阿古真理のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
先日読んだ「『家庭料理』という戦場 暮らしはデザインできるのか」の中でも多く引用されていた阿古真里さんの著作。
昭和初期から始まって、戦後、高度経済成長期、平成バブル崩壊後、そして東日本震災まで日本における食がどう変遷してきたかを、初めはレシピ本から、そしてライフスタイルと料理を結びつけた雑誌、「暮しの手帖」や、「オレンジページ」、そして更にはテレビドラマの中で描かれる食事風景などなど幅広くカルチャー、メディアを辿って、日本の食文化と、その裏側にある調理という家事、それを行う男女の関係がどう変わってきたかを見る。
筆者が後書きで書いている
“暮らしとは何か、食とは何か。私たちはなぜ料理をし、食べるのか。なぜ人と一緒につくったり食べることを楽しむのか。その背景にはどんな社会があり、どんな人々の貢献があるのか。そして新しい食のシステムは、どんなふうに人の暮らしを変えてきたのか。執筆しなから頭にあったテーマはより大きくなって、私の中に存在し続けている。”
まさにそのものを一冊の本としてまとめている。 -
Posted by ブクログ
料理好き、と言いきるのは、世にあまたいる料理好きの方にちょっと引け目を感じるが(もちろん嫌いではない)、料理研究家好き、レシピ本好き、というのは、胸を張れる私。
この本の著者は、「料理研究家研究」で、さすがのマニアっぷりを発揮している。
今回もあらためて「150冊のレシピ本を精読し」(「おわりに」より)たそうなので、頭が下がる。子どもの頃に読んだ懐かしい料理本なども登場して、ちょっと嬉しかった。
料理のトレンドのうつりかわりなどもまとめてあり、戦後、家族のあり方の変化と共に、求められる料理(法)が変わってきていることもわかって興味深い。
ただ、普通のレシピ本だと思って手に取ると、肩透かしですよ~(笑)。
あくまで、「料理研究家」と「レシピ本」の研究なのです。
マニアの方はぜひ。 -
Posted by ブクログ
食の歴史、過去の流行をざっと知れる1冊。こうして見ると、食に困る時代から、戦後の食を楽しむ時代、アレンジが必要になった時代、料理=女性の時代を抜けて、現代の多忙だけど食事は楽しみたい時代と、時代ごとの傾向が読み取れる。
食べなくては生きてはいけないけれど、現代人は労働時間が長く、料理に手間をかけられない。そのために開発された時短レシピ、ミールキット、コンビニやスーパーのお惣菜などは、便利である一方で食品ロス問題を加速させている。日本人の労働諸問題と食事に関する問題は、別々ではなく地続き。食べることを単に楽しむだけでなく、食べて生きていくならあらゆる問題にを目を向けなくてはならないのかなと思った。 -
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まえがきより
料理研究家を語ることは、時代を語ることである。
彼女・彼達が象徴している家庭の世界は、社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。
それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。
あとがきでも触れられていたが、この本は「料理研究家とその時代を研究した本」ではあるけれど、「女性史の研究」という意味合いが強い本になってしまったとのことである。
この本を読むと、それぞれの時代に女性に求められたものや押し付けられたものが浮かび上がってくる。料理研究家というのは、そんな女性たちに救いの手をのべるような存在だったのだ。 -
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「和食」とはどういったのものなのか、筆者なりの”定義”が示されていました。
言ってしまえば、「……和食の基本形は、ご飯と発酵調味料で味付けした料理を組み合わせたものです。日本では長い間、コメのご飯を中心に料理してきました。……醤油や味噌などの発酵調味料は、江戸時代には庶民の食になりました。これらの食品は、高温多湿の日本の気候の中で発達してきたものです。……一汁三菜が整っていたり、旬のものや土地の食材が使われていれば、理想的です。」(p.198)というものです。
一方で、いかにも「和食」であるような京懐石と、日本から世界に広まった「ラーメン」や「回転ずし」は別のものなのか(日本独自のカレーライスのような料理は「和食」ではないのか)といった疑問について考えるため、「和食」の歴史についてもフォローされています。
どちらかというと、このような歴史の整理や、筆者や筆者の母の食生活の体験を通して、「和食」という”日本の食文化”とはいったいどのようなものなのか、を再発見することをめざした書だといえます。
外食や「中食」が普及した背景にある、技術や社会の変化についての考察は興味深かったです。
さらに、まとめとして筆者が述べている「では、和食とはどんな食文化なのでしょうか。▼それは、この国の気候風土に合わせて発展してきた文化です。私が発酵調味料をこの国の文化と考えるのは、それが独自の気候の中で育まれた食品づくりだからです。旬のものを味わうのが和食文化と言われるのは、その土地で食べてこそおいしいもの、他の土地ではつくりにくいものがあるからです。▼……食べ物の定着には、気候風土が関係しているのです。▼人類はたくさんのものを食べてみて、食べられるものを見つけてきました。そして、食べるときに毒にならない、おいしい食材をよりおいしくなるように、大量に栽培する農業に発展させ、その食べ方が工夫されました。食べ継がれてきたものには、必然があるのです。祖先の知恵です。▼そして、今もなお人々は選び続けています。明治時代に入ってきた西洋料理や中国料理も、昭和の時代にアレンジされた洋食・中華も、そして平成の時代に大量に入ってきたエスニック料理をはじめとする外国料理も、今まさに進化の過程にあり、選んでいる最中なのです。」(p.201~202)という言葉は、いままでの私の中にあった”釈然としない”感覚を払しょくしてくれるものでした。
「和食」=「京都の懐石料理」→敷居が高い/伝統的で他の料理に比べて”優れている”
という意識がどこかにあったのですが、どのような形であれ、日本の食文化=和食という理解は一種の「救い」であると感じます。
社会や技術の時代ごとの変化や、今までにはなかった他の地域の食生活に触れる様々な機会により、私達の食文化は(あるいは「食」以外の分野についても)変化していくことになります。
もちろん「伝統的な食文化」として、いわゆる「和食」と聞いて想像するような懐石料理のようなものを後世に継承する必要はあるにせよ、それ以外の形を全否定すること(特に、「伝統」の形から少しでも逸脱したものを「和食ではない」と否定すること)は、「和食」という日本の食文化を継承してゆくことの妨げにしかならないようにも感じます。
平成という一つの時代が終わろうとしているこれからの世の流れの中で、”伝統”がどのように継承され、また私たちの食生活がどのように変化していくのか、(私自身は台所に立つのは皿洗いだけですが)気になるところです。 -
Posted by ブクログ
小林カツ代と栗原はるみの二人を中心に、主として高度成長期から現代にいたるまでの人気料理研究家たちの仕事と、彼ら/彼女らが受け入れられた時代状況をリンクさせて考察している本です。日本のに西洋料理を紹介して人気を博した江上トミ、飯田深雪からはじまり、入江麻木、城戸崎愛、有元葉子を経て、土井勝・善晴親子、村上昭子、辰巳浜子・芳子派親子、そしてケンタロウ、栗原心平、コウケンテツ、高山なおみといった、多彩な料理研究家たちがとりあげられています。
こうしたテーマをあつかうときに、フェミニズムが強力な武器になることは容易に想像がつきますが、その理論はやや切れ味が鋭すぎるのではないかという懸念も抱いてしまいます。しかし本書では、何よりも料理研究家たちのパーソナリティにも触れつつ、それぞれが時代のなかでどのような役割を演じることになったのかがていねいに語られていて、理論的な枠組みに対象を無理やり押し込んだような印象がないためでしょうか。