【感想・ネタバレ】客観性の落とし穴のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2024年03月24日

客観性の持つマジョリティな考え方の強さ、それに従順になってきている自分たち。客観性によって隙間に落ちていってしまう人(マイノリティ)の語りから、全ての人に当てはまる真理が出てくるのではないか、といった内容。
とても納得する主張が多かったし、自分が個々のエピソードを聞くことを好きである理由がこういうと...続きを読むころにもあるんだろうなと思った。教育職に就いている自分にとって、このような考え方は大切にしていきたい。

0

Posted by ブクログ 2024年03月18日

エビデンス至上主義な意見をよくか聞くが、社会科学と自然科学をどう結ぶか、本書で感じられたと思う。

客観性といっても、誰かのルールに則ってしまうし、常識がひとそれぞのように、客観性もそれぞれで盲信できないと感じた。

0

Posted by ブクログ 2024年02月13日

医療や福祉、教育などの職業について客観性とケアのバランスについて考える1冊。クライアントの声や表現が大切であることを忘れずに評価を行う必要性- 客観的指標の限界を認識し、個々の質的な内面に向き合う重要性について教えてくれる。

・そもそも、客観性とはどのようなプロセスを経て誕生したのか?
・客観性が...続きを読む及ぶ世界はどのように変化してきているのか?
・客観性を踏まえどう考えていけば良いのか?

このようなことを教えてくれる書籍でもあります。

その中で、本書を読んで学んだ3つの問いは下記。
①そもそも、現実の現場においての評価とは?
②客観的指標の現実と限界をどう考えるか?
③表現できる機会が多い社会は優しい社会

①そもそも、現実の現場においての評価とは?
私たちは、普段クライアントの状態を評価するのに、評価と呼ばれる行為を行う。それらは、一般的に行われるものであればあるほど、盲目的に単純作業となりやすい。本来であれば、クライアントのニーズに合わせ行うことであり、その一つ一つに意義が宿る。

医療でいえば、たとえば歩行能力の指標や、バランス能力の指標、栄養状態や嚥下状態の指標、病気の状態や改善度合いなど、あらゆるものが数値化され、それをもとに報酬が決まってくる。
それが極端に進むと、クライアントを置いていき、数字が一人歩きをしていきかねず、なんのための医療なのか見失われかねない。

だからこそ、クライアントの声や表現が量的なデータ同様に大切である。教育も同じことが言えるのではないだろうか。

”客観的な視点から得られた数値的なデータや一般的な概念は、個別の人生の具体的な厚みと複雑な経験を理解するときに初めて意味を持つ。”

②客観的指標の現実と限界をどう考えるか?
現在の社会・経済システムにおいて、客観的指標が必要不可欠な場合が存在する。たとえば、学校の入学における学習能力。また、社会における給与や昇給を判断するための客観的な指標は、ほとんどの場合において必要不可欠ではないだろうか。

しかし、その限界やリスクを認識することが少なくなってきていると感じられる。
人を合理性や効率性、生産性だけで判断すると、それは優生思想につながっていく。

だからこそ、個々の質的な内面にどのように向き合っていくのかが問われているのが現在である。また、それと同時に客観的な情報をもとにしたコミュニケーションにおいて、政治や行政などあらゆる場面でリテラシーが低いのが日本だと思う。

個々の質的な情報とリテラシーの教育が大切ではないだろうか。

”数値化・競争主義は人間を社会にとって役にたつかどうかで序列化する。その序列化は集団内の差別を生む。その最終的な帰結が優生思想。”

③表現できる機会が多い社会は優しい社会
言葉、絵、詩、歌、遊び、それぞれに合った表現方法がある。
特に、悩みや困難を抱えたときに、表現する機会があるかどうかは、その人にとってとても重要となる。医療や福祉職は、その機会の一つであり、そこでクライアントの力や支えになれるかどうかが、試される仕事でもあると言える。

もっと言えば、誰もが表現できる機会や場が日常にあり、その人にとって表現しやすい環境にアクセスできる暮らしが一つの理想かもしれない。

そこには、専門家と呼ばれる人がいようがいまいが関係ない。一緒に表現を感じ、応答してくれるのであれば。

その個別の過程が大切にされる社会が人に優しい社会になるのではないだろうか。

”経験の重さは言葉にならないものであり、それゆえに不完全にでも語ることを通して私たちは経験の生々しさに対して応答しようとする。不合理で意味を持たない現実に対して、かりそめにせよ意味を与えることで生き延びる試みが物語るという営みだ。
個別の経験が生む『概念』が、誰にとっても意味がある共通の『理念』として、倫理的な『普遍』を指し示す。
この倫理的な普遍は『人権』と呼ばれるものと重なることになる。個別的経験を尊重することは、あらゆる人を尊重することを意味する。”

0

Posted by ブクログ 2023年12月25日

客観性を支えるのは数値である。
数値化は序列化であり、それが能力主義を生み、さらには優生思想に繋がる。

「働かない人が多くなると国が成立しない」といった統治者の立場でものを言う人が散見する昨今の傾向は、ホント嫌だなあ。国なんて、虚構なんだから、そこに視点を合わせることに意味はないことを知ること。視...続きを読む点を変えて当事者の立場になること。
経験を語ること、それが普遍的であることを知ること。
数値化を否定するわけではなく、それがもちろん全てではなく、生々しい経験こそが、真ん中にあるべきなのだということを教えてくれる好著である。

石牟礼道子の「苦海浄土」に描かれた、患者の生々しい息遣いを思い出した。あれこそが、客観性の真逆にあるものであり、顔が見える社会に必要なものだ。

0
ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年11月28日

大学で教鞭をとる筆者が講義において学生から多くの「客観的な妥当性はあるのか」という意見を受け取った。客観性を担保するものはデータであり、数値としてのエビデンスであるけれど、数値に過大な価値を見い出せば、個人の経験などは顧みられない社会になってしまうのではないかという思いがきっかけとなって執筆すること...続きを読むになったという

たしかに自分語りが疎まれる風潮が何年かまえに比べて強くなったよなとは思う。「それってあなたの感想ですよね?」なんていう言葉がもてはやされ、個人が催した感情を言葉にすれば「お気持ち」だなんて揶揄される。個人の経験や感想が忌避されるようになった。他人の気持ちを揶揄したり軽んじたりするような言葉や空気は本当に嫌いだ。人の持つ感情はそれまでの生育歴や対人関係、おかれている環境によって細かに異なるものであり、だからこそ価値があるものだ。ありきたりな表現だけど人間はロボットではないので。SNSなんて自分語りをするためのツールじゃないか

筆者も個人の感情や経験に取り合わないことで、マイノリティとされる人たちの声がかき消されていると指摘していた。もちろん学問の分野によっては客観性は大変重要であり、そういったものを否定するわけではないと明確に記載している。そりゃあ医療や科学の分野では数字の曖昧さは時に命となるものであるから当然だ

読んでいて納得することが多く頷きながら読み勧めていたけれど、なかでも客観性、すなわち数値にかたよった評価は数値によって人間を序列化するものであり、その数値はどれだけ社会で利益を上げる人間なのか評価される。人間が役に立つか、立たないかで切り分けられると書いてあった。社会の数値化が能力主義を生み出し、現代的な差別を生み出すとのことだった。例えば現在の障がい者の支援制度は就労がゴールになっているという。障がい者も就労し、納税することを求められる。経済的に役に立つかどうか、すなわち生産性という尺度で人間が測定される。そして生産性は他人と比較され、その比較は国や組織が行う。誰かと競っているように見えても、国や組織に品定めをされているのだというところに驚きと強い納得があった。障がい者の就労支援って、そういうことだよな…働いて国に税金を納めてほしいんだよなと思ったのだ

この本では客観性と数値を盲信することへの危惧を示し、私たち一人ひとりの生きづらさの背景に、客観性への過度な信頼があること。数値が過剰な力を持った世界において、人々が競争に追いやられること。その流れのなかで個別の経験の生々しさがが軽んじられがちになったこと。個人の語りを細かく聞くことで見えてくる経験や偶然性、必然性や多様さ、それらを捉えるための手段。そして誰もが取り残されることのない世界のかたちを考えることが記されている

いま形づくられている社会や制度がどれだけ大切にされるべき個人のことを抑圧しているか、その抑圧のしくみがこの本には書いてあった。当然のことだけれど個人が集まれば集団であり集団が大きくなればやがてはひとつの国になる

個人の幸福を無視して大勢の幸福は訪れない

0

Posted by ブクログ 2023年09月28日

 なんでも数値化して平均をとることで事態を掌握したような気持ちになるのはどこかおかしい。そう思いながらも平均というものを絶対の数値のように考えてしまうのが現実だ。よく考えてみれば、平均とは他人の状態の集まりであり、個々の人の成果とは無関係だ。
 本書ではこの数値化の歴史は200年足らずの最近の在り方...続きを読むで、しかも欧州型近代化の成果に過ぎないと断じる。数値で表すことが客観的な行為であり、それこそが正義だとされてきたのは実は不自然なことだったのである。
 科学の発展に自然の数値化は欠かせなかったし、それはこれからも変わらない。ただ、すべてを数字で表現すると事実を誤認する。
 筆者は現象学的なアプローチと称し、個々人の語りの独自性や、その語られ方に注目する。それらを単純に平均化するのではなく、個々の事象に向き合おうとするのである。これは行き過ぎた数値化やそれを客観的と考えて不思議とは思わない現代の風潮へのアンチテーゼといえる。
 本書の出発点は大学で学生が講義の内容に対して「客観性はあるのか」と質問されたことに端を発したという。数値でエビデンスを示さないと「あなたの感想」と見下す現代人は明らかに心が病んでいると私などは思う。証拠はないが。

0

Posted by ブクログ 2024年04月26日

「平均介護度はどれくらいですか?」
施設を見学に来る同業者の大半から聞かれる質問。
この質問にどんな意味があるのか、それとも大して意味はないけど“とりあえず”聞いているのか、僕には分からない。

その人の日常生活にどれくらいの介護が必要かを判定する指標として、要介護度というスケールが考案された。
...続きを読む護保険の適正な給付には、何らかの基準が必要なので、客観的な数字を用いることは、理にかなっている。

しかし、“施設の平均介護度”には、何の意味があるのだろう。
「有料なのにそんなに高いんですか!それは大変でしょう。」と言われてもピンとこない。

平均介護度は数値化された客観性の高いデータ…なのかもしれない。
しかし、その数値に、人となりや、暮らしのこだわり、一人ひとりの個別性は一切反映されていない。
なのに、客観的な数字で表すことで“分かった気になる”のだから恐ろしい。

福祉の対象は“すべての人”である。
本文には、こう記載されている。

『個別的経験を尊重するということは、あらゆる人を尊重することを意味する。誰も取り残されない世界を目指すということにつながるのだ。』

僕たちは、客観的なデータを使いつつも、客観的データが取りこぼしている個別的経験を見逃さないようにしたい。

0

Posted by ブクログ 2024年04月19日

難しかったですが、切り取られた部分だけではなく、多面的に物事を見て考えることの大事さを学びました。客観性という言葉は便利で信憑性高く聞こえやすいので、一度立ち止まって考えてから返答しようと思いました。

0

Posted by ブクログ 2024年03月23日

十人十色。
一つ一つのエピソードを丁寧に見ていく個別性の大切さが論じられていた一冊。
数で示すのは分かりやすいし、一見すると正しく見える。
量的研究に敬意を表しながらも質的研究の矜持を感じさせられた。
本書を読んでいて頭に浮かんだのは「戦死者数」だった。
ニュースで「○○人が死亡」と報じられることが...続きを読むあるけれど、その○○人には、それぞれ個別のエピソードがある。
その個別性を忘れてはいけないと思った。

0

Posted by ブクログ 2024年03月12日

毎日スーツを着てパンプスを履いて仕事に行くことがどうしても無理──そういう理由で一般企業への就職をあきらめた女性がいる。「そんなことくらいで」と思うだろうか。「努力が足りないのでは」と思うだろうか。しかし、多くの人にとって何でもないことだとしても、彼女が就職を断念しなければならないほどに苦痛と感じる...続きを読むのであれば、少なくとも彼女にとっては、それは耐え難い苦痛なのではないか。
客観性はすべての人に同じ基準を押し付け、すべての人を同じ基準で測ろうとする。そうしたとき、前述の女性のような人は「落伍者」あるいは「怠け者」というレッテルを貼られ、世の中から切り捨てられてしまう。けれども、そのような客観性ははたして「真理」なのだろうか。
単一のモノサシで測ろうとするから、比較と競争が生まれる。偏差値はその典型である。偏差値は学力を測るモノサシのひとつに過ぎないが、偏差値によって学校も生徒も一直線上にランクづけされてしまい、その中で競争を強いられる。偏差値が無意味だと言っているのではない。数値的な客観性によって、見えなくされているものがあるということである。
本書の「はじめに」の中で、「障害者にも幸せになる権利はあると言うけれど、障害者は不幸だと思います」という学生の言葉が紹介されている。本来、何が幸せで何が不幸かは、人それぞれである。しかしこの学生は、幸せの基準は誰でも一緒だと考え、その基準によって障害者を不幸だと決めつけてしまっている。同時に、自分自身をもその基準に縛り付け、不毛な序列制へとみずからを追い込んでいるように見える。
客観性に対する過剰な信仰。数字に支配された世の中。現代社会におけるマイノリティの差別と排除は、それらと切り離すことができない。著者は病気や障害を抱えた人たちへの聞き取りを通じて、「経験をその人の視点で語る」ことの意味を説く。それは一体どういうことか。
本書で取り上げられているショウタさん(仮名)のエピソードをここに紹介したい。母子家庭に暮らす彼は、精神疾患と薬物依存の母親を世話しながら、極度の貧困生活を送っていた。だから、家にしょっちゅうゴキブリが出たり、夕食が毎晩カップラーメンなのも、彼にとっては「普通のこと」だった。しかし、友達が遊びにきたことで、彼は自分の家庭が「普通ではない」ことに気づいてしまう。そして、自分を不幸だと思い、「普通の生活」に強く憧れるようになる。ところが、母親の逮捕をきっかけに施設に入り、自分以外にもさまざまな境遇の子供がいることを知ると、「普通って何だろう?」と考えるようになる。結局、普通なんてものは存在しないんだ。そうやって彼は「普通」の呪縛から離陸する。
人間は、一人ひとりが異なる顔を持った個別的な存在である。しかし、客観性「だけを」真理と見なしたとき、「全体」や「多数」といった顔のない主語によって、個人は抹殺される。現代社会の持つ非情さと、現代人が抱く不安。その二つの根底にあるものを、著者は見事に描写している。

0

Posted by ブクログ 2024年03月10日

発売当初から気になってた本。私自身の課題認識や関心に重なる部分が多くやはり読んで良かった。関係者を大きく巻き込んで推進する力を作っていくときに統計的で客観的であることは必要だと思っている。でもその動きの中で捨象されてしまうものにこそ自分の課題意識はずっとあって、そのギャップをどう埋めたり擦り合わせを...続きを読むしていく役目ができるだろうかと悩み中。なぜ客観性、数値だけでは不十分なのか、を説明する言葉や視点を補強していただいた気分。そして、やはり行きつく先は現象学。どう学びどう考えて実践と結びつけるといいんだろうなぁ。

0

Posted by ブクログ 2024年03月03日

個人的には、第4章と第5章の中の「急いで補足すると、私は質問紙調査などで得られるヤングケアラーや虐待についての客観的データを否定したいわけではない。これらのデータは子どもをめぐるマクロの状況から考える上で貴重なデータであり、私も常に参考にしている。しかし客観的な視点から得られた数値的なデータや一般的...続きを読むな概念は、個別の人生の具体的な厚みと複雑な経験を理解するときに、はじめて意味をもつ。数値的なデータの背景には人生の厚みが隠れているのだ。」(p.98)の部分がいい。

著者は客観性や数値化を悪とみなしていると言うよりも、それら自体は必要としつつ、それらがあまりにも社会で絶対視されている(ように見える)状況に警鐘を鳴らしつつ、個の人生に考えを巡らせることの重要性を再認識してほしかったのではないかと思う。別の言い方をすれば、統計に現れる1つ1つの数字には、個人の人生が記録されていると言うことをあらためて主張したかったのではないのかと思う。

0

Posted by ブクログ 2024年02月23日

「リスク計算は、自分の身を守るために他者をしばりつけるもの」

生の経験、語りの重要性を再認識した。
参考文献も興味深いものがいくつかあり、読んでみたい。

0

Posted by ブクログ 2024年02月20日

客観性、数値の評価に過大な価値
自然→人間→客観、事実、科学としてみる
比較と競争が激しくなった。人間を社会にとって役に立つかどうかで序列化

偶然
あること、ないこと。にもかかわらずの逆説の反転が偶然の事実として感じる。
癌になった。自らの病を語ること、おぞましい力。
それが生きるということ。生き...続きを読むるために言葉を紡ぐ

0

Posted by ブクログ 2024年02月20日

客観性の落とし穴
著:村上 靖彦
ちくまプリマー新書 427

客観性+数値を過信せずに、経験にもとづいた方法論をとれ、ということいっています。

ただ、書名については、違和感がありです。高さがちがうというか、あっていないというか 客観性⇔主観性、数値化⇔言語化といった軸を期待したのですが。

「は...続きを読むじめに」の冒頭にあるように、「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか」という問いがでてきます。筆者は現代を支配する、数値と客観性への過度の信仰に対して疑問を呈している。

要は、過度の客観性信仰の陰で、主観性である経験を重視しようという流れとなる

客観的な測定
 ①感覚の段階
 ②視覚化の段階
 ③数値化の段階 判定者が重要になるから、証言によって結果を保証する必要があるのはここまで
 ④誤差理論の段階 以後、測定者の手を離れて自立していく、より客観的になる
 ⑤指示・記録計器の段階
 ⑥デジタル化の段階

科学の客観的価値とは何か ⇒ 科学はものごとの本当の関係を教えてくれるのか

客観性の追求
 ①資料の収集
 ②資料批判
 ③正しいと判断した資料にもとづいて、過去の事実を記述する が客観性である

自然が客観的な真理とされたことで社会から人が切り離されていく。
人間の経験は科学的知見から切り離された 
⇒ 人間の心、魂も、客観的にすべきでは
⇒ 研究対象となるのは、あくまでもの、心理現象であって、事物的な反応に限られる
⇒ 心はデータとなり得ない
⇒ すなわち、人間の主体的経験は消されていった 【前半で浮かびあがった問題点①】

数値市場主義、自然と社会の森羅万象が数値化されていく
世界そのものが数学化された社会では、世界は統計によって支配されることとなる
数値化されれば、個人に責任が帰される社会は不安に満ちており、社会規範に柔順になることが合理的になる

⇒ 生産性によって、人間を分断し、顔がみえない匿名的なものへと変えていく
⇒ その帰着として、数値において、優秀な人間と劣る人間という序列化が生まれ、劣るとされた人間が差別されるとともに、排除される 【前半で浮かびあがった問題点②】

後段は一転、経験、言葉を中心とした議論が展開される

一人称の視点から人間を分析するとき、外から見た客観的な指標では見えてこない像が生まれる
⇒ 人の経験を大切に扱うこと
⇒ 語られた言葉をそのまま記録する

経験の生々しさ:インタビューは、人生全体の要約であり、省略であり、近似値である
語ることが難しい経験を、あえて言葉にしている

統計学とは、たくさんのデータを集めて数学的な処理をすることで出来事の中から法則性を見出すもの
⇒ しかし、偶然との出会いから生まれる唯一無二の経験や説明を超えた変化を、統計学は考慮しない
⇒ 経験のダイナミズムは座標に位置づけられないし、計測することもできない
⇒ 経験のダイナミズムの1つとして、変化のダイナミズムを考えよう

経験の内側からの視点 
⇒ 経験を尊重しつつキャッチするためには、客観とは異なる視点を取る必要がある
⇒ 経験の内側に視点をとる思考法
⇒ フッサールによる現象学

個別的経験を尊重することは、あらゆる人を尊重することを意味する

【結論】客観性と数値を盲信することなしに、顔の見えないデータや制度からではなく、一人一人の経験と語りから出発する思考方法を提案する

目次*Contents

はじめに
第1章 客観性が真理となった時代
 1 客観性の誕生
 2 測定と論理構造
第2章 社会と心の客観化
 1 「モノ」化する社会
 2 心の客観化
 3 ここまでの議論を振り返って
第3章 数字が支配する世界
 1 私たちに身近な数字と競争
 2 統計がもつ力
第4章 社会の役に立つことを強制される
 1 経済的に役に立つことが価値になる社会
 2 優生思想の流れ
第5章 経験を言葉にする
 1 語りと経験
 2 「生々しさ」とは何か
第6章 偶然とリズム―経験の時間について
 1 偶然を受け止める
 2 交わらないリズム
 3 変化のダイナミズム
第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
 1 経験の内側からの視点
 2 現象学の倫理
第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景
あとがき

参考文献

ISBN:9784480684523
。出版社:筑摩書房
。判型:新書
。ページ数:192ページ
。定価:800円(本体)
。発売日:2023年06月10日第1刷
。発売日:2023年09月10日第6刷

0

Posted by ブクログ 2024年02月13日

感想
客観性が必要な場面を見極める。例えば説得が必要なビジネスシーンでは数値を利用すれば良い。個人の語りが聞きたいなら。データはいらない。

0

Posted by ブクログ 2024年01月17日

今の世の中の流れに対し、グッと引き戻すようや問題提起はとても共感しましたが、各章のつながりが曖昧なことと、最終章の提起が筆者の活動を通してのことなので、やや飛躍している印象でした。
ただ新書の限界もあると思いますので星は4つとしました。

0

Posted by ブクログ 2024年01月03日

昨年話題となった本。

人やことが、データ化される。
それが「客観的」なものとして、信奉される。
データになれば、比較したり傾向を把握しやすくなる。
有用ではあるけれど、一方で人やものごとは比較可能な数値に還元され、固有性が見失われてしまう。
人についていえば、比較可能な存在となることで、競争させら...続きを読むれ、生きづらい世の中になってしまう。
生産性がなければ生きる価値がないと、それぞれが内面化してしまう。
それが他者を傷つけたり、翻って自分自身を傷つけたりすることにもつながる。
こんなふうであっていいのか。
本書の問題意識は、ここにある。
そして、それは自分にもよくわかる。
弱い人が弱い人をたたく構図が、かくもあちこちで見られるのだから。

ではどうするか。
どうしたらいいのかわからないのが自分の状況だ。
筆者は、精神科の医師として、大阪市西成区などの困難な境遇にある人たち、その家族、またその人たちのケアに当たる人にインタビューを行ってきた経験から、個別の経験を徹底して大切にすることを提案する。

語りを丁寧に聞くことで、その人の生き方のスタイルが浮かび上がる。
その語りは、聞き手との人間関係の中で、たった一回成立する、偶然の産物である。
驚いたのは、その個別性を突き詰めていくと、理念に達するということだ。
そこはベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』上巻を援用している。
そして、そこが本書で一番読みづらかったところだ。
一番大切なところなのだろうが、今一つここがうまく納得できていないのが悔しい。

筆者は、こうした考え方を社会実践へつなげていくことを主張する。
ケアが必要な人たちが、社会から排除されないように。
ケアそのものの価値を高めるように。
筆者は小さなコミュニティや自助的な動きを称揚し、期待している。
それは、筆者が行政に期待していないということの表れなのかと感じた。
もう待ったなしの状況だからなのかなあと思うが、そこにちょっとやりきれない思いを抱いてしまう。

新年からいろいろ考えさせられた一冊だった。

0

Posted by ブクログ 2023年12月27日

数字、客観性、それに伴うエビデンスは人を説得、納得させる事ができる。
しかし、その数値化等は、そもそも一人ひとりの偶然かつ個別的に生じるものから法則性を導き出している。
この本は、その個別性、出来事の生くささが重要であることを説いている。

0

Posted by ブクログ 2023年10月13日

新聞の書評で気になって読みました。ちょっととりとめがないようにも思いましたが、客観性、エビデンスとか言ってるのは自分の意見がないのと同じかな、とは思いましたね。絡め取られないようにはしたいかな。

0

Posted by ブクログ 2023年10月12日

帯の軽さと、実際に読んだ内容の重さがまったく違っているところは良いのか悪いのか…
客観性や数値によって痛快に相手を論破するという話は、創作にも現実にもあふれていて、その楽しさもあるが、この本にあるように、その落とし穴にも目を向けた上でなければならない。気をつけなければ。

0

Posted by ブクログ 2023年10月10日

面白かった。 数値や 客観性がどうしても上位の価値観のように感じていたが、必ずしもそうではない場合がある。個人の経験や 内面に秘めていることを丁寧に、また その思いの込められた 言葉通りに受け取り記録し 、分析することによって見えてくるものがあることを知ることができた。

0

Posted by ブクログ 2023年09月18日

客観性を過度に信頼し、数値が絶対的な価値基準として人々を支配する世界は、人間の個別性や経験の生々しさが忘れ去られ、差別や排除も生まれて非常に生きづらい世界になってしまう。一人ひとりの顔と声から出発して社会を作ることの重要性を、現象学の思考様式や西成区での取組などをヒントに提唱しています。

0

Posted by ブクログ 2024年03月17日

タイトルに惹かれて読んでみたが、客観性についての議論は前半のみ。後半は、経験とか、ケアとかの話。「ゼロからの資本論」同様、行きすぎた資本主義の弊害が、ここにもある。

0

Posted by ブクログ 2024年02月08日

客観的とは冷静?偏見がない?
広く視野をもち、数値での評価も大切だが
数値に入らない個々の思いや大事にしていることが数値に隠れていることに配慮が必要
病気だけでなく、悩みやネグレクトやハンディキャップなど周囲が支え合うことが大事

0
ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年01月28日

エビデンスを強く求められてへこんだことがきっかけで読んだ。数値、データ、客観性を求める中で切り落とされていく個人の経験や語り。客観性を求める研究を否定しているわけではない。個人の語りの逐語録をもとにした研究も必要でしょ。個人の語りを大切にして社会を作っていくことが求められるのでは。そうやってできてい...続きを読むる地域が大阪をはじめ、出てきてますよ。とのこと。
エビデンス論者に一矢報いるために読んだけど、ちょっとイメージ違い。

0
ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年12月29日

地方で生活する人が車を持たず不便であっても「障害」とは言わないが、エレベーターがないと上の階に上がれない車いすユーザーは「障がい者」とされる。すなわち、障害はimpairment「器物的な欠損」とdisability「環境が整っていないがために生じる状態」に分けられる。
個人主義や自己責任論において...続きを読む、社会は個人を非難こそすれ、守りはしない。また、「それで責任をとれるか?」と他者を非難し、規範に縛りつける。それにより、校則を自主的に守る学生のように、人々は外からの強制でなく、自ら社会規範に従うようになっている。すなわち、「不確実でリスクに満ちた社会」になったのではなく、数値化により、社会や未来がリスクとして認識されるようになっただけである。
「共感」や「感情移入」は相手をゆがめ、消費しうるので、語り手のママの言葉を尊重する必要がある。

0

Posted by ブクログ 2023年11月22日


 本書のおおまかな指摘は、「客観性に終始し統計値などの数的データや科学的理論に拘泥すれば、その背景は往々にして見過ごされてしまう」という主張でした。
 まあ、この論旨は何も目新しいものではなくずっと言われてきたものなので、特に驚きはないですね。
 ただ、見過ごされているからこそ、現代は生きづらい世...続きを読むの中なのだと話が展開してゆきます。
 現代は過度な客観的態度に支配されており、それが今の社会をより厳格に序列化していると述べられています。そこから筆者はその行きすぎた客観性を現今の社会問題へと布衍させ切り込んでいきます。過剰な偏差値主義や成果主義など、人口に膾炙した問題点や、「普通」から乖離した人々の息苦しさにまで焦点を当てているのは、感心しました。
 また、筆者はそうした客観的な態度を単に否定しているわけではなく、それらの有用性もきちんと抑えつつ、そのデータからこぼれ落ちた人たちを救うためにその背景や文脈を知ることの大切さを説いています。
 理系か文系といった話はよく聞きますが、両者あって初めて真価を発揮するんだなあと改めて実感しました。

以下、本書より一部加工して抜粋をする。
“私たち一人ひとりの生きづらさの背景には、客観性への過度の信頼がある。自然も社会も客観化され、内側から生き生きと生きられた経験の価値が減っていき、だんだんと生きづらくなっている。
 数値が過剰に力を持った世界において、人々が競争に追いやられる。数値に支配された世界は、科学的な妥当性の名のもとに一人ひとりの個別性が消える世界であり、会社や国家のために人間の個別性が消されて歯車になる世界だった。序列化された世界は、有用性・経済性で価値が測られる世界でもある。弱い立場に置かれた人たちは容易に排除され、マジョリティからは見えなくされ、場合によっては生存を脅かされる。
 科学の進展にともなって客観性と数値に価値が置かれ、個別の経験の生々しさが忘れられがちになった。ただし、一人ひとりの異なる個別の経験をその人の視点において尊重することは、困難を抱えすき間へと追いやられた人の声を聴く努力と一体である“

0

Posted by ブクログ 2023年10月09日

「客観性と対置されるのは主観性ではなく、共同的な経験のダイナミズムである」
この本で最も良かった一文。

しかし“客観性”の陰に隠れているものとして、マイノリティや貧困者に偏りすぎて取り上げているのと、ナラティブの限界もあるんじゃないかと思った

0

Posted by ブクログ 2023年10月04日

社会的弱者と呼ばれる方やマイノリティを語る上では、統計が役に立たないこともあるという話なんだが、表紙でイメージしてたのとは全然違う話だったので、拍子抜け。

0

「学術・語学」ランキング