水村美苗のレビュー一覧
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ネタバレ上巻では記述している、日本に精通したアメリカ人ケヴィンのこと、出会った軽井沢の隣人夫婦の不思議な雰囲気を知った。
こちらの下巻では大使の妻、貴子の生い立ち、この親、その育ての親、教育者(?)の来歴が詳しく夫からの説明という形で記述してある。そして現在、コロナ禍の中で行方不明かと思われた夫婦のその後が明かされる。
深い、悲しい世界の歴史の中で翻弄された人々や、外国に住む日本人の立場や立ち位置、ハイソサエティーの暮らしの窮屈さなどこれまで知らなかった様々な、人たちの(人種問題、多様性も含め)生き方、生きづらさも改めて納得する。
幅広く奥深い内容で上下巻たっぷり学びを得た気がして人に勧めたい本となりました。 -
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ああ、読み終わってしまった・・・
12年ぶりの水村美苗小説、じっくり味わう積りが
やっぱり最後は、一気読みになる。仕方ないね。
周一・貴子、「大使とその妻」が軽井沢を去った後、
隣人ケヴィンの手記として小説は進む。
下巻では、貴子の父の生い立ちから始まり、少女時代、
周一との運命的な出会いが描かれる。
そして、軽井沢の最後の夏・「祝祭の夏」も。
時代はコロナ禍の直前。
ネタバレになるので、私が知らなかった重い歴史は
ここでは触れない。
でも、この歴史が、小説の柱でもある。
それが貴子を作っているのだから。
正直、結末は見えていた。
わかっていたのに、ついにそのことが小説に出てきたときは号泣。
結末だけを言うなら想像通りだ。
けれど、その描き方、ディテールと言えば良いのだろうか。
そこが素晴らしい。
水村美苗ならではの美しさであり、「たしなみ」ではないだろうか。
わたしはケヴィンや貴子と同世代。
(ただし、小説の時代はコロナ禍なので、今の私より数年分若い)
この年齢になったからこそ本作を味わえたような気もしている。
大好きな「本格小説」も軽井沢を舞台にした小説だったけれど、
ここまで情景の美しさが描かれていたかしら?
最後になるが、「枕草子」「源氏物語」「百人一首」「方丈記」など、
古典作品が随所に引用されている。
それがまた軽井沢を、そしてその片隅に生きる人々の心の機微を示し
たまらなく美しい。
12年、水村小説を待った甲斐がある。
(途中で、もうお書きにならないのだろうと、あきらめていたけれど!) -
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久しぶりに痺れる本に出会った。
著者の水村美苗は学者であり作家である。名門イェール大学・大学院でフランス文学を専攻し、アメリカの大学で日本近代文学を教えながら日本語で小説を書いた。本書の発刊は2008年。5年をかけて書き上げたことからも著者の情熱が伝わってくる。
書き出しは著者の体験が小説のように綴られる。もうすでにこの文体が心地よい。しかし、そこからは緻密な調査と考察が積み重ねられ、一つの結論に向かっていく。それは「日本語は亡びうる」という結論である。
島国日本では連綿と日本語が使われてきた。それは時代に応じて変化はすれど、なくなるとは想像していない。しかし、日本語はなくなる可能性がある。
インターネットが出現して、英語一強の傾向が加速した。中国でも韓国でもアメリカの大学に行かせるのが流行っている。「もっと英語を」の声は日本でも高まり、小学校でも英語が必修になった。この流れに抗わなければ、日本語はなくなってしまう。
では、そのためにはどうすれば良いか。具体的には日本近代文学を読めと著者は言う。明治維新の後、欧米の書物を翻訳する中で、日本の書き言葉は昇華した。言葉と向き合い、日本と向き合い、日本人と向き合ったからこそ、明治・大正・昭和初期までの文学こそ読む価値がある。そこから日本語を守ることを考えよと著者は言うのだ。
結論までの道程では河合隼雄や坂口安吾を切りながら力強い論拠を積み上げていく。それは学者・水村美苗の明晰な頭脳を示している。
小説家であり学者でもある著者の力を存分に発揮した本書。著者の筆力に痺れる一書であった。 -
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心震える恋愛小説か怪談話を読みたいと、10年の積ん読を経て人を食ったようなタイトルの恋愛大河小説を読んで心震わす。後にNYの大富豪になった満洲引き揚げ者の貧しい少年東太郎と裕福な隣家の娘よう子の幼い恋心から始まる幸福と悲劇、そして一族の栄枯盛衰が昭和の軽井沢を舞台に何十年にも渡り繰り広げられる。一人ひとりの行動の積み重ねが人の心に影響を与え、その結果がまた人それぞれに違う意味を持つ。それぞれが自分の居場所を探す話であり誰が幸せで誰が不幸せだったのかさえつかみきれぬまま恋愛の大河に呑み込まれる。今の日本はある人には良くなりある人には悪くなった。40年前の軽井沢ってこうだったよね、などと思いながら。
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夏目漱石の本歌取りであるが、新人作家がそれにチャレンジした勇気と、その勇気に匹敵する内容の面白さに感服し喝采。
登場人物のキャラで小林がずいぶん常識人になってしまったのと、妻お延がなんでかうつ性格になってしまったのは、ちょっとしたキズにもみえるけれども、それまでほとんど登場してなかったもと彼女の清子、温泉で親しくなった安永と貞子の性格創作は見事だった。津田と妹お秀と吉川夫人の性格描写はきちんと承継していたし、ストーリー自身が夏目漱石のそれよりも昼ドラみたいで抜群に面白くなってたわ。
太宰治のグッドバイとか、山﨑豊子の約束の海とか途中で絶筆になってる小説を思い切って本歌取りするブームが到来してほしいね -
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この作者の第一作が『続・明暗』であるうえこの題名
手をつけるのにかなりの読書意欲を必要としたので買って2年も寝かせたが
意外にとても読みやすかった
題材からの連想でサマセット・モーム「平明な文体と巧妙な筋書き」みたいな感じかしらん
物語の面白さで読み始めたら止まらない内容
題名の「本格小説」は作中の作者から説明あるように「小説のような話」を指して
小説である以上は作者の知ることの中で書かれているから(広義の)「私小説」であり
では「私小説」でない「小説のような話」はどうなるか
みたいな感じらしい
なるほど
そういうわけで『嵐が丘』を戦後日本へ置き換えたような筋書きを
作中の作者を複数の話し手と聞き手の中に織り交ぜ
山場がいくつもある多重ミステリのような仕掛け
内容分類てきには「昭和日本のお金持ちと使用人」な「時代」を生きたひとたちの記録
みたいな感じか
「ミステリ」の舞台が現代日本か19世紀イギリスかでの分類のように
この作品には意味のない分け方だけれども
そもそも『嵐が丘』自体読んだのがわりと昔な上に
まず「がらかめ」の絵が載って
さらにクリスティのミステリでないのとか
『秘密の花園』とかダイアナ・ウィン・ジョーンズとか
極めつけに「あんざろ」で上書きされてよくわからないことになっていて
そういうエンタメな味わいと比較してしまうわけだが
さすがに最初の作品に『続・明暗』持ってきて評価されている作者だけに
どんな方向からのつっつきに綿密な構成で答えて
『虚無への供物』みたいな積み上げっぷり
そういうわけでどこで満足して本置いたらよいかわからない
細部まで抜かりなく豪勢な作品だが
そういうどこまでも閉じてない感じが
「私小説」でないふうなところなのか
「小説のような話」には「私」たる主人公がなく
といって(社会(人間関係)が主人公の)群像劇というわけでもなく
時代のふんいきというのも『嵐が丘』と対比するまでもなく舞台だてなのだし
結局「小説のような話」というのは
「巧妙な筋立てによるお話の面白さというもの」というところへ
行き着くものなのかもしれない -
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「日本語が亡びるとき」等の論考でも知られる著者のデビュー作。何と言っても夏目漱石の死によって未完に終わった「明暗」を、その文体を見事なまでに再現した上で、続きを創出するという大胆な作品であるが、これがデビュー作とは思えない恐ろしい完成度に満ちている。
漱石が「明暗」という作品をどのように終わらせようとしたのかという意図を知るものは誰もいないこの世界において、それでも本作で描かれた物語は、「もしかすると、明暗とはこのように描かれるべき作品であったのかもしれない」と思わせる磁力を持ち合わせている。無数にある物語の分岐のうち、最も確度が高い選択肢を選ぶという行為を数万回、数十万回と繰り返した中でたどり着いた結末のような感じすら与える。
これで著者の小説作品は全て読んだことになるが、寡作にしてそのいずれもが間違いなく読む価値のある傑作ばかりである。 -
Posted by ブクログ
下巻です。
期待を裏切らず、最後まで深みのある恋愛小説で、どっぷりと美しい世界観に浸りました。
(著者は嵐が丘のような話と言っていますが、私は谷崎の細雪、小池真理子の恋がよぎり、再読したくなりました。特に恋の主人公は同名フミコ!)
そんな中ラストの冨美子の件は、一瞬小説全体の美しさを汚された気がしましたが、そういう事情のお蔭で彼女の語りには包容する力があり愛があるわけですから、生々しさも許容しなきゃな、という気持ちに変わりました。
また、上巻で感じていた三枝家や重光家等の名家の品格を、時を経て現代の富裕層である久保家には少しも感じず(だからと言って決して下品という意味ではなく)、現代日本への寂しさを感じました。
あの時代を生きた人々が、現代の、小粒で薄っぺらい人材と世の中を嘆く様を見て、確かに現実の経営者や政治家には気迫も個性も足りないかも、と考えたりもしました。松下幸之助や田中角栄に匹敵する今の人、思いつかないもの…
恋愛小説なのにそれ以上のことを考えさせられる、とても素晴らしい作品です。読んでよかった☆ -
Posted by ブクログ
2012年に単行本で出た際に、読んでいるんです。
2017年現在からみると、たったの5年前。
最近、電子書籍で再度購入。
「母の遺産」水村美苗さん。中公文庫、上下巻。
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50代の女性がいて、結婚していて子供はいない。
父はもう亡く、老いた母がいる。
この母が、色々面倒ばかりかけ、たいへんにしんどい。
コレという判りやすい被害がある訳ではないけれど、とにかく気持ちに負担をかけてくる。手間暇をかけさせる。
ただでさえ自分も体調が悪いのに。重ねて、介護の手間が厚塗りされる。地獄のような疲弊感。誰とも分け合えない苦労。誰も褒めてくれない重労働。
そして、夫が不貞をしていたことが分かる。若い女と。匂い。証拠。確証。
それも、浮気と言うより、本気。離婚を切り出されそう。
そんな、日常の着物を一枚めくると、すれ違う誰もが抱えていそうなスリルとサスペンスと、げんなり感。
母との、愛憎。
そして、ようやくの、母の死。ほっとする。
やっと、死んでくれた。
そして後半は。
夫とどう向き合うか、今後の人生をどうするか、という流れになっていくのですが...。
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5年前に読んだ時も、今回も同じく面白かったんです。
水村美苗さんは、とにかく文章に持っている品格と言うものが。触れなば斬れん妖刀村正...と言う感じ、水際立った背筋の伸び方。
さしずめ、大正時代からの老舗の喫茶店で、物静かでシュッとしたワイシャツ姿のマスターが入れてくれるアイスコーヒーのような。それを、うだるような灼熱の午後のひととき、適度な冷房の中で味わい、上等な氷がカランと音を立てるようなココチ良さ。
「日本語が滅びるとき」「續明暗」なども、僕は本当に大好きです。
なんですが...
30代で読んだ時は、「面白いなあ」だったことが。
40代の今回の再読では「痛い...怖い...苦しい」。
正直、特に老いた母が死ぬまでは。
(唐突に1986年の日本映画「人間の約束」を思い出しました。あれも凄い映画でしたね。三国連太郎と佐藤浩市の共演。)
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そんなわけで、下巻に入って、母が死んでくれたあとは、正直大変に読み易くなりました(笑)。
夫と向き合う、人生の再出発を考える主人公、というのは、つまり、なんというか、どこかしら、
「ひとごと」
として楽しめている自分を感じましたね...恥ずかしいことですが。
比べて前半は...。
親の老い... 介護...
人の、人生の、終わり方...
みたいなことを、コレデモカと、首根っこを押さえつけられて、目をひん剥かされて直視させられるような。
自分の親がどうこう、ということもですが、「自分のときは」みたいなことを、よぎっては身の毛もよだつ...。
「ひとごとや、あらへんなあ」
だったんでしょう。5年前に比べて(笑)。
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村上春樹さんが、「ある年齢になってから、昔読んだ本の再読が増えてくる」ということをどこかに書いていたような。
そんなことに、心中、同意してしまう。
再読もまた、愉しからずや。
でも、水村さんの新作、出ないなあ...まだまだ何か書いてほしいなあ...小説ぢゃなくてもいいから...。 -
Posted by ブクログ
下巻です。
上巻では母の介護が焦点だったのに、下巻では主人公の夫の若い女との浮気話に軸を移した感じで主題が読めず、はじめは少々戸惑いました。
だってね、箱根のホテルに逗留してから雰囲気ががらっと変わるんですもん。急に夫問題(苦笑)。
・・・ではありましたが、通読したらとてもよかったです。
ここまで雰囲気を変えるなら思い切って一部・二部、と分けてくれた方がはじめから受け入れやすいかな、とも思ったけど・・・これでいいのかな?
内容的には、主人公の、母や夫、もっと言えば過去からの「自立」の物語です。
自立、といっても若者ではなくて50代中年女性というところがミソ。
その歳になっても親のせいにするなど結果的に依存してたり、経済的に夫に依存してたり・・・などは意外と普通にありそうだから、そんな人が決心し、前進し、最後に自分を苦しめてきた人々を赦すという心境の変化には感動しました。
中高年の女の幸せは最終的には経済力だ、とあけすけに語られているところも含め、現実感がありましたしね。
また、主人公の、母親への感情もうまく表現されていると思いました。
主人公が母親に振り回され、心身ともに消耗していく苦労は理解できましたけど、この母親、そんなにひどい人だとは思えなかったんですよねー
病床の父を見捨てたくだりは最低な人間だったけれど、それ以外は自己実現と上昇志向を強く持っていただけの異端児じゃないかなと。
彼女の娘だったからこその苦労も人一倍だったけれど、そんな母親だからこそ、留学させてもらったり、華やかな文化に触れさせてもらったり、恩恵もあったでしょう。
娘もそれを理解したうえで母の死を望んでしまう様はね・・・なんともリアルでした。
他にも、今の老人終末医療のありかたや、三文小説かと思っていた「金色夜叉」の魅力と当時の世相など(「ボヴァリー夫人」に至っては読んだこともないという・・・)
色々勉強になりました。ホント面白かった! -
Posted by ブクログ
小説は、主観的な内的な心象風景を物語で紡ぎながら、その中に美しさとそれから生まれる哀しみがあらわされれているもの・・かなと。
どの時代でも、文化、社会の中で人が思うようには生きていけない辛さみたいなものが澱んで、人が巻き込まれ、自分からまきついていくような人がいて、そういう時代に翻弄される劇的な物語を、人は惹かれるものである。
この本の主人公が登場しているとき、嵐が丘の冷たい暗い風がいつも感じられる。この小説が「嵐が丘」を意識していることは、最初から感じられるのだが、嵐が丘を感じながらも、この小説の舞台は戦後である。貧しい家族に恵まれない辛い子供時代を過ごした主人公は、時代背景が嵐が丘とは違うがその主人公太郎の立ち位置がヒースクリフが非常に似ているためそのように感じるのだろう。
この本の好きなところはいろいろあるが、ラストの意外性がすごいと感じさせた。嵐が丘を意識しながら、全く別の次元のものに昇華したと感じた。
小説とは、これを言うのだなと感じさせてくれる本である。 -
Posted by ブクログ
第8回小林秀雄賞受賞作。
『続明暗』を書いた作者として名前は知っていた。
この文量を書ききった感が、すごい。凄まじい。
国語=日本語の定義が、崩れつつある。
英語が「普遍語」となった現代、ビジネスチャンスやグローバルコミュニケーションを求めるものは、況や英語を話せることを目的とするようになった。
日本人にとって、何語で話し、何語で書くかというのは大きな問題提起であると思う。
「〈学問〉とは本来、〈普遍語〉で読み、〈普遍語〉で書くものだという〈学問〉の本質が、否定しがたく露呈してきた」
文学の世界にとっては更に切実である。
世界の第一線で活躍する日本の作家といえば、私はまず村上春樹を思い浮かべる。
彼の作品はすぐに翻訳され、あたたかい内に世界へと提供され、ノーベル文学賞の候補にも度々名を連ねる。
水村美苗氏はそこまで言及はしなかったけれど、では、村上春樹がいわゆる日本的な作家かとすると、やはり隔たりがあるように思う。
本が出れば大ヒットを獲得する彼の魅力を、果たして私たちは皆「分かって」いるんだろうか、と時々疑問に思うことはある。
日本の文壇が、どのような方向性で居場所を見つけるかは、きっと考えが必要なのだろうと思う。
本を殆ど読まなくなった日本人。
書店は苦しい戦いを強いられ、新聞はデジタル化の一途を辿る。
読める環境にいながら、読まない選択をし続ける我々が、国語の議論をすること自体、刻一刻と難しくなっているのかもしれない。
再読前提。