水村美苗のレビュー一覧
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軽井沢の避暑地で過ごす米国人の男性とその隣に新しく家を増改築して転居してきた元大使夫妻。能を舞い日本の伝統文化を生活の中に取り入れる妻に惹かれながら、その奥にある戦前から続く物語が明かされていく。ブラジル移民の実情はよく知らず、本書の中で取り上げられている事実は厳しく辛いなと思った。戦前、戦後に多くの人が本当の事情を知らないまま大きな負荷を背負わされた。そして時間がたつにつれてその事実すら消えてなくなりそうである。本書のように、小説の中でそれらの出来事に触れ、読み継がれていくことが大事だと思う。長編だったけど、いろんな場面を思い浮かべながら読み進めることができた。
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読んでいて成る程と思ったのは、漱石論の二編。
一つは、「見合いか恋愛か-夏目漱石『行人』論」。もう一つは、「「男と男」と「男と女」ー藤尾の死」。
『行人』において、一郎は悩む。「自然が醸した恋愛」と「狭い社会の作った窮屈な道徳」、つまり「自然」と「社会」、〈自然〉=〈ピュシス〉と〈法〉=〈ノモス〉の対立。一郎の狂気とは二項対立のないところに二項対立を見いだそうとするところにある、と著者は言う。何となれば、恋愛が〈自然〉と〈法〉の対立する世界観を前提とするのに対し、一郎とお直がそうであったように、見合いはそうした対立関係にはないから。
お直が答えようもない不可能な問いを一郎が問うことーこ -
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『日本語が亡びるとき』の著者のエッセイ集。
著作についてのコメントや、批評も入っている。
タイトルにちなんで、という感想にはならなかった。けれど、幾つか、印象に残った言葉がある。
『銀の匙』について書かれた中にある、「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差。
表面と内面の差とは言い切れない、自明ではない価値の比喩、と述べる。
坂口安吾とタウトについて書かれた中にある、日本人は日本を「発見」せずにすまされるのだろうかという言葉。
私たちにとってのルーツは、今や「役に立つ」か「役に立たない」かで片付けられようとしている、そんな気がする。
漱石の『明暗』にある、牛になる事を二回取り上げている -
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『本格小説』は、嵐が丘のオマージュというからにはやっぱり語り手が女中さんだったというか、そのひとが主人公のような小説であった。
タイトルが日本近代文学『本格小説』とちょっと仰々しいけど、おもしろく読める。戦後から昭和の時代、平成に入ったところを背景に、突き抜けた人物達が織り成すドラマはわたしたちがたどった時代を振り返らせてくれ懐かしく、また歴史風俗の変遷を思う。
この小説では戦後もすぐ、集団就職の時代にお手伝いさんと呼び名が変わったにもかかわらず女中になってしまったひとと、零落しつつもそのことに執着した家族と、貧しさから這い上がらなければならなかった青年のとの三つ巴のドラマがすさまじい -
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「読まれるべき言葉」(文学テキスト)が読み継がれなくなったら国語は亡びる。国語としての日本語を護るには、国語教育において日本近代文学(漱石や鴎外)を読ませなければならない。
そのためには国語の時間を増やす必要があり、英語の時間を減らす必要がある。「全員バイリンガル化」のごとき英語教育の「充実」をやめる。英語教育は限られたエリートに与えればよく、ただし本物の英語力を育てなければならない。学校は英語を読むことへの入り口を提供すればよい。充実すべきは国語教育であり、日本近代文学を読む時間である、という主張だった。
それには納得した。ただ、ぼく自身は、国語教育の本来的な使命として、「論理的に考え、 -
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本の評価うんぬんの前に、漱石という日本を代表する文豪が手掛けた未完
の遺作に手を加えようとする試みを決心した水村氏にまず敬意を表したい。
これは、未だかつて誰もやろうとしなかったこと、あるいは過去に誰かが
やろうと思いつつも勇気を出せずに思いとどまったことであろう。
水村氏は本作がデビュー作ということだが、新人作家にしてこの決断力は
他に類を見ない。現代文学界の歴史に名を刻まれる偉業だと信じて
止まない。
それだけに、作品の出来が非常に惜しく思われる。
漱石の文体はうまく真似できており、雰囲気だけであれば漱石のそれと
大きく変わらない。問題は、心理描写のカットである。これは本人が
認めている