村上靖彦のレビュー一覧

  • ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと

    Posted by ブクログ

    ケアの本質について丁寧に触れられている。介護や看護だけでなく、あらゆるケアについて事例に触れているのも良い。
    人としての存在を丁寧に扱うこと、コミュニケーションのかたち、など、原点を振り返り、思い出させてもらえる内容。

    0
    2026年10月10日
  • 傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと

    Posted by ブクログ

    読んでいると苦しくなる。
    普段私が、疑問を感じつつも組織の中で致し方なく選び取らざるを得ない対処法や、意見の押し込めを鋭く指摘されているからだ。違う、本当はそうであるべきでない、そう思いながら、属している組織にいる立場で、それに反することができずに受け入れている私自身を強く意識させられるからだ。

    今の状況では自分がやりたいことはできないことを痛感する。出来ることに限界がある。届けたい支援が制限されてしまう宿命がある。

    とても突き刺さったフレーズをここにメモしておく。
    本当にそうなんだよなあ…
    「ケアのなかに管理とヒエラルキー、そして効率化が過度に浸透しているときに、ケアが暴力に転じやすくなる」P120
    「余裕のある時間の流れのなかでケアは生まれる」P122
    「ゆとりを許す場を確保しない限り人間の生存は難しくなる」P124

    0
    2026年09月20日
  • 生き延びるための会話 他者と生きることの哲学

    Posted by ブクログ

    著者の最新刊。これまでの著者の考察がさらに進み、腑に落ちることが多い書であった。「利害とは無縁な仲間を持てず、無駄を愛せないとき、僕たちは効率や管理の要請を内面化して市場の歯車となり、他の人たちにも組織の論理を押し付ける」だから無駄話という会話を続けることが「生きるスペース」を作り出し、その中で愛とも自分も大事にできる対話が生まれ、その中で自分についての言葉と自分たちのしたいことが自然と見つかってくる。「生きるスペース」を作ることは、組織の大小、小さい中では家庭や地域、大きくなると国家ということになろうが、「ゲリラ戦」である。「ゲリラ戦」は力が弱い側が生き残るための戦術である。「どのような社会制度や組織であっても、欲望と言葉を奪う暴力と管理が忍び込むリスクはある。」そのため「自分と他者の小さな願いを聴き取り守るゲリラ戦を続けることで生き延びていくのだ」という部分が現状を変えていくための方法論として共感した。

    0
    2026年07月05日
  • 「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立

    Posted by ブクログ

    「ヤングケアラー」とは誰か。
    タイトルのままであるけれど、個々人はそれぞれが別々の、親を含め複雑な事情を抱えている。

    子どものSOSが発せられる環境は、心身ともに安全安心を感じられる場所。
    西成のこどもの里。何人の子どもとその親を救ってきたのだろう。伴走型支援。地域で子どもを育てる。子どもを育てるということは、その親もサポートするということ。子どもの不安、親の不安。

    家族を気遣う。孤独。
    尊重されることの尊さ。

    この支援のあり方は、日本の子供だけでなく、外国人ファミリーにも必要なんだろうな。見えないだけで、色んな困難を抱えた人が多くいる。生活ではなく、生きる困難。心身の健やかさを保てない困難。

    ヤングケアラーについて、曖昧で無責任だった認識が、ドカンと変わる。

    0
    2026年06月27日
  • 傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと

    Posted by ブクログ

    誰かを傷つけることを、個人の問題としてだけではなく、社会構造や知らず知らずのうちに身につけた価値観との関係から捉えているのが印象的だった。私にはあまりなかった視点で、読みながら何度も立ち止まって考えた。

    自分の中にもある「傷つけやすさ」に、自覚的になれた気がする。

    0
    2026年06月20日
  • 「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立

    Posted by ブクログ

    「ヤングケアラー」というと、身体的介護や家事労働をする子ども、という一般的なイメージがあるが、それだけではないむしろそれ以上に、精神的な病を抱える親や薬物依存の親等の支えとなっているこどもが多いとのことで驚くばかりだった。親がそういう状況だと自分からSOSを出して助けを求めることはより困難になる。また、そういう環境で育つとそれが当たり前の日常になって、助けを求めるという発想にならないようだ。
    そこで重要なのが、そんな子どもを地域で支え続けてくれる大人の存在だ。そんな大人がいる居場所だ。日頃から居場所と繋がっていることで、SOSにも気付きやすくなる。

    0
    2026年06月02日
  • 客観性の落とし穴

    Posted by ブクログ

    経験の生々しさは偶然性やリズムといったダイナミズムに表れる。客観性と数値化への過剰な信頼が、その経験の生々しさを消してしまい、序列化を助長させる。顔の見えないデータや制度からではなく、一人ひとりの経験と語りから思考を出発させることで、社会的な困難の中にいる人、病や差別に苦しむ人の声を尊重する社会を志向することにつながる。
    一人ひとりの声を聴き取りときほぐしていく「現象学」

    0
    2026年05月01日
  • 客観性の落とし穴

    Posted by ブクログ

    ある青年(少年)の人生。「普通」が環境によって意味が変わるということ。記述することの大切さ。現象学がもっともっと好きになった。現象学の最初の第一歩として出会いたかった。

    0
    2026年03月16日
  • ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと

    Posted by ブクログ

    情報教育支援フィールドワークの参考本になるかどうか判断するために読んだが、それどころではなかった。看護・福祉の領域で読むべき本であり、情報教育支援という軽々しいことと対比できるどころではなかった。当事者になれば必ず読むべき本であろうし、介護体験に行く前に読むべき本である。

    0
    2026年01月11日
  • 客観性の落とし穴

    Posted by ブクログ

    客観性を物事や現象の真理とする現代。客観性担保のために全てを人の主観性を排除して、実験・計測などにより数値化し、その数値を統計処理により物事の基準を定め、エビデンスとする。あらゆるものがエビデンスにより標準化され、個々の独自性は排除されていく。
    数値による標準化が重視される社会ではその基準に従って、人間を序列化し、その序列とは社会にどれだけ役立つ事が出来るかの基準とされる。
    弱者が排除される社会。そんな社会が生きやすい社会なのだろうか。
    人間とはそれぞれがさまざまな感情や考え、生育環境、生活環境を持つ個別的な存在である。客観性のもとにマジョリティがステレオタイプ的を分類・序列化してしまう社会への著者なりの処方箋を示している。

    0
    2026年01月06日
  • となりのヤングケアラー ――SOSをキャッチするには?

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    ヤングケアラーとは何か、ヤングケアラーの実態、ヤングケアラーを支援する上で、大切なことなどが書いてある本だった。
    ヤングケアラーについて、なんとなく知っていたが、この本を読んでヤングケアラーについて学びを深めることができた。

    この本を読んで、勉強になったことや知らなかったことを、下記に記す。

    1 ヤングケアラーという言葉が出始めたのは、2016年頃。その頃は、5%クラスにいると言われていた。
    しかし、2020年以降調査を深くすると、10%クラスにいることが発覚。

    2 介護や頭にではなく、精神疾患を持つ家族をサポートする子供も、ヤングケアラーという。

    3 ヤングケアラーの子どもの気持ちとして、家族が心配、不安、家族が好きだから支えたい、状況から逃れなくて怒り、苦しい、憎しい。

    4 ヤングケアラーを苦しむのは相談できないなどの孤立。

    5 親が精神疾患を患っており、「死にたい」などという親の話を長時間ずっと聞いていた、ヤングケアラー。
    その後、一人暮らしをして息をつけるようになった、親と一緒に自殺した、親が自殺した、ヤングケアラー本人が自殺未遂をした、そんな親でも好きだというヤングケアラー、親を憎いというヤングケアラー。どの結末も本当にあった話である。
    しかし、そのような子供達は、体調や身なりに影響が出にくいため、見つかりにくい。

    6 親が外国人で、日本語がわからないため、学校を休んで役所などで通訳をする子供もヤングケアラー。
    また、耳が聞こえない親のためにサポートして、通訳している子供(通称コーダ)や、目が見えない親のために、サポートして、通訳している子供もヤングケアラー。
    要するに、子供が学校を休んでまで大人がすべき手続きなどもう子供が担っていること、また子供が大人の役割を担っているところである。また二つの言語を同時理解し、通訳しながら、自分自身の思考もする。人によっては できないことを、子供がしている。

    7 ヤングケアラーの子供達は、家事や介護に時間を取られまともな食事をしていない。(毎食カップ麺はよくあること。)

    8 親が宗教にのめり込んでしまい、その親の活動に休学してまで支援を行うなどの宗教二世もヤングケアラーにはいる。その当事者は、親からすごく束縛され、居場所がなくなり、自殺した。

    9 ヤングキアラーは、不登校・外との接触が少なく(苦しさを人に話せない・共有できないサポートが、うけられないなど)、親との関係に閉じ込められやすく、周りから切り離されて、孤立しやすい。

    10 ネグレクトとされている子供でも、親が精神疾患があり、まともに子育てできないため、その看病をしているかもしれない。そうなると、ヤングケアラーに認定される。

    11 ヤングケアラーは、どのような社会的ケアで、家族全体を応援すれば良いかと考える視点を持つことが大切である。

    12 元々ヤングケアラーという言葉は、1990年頃から、イギリスで使われ始めた。日本では2010年後半から使われ始めた。

    13 子供のヤングケアラーの本人は、SOSを出せない・出してはいけないと思ってしまう・そもそもSOSを出すほどではないと思っていること(外と接触する機会がないため、他の家の状況を知らない。そのため、自分の家がおかしいことがわからない)が多く、いざSosを出すことになっても助けるとは言えず、遅刻が増える・服装が乱れている・給食を食べない もしくはおかわりが多い・いつも眠そう・起伏がはげしい・自傷行為などがある。
    それを大人が気づかない・しっかり観察していない・見て見ぬふりをするなどをせず、しっかりサインをキャッチするようにアンテナを張ることが大切。またその感度も高めることも必要。
    その結果、ヤングケアラーや虐待を早期発見すること、問題が深刻になる前にサポートを組み立てることにつながる。

    14 そもそもケアを、「家族の責任にしない、社会全体でするものだ」という共通了解が必要、また高齢者の在宅支援(精神的支援も含む)、障害者の在宅支援、医療的ケア時の在宅支援、そして、それぞれの領域の連携が不足しているという福祉制度が抱える問題を改善していくことが大切。
    また、ヤングケアラー本人の孤立防止のため、本人の居場所や話を聞いてくれる人のたちの存在、ケアをしてくれる人達の存在があると、なお良い。

    15 ヤングケアラー本人が成人したからといって、ケアを必要とする家族の状況が変わらない限り、本人は楽にならない。行政などのサポート申請がしやすくなるかもしれないが、ヤングケアラーは18歳未満であることが多く、18歳未満までの支援が打ち切られる。そのため、社会の中で、さらに忘れられて埋没するケースもあり得る。

    0
    2026年01月26日
  • 客観性の落とし穴

    Posted by ブクログ

    村上靖彦先生のようか、臨床哲学の実践家は、「客観性」をいかに見、いかに語るのか、を知りたいと思い本書を購入。

    もちろん本書の重みは、後半の臨床哲学的な分析の部分、制度の「間」に落ちてしまった人たちやその支援者の語り(ナラティブ)の分析になるのだろう。が、わたしとしては、村上先生が自身の違和感を言語化するためにおこなった数々の努力が伝わってくる前半の議論の方に、心が惹かれた。

    「客観性」重視の論調への違和感を表面するのは簡単だが、それが、わたしたち人間にとってなぜ負の側面をもたらすのか、それがなぜ「悪」だといえるのか、それを、一つひとつ、「客観性」の世界にいきる私たちの耳に届けていくことは、難しい。

    本書の著者は、自然科学から始まり、経済科学、社会科学、そして心理学までが、実際に生きている「人」としての我々から切り離されていくプロセスを追っている。
    私たちの世界を明らかにするための学問が、なぜ「人」の痕跡をかんじさせない「客観性」を求めるようになってしまったのか…その痕跡をおっていきながら、「客観性」が人を排除するのみならず、誰かを不要なものとしその命を奪うことにすらなってしまった、その帰結を記述しようとする。

    ご本人が述べておられるように、その素描にはもちろん不完全なところがあるのかもしれないが、少なくとも、この本を読むなかで、自分の中の苦しさ、わだかまりのようなものがスッと流れていく感じがあった。

    「それって主観ですよね」という言葉を投げかけられ続け、つらい気持ちになったときには、いつでも開きたい本だ。

    0
    2025年12月11日
  • 鍵をあけはなつ ー介護・福祉における自由の実験

    Posted by ブクログ

    どうしても日常の現場活動にいると、ケアの本質を見失うことがある。そういう時に本質に戻させてくれる書が必要である。本書は認知症グループホーム、障害者グループホーム、高齢者施設、若者支援、発達保育、高齢者デイサービスなど、多様な人たちを支える人たちの語り集である。語りの中に真実は宿る。「リスク管理に抗するマネジメント」をどの人たちも苦労しながら行っており、それが失われた、いや新しケア像を作り出すことにつながると感じた。

    0
    2025年08月09日
  • 傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと

    Posted by ブクログ

    著者は「ケアとは何か」で声を出せない当事者の姿を見つけ、声を出せる援助の方策など、実際のケアの現場に沿ったケア論を展開していたが、本書はそれがヴァージョンアップされ、ケアの背景にある社会やその構造に目が開かれた、そして私たちはあらためて氏の主張にあらためて出会った。そして「ケアの倫理」になった。

    0
    2025年06月07日
  • アイヌがまなざす 痛みの声を聴くとき

    Posted by ブクログ

    自分が何も知らなかったことを思い知った。
    遺骨の盗掘や研究者たちの謝罪について、ぼんやりと聞いたことがあること、大学生の時に、親が北海道旅行で撮ってきた踊るアイヌの写真を無邪気に見せる様子に感じた、苛立ちと悲しい気持ちが、ずっと引っかかっていて、もっと知らなければ思っていたけれど、この本に出会えて本当に良かった。
    私にはマイノリティの属性もあるけど、アイヌの人達が経験してきた歴史や苦しみを全くといっていいほど知らなかったし、思いを馳せることもなかった。
    日本の教育を受け、日本の主流の文化的コンテンツを消費してきた私は、マイノリティ要素の有無をとわず、著者がいう白人性を持つ日本人だ。特権性に無自覚のマジョリティだ。
    自分のマイノリティ性を足がかりに想像するアイヌの人達の苦しみは、とても複雑で、大きすぎて理解が及ばないが、言葉にできないほどグロテスクな扱いを受け続けていることを知った。
    研究が、アイヌにとっては最も汚い言葉のひとつである、という指摘は鋭く、重い。これは本を読んで知識を得ようとする読み手にも、知った上でどうするのか次第で、突きつけられる指摘だと思う。

    中身はアイヌの人達のライフヒストリーのインタビューとその内容に対する繊細な分析で、言葉の使い方や、言い淀み、繰り返しやためらいなども含めて細やかに内容を読み解いていく。アイヌの経験がとても多様であることが分かるし、ウポポイやゴールデンカムイではない、生活の中の経験が見えてくる。研究者の見たアイヌ、ではなく、生活するアイヌの言葉で問題に触れることは大切なことだと感じた。自分の知っている少し似た疎外の経験に引き付けて、生々しく理解できるからだ。

    著者の1人、石原麻衣氏の考察とその表明の声色は、今まで読んだどの日本の研究者より知的ラディカルさに富む。あとがき、謝辞を読んで、石原さんが研究者として舐めてきた辛酸を思い、辛くなったが、同時に石原さんの知性の強さになんだかスカッとする部分もある。ともかくあとがき、謝辞にも強く感情が揺さぶられた。希望もあるんだ、かすかでも、と感じた。

    ここ数年で読んだ日本の人文系の本で、ダントツで1番良かった。

    0
    2025年05月12日
  • 客観性の落とし穴

    Posted by ブクログ

    前半1-4章は客観性の呪縛に囚われているわれらの罪深さを抉り取られ、いたたまれない気持ちに。 
    後半5-8章が著者の主張。個々人の経験の偶然性やリズムを、無編集の語りから掬い上げようという。さらにはケアの文脈から、マジョリティで覆い隠されている弱者への救済。

    ちくまプリマーから刊行しているには、内容が重い。それだからこそ、10代のような若者にこそ、客観性の神話から解き放たれてほしいという著者の切実な祈りを感じる。客観性が「一般」ではなく「普遍」と解釈されがちな社会、その思想に浸かっている自分の目を覚させてくれる。

    0
    2025年04月18日
  • となりのヤングケアラー ――SOSをキャッチするには?

    Posted by ブクログ

    【目次】

    第1章 ヤングケアラーってどんな存在?

    ヤングケアラーの発覚
    子どもが誰でももつ権利

    第2章 家事や介護だけがケアなのだろうか?

    親が精神疾患の子どもたち
    社会から排除される家族
    定義の試み①「家族への心配から逃げることができない子ども」
    定義の試み② 災害のなかの家族、災害としての家族

    第3章 愛憎相半ばする……

    相反する感情のゆらぎ
    家族が心配であり、家族と一緒に過ごしたいし、家族のために役に立ちたい
    家族にしばられて苦しい
    「私」がなくなる
    孤立

    第4章 ヤングケアラーという言葉をどう受け止める?

    マイナス面だけでないとらえ方
    ヤングケアラーという言葉をどう受け止めるか

    第5章 なぜヤングケアラーが注目されるのか-社会構造の変化から考える

    昔の「ヤングケアラー」と今のヤングケアラー
    社会構造の変化とヤングケアラーの誕生

    第6章 ヤングケアラーに必要な支援

    かすかなSOSへのアンテナ
    本人への応援と家族への応援-現在整備されている支援制度
    相談できる人・自分サイドの大人
    居場所と仲間
    生活支援と親支援-地域での子育てへとひらく
    将来のモデル

    終章 それぞれの「居場所」をみつける

    困りごとをサポートし合う社会へ
    一人ひとりのまなざしと、ユニバーサルなケア

    おわりに:ヤングケアラーのみなさんと、そのまわりにいるみなさんへ

    0
    2025年02月22日
  • ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと

    Posted by ブクログ

    看護をするなかで初心に戻れる本だと思う。
    そもそものケアとは何かを問うことが看護職として、看護職である前の人間として必要だと思う。
    このまま看護師への道に進んでも良いか迷ったときに、もう一度読みたい。

    0
    2025年01月13日
  • アイヌがまなざす 痛みの声を聴くとき

    Posted by ブクログ

    現代を生きる生身のアイヌの人たちの声を知ることができる。
    いまだに結婚差別があるなんて、どうすれば差別解消できるのか、考えさせられる。

    0
    2024年11月10日
  • ケアする対話 この世界を自由にするポリフォニック・ダイアローグ

    Posted by ブクログ

    「ケアの倫理」「オープンダイアローグ」「当事者研究」
    最近のわたしのキーワードが満載された本ですごく面白かったけれども、自分のなかではまだ体系化できてないなと思ったら「体系を構築すると権力志向が生まれてくる」という中井久夫の思想が紹介されていて(p.125)、じゃあもうしばらくこのままあれこれ読んでいくか……となった。

    興味を広げてくれるハブのような本で、これのおかげで2年前に録画したままになっていた「100分de名著」の中井久夫特集を一気見したし(「S親和者」がわからなかったので見たけど、中井自身のものと思われるエピソードがめちゃくちゃおもしろかった。本の背表紙を見ていると読んだ内容がすべてしみ出してきて脳内に洪水が起こるので、ぜんぶ小口が見えるようにひっくりかえしてならべていたとか)、『治療文化論』も買った。横道氏の『みんな水の中』もだいぶ前に買ってあって、これも読みたいなと思った。

    なんでここまで関心があるのか自分でもわかったようなわからないようななのだけど、30年ぐらい前に河合隼雄を読みまくっていたころは、たぶん自己セラピーで、今は、家族の悩み事に少しでも突破口が開ければなという気持ちなのだと思う。

    0
    2024年09月28日