村上靖彦のレビュー一覧
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昨今話題のヤングケアラーについての一冊。実際に家族の介護や様々な体験をした人々のインタビューからヤングケアラー当事者がどのようなことに苦しみ、それに対してどのような支援を受けたことでその苦しみを乗り越えられたのか解析しながらヤングケアラー支援に必要なことを考察している。
精神科の専門家が書かれていることもあり、ド素人の私には時々難解な箇所もあったが全体的には非常に分かりやすく、またヤングケアラーの生々しいリアルが描かれていた本だと感じた。
「ヤングケアラー」と聞いて『ああ、両親が共働きで祖父母の介護や兄弟の面倒を見ている未成年のことだな』という認識しか私はこれまで持ってこなかった。
これも全 -
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研究者である筆者が、対人支援職(看護や福祉職の現場で働く人々)と接し、実際の現場を観察する中で学んだケアに関する本質についてが述べられている。
ケアとは病む人と共にある営みであって、コミュニケーションを絶やさない努力の重要性が本の中で、何度も綴られていた。
人は孤独の中では生きられない。だからこそコミュニケーションを取ろうと声をかけ続けることがその人の存在を支える力になる。
21世紀に生まれて発展してきたピアの文化(同じ立場のフラットな関係の人たちが語り合う場所)も、自分が孤独ではないことを確認する手段の一つであることが記されていた。
また、ケアする立場の人(ケアラー)が注意すべきこと -
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虐待してしまう母を対象としたグループワーク「MY TREE」プログラムを取り上げた本。プログラムについては良く知っているつもりだったけれど、ファシリテーターの人たちの細やかな準備、配慮は想像以上だった。虐待に関しては加害者である母親たちはそれぞれ過酷な人生を歩んでいる。具体的なエピソードはこの本には出てこないけれど、それぞれが自分の被害的側面にも向き合いながら、ファシリテーターとグループの力で回復していくプロセスが描かれている。「人は変われる」「回復する力を持っている」と信じている人たちで作られた安全な場であるからこそ、自分のことも他人のことも信じられなかったところから少しずつ変わっていく。と
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『客観性の落とし穴』は、科学や社会が「客観性」や「数値」を重視することで何を得て、何を失ってきたのかを問い直す本だった。最初に印象的だったのは、昔の自然科学のデッサンが目の前の個体を忠実に模写するのではなく、「自然の本性」を示す理想型を描いていたことだ。現代では数値や数式による客観化が重視されているが、かつては本質を抽出することこそ客観性だと考えられていたのが興味深い。
本書では、客観性が進み、数値や統計によって人間や社会が管理される構造が描かれる。デュルケーム社会学が社会を「客観的事実」として捉え、現代の指標社会につながっているという話は、現在の幸福度ランキングやジェンダーギャップ指数など -
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“自分の「能力」に自信がある人は、下駄を履かせてもらって恵まれていたことに気づいていない。親の経済力、教育環境、仲間の協力、家事をしてくれる妻、これらはすべて「能力」を嵩上げする「下駄」だ。僕自身も子どもの教育に投資することが可能な家で育ったから大学まで行けた。自分の仕事に集中できる環境も、僕自身の努力の成果ではない。”(p.24)
“「人様に迷惑をかけてしまう」という意識は、「ケアが不足している」のにSOSが聞き届けられない状態だ。(中略)「迷惑をかける」と思ったときにはケアが不足しているのであり、ケアを受け取る権利がある。”(p.65)
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なんかちょっと思っていたのと違った。客観性の落とし穴については1~3(4)章くらいで終わり、そこからはずっと経験の大切さを具体例から見ていく感じ。なかなか見れない「具体的」で「生々しい」経験の数々は興味深かった。
統計は客観的に確率を教え、そこから得られる知見も多い。しかし、得られるのはあくまで確率で、それを構成しているのは「社会」であり「生身の人間」である。生身の人間がする経験は、誰かに語り、自分で行動することでしか得られない。全てを統計で判断できると考えていると、「じぶん」というものが薄れていくのだと思った。
読んでいるうちに、この本に対してもっと「客観的」で「一般的」な結論としてまと