水村美苗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
一筋縄ではいかない、気高い人と愛のお話。移民の歴史とか、政策とか、戦争とか、文化とか、色んなことに思いを馳せまくること間違いなし。
水村美苗の本を読むときは、読み手のこちらが、登場人物あるいは作家に品定めされているような緊張感と居心地の悪さを感じてしまう。人品卑しいかた、お断りいたします、と暗に言われているような。皆さまのお眼鏡にはかなわないような人間ですし、暮らし方をしていますが、読ませていただいています、的な卑屈さが、心にチラチラよぎってしまうのは、私だけだろうか。
なんというか、物語世界の美しさや気高さの純度が高いのだ。さらに西洋人目線という設定で、日本が捨ててきたものへの辛辣な眼差しが痛い。イオンの支配下にある凡庸な住宅地に住まう自分の現在の生活は、この人たちにはさぞ醜悪に映るだろうな、という思いを致さずに読むことはできないのであった。 -
Posted by ブクログ
大使とその妻の下巻、貴子が日系ブラジル人だと分かり、その数奇な運命が描かれていました。
主人公と貴子のミステリアスな軽井沢の別荘での出会いで、お話は始まったが、彼女の持って生まれた人格からなす様々な展開が始まる。
日系ブラジル人社会の過酷な歴史、また、裕福な日本人夫人との出会いから始まる新たな展開、筆者の腕の見せ所ではあるが、筆者の夫である岩井克人氏の生まれが島根県であるから、設定が島根県になったのだろう(笑)。
コロナ惨禍下の時代背景、主人公の生い立ち、そして様々な人生経験の積み重ねからなる葛藤など、筆者のキャリアが書かせる内容がよく理解でいました。
幼少期に明治からの日本の文豪の書籍だけをアメリカに持って行っての彼女の人生が生み出した小説でした。 -
Posted by ブクログ
第1部を昨日読み終えましたが、今朝、冒頭の「消えてしまった夫婦」を読み返し、最初、なんのことか解らなかったのですが、すぐに理解出来ました(笑)。
アメリカ人の独身男性(日本を深く理解している)が、軽井沢の別荘で体験したことを綴った小説です。
日本の南米大使の妻(ミステリアス)との出会い、大使夫婦とのやりとり、そして、ミステリアスな妻の素性がだんだんと解ってくるプロセスが丁寧に描かれていて、どんどんこの本に入り込んで行ってしまう、筆者の書きぶりがすばらしいと思った。
筆者が人生の中で経験したことで表現される内容、そして、深く日本文学を理解していることから発せられる表現も美しいものとなっている。
上巻の最後で、ミステリアスだった大使の妻の素性が明らかにされた。いよいよ下巻に入って行くが、また、スラスラと読めそうな気がするが、どんな顛末が待っているのか・・・ -
Posted by ブクログ
ネタバレ主人公のケヴィンは軽井沢に住む1965年生まれのアメリカ人で、たいして仕事もしていないが金はある隠遁者であり、彼が書いた小説という設定で物語は進む。語られるのは表題通り、隣家に越してきた夫婦との交流とルーツである。
水村美苗は古典を下敷きに小説を書く。そもそもデビュー作がで夏目漱石の「明暗」の続きを勝手に書くような作家なのだし、そのあとの作品も同様である。本人の自己規定どおり、「近代文学の終わりに来た者」なのだから、そうなってしまうのもしかたない。
では、本作はなにを下敷きにしているのか?本人のインタビューからは谷崎潤一郎の「春琴抄」の名が挙げられていた。でも、下敷きにしたようなものではない。三浦雅志は書評でトーマス・マンの「魔の山」を挙げていたが、それも外界と隔絶された結界的な空間を指してのものだ。物語においての全体ではなく部分でしかない。
おそらく明確な下敷きは存在せず、パートごとにつぎはぎしてるようなものだと思う。だから、そのあたりについて考えるのは不毛だろうし、そんなことを考える間もなく、物語の質が高いので気にもならない。
上巻を読むと、外国人が美しい国ニッポンに想いを馳せるような内容に読めそうではある。実際、そう読んでいるひとも多いみたいだし、誤読でもない。だが、残念ながらそのようなガイジンのニッポンびいきを見て気持ちよくなるような快楽は、下巻であっさり裏切られる。美しいニッポンなど幻想のなかにしか存在しないことをまざまざと突きつけられるからだ。しかし。
「そんなもんは、あっちにいるうちに、みんなが勝手に創りあげたもんで、最初からなかったって…そう考えられればまだ救われたのにって」
「それが、いくらそう考えようとしても、そういう風には考えられなかったの。ありがたいものを、粗末にして、どんどんと壊していって、こんなにわけのわからない国になってしまっただけだとしか考えられなかったの」
これはそのまま水村美苗における日本語や日本文学につながる。
ところで、本作はコロナ禍を舞台にしている。もうコロナ禍のはじまりから5年以上経っているので、そのようなフィクションは多くなっているが、本作はコロナをきわめてうまく物語に落とし込んだように思える。 -
Posted by ブクログ
▼大変にオモシロかった。読み終わりたくないくらいオモシロかった。これくらいオモシロイ、上出来の小説に、残りの人生であと何作お目にかかれるだろうか?というくらいにオモシロかったです。(いや、これまでが不勉強なので、時間を割いて本と向き合えば、まだまだあと何十冊も巡り合えると思いますけれど。まあでも、最後はひとそれぞれの好みですが)
▼何かの文章で、
「つまりは水村美苗さんが大まか日本の昭和平成を舞台に”嵐が丘”をやってみたい作品である」
とは知っていました。
そして嵐が丘は既読でした(オモシロかった)。
ところが上巻では、イマイチ物語が始まり切らなかったストレスがあって、もやもやして下巻に入ったら、下巻に入ったとたんに満を持して物語はトップスピードで驀進してくれました。そこンところの上巻エンタメ要素の薄さという課題はあります(作者としては、先刻承知なんでしょうが)。
▼それから、タイトル。本格小説、という四文字にそれなりの思いがあるのでしょうが、こちらとしては、「本格小説」と「そうじゃない小説」の違いなんて分からないし(どうでもいいし)、あんまり魅力なタイトルぢゃ、ありません。
圧倒的に「恋愛小説」の方が読者が増えたんぢゃないかしら(余計なお世話)。
▼もうとにかく、
「身分違いの恋」。
そして、
「長い歳月を経た、その身分の逆転」。
そして、
「思いあってるのに、心の友なのに、ソウルメイトなのに、結ばれないふたり」。
激流の奔流の甘いロマンス、格差の苦さ。それらが厚塗りのバターのように塗られます。塗られるパンに当たるのが、
<戦後の日本社会の移り変わり>。
そんなこんなが、ちょっとも説教臭くなく、ひたすら登場人物の喜怒哀楽で綴られる。エグすぎる箇所もあるにはあるけれど、それらは直截には描かれない。
その上、全て読み終われば二転三転の謎解きになっています。
ところが、それはいちばんの魅力ではなくて。いちばんの魅力は相も変わらず水村さんの語り口です。
気持ちいです。日本語って素敵。
▼超・大傑作の、「母の遺産」以降。
新作の長編小説来ないなあ、もう書かないのかなあと思っていたら、今年2025年「大使とその妻」という新刊が現れました。
すぐに読みたいのですが、
「あっそういうえば、”私小説” と ”本格小説” がまだ未読なんだよな。あれを読んでからにしようかな」
と思って読みました。
”私小説”も、読むか決めていません。横書きってなんとなく生理的に違和感があって・・・・。 本格小説は、読んで良かったです。
「大使とその妻」は、2025年後半のお楽しみです。
▼ああ、そういえば、「嵐が丘」を再読したくなりました。考えたら既読って言ってももう、ウン十年前なので。今考えたらあの時代に女性が書きぬいた大長編商業小説って、それだけでも再読する価値がある気がします。
以下、物語の段取りの備忘録を兼ねて。ネタバレします。
▼要は、「太郎という男性の、ほぼ一代記」と言ってよい。
A※幼少期【1940年代前半~?】
①超貧しく生まれ(旧満州で)
②親戚たらい回しで小突かれて育ち
B※よう子との出会いと、恋に落ちる日々
【1950年代? 10歳前後から~中学生くらい?】
③小学生くらいから(これが戦後直後くらいだったか?戦中だったか?)ひょんなことからとあるブルジョア一族の、「下僕的な出入りの人間」になる。
④だけど、出入りしたとあるその、分家が、
「金持ち一族の末端にいた、老婦人と同年代の娘・よう子。だけの所帯」
だったことと、
「太郎が頭の良い度胸の良い人間だったこと」
と、
「太郎が、よう子と仲良くなったこと。 &住み込みのお手伝いお姉さんの理解と味方」
の三つの理由で、身分違いだけどかなり濃く関係することになる。そして、よう子と、純精神的に恋仲になる。
C※引き裂かれた絶望期
【1960年代? 高校生年代くらい?】
⑤だが歳月。老婦人の死。思春期。ふたりは引き裂かれる。太郎は意地の悪い親戚と暮らす。学問もさせてもらえない。よう子とは、棲む世界が違ってしまう。不遇でストレスな青春期を。悶々とする。一念発起、裸一貫渡米する。
D※裸一貫、渡米して、成り上がる時期
【1970年代?~1990年代 二十歳くらい~四十くらい?】
⑥渡米して運転手から身を起こし、アメリカ進出したばかりの日本企業で台頭し、独立し、10年~20年くらいで?アメリカで事業家となり、大成功する。超富豪になる。
E※大金持ちになって、よう子と再会して異常な関係、そして悲劇。
【1990年代?~ 40代~50代?】
⑦超富豪になった太郎。没落しつつある、よう子の一族。太郎はよう子の一族の軽井沢の土地別荘を匿名で買い取るなど、徐々に接近。そして「理解あるお手伝いのお姉さん」の導きもあって、よう子と再会。よう子は、結婚して子供もいる。なんだけどお構いなしに恋仲になる。よう子の夫もそれを認める。奇妙な関係。
⑧ところが、世間の目もあるし、子供のこともあるし、気まずくなってくる。もめごとも増える。そして、よう子の突然の病死。
F※エピローグのような。太郎と、お手伝いさんしか残らなかった。
【2000年前後? 50代?】
⑨太郎はショック。最終的に軽井沢の不動産など、要するに巨額の資産を、ずっと味方してくれてきた「お手伝いのお姉さん(今はおばさんだが)」に残す。
・・・で、この時期に、たまたま知り合った若い男性に、「お手伝いのおばさん」は、「太郎とよう子の物語」を語って聞かせる。
G※お手伝いさんから話を聞いた若い男性が、とある初老の日本人女性学者(在アメリカ)を訪ねて、聞いた話を伝える。
【2000年前後?】
という流れ。わかりにくい。
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この小説の面倒くさいのは(失礼)
出だしは、上記の
<Dの時期> が、
<太郎の成り上がりを距離置きながら見守った、アメリカで暮らす日本企業の社員の一家、その一家の中の思春期だった娘>
の目線で描かれるんです。
「?この娘(太郎より10歳くらい下?)と、この太郎って男が、どうにかなるのかな?・・・」
と思って読んでると、なんにも起こらない(笑)。
これはエンタメ的に言うと、決してイケてません(笑)。
その次に、なんと上記の
<Fの時期>が、
「今まで太郎ともよう子とも無関係に生きてきた、東京の若いサラリーマン男性。たまたま軽井沢に来て、お手伝いさんと知り合う」
という、この若い男性を語り部として、語られるんです。
ここンところが、正直、いちばん上手く書けていない。この時期に恐らく40台か50台かだった水村美苗さん。ぶっちゃけ金持ちに育って大学の職員として生きてきたのであろう水村美苗さん。申し訳ないけれど、<中流クラスの1990年代の若い男性>という生き物は、あまり活き活きと描けていません。この若者の中心的な動機のあり方がさっぱり分からない。
・・・とにかく、この若者に、「お手伝いのおばさん」が、なんでだか、太郎とゆう子の長い長い物語を語りだす・・・というあたりで上巻が終わったような気がします。
下巻に入るとようやく、太郎とよう子の物語、が熱を帯びます。
これは、「お手伝いのお姉さん」の目線で語られます。
・太郎
・よう子
・お手伝いのお姉さん
どれをとってもすごく瑞々しく人間が描かれます。オモシロイ。
そして禁断の恋。引き裂かれる。
<B,C,そしてEの時期> つまり、いちばんおいしいところが怒涛に語られます。
・・・で、最後はやっぱり、謎の若い男性との状態に戻って終わるんですが、
なんでこんな「語り部が錯綜していく物語」にしなくちゃならなかったの?
・・・と、思っていたら、ラスト近くで頓悟しました。
あんこの物語の語り部は、「お手伝いのおねえさん~おばさん」なんですが、この人が長い長い物語の中で、嘘をついていたから。なのでした。
それが嘘だったということが分かることで、この物語は完結できるのでしょう。