水村美苗のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
漱石の『明暗』は…ずいぶん以前に読もうとして、挫折してしまったような気がする。
ずいぶんと難渋して、どこが「則天去私」なのかもさっぱりわからなくて、放擲したような…。
だから、この本も、正直に言うと、読み切れるとは思えなかった。
ところが、読み始めると、ぐんぐん引きつけられた。
津田とお延の間の危機へ向けて高まっていく筋の緊張感。
やはり現代の作家が書くせいか、文章もとても読みやすい。
幸か不幸か、原作を挫折しているから、漱石のフェイクを求めようという気もないのがよかったのかも。
何よりよかったのは、清子やお延を通して語られた津田への不満だった。
何事に対しても「真面目」にならない男。
自分たちへもまともに向き合ってくれない男。
何か、私自身が漱石の主人公たち(たとえば「こころ」の先生とか、三四郎とか)に感じるいらだたしさをはっきりと指摘してくれたような気がしてならない。 -
Posted by ブクログ
さすが、ちくま。さすが水村美苗さん。
1990年に筑摩書房から出版された、水村美苗さんの初小説だそうです。面白い。大好き。
新潮文庫になっていたんですね。それが絶版になっていた。それをまた、ちくま文庫が出したんですね。まあ、新潮の方がメジャーですからねえ。でも、僕はちくま文庫さん、大好きです。ちくま文庫がそこそこの分量、置いてある本屋さんが好きです。
閑話休題。
水村美苗さんの本は、以前に「日本語が亡びるとき」(2008)、「母の遺産」(2012)、の二作を読んだことがあります。で、そのどっちも、大変に大変に、面白かったんですね。
感じとしては、丸谷才一さんの本が好きなヒト、夏目漱石や芥川龍之介とか本が好きなヒト、津村記久子さんの本が好きなヒト、などには、おすすめだと思います。違ったらごめんなさいですが。
他に、「本格小説」「私小説」などの本があって、僕はまだ未読です。楽しみです。
リアルタイムで新作が期待できる小説家さん、というのは実に嬉しいものです。
(個人的には、2014年現在では、他に「ほぼ必ず買う」レベルで言うと、小熊英二さん、津村記久子さん、伊坂幸太郎さん、原りょうさん、大沢在昌さん(の、「新宿鮫」シリーズ)…。くらい、でしょうか。一歩下がって、中村文則さん、池井戸潤さん、奥田英朗さん、萩原浩さん、内田樹さん、村上春樹さん…。少年時代に好きだった小説家さんの多くは(殆どが?)亡くなってしまったので。新作が楽しみにできるリアルタイムの、好みの小説家さん、もっと探さないと、愉しみが増えないなあ、と思っています)
という訳で。「續・明暗」。
夏目漱石さんの「明暗」は1916年の小説。
意志の弱いサラリーマンの津田。
上司であり恩人の吉川氏、そしてその強烈な奥さんの吉川夫人。津田は、この吉川夫人の言いなりになっている。
津田はかつて、吉川夫人の紹介で「清子」という女性と交際した。
結婚したかったが、振られた。
その後、お延という若い、うぶな女と結婚。
そんな津田が日々のお金のやりくりに苦労しながら。胃腸を病んで治療しながら。
吉川夫人の言いなりになって生きている。
新婚の妻・お延は、左程、吉川夫人に隷従しては、いない。
吉川夫人は、自分に精神的に服従しないので、お延を疎ましく思っている。ところが、初心なお延はそんなことは何も知らぬ。
なんとなく、吉川夫人がお延を精神的に貶めようとしている陰謀を感じる。
津田は吉川夫人に、「湯治に行け」と言う。
お金を出してあげる。仕事も休んで良い。
その湯治場には、人妻になった清子が、今湯治しているから、会ってこい、と。
会って、どうして自分は振られたのか聞いてこい、と。その代り、そのことを当然ながら、お延には黙っておけ、と。
そして、津田が不在の間に、
「お延は自分が教育しておいてあげる」
と。何だか怖い。
で、津田は湯治に行く。とうとう清子と会う。どうなるどうなる。お延の身には何が起こるのか。
で、漱石死没、未完。
水村美苗さんの「續・明暗」は、その続編。で、多分ですが、別段漱石のメモや遺稿があった訳ではなくて。水村さんの推測というか想像というか創造というか、のようですね。
漱石もそうですが、水村さんも、とにかく文章がすごいですね。
これ、なかなか一言で言うと安易ですけど、やっぱり凄いんですよ。
無駄がない。品がある。けど気取ってない。読み易い。率直。でも含意含蓄がある。うーん、もっと印象論で言うと、日本語への愛がある。技術がある。思索の積み重ねがある。
日本語と言う道具を、実に巧みに華麗に大胆に。
…なんていうか、新体操の選手さんがリボンとかそういう道具を扱うように。ため息がでるような捌き。
アートというのが芸術であったとして、それが技術なんであれば。成程、小説というのは畢竟、言葉の技術である訳ですね。
そして、「明暗」と変わらぬ味わいの、心理サスペンス。これが強烈です。
小心者の見栄っ張りの津田は、清子に言い寄るのか。
吉川夫人はどう、お延をいじめるのか。
無邪気に夫を信じていた若い女房お延は、プライドを汚されて、どうする。どのように壊れるのか。
犯罪サスペンスのように、津田の精神的倫理的犯罪が進行する。悪漢小説。ピカレスク・ロマン。罪は実際に犯されるのか。
そもそも、人妻になっている清子は、何を考えているのか。
ある意味、夫婦ともども、破滅にずるずると落ち込んでいく。そう、ボヴァリー夫人なんです。タマリマセン。オモシロイ。フローベール、大好きです。
ちなみに、フローベールの「まごころ」を漱石が読んだ、という批評文が残っているそうですね。「ボヴァリー夫人」は、フランスでの発表が1856年。日本語訳は、ネットの情報によると、1916年だそうです。漱石の死去は、その年の12月。明暗の連載開始が5月。漱石はボヴァリー夫人を読んだんですかねえ。フランス語は読めないにしても、ひょっとしたら日本語訳を待たず、英語訳で読んでいた可能性もありますよね。
と、考えたりするのは愉しいことですが。
まあ、ボヴァリー夫人のような、ある種の破滅していく粗筋で、漱石が考えていたかと言われると、違うような気がしますけど。水村さんが言及しているように、漱石の小説って粗筋、運びという次元で言うと、終盤に華麗に独特の破綻を起こすことが多いですからね。
そう踏まえると、水村さんがあとがきで、「意図的に漱石のタッチよりもドラマチックにした」。とても納得。ああ言う「味のある華麗なる破綻」を真似してもしょうがないですもんね。
と、いう訳で、「續・明暗」。終盤の怒涛の展開は、確かにドラマチック。僕は嫌いじゃないです。漱石の作品じゃない、水村さんの小説ですしね。堪能、脱帽、剛腕にして大胆、そして美味な文章を、ごちそうさまです。
未読の水村さんの本、また楽しみにしたいですね。そして、何より新作が待ち遠しいですね。2014年、2015年かな。もっと先かも知れませんが。
同時代を生きている水村さんが、何を書くのか。わくわくします。同時代進行形で楽しめるのが、いちばんの読書の快楽なのかも知れませんね。
まあ、そう思える物書きさんは、そうそう簡単には、見つけられないものなんでしょうけど。
####################
あらすじというか、備忘録で言うと。
津田は湯治場で、人妻となった清子と交流する。清子は積極的ではない。けれども津田は未練と執着があって、近づく。
お延は、吉川夫人から、「津田が独身時代に執着していた女と会いに行ってるぞ」とねちねち言われる。恥をかかされる。お延は精神的に打撃を受けて、湯治場に向かう。
津田は結局、再度ふたたび、清子に振られる。清子には見透かされていて、意思が弱い、自分が無い、己の醜悪さを全て指摘される。がーん、となってるところに、清子とふたり連れの場面を、やって来た女房お延に目撃されてしまう。
更に、お延の失踪に等しい湯治場への暴走が波紋を呼んで。東京の親族や関係者まで心配して湯治場に来る。夫婦は大恥をかくことになる。どうやら矢張り、全ては吉川夫人の自作自演の陰謀。自分の紹介なのに津田を袖にした清子。そして自分を尊重しない、お延。この二人を同時に辱めて、自らの優位を示すためなのか。
夜半、お延は最早、自死しようと。滝に身を投げようと宿を出る。津田が気づいた時にはもう、居ない。その上、津田は胃腸が壊れて下血する。そんな中でようやく津田は、吉川夫人の悪意を実感する。もう言いなりになるまい、と思う。お延は滝まで行くが、山の自然を感じて、なんとなく自殺を思いとどまる。以上、終わり。 -
Posted by ブクログ
これを読み終わった知人の勧める言葉があまりに熱烈だったので、惹かれて手に取る。
まず普段翻訳ミステリばかり読んでいる目に、古風で流麗な日本語が気持ちよく、そちらにうっとりする。
そしてまた、著者の自伝らしきまえがきも面白く、これがこんなに面白いのに、本編がどのように始まるのだろうかと思っていたら。
これがもう、面白くておもしろくて、ただ、こればかりを読みふけるわけにもいかないので遅々としてページが進まない(通勤電車に持って歩くには重かった)のが何とももどかしく…。休み時間に読んだ小説の続きが気になって仕方ない授業中、のような感覚。寝ても覚めても、どこかがこの小説の世界とつながっているような感覚をずっと持っていた。
斉藤美奈子氏によると、すべてを読み終えてから冒頭を再読すべきとのこと。さあ、読み終わった今、ふたたびその楽しみに浸ることとしよう。
これからは、数十年前に読んだきりで、しかも内容をおそらくさっぱり理解していない『嵐が丘』を読み、水村さんのほかの著書を読むことを楽しみとして読書計画を進めていくことにする。
この本を教えてくれた知人にはひたすら感謝である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ先生始め、藤野ゼミのみなさんが大好きな本作、やっと自分も読み始めました。
作者水村氏の200ページ超にわたる自分語り「本格小説の始まる前の長い長い話」。
本当に長いが、その語りが本編でここまで膨らむことになるとは。
「これから先に自分の人生のすべてがあると信じていられた年齢であった。日本の人にかこまれ、日本語で話していられるというだけでハイスクールの建物の中に閉じこめられているときとは別人になったような生き生きとした心地がしたが、皆の中に溶けこみたいとは思わなかった。私からすれば彼らはもう人生の道筋のついた大人であり、しかも「本社」「チョンガー」「出張」などという言葉の世界に充足している大人であった。それに引き替えまだ人生の道筋がついていない分、私には無限の可能性が開かれているように思えた。彼らの存在の恵みを初夏の太陽の恵みのように浴びながらも、一人きりになりたかった。」(88) -
Posted by ブクログ
果たして東太郎は実在するのか、架空の人物なのか。
著者が最初に断っているように、これは私小説ではない。本筋に入るまでの長い話は私小説の形式を取っているようだが、これはあくまで後半の本格小説への導入部と考えるべきである。
著者はおそらく、どこまでもフィクションのリアリティを表現することにこだわった。導入部の私小説に架空の人物を紛れこませることで、煙が形を持って実体化するように、その人物があたかも実在したかのように読者に錯覚させる。
そして後半の本格小説に突入する。仮に、これが東太郎の目線で語られる話だったら、リアリズムは逆に薄れてしまったであろう。旅行者、女中と話し手を介することによって、彼の壮絶な人生を巧妙に描き出すことに成功している。
もちろん、著者の美しい描写力があってこその手法なのだろうが。
戦後の古き良き時代。家督を享受して優雅に暮らす三姉妹と、どん底からはいあがる少年。その凄絶さに惹かれた少女、少女の成熟を守りつづけた青年。そして女中という身分を懸命に果たした女性。様々な人生が交錯するさまは、一大叙事詩を眺めているようでした。いつまでも心に残る、よい小説です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ久しぶりに日本の小説を読んで、なんて読みやすいんだろうと驚いた。ちょっと古めかしい言葉使いなのが凄く綺麗で、秋風が立ち、とかバタ臭い、とか忘れかけていた響きに酔いしれて、すいすい読めた。
冒頭の160ページもある「本格小説の始まる前の長い長い話」というのがどこまで本当なのか、実話仕立てで思わせぶりな本当に長い長いフリだが、なんて面白い設定なのか、すっかりその罠にハマってしまった。
そのあとからようやく始まる本格小説は、思わせぶりにフッた東太郎の出番がなかなかなく、早く先が読みたい一心で余計に長く感じて遅々として読み進まず。
それと、読めない字があった。「嫂」。話の流れから考えると当然なのにどうしても出てこなかった。調べると「アニヨメ」だった。
所々、見たことのない字面が出てくるが、それも美しく感じて心地よい。
それと、トミコが心に思うことで「…そのとたんに昔の自分へとすうっと道が通るような気がします。同時に今の自分がこうまでちがうものになってしまったことを痛いほど感じるのです」というところを思わず二度読みしてしまった。歳のせいか。
三婆さんが集まったシーンは会話がとても面白く、ほかの登場人物達の雰囲気もよく出ている上に舞台が日本だけにリアルに情景が思い浮かぶ。
とにかく、東太郎のことがとっても気になって仕方がない。ミステリアスな男の話。ある意味、本格ミステリー。
読む前から下巻は絶対に面白いってわかる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ* 2008年01月04日 04:32記載:
友人に薦められて読んだ本。
ちゃんとした長編小説を読んだのはおそらく
初めてじゃないかって感じで、自分の読書スピード
が相当遅いことに辟易しながらも後半は一気に
最後まで読みました。
これからは読書家と言われるようにがんばりたいです。
ちなみに著者はかの著名な経済学の権威、岩井克人
の妻でもあります。
何人かの登場人物が背負う運命はあまりに悲しく
不幸であり、読み終わってから一途な愛情を
美徳とすることに対して抵抗を覚えるような
苦々しさが胸に残りました。
ある女性が言います。
「愛されないっていうのはとても不幸なことだと思う」と。
しかし愛する人に愛されないことはは往々にして
あるのが世の常であり、ほとんどの人が直面するで
あろう不幸であると思います。そんな運命も甘んじて
受け入れていかなければ前には進めないのだと
改めて実感してちょっと悲しくなったり。
また、小説の終盤に男が日本人を批判的に表して
言った、
「軽薄を通り越して希薄ですね」
という台詞が何となく自分あてはまっている
気がしてはっとする思いでした。
いろいろ考えさせられました。
余韻に浸りたいときにいかがでしょうか。 -
Posted by ブクログ
「漱石未完のあの傑作の続きを書く」という時点で非常に面白いテーマであったし、現代に於ける創作の一つの根幹をついていると思う。それを抜きにしても非常に楽しめた。
あとがきを読むだけでも漱石文学批評として明晰で興味深かった。それは、自らを漱石として創作するという態度によって獲得される批評であり、その上で自身の作家としての本質も浮き彫りになっているように思う。もっと早くに読んでおけばよかったと思った。
「『続明暗』を読むうちに、それが漱石であろうとなかろうとどうでもよくなってしまう — そこまで読者をもって行くこと、それがこの小説を書くうえにおいての至上命令であった。」
「『続明暗』では漱石のふつうの小説より筋の展開というものを劇的にしようとした。筋の展開というものは読者をひっぱる力を一番もつ。・・・さらに心理描写を少なくした。これは私自身『明暗』を読んで少し煩雑すぎると思ったことによる。・・・漱石の小説を特徴づける、大団円にいたっての物語の破綻は真似しようとは思わなかった。漱石の破綻は書き手が漱石だから意味をもつのであり、私の破綻には意味がない。反対に私は、漱石の資質からいっても体力からいっても不可能だったかもしれない、破綻のない結末を与えようとした。」
— あとがきからの引用
そういった意図の中で、少し展開がドラマチックに過ぎる感じが俗っぽい印象を受けてしまうことは否めない。逆に言えば、煩雑な心理描写や広範多岐にわたる脇道が、漱石の小説の魅力であることに改めて気付かされた。
小説を読むという行為やその中で自分が受けている印象、心理の変化について多くのことを教えていただいた様に思う。その意味で、単純な小説作品ではない文学批評作品としても楽しめた。
ものをつくる人間にとっては必読の一冊。 -
Posted by ブクログ
下巻に入るともう一気読み。そして読み終わるのがもったいなくて、いつまでもいつまでも読んでいたいと思うような。単なる恋愛ものではなく、もうこれは戦後日本のすべてというものがつまっているような感じがした。それとさまざまな人たちのさまざまな人生。人生とは、と考えさせられるような。ものすごく読みごたえがあって。まさに本格小説。すごく客観的に人やものごとをながめられる女中フミさんの語りで、人ひとりひとりの人生全体をながめられるような感じ。フミさんの、人生なんてそんなもの、っていう感じ方に共感するような。人生は、はかない。「本格小説が始まる前の長い長い話」からずっと、著者が、将来がひらけているかどうか、未来があるかどうか、とか、そして結局どんな人生だったか、なにを得られたのか、みたいなことをずっと考えている感じが好きだった。なんだかすばらしすぎて感想がうまく書けない……。