黒崎政男のレビュー一覧
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カント入門の2冊目。
こちらの本は、割とスッと入ってきた。
著者の黒崎さんが、高校時代から抱えていた疑問に対する答えをカントに求め続ける姿勢が感じられるからかもしれない。
本書の良い点は、『純粋理性批判』内で使われる用語や概念をきちんと解説してくれていること。
例えば、知性と悟性と理性は何が違うかなど。知性と悟性は英語ではunderstandingで同様であり、理性はreason、ラテン語まで辿るとratioであり、比較するといった意味になる。
知性と悟性が同様であるのにも関わらず、使い分けられているのは、悟性が知性の下位互換のようなものだから。知性があれば、人間は物自体を認識できるかも -
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ネタバレカント2冊目。漠然とした理解が、少しは開けたかとの実感があったりなかったり。つまるところ、人間の認識についての究極的な考察なのでは、という理解まで至りました。
本書は、カントの生涯やその他批判書をきっぱり除外することで、「純粋理性批判」の解説に焦点を当てており、かつ語り口が軽妙で少し内容で詰まったとしても何度も繰り返し説明してくれているので、何とかこんとか前に進むことができます。
どこか印象深かったところに付箋があってありましたので、未来の自分が感じ取れるかの宿題として、以下に抜き出しておきます。
P41:知識は感覚や感性を通して外部から得られるものだと考え、経験を重視する立場は経験論。 -
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ネタバレわかりやすい方なんだと思う。
・「純粋理性批判」の決定的な意義は真理成立の根拠を神から人間へと奪い取ったことと表現しうるだろう。
・素朴にありのままを認識しようとすれば、それは主観的なものとなり、逆に世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、というパラドキシカルな主張こそ、「純粋理性批判」の根元的なテーマなのである。
・真理は、一方でその事態、その事象に特有のことを述べるから有意義で真理でありうるのに、あらゆるものに通用するような真理は、その特有さを切り捨てなければ成立しえない。あらゆるものの根元的真理、あらゆる認識に通用する真理など、実は自己矛盾を含むものであり、は -
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ネタバレ岩波の翻訳で何度か挫折していたので手に取ってみたが、序文から秀逸であった。著者曰く、解説書において大切なことは原書との距離感であるということだ。単なる目次や経歴の列挙でもなく、あるいは訓詁学のような詳細な解説書でもない。その絶妙な距離感が必要だと述べられていて、本書はその距離感を忠実に守っている。
世界の現象は客観的だが、認識は主観的。
認識は悟性(理性)と完成によって補完的な産物
などといった、現代的な感覚すれば、当たり前な気もしなくもない命題を導いたことにカントの本質があることがわかった。その時代からすれば、人間が神から心理を取り返した大事件だったのだろうと想起できる。
理性と悟性と -
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もう20年前の出版だが、既に30刷近くの再版がなされている。相当に売れていると言っていい。理由はもちろんわかりやすさにあるのだが、前書きにもあるように、それは本書が網羅的であることを諦め、「認識の客観性はいかに担保されるか」にテーマを絞って「純粋理性批判」を紹介しているからだろう。ほんの200ページほどの容量で噛んで含めるように「批判」のエッセンスが説かれており、僕のような素人には本当にありがたい。一方で実際に「批判」を読んだときにこの本で扱われていない部分で躓いたらどうしよう、とも不安になる。なんせこの本を読む前に手にとってあえなく挫折した「カントの読み方(中島義道・著、ちくま新書)」は本
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難解で知られる「純粋理性批判」だが、これを読まずに、哲学は語ることができない、というようなものらしい。というわけで、カントの入門書とかも読んだりしたけど、結局、よくわからなくて、とてもよめそうにもないな〜と思っていた。
最近、「世界哲学史6」でカントに関する解説を読んで、やっと何を問題にしているのかがうっすらわかる気がして、この入門書を読んでみた。
読み進めていくうちにだんだん難しくなる感じはあるものの、これはかなりわかりやすいのではないだろうか?
細かいロジックはわからなくても、カントがなにを問題にしていたのかは、とてもよくわかった。そして、苦節10年、悩みに悩んで、問題への答えを見つ -
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「私は この小説を書くときに、読んでくださる人が小学六年生までの漢字を読む力があれば読んでもらえるものと思ってこの作品を書き始めました」
と「氷点」を書いた三浦綾子さんがいってらっしゃいました。
この本の中で出張授業をされる先生たちは
もちろん、その道のプロフェッショナルの方たちです
そして、聴いている対象者たちは 中学生、高校生たち
その語り口が そのまま 一冊の本にまとめられました
その「語り口」を読んでいて
冒頭の三浦綾子さんの言葉を思い起こしたのです
本当の専門家は
ただ感心させるだけでなく
それなら 僕も(私も) 何かやってみよう
そんな気にさせてくれる方なのです -
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カント哲学は哲学の最終的な行き着き先であるため、カントを学ぶ前にプラトンやソクラテスは最低でも知って置く必要があるし、哲学とはと言う入門書は必ず必要となる。それ程までに純粋理性批判というものは取り扱うには難しい。ただ、ものすごく単純化すると、その存在の見る方向、その対象物からの方向がどちらに向いているのか、また、モノではなく事象としてどうなのか、だから、その事象は起こりうるのかなど、絶えず中心点は、軸をどこにおくのかだけ理解できていればなんとかなるかもしれない。本著については、入門書であるため、純粋理性批判がどのようなカントの生い立ちを背景にできたのか、カントという哲学者はどういったパーソナリ
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全体的にカント哲学を感性と悟性の二元論から止揚する観点で読み解く試み。
「建築現場」の章を読み通すのが困難だった。その後は著者も言うとおり、読みやすかったが。
ハイデガーやヘーゲルの内在的な矛盾をつくのとは次元が違い、ニーチェはカント哲学の限界に決定打を打ったんだな。超越論的構想力の改編を吟味する中で、カントは劣化しているとの指摘に、カント哲学を学ぶ意欲が萎えた。
全体的に良書で本質的な記述だと思うが、最後のカントの姿勢を批判する部分が、哲学を学問として専攻しない人間にとっては、繰り返すが萎えるものがあったので、入門書ととしてはどうかという意味で☆3つ。 -
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入門という名前だが、この本自体が非常に難解である。とはいえ、ツアーガイドとして、その醍醐味を伝えることには成功している。カントの内面と言うよりは後進がどのようにカントを捉えているかという内容となっている。
この本を読んで思い浮かんだのは、映画「マトリックス」である。映画の主人公たちはマトリックスと呼ばれるコンピュータの作り出す仮想空間にいるという設定であった。
本書で言うところの「現象」は、コンピュータが作っているのだが、その事実を知って、抜け出そうとするヒトもいたし、とどまることを選択したヒトもいた。感性と悟性の合一が、現象の理解を得るとした時に、選択の優劣があると言うよりも、本人の経験と価 -
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「主観(私)」は「物自体」ではなく、その現象を認識する。その限りにおいて、人間のカテゴリーが適用できる。また、感性によって知覚、受け取った現象を悟性によって認識するというプロセス。
「純粋理性批判」を書く前に、10年間何も著作を出さなかった時期がある。この間にカントの思想が熟成したという。
また、晩年に向かうにつれ、「悟性一元論」へ傾くなど「思想の衰退、退化」がみられるという。これは、カントがのぞき込んで尻込みしてしまった「超越論的構想力(≒想像力)」の問題と深い関わりがあるらしい。カントは真面目すぎて、下ネタに赤面するか怒りだすような、冗談が通じないようなひとなのだろうか。
かなりわか