に思った。組み合わせがおかしいではないか?しかも、人間関係が最悪の状態なのだ。
いったい何があって、こんなことになっているのか?
その謎を家政婦ネリーの語る過去によってわかる構成になり、さらにその後が描かれている。
ヒースクリフはある出来事から憎しみや嫉妬を増幅させ、言葉の端々で、態度で、人をコントロールし、表に出し切っていく。みんなに感染する。
ブロンテ姉妹として取り上げられやすいので、比較されるのは嫌かもしれないが、姉のシャーロットの『ジェイン・エア』は何度も読みたくなると思えるけど、『嵐が丘』はもうごめん。どんどん読ませるので小説として面白かったのかもしれないけど、とてつもなく疲弊して爽快な気分にとてもなれないからだ。