村上靖彦のレビュー一覧
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数値による評価を客観的事実として絶対視する考え方は、何が問題なのか。数値データを用いた研究が生まれた経緯、その結果社会にもたらされた影響等を踏まえつつ、その危うさに言及、未来への提唱という形で展開している。
なかなかに難しい内容で「言ってることは理解できるが…」と思わず唸ってしまったが、考えることそのものに意味のある社会問題だと半ば開き直り読み終えた。読後、100%納得できたかと言われればちょっと首を傾げざるを得ないのだが、そのような視点を持つことが自身の選択肢に増えたという点では良かったと思う。
個人的に特に印象に残ったのは、「働く意思のない人を税金で救済するのはおかしい」という学生の意見を -
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模試の結果に一喜一憂した受験生時代。
○歳以上の出産はリスクが急増するという情報を見て、年齢を逆算していた20代。
コロナの新規感染者数の増減が自分の気持ちにまで影響していた数年前。
客観的な指標こそリアルで、数字やデータをきちんと理解して行動することが理性的で正しいと思いがちだ。
この本は、客観的なデータはもちろん必要なものだけど、それだけが重要視される世の中ってどうなの?個人の体験の一つ一つだってもっと大切に扱われても良いんじゃないの?と問題提起している。
「それってあなたの感想ですよね」が論破に繋がるのは、個人の感想はあくまで個人的なことで、客観性が無いから意味が無いということなんだ -
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近代以降、科学が発展する中で生まれた客観性への過度な信仰に警鐘を鳴らす一冊。
前半は客観性が盲信されるに至った経緯やそれによる弊害を明示してくれる。結局、人間を定量化、数値化することが難しいのだと感じた。もちろんメリットもあるが、特に医療や福祉の世界においてはデメリットも目立つのだろう。私も医療関係で働いているので、日々感じているところと符合する部分もあり、改めて考え直すいい機会になった。
個人的には優生思想に関する説明がよかった。優生思想はよくないということはわかっている。しかし、具体的になぜだめなのか理解できていない部分もあった。本書では客観性の盲信→数値化→序列化→能力主義→優生思想 -
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毎日スーツを着てパンプスを履いて仕事に行くことがどうしても無理──そういう理由で一般企業への就職をあきらめた女性がいる。「そんなことくらいで」と思うだろうか。「努力が足りないのでは」と思うだろうか。しかし、多くの人にとって何でもないことだとしても、彼女が就職を断念しなければならないほどに苦痛と感じるのであれば、少なくとも彼女にとっては、それは耐え難い苦痛なのではないか。
客観性はすべての人に同じ基準を押し付け、すべての人を同じ基準で測ろうとする。そうしたとき、前述の女性のような人は「落伍者」あるいは「怠け者」というレッテルを貼られ、世の中から切り捨てられてしまう。けれども、そのような客観性はは -
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昨今話題のヤングケアラーについての一冊。実際に家族の介護や様々な体験をした人々のインタビューからヤングケアラー当事者がどのようなことに苦しみ、それに対してどのような支援を受けたことでその苦しみを乗り越えられたのか解析しながらヤングケアラー支援に必要なことを考察している。
精神科の専門家が書かれていることもあり、ド素人の私には時々難解な箇所もあったが全体的には非常に分かりやすく、またヤングケアラーの生々しいリアルが描かれていた本だと感じた。
「ヤングケアラー」と聞いて『ああ、両親が共働きで祖父母の介護や兄弟の面倒を見ている未成年のことだな』という認識しか私はこれまで持ってこなかった。
これも全 -
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研究者である筆者が、対人支援職(看護や福祉職の現場で働く人々)と接し、実際の現場を観察する中で学んだケアに関する本質についてが述べられている。
ケアとは病む人と共にある営みであって、コミュニケーションを絶やさない努力の重要性が本の中で、何度も綴られていた。
人は孤独の中では生きられない。だからこそコミュニケーションを取ろうと声をかけ続けることがその人の存在を支える力になる。
21世紀に生まれて発展してきたピアの文化(同じ立場のフラットな関係の人たちが語り合う場所)も、自分が孤独ではないことを確認する手段の一つであることが記されていた。
また、ケアする立場の人(ケアラー)が注意すべきこと -
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虐待してしまう母を対象としたグループワーク「MY TREE」プログラムを取り上げた本。プログラムについては良く知っているつもりだったけれど、ファシリテーターの人たちの細やかな準備、配慮は想像以上だった。虐待に関しては加害者である母親たちはそれぞれ過酷な人生を歩んでいる。具体的なエピソードはこの本には出てこないけれど、それぞれが自分の被害的側面にも向き合いながら、ファシリテーターとグループの力で回復していくプロセスが描かれている。「人は変われる」「回復する力を持っている」と信じている人たちで作られた安全な場であるからこそ、自分のことも他人のことも信じられなかったところから少しずつ変わっていく。と