小野寺健のレビュー一覧
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自分が大事にしていると"思っている"価値観も、他者との関係性の中で定義されるキャラクターも、確立されているように見えて根底には大きな揺らぎを抱えている。
一度は軽薄とか、奔放とか、協調性に欠ける、なんて他者のことをジャッジしたかと思えば、気づくと自分がそちら側にいたり。そもそもそのジャッジ自体がどうだったのかと自分に問えるようになるのは、自分自身がそのジャッジに散々苦しんだあとだったり。
悦子とさちこの会話がとても印象的で、個人的にさちこのセリフに心がチクリと痛んだ。自分の子育てや選択を誰かに責められないように予防線を張ったり、相手に伝えているようで自分に言い聞かせているかのような内容で、母親として共感もした。 -
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「1984」で有名なジョージオーウェルによる、底辺生活の体験ルポである。彼自身はアッパークラスの出身で超名門イートン校を出ているエリートである。どういうわけか、パリとロンドンで、その日暮らしの肉体労働に就き、周りの様子などを克明につづっている。一部フェイクになっているようだが、当時の労働者の暮らしぶりを描く貴重な本らしい。
パリではホテルの厨房で皿洗いをした。地下の蒸し暑いところでの過酷な労働、パリの道や厨房の不衛生さが生々しい。なけなしの賃金は煙草を買うかパンを買うかの選択のようだ。ロンドンでフリーランスライターの仕事を見つけ移るが、そこでも浮浪者用宿泊施設を毎晩転々とする(1泊しか泊まれない)。なかなか強烈な体験だが、表現の端々にそこはかとなく気品がにじみ出てしまっている。
とても面白かった。 -
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この静かなざわざわした気持ちは、カズオイシグロを読んだからだ。解説を読んで、ああ、それ、私もそう思った、と納得。古い考え方をしていた悦子に、何が起こって離婚、イギリス行きを実行させたのか、気になる。余白の部分や噛み合わない会話(私たちもいつもしている。会話しているようで、自分のことしか言ってない、あれを会話と呼ぶのなら。ある意味、セリフのような)の雰囲気が、読んでいる自分をじわじわとり囲み出すような。カズオイシグロを読むと、誠実に生きよう、と思う。頭空っぽにして時代の雰囲気に流されるのではなく。でもそれができてないから、読むたびに後悔を繰り返すのだろう。あかんぞそれでは、私( ; ; )。多分しばらくして読んで、また後悔するのでしょうね。今度は「日の名残り」を読み直そう 95
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ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロ氏のデビュー作とのことです。
今イギリスで生活している女性の人生について、戦後の長崎で生活していた時の記憶を交えて描かれています。
「遠い山なみの光」というタイトルは、主人公の女性の記憶にある戦後まもない長崎の風景と当時の将来への希望を表したものであると思います。
ストーリーですが、主人公の悦子はかつて戦後まもなくの長崎に夫と二人で生活していて、初めての子供を妊娠して幸せに暮らしていました。女の子を出産後、理由は描かれていませんが当時の夫とは別れ、二人目のイギリス人の夫と共に娘(景子)を連れてイギリスに渡り、現在はイギリスの田舎で生活しています。
イギリス人の夫との間にも女の子(ニキ)が生まれますが、長崎で前の夫との間に生まれイギリスに連れてきた長女(景子)は、イギリスでの生活に馴染めず引き篭もりとなり、やがて家を出たいと言い出して、独り暮らしをする中で自殺してしまいます。
イギリス人の夫との間に生まれた次女(ニキ)も今は家を出て独り暮らしをしており、母親を心配して一時的に家に戻りますが、その娘と生活する中で、かつて自分が長崎で生活していた時のことを思い起こします。
長崎で、悦子は幼い娘を抱えるシングルマザーの佐知子という女性と知り合います。佐知子は戦後の混乱期を幼い娘を抱えて乗り越えようとしていました。一方、当時の悦子は良い夫にも恵まれ、お腹には子供も授かり、幸せな生活をしていると満足していたはずですが、そんな自分が、やがて夫と別れ、幼い娘を連れてイギリスに渡ってきた今になって、かつて長崎で出会った佐知子のことを思い出し、今の自分と重ね合わせます。当時の佐知子は、確証もないまま愛人のアメリカ人を頼って長崎を抜け出しアメリカに渡ろうとしていたのですが、悦子はそんな佐知子を見て、環境を変えることは幼い娘が可哀想と思い、口には出さないまでも佐知子を批判的に見ていました。
しかし、悦子もやがて夫と別れ幼い娘を連れてイギリスに渡り、その娘も失ってしまったわけで、未来に夢を見つつも現実に翻弄されていた当時の佐知子を思い出しながら、今の自分を重ねていたのだと思います。当時は佐知子に批判的だった悦子ですが、今は肯定的に思わざる得ない自分をこの時は認識していたと思います。
物語の中では、結婚して義父に甲斐甲斐しく尽くす旧態然とした悦子の姿や、戦後の価値観の変化についていけず民主主義や男女平等に不満を漏らす義父・緒方の姿が描かれ、一方でこれと対比的な思想の佐知子や悦子の夫・二郎が描かれていて、これも戦後の日本における思想の移行が、この小説のもうひとつのテーマになっていると思います。
長崎で幸せな生活を送っていたはずの夫と別れ、自らの意思で娘を連れてイギリス人の新しい夫とともにイギリスに渡り、その結果娘の景子を犠牲にしてしまったという自責の念が、悦子の意識の中には常に存在していたと思うのですが、後悔しても戻すことはできない、先に進むことはできないと、まるで何事もなかったかのように、これからの人生を生きていこうとする女性・悦子の姿がこの小説には描かれています。
イギリス人の夫との間に生まれた次女ニキは、現在の自立した考え方をする女性の象徴的な存在として描かれているのですが、彼女から悦子が長崎で生活していた当時の思い出の資料が欲しいと頼まれ、悦子は長崎の港の風景のカレンダーを渡します。そこに遊びに行った時の思い出を話し、その時は本当はまだ妊娠中であったにもかかわらず、「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの。」と、ニキに嘘をつきます。これも過去を忘れて(偽ってでも)生きていくしかないという、自立して生きていこうとする悦子の思いを示しているように思いました。
ただ、小説の中で語られていない真実を、小説の中で語られている事実の断片から、読者が想像して判断するしかない部分が多々見られるように思います。例えば、なぜ悦子は長崎を離れイギリスで生活するようになったのか、長崎で生活していた当時の夫である二郎となぜ別れたのか、景子はなぜ独り暮らしを始めたのか、景子とニキとの関係はどうだったのか、景子はなぜ自殺したのか、などです。
最後に思うのは、悦子が長崎で知り合ったという佐知子は架空の人物で、実は悦子そのもの(本人)のことだったのかもしれないなということです。 -
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ネタバレカズオイシグロは、前にも日の名残り、私を離さないでを読んだことがあり、
今回映画化されたことを受けて興味をもって読んだ。
流れ、雰囲気は日の名残りに近い。
途中途中のエピソードが何に繋がるのか、なんでそのようなことを思い出すのか、最後に少しわかる。
相変わらずの読後感に圧倒されたが、今回一番圧倒されたのは、意外にも巻末の三宅香帆さんの書評だった。
書評に解説が書いてあり、人によってはつまらなく感じるかもしれないが、自分は三宅さんの書評を読んでこの本の理解と読後感を深めることができた。
人は誰しも人には言えないことを抱えて生きる。
そして、テクニック的には書かれていないことを想像して読むのが読書の楽しみのひとつなのだと知ることができた。
今回、紙の本と電子書籍を並行して読んだが、三宅さんの書評は電子版にもありました。
紙の本を売ってしまっても書評を今後も繰り返し読めるのが嬉しい。
自分にとっては今年一番の本です。 -
購入済み
この緻密で酷薄で、これほどに情熱的な物語を、1800年代というだいぶ前の、田舎に住む、おそらくは人生経験も限られた二十代の女性が完成させたとはとても信じられません。
まさに唯一無二と言ってよいでしょう。
そしてこの激しい作品を完成させた女性は、人生に挫折し若くして逝去した実兄の後を追うように、三十歳で亡くなりました。常に毅然とし、作品へのどのような評価も聞き流していたといいます。
天国の眠りとしての成就でなく、迷える魂となって再び荒野を駆け巡りたい。
そう断言した著者を、心から敬服します。
翻訳者も、心底疲れたとあとがきに書いていましたが、著者の強くどこまでも深い魂に触れた、本当によい翻訳でした。 -
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ジョージ・オーウェルが何を思い描き「動物農場」や「1984」を綴ったか、そして彼の生活を愛する様子がエッセイや手紙を通して語られている。
彼は意外にも愛しく思う女性と結ばれ、家庭を持ち、親しい友人と適度な頻度で文通していた。全体主義を文学的に批判する様子を見て、鋭い洞察力を磨き、鍛練に勤しんでいる、若干ではあるが冷徹な人であると思い込んでいた。
しかし、本書を読み終えて、彼もイギリスで貧しいながらも執筆を積み重ね、また、その中で戦争や貧困、ファシズムを経験し、苦労の末に書き上げた一作なのだと理解することができた。
文学者の生涯を追いつつ、彼らの思いを想像するというのも粋な体験だなと思った。 -
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前半のパリでは、高級ホテル、高級レストランで働いていた筆者がその裏側のとんでもないカオスぶりを面白おかしく描き出す。人物描写が巧みで、活気にあふれた破茶滅茶な喧騒があたかも目の前で起きているかのような臨場感。どんちゃん騒ぎのパリ、ちょっとみてみたい。
後半のロンドンは、浮浪者に身を窶した筆者の、まさしく放浪記である。魅力ある浮浪者仲間の生き様はときに明るく読める瞬間もあるが、根本的にはイギリスの制度上の問題や大衆の意識について、鋭い疑問を投げかけている。
ブレイディみかこ氏の「労働者階級の反乱-地べたからみた英国EU離脱-」でも似たようなことが述べられていた点は非常に面白い。
本書は約100年も昔に書かれたものにも関わらず、Brexitを引き起こしたイギリスの問題の本質について警鐘を鳴らしていたのである。
(というか100年あっても人間の性質なんてほとんど変わらないのだとも言える)
大衆、いわゆる一般市民と自負する人々の視点からは、”彼ら”(=浮浪者、失業者たち)は労働意欲がなく、酒ばかり飲んで、ときには暴力を振るう危険で野蛮な奴ら、というレッテルを貼って別人種だとみなされる風潮がある。自分も一歩踏み外せば失業して同じような生活になる可能性があるにも関わらず、意識の上では社会階層が完全に分断されているようだ。
オーウェルが指摘したこの分断意識の問題は、100年後のBrexitの国民投票において、”見捨てられた人々の反逆”として形に現れた。
イギリスだけじゃなく日本、というか世界中で分断が進む現代においては絶対読んでおくべき本。社会の一員として、この問題を”自分ごと”だと意識するための重要な視座を与えてくれる。 -
Posted by ブクログ
言わずと知れた『動物農場』『1984年』の著者、ジョージ・オーウェルのエッセイ!どんな人なのかと思ったら、回顧主義者のちょっとメンドクサイおっさんで、食器洗いに苦心している庶民的なところもあり、全文通して真面目な文体なのにめっちゃ面白い人だった(interestingというよりfunny)!
第2部の『ジュラ島便り』はジョージ・オーウェルが知人にあてた書簡をとりまとめたものなのだけど、この時に、あの『1984年』を書いていたんだなぁ、と思うと不思議な感じです。この手紙を書いた2、3年後には亡くなってるんですよね。人生は短い。
もし、ジョージ・オーウェルが現代に蘇ったら、私なら間違いなく、いの一番に彼に食洗機を見せる!!