水村美苗のレビュー一覧
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大使とその妻の下巻、貴子が日系ブラジル人だと分かり、その数奇な運命が描かれていました。
主人公と貴子のミステリアスな軽井沢の別荘での出会いで、お話は始まったが、彼女の持って生まれた人格からなす様々な展開が始まる。
日系ブラジル人社会の過酷な歴史、また、裕福な日本人夫人との出会いから始まる新たな展開、筆者の腕の見せ所ではあるが、筆者の夫である岩井克人氏の生まれが島根県であるから、設定が島根県になったのだろう(笑)。
コロナ惨禍下の時代背景、主人公の生い立ち、そして様々な人生経験の積み重ねからなる葛藤など、筆者のキャリアが書かせる内容がよく理解でいました。
幼少期に明治からの日本の文豪の書籍だけ -
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第1部を昨日読み終えましたが、今朝、冒頭の「消えてしまった夫婦」を読み返し、最初、なんのことか解らなかったのですが、すぐに理解出来ました(笑)。
アメリカ人の独身男性(日本を深く理解している)が、軽井沢の別荘で体験したことを綴った小説です。
日本の南米大使の妻(ミステリアス)との出会い、大使夫婦とのやりとり、そして、ミステリアスな妻の素性がだんだんと解ってくるプロセスが丁寧に描かれていて、どんどんこの本に入り込んで行ってしまう、筆者の書きぶりがすばらしいと思った。
筆者が人生の中で経験したことで表現される内容、そして、深く日本文学を理解していることから発せられる表現も美しいものとなって -
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ネタバレ主人公のケヴィンは軽井沢に住む1965年生まれのアメリカ人で、たいして仕事もしていないが金はある隠遁者であり、彼が書いた小説という設定で物語は進む。語られるのは表題通り、隣家に越してきた夫婦との交流とルーツである。
水村美苗は古典を下敷きに小説を書く。そもそもデビュー作がで夏目漱石の「明暗」の続きを勝手に書くような作家なのだし、そのあとの作品も同様である。本人の自己規定どおり、「近代文学の終わりに来た者」なのだから、そうなってしまうのもしかたない。
では、本作はなにを下敷きにしているのか?本人のインタビューからは谷崎潤一郎の「春琴抄」の名が挙げられていた。でも、下敷きにしたようなものではな -
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▼大変にオモシロかった。読み終わりたくないくらいオモシロかった。これくらいオモシロイ、上出来の小説に、残りの人生であと何作お目にかかれるだろうか?というくらいにオモシロかったです。(いや、これまでが不勉強なので、時間を割いて本と向き合えば、まだまだあと何十冊も巡り合えると思いますけれど。まあでも、最後はひとそれぞれの好みですが)
▼何かの文章で、
「つまりは水村美苗さんが大まか日本の昭和平成を舞台に”嵐が丘”をやってみたい作品である」
とは知っていました。
そして嵐が丘は既読でした(オモシロかった)。
ところが上巻では、イマイチ物語が始まり切らなかったストレスがあって、もやもやして下巻に -
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ネタバレ上巻では記述している、日本に精通したアメリカ人ケヴィンのこと、出会った軽井沢の隣人夫婦の不思議な雰囲気を知った。
こちらの下巻では大使の妻、貴子の生い立ち、この親、その育ての親、教育者(?)の来歴が詳しく夫からの説明という形で記述してある。そして現在、コロナ禍の中で行方不明かと思われた夫婦のその後が明かされる。
深い、悲しい世界の歴史の中で翻弄された人々や、外国に住む日本人の立場や立ち位置、ハイソサエティーの暮らしの窮屈さなどこれまで知らなかった様々な、人たちの(人種問題、多様性も含め)生き方、生きづらさも改めて納得する。
幅広く奥深い内容で上下巻たっぷり学びを得た気がして人に勧めたい本と -
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ああ、読み終わってしまった・・・
12年ぶりの水村美苗小説、じっくり味わう積りが
やっぱり最後は、一気読みになる。仕方ないね。
周一・貴子、「大使とその妻」が軽井沢を去った後、
隣人ケヴィンの手記として小説は進む。
下巻では、貴子の父の生い立ちから始まり、少女時代、
周一との運命的な出会いが描かれる。
そして、軽井沢の最後の夏・「祝祭の夏」も。
時代はコロナ禍の直前。
ネタバレになるので、私が知らなかった重い歴史は
ここでは触れない。
でも、この歴史が、小説の柱でもある。
それが貴子を作っているのだから。
正直、結末は見えていた。
わかっていたのに、ついにそのことが小説に出てきたときは号 -
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久しぶりに痺れる本に出会った。
著者の水村美苗は学者であり作家である。名門イェール大学・大学院でフランス文学を専攻し、アメリカの大学で日本近代文学を教えながら日本語で小説を書いた。本書の発刊は2008年。5年をかけて書き上げたことからも著者の情熱が伝わってくる。
書き出しは著者の体験が小説のように綴られる。もうすでにこの文体が心地よい。しかし、そこからは緻密な調査と考察が積み重ねられ、一つの結論に向かっていく。それは「日本語は亡びうる」という結論である。
島国日本では連綿と日本語が使われてきた。それは時代に応じて変化はすれど、なくなるとは想像していない。しかし、日本語はなくなる可能性がある。
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心震える恋愛小説か怪談話を読みたいと、10年の積ん読を経て人を食ったようなタイトルの恋愛大河小説を読んで心震わす。後にNYの大富豪になった満洲引き揚げ者の貧しい少年東太郎と裕福な隣家の娘よう子の幼い恋心から始まる幸福と悲劇、そして一族の栄枯盛衰が昭和の軽井沢を舞台に何十年にも渡り繰り広げられる。一人ひとりの行動の積み重ねが人の心に影響を与え、その結果がまた人それぞれに違う意味を持つ。それぞれが自分の居場所を探す話であり誰が幸せで誰が不幸せだったのかさえつかみきれぬまま恋愛の大河に呑み込まれる。今の日本はある人には良くなりある人には悪くなった。40年前の軽井沢ってこうだったよね、などと思いながら