小野寺健のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『1984』や『動物農場』で知られるジョージ・オーウェルは、世界恐慌の余波がまだ残るパリ、ロンドンを放浪していた。そのときの悲惨な貧困生活をユーモア溢れる文章で記したのが、この『パリ・ロンドン放浪記』。
特に興味深いのが、オーウェルがどんなに貧しくなっても、虚栄心を捨てきれないという描写。例えば、お金あるときにはレストランで外食することができたが、困窮極まってそれが不可能になってしまってからも、見栄をはるためにレストランへ行く振りをして公園で時間を潰し、帰りにパンをポケットに忍ばせてこそこそとアパートに帰る。他にも、ルームメイトと食べ物を譲り合って、結局相手に食べ物の取り分を多くとられてしまったりする。それでさらに可笑しいのは、ルームメイトがその譲り合いで食べ物を多くとってしまうことに、密かにオーウェルが腹を立ててるということ。それだったら最初から見栄を張らなかったらいいのに!人間は虚栄心のために愚かで不合理なことをしてしまう、そんな滑稽さがとても可笑しい。
もう一つ興味深かったのは、オーウェルがホテルのレストランで皿洗いをしていたときの話。レストランの食事をするところでは、華やかな社交場が展開されている。それとは対照的に、オーウェルが働く厨房はというと、ゴミの山が積まれ、ネズミが我が物顔に走り回る始末。そんな環境から出される料理に表の客たちは舌鼓を打つ。さらにひどいことに、忙しさや客に腹を立てた従業員は、華やかな世界の人々へのささやかな復讐として、スープにつばを吐く。こんな状況は、映画『ファイトクラブ』でも描かれていた。監督は、『パリ・ロンドン放浪記』を読んでいるのだろうかと気になる。飲食業で働いていた人たちは、ここまで極端ではないにしても多かれ少なかれ、共感を持てるのではないだろうか。僕が高校のとき、バイトしていたところでも、例えばラーメンの麺がのびすぎたら冷麺にまわすといったことなどが行われていた。「自分が働いていた店では、自分は決して食事しようなどとは思わない」、そう思う人は多いと思う。オーウェルはこう皮肉を言う、飲食業で働くという経験をした「おかげで幻想のひとつ、すなわちフランス人は見ただけで料理のよしあしが分かるという妄想を打破することができた」。
この作品は、ドキュメンタリーという体裁をとっているけれど、小説としても十分楽しめることができる。 -
Posted by ブクログ
英米文学の知識があれば、もっと楽しく読めたと思う。
ディケンズの評論は何とか読んだが、他の文芸論は読まなかった。
全編を通して伝わってくるのは、オーウェルの建前論を排した実直さ。
ユダヤ人差別について述べた評論では以下の指摘が鋭い。
曰く、
「ユダヤ人差別について検討しようとするのなら、なぜあきらかに非合理なこんな信念が人々の心をとらえるのだろう?とは考えず、なぜユダヤ人差別思想はわたしの心をとらえるのだろう?という疑問から出発しなければならない。」
また、なんらかの「主義」をもつ人々に対しての、「認めることの出来ない事実」の指摘も手厳しい。
たとえば、平和主義者に対して、
「彼らが暴力を「放棄」できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使してくれるからだ」
凝り固まった頭が解れていくような気分になります。
お勧めします。 -
Posted by ブクログ
これだけ登場人物たちの過去を語らない作品も珍しい。
かすかに文中に出てくるだけで、あとは読者がなんとなく想像するしかない。
悦子の心情も本当はどう考えているのかわからない。娘が自殺をしたという母親にしてはものすごく冷たい。でも、過去を語りながら後悔と懺悔を伝えている気がする。
決して「後悔」という言葉は出てこないが、母親としてあの子とどう向き合えばよかったのか?と彼女は考えているのではないだろうか。
大声をあげて泣くのでもなく、取り乱すわけでもなく、昔を思い出しながら娘との関係を振り返っているのではないのか。
本当に始終遠い何かを眺めているようで、霞がかかったような感じ。
登場人物の過去なんて読者が想像するだけ、説明はいらない、でもそれでいいんだ!となぜか納得してしまう不思議な作品だった
一方で謎を説明してほしい人はすごくモヤモヤして消化不良を起こす作品だと思う
池澤さんの解説にもあったように、小津安二郎の映画を1本見たような気分にもなる。
“if you don’t like it over there, we can always come back.”
「とにかく、行ってみて嫌だったら、かえってくればいいでしょ」
このセリフは翻訳が良くないと言われているが、確かにちょっと冷たい。
「私たちはいつでも一緒に帰れるよ」
これが悦子が景子に言うべき本当の答えだったのかもしれない。
説明が少ない小説なので、いろんな解釈ができると思う。
私は良い作品だと思うけど、一番最後の方の解説が最低だった。あれは映画の番宣であって、解説ではないと思う。読者が混乱する。
「そう、景子はここにいなかったのだ。だがそれを悦子の嘘だと言うのは、物語を単純化しすぎている。」
あれを嘘と思っている人がいるの? -
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最近、世界文学ってナンダ?が頭の片隅にある。今回池澤夏樹の解説を読んで、『遠い山なみの光』で描かれているものは一見日本的心性にも見えるが、実は世界的に共通しうるテーマも内包していることを証明していることを理解した。これはかなり希望である。
個人的にこれまで読んできたイシグロの作品から、彼の小説に出てくる「どこまでも無垢で真っ直ぐな主人公」が好きだった。本作『遠い山なみの光』の主人公悦子は、それとは少し違う。女は家長を立てるものだという旧来の日本的価値観を信じながらも、悦子と佐知子、万里子と景子という対比構造から、結果的に悦子がその価値観から離れ自立を目指したことが暗に示される。
それを暗に示さず、権威を盲信したり、無垢のまま生き続ける主人公を最後まで見守っていたのが『日の名残り』や『私を離さないで』や『クララとお日さま』であると思う。私はそっちの方が好きだなと感じた。 -
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常套句に騙されるな!
ヒースクリフはどうしてこう誰も彼も不幸にしなきゃ気が済まなかったんだろう?
愛憎半ばする?愛と憎しみは紙一重?表裏一体?
ほんとかよ
愛が深ければ深いほど、それが裏切られたときの憎しみは深くなるのです
ほんとかよ
少なくとも、自分には愛が憎しみに変わった経験なんかないけどね
常套句に騙されていやしないかい?
常套句に自分の思考を乗っ取られてしまってはいないかい?
そんなのはごめんだな
だから言います
ヒースクリフの気持ちは全く理解できない
ただね
ヒースクリフは愛するがゆえに復讐に駆り立てられたってとこも疑わないとだな
そんな簡単なことだったのかな
作者エミリー・ブロンテがヒースクリフに込めたのは百年後に常套句になってしまうような簡単な精神だったのかな〜
教えて廣野由美子さん! -
Posted by ブクログ
映画化されたものは役者さんの演技が非常に素晴らしく、それはそれで見ごたえあったのだけど、最後の種明かしがあまりに納得いかず、モヤモヤしすぎて原作買ってしまいました。
今はイギリスで暮らす悦子が回想する戦後間もない長崎での暮らしーー時代の変化に苛立ちを隠せない義父と冷淡な夫、恋人についてアメリカに移住さえすれば自分にも娘にも新しい道が開けると信じている、悦子とは対照的なように見える女性・佐知子。その回想の中には、子殺しの不穏なイメージが繰り返し立ち現れて、主人公がすすんで語ろうとはしないその後の離婚とイギリスへの移動、そして娘の自殺という犠牲がほのめかされる。すべてを語ろうとしない秘密をかかえた回想者は、イシグロの他の作品にも共通するものではあるけれど、やっぱりあの映画の解釈はちょっと無理があるというか、そこまでトリッキーな解釈をしなくても十分に深淵をのぞきこませることのできるような物語になっていると思うのですが、どうでしょうね。
イシグロ作品の中では自分はけっこう好きな方かもしれない。 -
Posted by ブクログ
リントンが最低。意気地も無く、卑怯で、泣き言でキャシーをつなぎ止めることばかりしている。
これにまんまと同情して、もう会いにこないと言ったと思ったら
すぐにリントンにまたかまうキャシーも
いい加減にさっさと見捨てればいいのにと何度も思ってじれったかった。
半ば無理やりリントンと結婚させられていたけど
この時代、教会に行かず、役所に届けもせず、何を持って結婚した事実ができてしまうのか
しかも相続まで絡んだ結婚が成立してしまうのか謎。
キャシーがあんなにもヘアトンの無知を嘲笑っていたのも
かなり性格が悪いと思う。
ほんとに、ネリー以外にまともな性格のキャラクターは出ないのかと。
ヘアトンがキャシーにそれでも近づきたくて
向学心を持って関係が良くなっていくところは
ちょっと良かった。
しかしヒースクリフ、復讐心とはいえちょっと酷すぎる。
あと、ジョウゼフ、これも狂言回し的な役割だけど
まあほんっとにロクでもない爺さんだった。