あらすじ
2020年、翻訳者のケヴィンは軽井沢の小さな山荘から、人けのない隣家を見やっていた。親しい隣人だった元外交官夫妻は、前年から姿を消したままだった。能を舞い、嫋やかに着物を着こなす夫人・貴子。ケヴィンはその数奇な半生を、日本語で書き残そうと決意する。失われた「日本」への切ない思慕が溢れる新作長篇。上巻。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
第1部を昨日読み終えましたが、今朝、冒頭の「消えてしまった夫婦」を読み返し、最初、なんのことか解らなかったのですが、すぐに理解出来ました(笑)。
アメリカ人の独身男性(日本を深く理解している)が、軽井沢の別荘で体験したことを綴った小説です。
日本の南米大使の妻(ミステリアス)との出会い、大使夫婦とのやりとり、そして、ミステリアスな妻の素性がだんだんと解ってくるプロセスが丁寧に描かれていて、どんどんこの本に入り込んで行ってしまう、筆者の書きぶりがすばらしいと思った。
筆者が人生の中で経験したことで表現される内容、そして、深く日本文学を理解していることから発せられる表現も美しいものとなっている。
上巻の最後で、ミステリアスだった大使の妻の素性が明らかにされた。いよいよ下巻に入って行くが、また、スラスラと読めそうな気がするが、どんな顛末が待っているのか・・・
Posted by ブクログ
主人公のケヴィンは軽井沢に住む1965年生まれのアメリカ人で、たいして仕事もしていないが金はある隠遁者であり、彼が書いた小説という設定で物語は進む。語られるのは表題通り、隣家に越してきた夫婦との交流とルーツである。
水村美苗は古典を下敷きに小説を書く。そもそもデビュー作がで夏目漱石の「明暗」の続きを勝手に書くような作家なのだし、そのあとの作品も同様である。本人の自己規定どおり、「近代文学の終わりに来た者」なのだから、そうなってしまうのもしかたない。
では、本作はなにを下敷きにしているのか?本人のインタビューからは谷崎潤一郎の「春琴抄」の名が挙げられていた。でも、下敷きにしたようなものではない。三浦雅志は書評でトーマス・マンの「魔の山」を挙げていたが、それも外界と隔絶された結界的な空間を指してのものだ。物語においての全体ではなく部分でしかない。
おそらく明確な下敷きは存在せず、パートごとにつぎはぎしてるようなものだと思う。だから、そのあたりについて考えるのは不毛だろうし、そんなことを考える間もなく、物語の質が高いので気にもならない。
上巻を読むと、外国人が美しい国ニッポンに想いを馳せるような内容に読めそうではある。実際、そう読んでいるひとも多いみたいだし、誤読でもない。だが、残念ながらそのようなガイジンのニッポンびいきを見て気持ちよくなるような快楽は、下巻であっさり裏切られる。美しいニッポンなど幻想のなかにしか存在しないことをまざまざと突きつけられるからだ。しかし。
「そんなもんは、あっちにいるうちに、みんなが勝手に創りあげたもんで、最初からなかったって…そう考えられればまだ救われたのにって」
「それが、いくらそう考えようとしても、そういう風には考えられなかったの。ありがたいものを、粗末にして、どんどんと壊していって、こんなにわけのわからない国になってしまっただけだとしか考えられなかったの」
これはそのまま水村美苗における日本語や日本文学につながる。
ところで、本作はコロナ禍を舞台にしている。もうコロナ禍のはじまりから5年以上経っているので、そのようなフィクションは多くなっているが、本作はコロナをきわめてうまく物語に落とし込んだように思える。
Posted by ブクログ
軽井沢の小説を久しぶりに読む。土地の歴史とイメージが手品のタネのような。今となっては伝統的日本語を書く手立ては冷凍保存の解凍となるのか。語り手の設定もなかなか。
Posted by ブクログ
亡くなった兄キリアンへの想いと家族への疎外感からアメリカを離れ日本に暮らすケヴィン.彼の軽井沢の隠れ家のような山荘の隣に越してきた元大使の夫妻との交流をつうじて日本文化が立ち現れてくる.妻貴子の謎めい佇まいが想像と違っていて,その生い立ちも含めて下巻が楽しみである.
Posted by ブクログ
2025年の最高作にもう逢ってしまったよ。
水村美苗さまの久々の最新作は、鎌倉が舞台。失われゆく日本の美を嘆きながらひっそりと別荘地はずれの庵に暮らすアメリカ人の隣へ、夢見た日本を体現したかのような女性とその夫が越してくる。彼女の正体は…ああ、もうなんと美しい文章か。読んでるだけで血が洗われる。
Posted by ブクログ
たとえば、嵐が丘のような、
たとえば、源氏物語のような、
そういう例え、そぐわないかもしれないけれど、深淵で高貴で雅で、しかも海外も感じられ軽井沢の風も感じられるような。
「下」にまた感想を書き綴ります。
Posted by ブクログ
日本の古典文学の引用が
随所に散りばめながら、
美しい日本語で軽井沢の
四季が描かれる。
特に劇的な出来事はないけど
登場人物にとっては大きな出来事へのリアクションに共感できるかどうかで、好き嫌いは分かれるかも。
貴子の仕舞のシーンは
鮮やかなイメージが脳裏に
浮かんだ
映像化は難しいだろうな
Posted by ブクログ
ケヴィンと貴子、それぞれの過去から今に至るまで、国を跨ぎ時代を超え、何層にも物語りが織りなされていく。それは、とうの昔に亡くなったかけがえのない者との対話でもある。最後に二人が再会できることを願わずにはいられなかった。
Posted by ブクログ
語り手の日本に住むアメリカ人、
高等難民みたいで
どこか日本を見下してるし
最初は鼻についてたんですが
読み進むうちにやめられなくなり!
それは実は彼も
もう一人の主人公の女性と同様、
過去に故郷で重い出来事があり
それをずっと引きずりながら
生きているから。
女性の主人公が話す日本語が美しく
背筋が伸びる気持ちになりました。
最後は書かれていませんが
哀しい結末を想像しちゃった!
Posted by ブクログ
アメリカ人のケビンは一人で軽井沢の追分の小屋に住んでいる。冬の寒い頃は東京のマンションに移っているが、気候が良くなると軽井沢に戻ってくるのが習慣になってしまった。そんなケビンの隣の別荘が改築され新しい住人が越してくるという。静けさを愛するケビンは家族ずれなら困るなと心配していたが、やってくるのは夫婦ずれだという。少しほっとしたケビンだった。そしてその夫婦が越してきて、少しずつお互いの来歴を知るにつれ、ケビンにはその夫婦が忘れられない人たちになっていく。