村上靖彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
数字や客観性「だけ」を真理することに対し異を唱え、生々しさというか個人の経験談こそが、人を動かす重要なファクターであるということを説いた本。
本書内ではビジネス的な観点のエピソードはないが、例えば、新事業や新しいプロジェクトを提案するときに、市場が〇億円あって、競合品がこんなんで、それに対し、自社のプロジェクトはこんな利点があって、シェアが■%ととれます、という説明も大事ですが、どこそこ会社の●●さんが、「この商品なら、月■個は使うぜ」と言ってくれてます!さらに同様の声が〇人以上います!みたいな話をされると、妙に納得するな、と思ったことを思い出しました。
統計的な数字も大事ですが、ストーリーを語るためのナラティブも重要ですね。その使い分けができるか否かが、仕事ができる人とそうでない人の境なのかも、などと思いました。 -
Posted by ブクログ
「数値と客観性への過度の信仰」(p.11)によって、見過ごされ、切り捨てられる事実があることに焦点を当て、結果として自分たち自身が不幸になっていく「社会の弱い立場の人に厳しくあたる傾向」(同)の背景にある思想、どうやってその思想から脱却するか、ということについて述べられた本。初めは科学的思考への過信に対する警鐘を鳴らす、的な本かと思ったが、結果としては哲学の本だった。「決して既存の科学そのものを批判する意図があるわけではない」(pp.174-5)ということは何度も繰り返されるが、その上で、「競争と勤勉さという社会規範」(p.174)をあまりに忠実に信仰することの危険性について指摘し、「一人ひとりの経験の内側に視点をとる営み」(同)によって、別の真理に辿り着こうとする試みについての話だった。「問題は、客観性だけを真理として信仰するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまう」(pp.134-5)という話。昔、先輩の先生に、「なんか新書ばかりじゃなくて、誰かの手記とか読んだ方がいいんじゃない」とアドバイスされた記憶が微かにあるが、それに近い感じなのか、と思った。
まずは「客観性」というものはどこから生まれたものか、という学問の歴史についての話があって、客観性といえばやっぱり数学や科学の世界、という話。「人間の操作とは無関係に成立している論理的な関係のなかに数学の基礎を求める」(p.26)ようになり、「言い換えると、『それは何か?』ではなく『事象と事象がどういう関係でつながっているのか?』に焦点が移る」(同)というのは、なるほどと思った。「個々の対象ではなく対照間の法則こそが客観性だとみなされる」(p.27)という話は分かりやすい。だから客観性とは数式で結びつけたり、数式の操作によって成り立つその「何か」、が客観性の正体なのか、と思った。「統計学が力を持つ現状は、自然と社会のリアリティの在処が具体的な出来事から、数字へと置き換わったことの象徴である。当初、統計は世界のリアリティについてのある程度の傾向を示す指標と見なされていたが、次第に統計が世界の法則そのものであると考えられるようになった。」(p.54)というのも分かりやすく、つまり統計が事実そのものになる、行き過ぎれば統計による暴力、とも言えるかもしれない。あとは医療現場や学校現場における「リスクと責任」も、この統計が人を追い詰めている例だが、学校の校則は「子どものためと見せかけて、大人が自分の不安ゆえに子どもの行動を制限しようとしている。リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ」(p.56)というのは、詳しくは言えないが、本当に今日、仕事でおれがやったことなので、本当にこの競争社会に縛り付けられているおれ、という感じがした。「そんなことをして責任とれるんですか」(p.57)という言葉で非難されるのを防ぐために、おれはリスク計算をして合理的な行動をしたが、そうやって完全にこの客観性に支配される世界の住人として生きてるよな、と思った。教員ははっきり言って、リスク計算ばっかりする仕事のような気がする。というか、でも逆にこういう計算をする必要のない仕事って、どういうものがあるんだろ、と考えてしまう。そうやって客観性による暴力の最たるものが、「優生思想」ということで、これは昔のユダヤ人やアメリカの移民の話だけでなく、「現在の日本での発達障害の増加は、知能テストを過剰に行うこととも関係していそうだ。(略)『発達障害』という名称を手にしたことで救われる人も少ないが、安易に『発達障害』というラベルを子どもに貼ることで集団になじまないとういレッテルを貼り、『特別支援学級』への移行や、『放課後等デイサービス』の利用を勧め、分断を生んでいる側面はないか。」(p.69)というのは鋭い指摘だと思う。さらに、じゃあ個別の体験を重視します、と言っても、そこには「他者表象の暴力」(p.140)の問題が潜む、という話も、納得できることだった。「研究者というマジョリティ側の強者が、傷ついたマイノリティを研究するという構図となる。このとき研究者が、研究対象となる人々に(学問にもとづいた扱いをするがゆえに一見するともっともらしい『客観』という)レッテルを貼ることがめずらしくない。」(p.140)という、なんか客観とは別の心理を発見するために、ひたすらにその営み自体を客体化していかないといけないという研究の難しさ、危険性について認識できて、なかなか一筋縄ではいかない、という感じ。弱者に対するきれいごと、を言うことが実は暴力かも、という難しさがある。
特にネットだったら、こういう「暴力」は本当に当たり前だよな、というかおれもよく知らないけど最近よく見る「Tier表」もゲームの世界での強さを数値化して分類、ということらしいので、この世界観から脱却するのは、ほとんど非ユークリッド幾何学をやるようなパラダイム転換が必要で、難しい。でもまさにこういう真理や世界があるということを、社会に出る前の高校生、おれの生徒には知って欲しいし、頭の片隅には常に置いておいて欲しい、と思ったので、おすすめしたい本の1冊だった。(26/02) -
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福祉に携わると、制度の隙間にはまってしまうケースによく遭遇する。本書でも冒頭で言われているが、典型例に当てはまらないため、類型化してパターンで振り分けることができないのだ。というか、そもそも福祉は人のためにあるものなので、人の持って生まれた性格から家庭環境や経験、その時の社会のあり方や変化など、ありとあらゆる背景が存在する「人」を、典型例に落とし込むことなどどだい不可能なのだ。そこに制度というものの大いなる課題が存在する。その課題をカバーするために支援者がいるのだが、その支援者たち、もしくは当事者たち7人が、隙間に落ちてしまう子どもや支援について語ったのが本書である。
だからいちいち腑に落ちるし、自身の経験を振り返って、ああそうそう、そうなんだよねーなんて思い返したり反省したり懐かしんだりしながら読んだ。
第7章の執筆者が編者としてまえがきも書いている。元々は精神分析の専門家。そこへ現象学的な視点でケースを捉え、アセスメントしてケースにあたっていてなかなかに面白いが、一番印象強く残ったのは、第2章。執筆者が、発達障害の子どもを育てるある母親の行動を理解するのに、サルトルを引用して人の行動を説明するくだり。障害があろうと無かろうと、人間の本質は同じと捉えられるその考察がとても腑に落ちて、本書の一番の読みどころだった。
本書は、福祉の現場を知っている人ならどの章も身に覚えがある話ばかりで、膝を打ち納得しつつ読めるのでは。
それから蛇足。
本書の中で言及された本を、読んでみたいなーと思って検索したところ、10年くらい前に既に読んでいた…。
私あるある。
いつまで経っても、本の中身どころか読んだことすら忘れてしまう悪癖が治らない。というか、どう考えても、年を追うごとにそれが酷くなっていくに決まっている…。 -
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教育の現場に当てはめて考えながら読んだ。
「そこにいる存在」がケアの第一歩というのが自分の教育観と重なった。教員として、子どものために何ができるか考え、関わり続ける訳だが、何よりもまずは子どもたちと一緒にその場にいることが重要だと思う。
ケアの現場でも相手のために自分を犠牲にしてまで働くことがあり、その結果精神的に辛い状況になることがあるという。いつのまにかケアをする人がケアをされる側になっているということだ。
これは教育現場でも同じことが言えるだろう。
教員も子どもたちを支えようと一生懸命になりすぎて、自分を見失い、休職したり、退職したりすることがある。
そんな時に、誰しもそういう弱さがある、辛いと感じている、やめたいと思う時がある、そういう話をし合える関係性が現場に必要だと思った。
校内研修で授業をつくるとかどうこう言っている場合ではない。もっとみんなが弱さを自己開示してフラットな関係で話せる場があったらいいなぁ。 -
Posted by ブクログ
職業的なケアをしたことがなくて、これからケアをしようという人とか,ケアをしたことがない完全に異業種の方向け?の教科書のようで、エピソードの積み重ねのようなところがあって、さらっと読みやすく面白かった。
ひとつだけ、なぜこの事例を入れたのか分からなかったのが、骨髄腫か何かで入院しているのに良くならなくて、看護師もコミュニケーションを取るのが辛くなって病室を訪れて話しかけなくなったころ、自死をしてしまったケースのことかな。
この部分を読んでいて、すごくぞっとしたのは私だけ?。これってもっと真剣に検討されるべきケースな気がした。なんのためにこのエピソードを入れたのだろうか。 -
Posted by ブクログ
仕事しているとデータを取りまとめて分析し見出す客観的な視点と、感覚的にはどこかおかしい、そうではないという視点が対立することがままある。
最終的にどちらが正しいのか、ということはわからないけども、感覚的なところで腹落ちできることの方が自分にとっていい考え方、判断だったと思う。また、自分が思っていることは、みんなも思っているが正しさを表現できないから黙っているだけということもある。
客観性だけにとらわれて物事を判断するのではなく、それが当事者の思いに寄り添ったものなのか、誰のための客観的な考え方なのか、大事にしたいことは何なのか、データだけを鵜呑みにすることなく、広く視点で物事を考えていくことが大切であり、それがほんとうの客観性に繋がるのではと思う。