あらすじ
『日本語が亡びるとき』はなぜ書かれることになったのか? そんな関心と興味におのずから応える1990年代から2000年代の間に書きつづられたエッセイ&批評文集。文庫版あとがきを加えて待望の文庫化。12歳でのニューヨークへの移住、パリでの留学生活、子供時代からの読書体験、加藤周一や辻邦生ら先達への想い――。英語ばかりの世界で過ごした著者にとって“日本語”で“読む”とはどんなことなのか。
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Posted by ブクログ
『續明暗』を書いた人として水村氏の名前は知っていたが、実際にその文章を読んだのは、『日本語が亡びるとき』が唯一だった。
そのエッセイ&批評が文庫化された機会に、本書を手に取ってみた。
親の仕事の関係で12歳で渡米、著者はアメリカに目をつむり、ひたすら日本に目を向けたと述懐する。長い海外生活から日本に戻り、〈日本語〉で文章を書き始めた著者が『續明暗』を、さらには『日本語が亡びるとき』を書くことになったことも、本書に収められた文章を読んで、何となく納得できた気がする。
Posted by ブクログ
エッジが立った文章で心地よい。気持ち良く読める。ただ、内容が自分の目線の射程に依るものが大部分なので、何らかの示唆を得るというものではない。水村は、わざとそういうエッセーを書いて「女流」というブランディングをしているのだろうか。
Posted by ブクログ
『日本語が亡びるとき』の著者のエッセイ集。
著作についてのコメントや、批評も入っている。
タイトルにちなんで、という感想にはならなかった。けれど、幾つか、印象に残った言葉がある。
『銀の匙』について書かれた中にある、「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差。
表面と内面の差とは言い切れない、自明ではない価値の比喩、と述べる。
坂口安吾とタウトについて書かれた中にある、日本人は日本を「発見」せずにすまされるのだろうかという言葉。
私たちにとってのルーツは、今や「役に立つ」か「役に立たない」かで片付けられようとしている、そんな気がする。
漱石の『明暗』にある、牛になる事を二回取り上げているのも印象的だった。
牛は超然して押して行く。何を押すか。
人間を押すのです。
文士を押すのではありません。