小野寺健のレビュー一覧
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ウェイクフィールドの牧師 むだばなし
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試し読み
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Posted by ブクログ
ネタバレ混沌の中に秩序を見出す、良質なエスノグラフィーとも呼べる文章。研究と異なり何か明確な調査課題が設定されている訳ではないが、それ故に(といって差し支えないと思うのだが)、著者が貧困にあえぐ層の暮らしに身を投じる中で何に直面し何を感じたのかが、多面的に綴られている。読み始めた当初は、何か教訓めいたものをどこかで求めていたのだが、パリのホテルに於ける皿洗い、個性的すぎるロシア人(ボリス)、イギリスでのスパイク内での生活(紅茶一杯で数時間は凌げる)等の生き生きとした描写に引き込まれる内に読み終わっていた。とは言え、著者はいくつか普遍性を持ちそうな学びを提供してくれている。以下に引用している箇所と関連しているのだが、先ず、貧困や過労は人々から未来を想像する力を奪うということ。勿論、これは貧困の程度による。ボリスのように、幾つも金を儲けられそうなオプションを見つけ腐心するものもいれば、イギリスのスパイク内でその日暮らしをする人々やパリの厨房でひたすら皿洗いをする人々のように、今日明日の生活に必死であり、その先を考えられない者もいる。次に、だからといって彼らの全てが自由を失っているかと言えばそうではないということ。本を読み、頭を使い、自分は自分でこの生活をしていると「自分を説得することさえできれば」、お金を持っている人々よりも心は自由になれる可能性がある。別に何かの結論がある訳ではないのだが、このような多面的な描写は、特定グループの人間の生活というものは、要はその人々の心理によって構成されているという程単純なものではなく、それは社会的な制度/規範とも密接に連関しており、また時間軸上で変化していくものであるということを教えてくれる。
以下、特に印象に残った箇所
・百フランでも持っていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。だがたった三フランしかないとなれば、話はまるで違う。三フランあれば翌日までは食える。そしてその先のことは考えられない。退屈ではあっても、怖いことはない(p.27)
・はじめてこの地下室へ来たら、誰だって、狂人の巣窟へ迷いこんだと思ったことだろう。こんな混乱の中にも秩序があることに気がついたのは、もっとあとで、わたしにもホテルの仕組みがわかるようになってからだった(p.88)
・皿洗いの生活以上に単純なものはありえないのだ。考える余裕もなく、外界のことなどろくに意識もせずに、ただ労働と睡眠のあいだを往復しているだけなのだ(p.122)
・怠け者では、皿洗いは務まらないのだ。彼らは単に、思考を不可能にしてしまう単純なくりかえしの生活に捕まっただけなのである。皿洗いにすこしでも思考能力があったとしたら、とうの昔に労働組合を結成して、待遇改善を要求するストライキを打っていただろう。だが暇がないから、彼らは考えることをしない。この生活が彼らを奴隷にしてしまったのだ(p.156)
・「そうかな、ぼくは反対のことを考えてましたがね。金をとりあげられたらさいご、その男はそれっきり何もできなくなっちゃんじゃないかと思って」「いや、そうとは限らない。その気になれば、金があろうがなかろうが、同じ生き方ができる。本を読んで頭を使っていさえすれば、同じことさ。ただ、『こういう生活をしてるおれは自由なんだ』と自分に言い聞かせる必要はあるがね」ー彼はここで額を叩いたー「それでもう大丈夫だよ」(p.220)
・来ているものはボロで寒かったとしても、いや餓死しかけてさえいても、本を読み、考え、流星を観察することができるのなら、彼自身が言ったとおり、その心は自由だったのである(p.224)
・罵倒の目的は相手にショックをあたえ傷つけることで、そのためにわれわれは隠しておくべきことを口にする(中略)だが妙なのは、いったん罵倒の言葉として公認されてしまうと、その言葉は元の意味を失うらしいのだ。つまり、それを罵倒の言葉たらしめたものを失ってしまうのである。ある言葉は、あることを意味しているからこそ罵詈雑言になるのに、罵詈雑言になることによって、その意味を失ってしまうのである(p.236〜237)
・浮浪者が放浪生活をしているのはそれが好きだからではなく、車が左側通行をするのと同じ理由によるのだ。つまり、それを強制する法律があるからにすぎない(p.270) -
Posted by ブクログ
あ〜ら〜しを♪
お〜こ〜して♪
す〜べ〜てを♪
こ〜わ〜すの♪
デッデッ、デッデッ、デッデッデーデデ
デッデッ、デッデッ、デッデッデーデデン
はい、というわけで「世界三大悲劇」のひとつに数えられる名作『工藤静香が丘』です!
だぶん読んだことあると思うんですが、いつものようにまるで覚えていません
いつもの〜よお〜にまく〜があ〜き♪
いちいち歌うな!( ゚д゚ )クワッ!!
『ちあきが丘』(言いたい)
そして今のところ語り手のネリー含めて頭のおかしい奴しか出てこないです
もうなんか何ひとつ納得できない
何がどうなってるか全くわからん
出版当初は全く売れなかったというのも納得
こんなもん解説抜きで理解できるはずがない
特にわいみたいな真っ当な人生を歩んできた人間には難しいと思います
とりあえず今のところは、なんか愛ゆえにひとり残らずさんざんな目に合うみたいな?
あ〜い〜♪
さんさんと〜♪
このみに〜ふぅって〜〜♪
『ひばりが丘』(決まった顔) -
Posted by ブクログ
ネタバレ主人公の悦子は記憶の中の佐知子に自分の罪を投影していたのだろうか。それとも佐知子は本当にあんな女だったのだろうか。とにかく佐知子は愚かで嫌な母親のように描かれている。娘の万里子は完全に被害者だ。女の子の唯一の心の支えの子猫を殺してしまうシーンは本当に心が痛んだ。子供のことをよくわかっていて、誰よりも考えているようなことを言うが、結局なにも見えていない。少なくともそのように読者の目には映る。しかしそれは佐知子が本当にそういう人間だったのか、それとも悦子が佐知子を通して自分を責めていたのか、わからないままだ。
なぜ悦子は二郎と離婚し、イギリスへ渡ったのか。なぜ景子は自殺してしまったのか。そのあたりのことは想像するしかないのだが...景子にとっての子猫のような存在を、悦子は殺してしまったのだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ下巻に入るとヒースクリフの暴力、横暴支配はさらに加速し、キャシーとネリーを強迫監禁し、キャシーと息子リントンを強制結婚させるまでになる。しかしこのリントンがなよなよしていながら父譲りの暴君っぷりで本当に嫌な奴(作中で一番嫌い)で、こいつをキャシーが甘やかすから上巻より読んでいてストレスがたまった。
それでもマグマのようなエネルギーを感じてあっという間に読めてしまうのがこの小説のすごいところなのだと思う。解説に書いてあるような根源的な自我とか精神的エネルギーとかを感じとるまでには至らなかったけど、作中の恋愛なんてはっきり言ってどうでもよくなるくらいの怨念のすごみは感じることができる。
最後はヒースクリフが狂い死んで退場し、復讐のためかき集めた財産やお屋敷は彼の思惑から零れ落ちて愛を芽生えさせたキャシーとヘアトンの二人が受け継ぐことになってしまう…という突如霧が晴れるかのような結末。
まあこの二人も性格や言動にかなり難ありな印象だけど、ヒースクリフと同様に読者の私も結末までたどり着くころには疲れ切っていたので、まあ当人たちが幸せならいいか…と思わされる。ヒースクリフが怨念を盛大に燃やし尽くしてこちらの感情まで灰にしていく、すごい読書体験だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ演劇とかになってる、荒涼とした土地のお屋敷での恋愛・復讐劇…くらいの前情報で読み始めたのだが、想像を超える登場人物たちの暴れっぷりにびっくりしてしまった。性格がひねくれてるとかいうレベルではなく、もれなく全員性格が悪すぎ、被害妄想、ヒステリー、陰湿、暴力、精神錯乱などの常軌を逸した人物のオンパレードとなっていて彼らの乱闘、罵倒の応酬は読み応えがある。怖い。
冷えに冷え切った人間関係の中でヒースクリフとキャサリンだけは想い合っているという設定なのだが、キャサリンは登場人物の中でも断トツで頭がおかしくて別の男と結婚するし、二人の間にももちろん大喧嘩があってロマンチックな感じは一切しない。
ヒースクリフの思惑はあれど頭のおかしい人たちが利己的に憎しみ合って当たり前に不幸になっていくので悲しいとか切ないとかはない。怪獣大戦争をビビりながら見ているって感じがする。下巻まで読むと印象が変わるのだろうか…。とにかく怖い。 -
Posted by ブクログ
『嵐が丘』って、こんな話だったのか……と読みながら何度も思った。
ヒースクリフの復讐があまりにも強烈で、自分とキャサリンを引き裂いたヒンドリー本人ではなく、その子どもに復讐する姿には言葉を失う。まだ幼いのに、あまりにも残酷で、正直ヒースクリフにはまったく共感できなかった。
キャサリンもどこか気持ちが定まらず、ふらふらしているように見える。ただ、この時代に女性が生きていく現実を考えると、生活の安定を求めてエドガーを選ぶのは、仕方のない選択だったのだとも思う。
物語としてはとてもおもしろいのに、ヒースクリフがあまりに怖すぎて、下巻でどんな展開が待っているのか心配。