【感想・ネタバレ】カント『純粋理性批判』入門のレビュー

あらすじ

カントはおもしろい!
西洋哲学2000年の伝統を破壊した衝撃の書を、やさしく読みつくす。

すべての哲学はカントに流れ入り、カントから再び流れ出す。西洋哲学2000年の伝統を破壊した衝撃の書『純粋理性批判』。「私」「世界」「神」の考察から、「時間」「空間」の構造、形而上学の運命まで、あらゆる思考の極限を究めた哲学史上最大の金字塔を、やさしく、ヴィヴィッドに読みつくす。

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カント入門の2冊目。
こちらの本は、割とスッと入ってきた。
著者の黒崎さんが、高校時代から抱えていた疑問に対する答えをカントに求め続ける姿勢が感じられるからかもしれない。

本書の良い点は、『純粋理性批判』内で使われる用語や概念をきちんと解説してくれていること。

例えば、知性と悟性と理性は何が違うかなど。知性と悟性は英語ではunderstandingで同様であり、理性はreason、ラテン語まで辿るとratioであり、比較するといった意味になる。

知性と悟性が同様であるのにも関わらず、使い分けられているのは、悟性が知性の下位互換のようなものだから。知性があれば、人間は物自体を認識できるかもしれないが、それは無理なので悟性といった言葉を用いている。そのあたりのニュアンスを知れたのは良かった。

他にも、物自体と現象といった概念も丁寧に解説しており、理解がしやすかった。

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2025年06月09日

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ネタバレ

カント2冊目。漠然とした理解が、少しは開けたかとの実感があったりなかったり。つまるところ、人間の認識についての究極的な考察なのでは、という理解まで至りました。

本書は、カントの生涯やその他批判書をきっぱり除外することで、「純粋理性批判」の解説に焦点を当てており、かつ語り口が軽妙で少し内容で詰まったとしても何度も繰り返し説明してくれているので、何とかこんとか前に進むことができます。

どこか印象深かったところに付箋があってありましたので、未来の自分が感じ取れるかの宿題として、以下に抜き出しておきます。

P41:知識は感覚や感性を通して外部から得られるものだと考え、経験を重視する立場は経験論。逆に、もともと心に備わっている知性による認識こそ重要であり、感覚や感性による認識は程度に低いものだとする立場が、号理論。
→いわゆる経験論、合理論の立場を言語化し形式だって説明してくれているので、ピックアップしてるな。

P122:認識の材料(質料Materie)などは確かに、完成の受容性によって、世界から受け取る。形や脈略を与える(形相Form)のは、主管の側の自発性の能力なのである。つまり、ここで「感性の受容性」と「悟性の自発性」がくっきりとした二元性をなしていて、それとともに経験のに側面として、・・
→でました、経験を通しての感性と悟性の二元論。こちらが、現象を認識する、「認識に従って表像がなるのだ」的なカントの主張の核だろう。

P127:超越論的統覚(transzendentale Apperzeption)。「・・・と私は考える」が伴わざるをえない最終的・根源的な自己意識のこと。悟性の最高原則であるこの統覚が感性の側に属するとされてきた「直観」が、影響を与えこの条件に従わせる。きちんと客観として表れるためには、この統覚に預けなければならない。
→難しすぎる!つまりは、どうゆうことなのでしょうか・・・まだ違う文献でおさらいだ。

あとはちょい触れますが、構想力というワードが実は第1版にはあり、2版から除外されているのだと。カントが二元論から悟性有利の一元論へと揺れ動くさまが指摘されていますが、なるほどカントも徹頭徹尾首尾一貫とはいかず、人間臭いところがあるのだなと少し親近感。

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2021年10月25日

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ネタバレ

わかりやすい方なんだと思う。
・「純粋理性批判」の決定的な意義は真理成立の根拠を神から人間へと奪い取ったことと表現しうるだろう。
・素朴にありのままを認識しようとすれば、それは主観的なものとなり、逆に世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、というパラドキシカルな主張こそ、「純粋理性批判」の根元的なテーマなのである。
・真理は、一方でその事態、その事象に特有のことを述べるから有意義で真理でありうるのに、あらゆるものに通用するような真理は、その特有さを切り捨てなければ成立しえない。あらゆるものの根元的真理、あらゆる認識に通用する真理など、実は自己矛盾を含むものであり、はっきりいえば、インチキである、とカントは主張しているのである。
・カントの問いも、人間の都合で存在しているカテゴリーがなぜ(それとは無関係に存在しているように思われる)世界を説明認識する場合に、きちんと役に立つのだろうか?というものである。そしてカントの答えはまさに世界(カントの場合は<現象>の成立そのものに、人間の主観的原理であるカテゴリーがそもそも関与しているから、というものである。世界が人間とまったく関係のない<物自体>のことだったらなら、確かにカテゴリーは世界にアプリオリに妥当するものではないだろう。しかし
カントによれば<現象>のことであり、この現象は時間・空間という直観とカテゴリーによってそもそも初めて成立するものなのである。
・時間・空間、そして因果関係などは、人間の存在に関わらず、世界そのものが成立するための条件だと考えられている。人間がいなくとも、時間・空間はあるし、因果関係も、世界そのものの側に属する法則である、と考えられている。
カントは否!と言う。そうではないのだ。それらは、人間が世界を認識するための<主観的>条件であって、我々の認識を離れてはそれらは無なのである。しかもそれだけではない。想定される知的存在者、例えば、天使や神も、彼らが認識するために、時間・空間や因果関係などを使用することはおそらくないだろう、というのがカントの考えである。

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2017年11月24日

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ネタバレ

岩波の翻訳で何度か挫折していたので手に取ってみたが、序文から秀逸であった。著者曰く、解説書において大切なことは原書との距離感であるということだ。単なる目次や経歴の列挙でもなく、あるいは訓詁学のような詳細な解説書でもない。その絶妙な距離感が必要だと述べられていて、本書はその距離感を忠実に守っている。

世界の現象は客観的だが、認識は主観的。
認識は悟性(理性)と完成によって補完的な産物

などといった、現代的な感覚すれば、当たり前な気もしなくもない命題を導いたことにカントの本質があることがわかった。その時代からすれば、人間が神から心理を取り返した大事件だったのだろうと想起できる。

理性と悟性との違いなど本質的かつ詳細な解説もあり、岩波の翻訳を読んでいた時の多くの疑問が氷解した。もう一回、岩波を読めば違った世界が開けるのだろう。その意味で優れた入門書であった。

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2013年01月08日

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カント思想の入門書として、純粋理性批判においてポイントとなる主張が噛み砕いて解説されている本。噛み砕いて、と言っても完全に理解することは難しかったが、カントの主張の変遷や、他哲学者からの批判も含めて知ることでカントがどういった視点で人間の物事に対する認識を捉えていたか多少なりともイメージがついた。

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2022年08月16日

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 もう20年前の出版だが、既に30刷近くの再版がなされている。相当に売れていると言っていい。理由はもちろんわかりやすさにあるのだが、前書きにもあるように、それは本書が網羅的であることを諦め、「認識の客観性はいかに担保されるか」にテーマを絞って「純粋理性批判」を紹介しているからだろう。ほんの200ページほどの容量で噛んで含めるように「批判」のエッセンスが説かれており、僕のような素人には本当にありがたい。一方で実際に「批判」を読んだときにこの本で扱われていない部分で躓いたらどうしよう、とも不安になる。なんせこの本を読む前に手にとってあえなく挫折した「カントの読み方(中島義道・著、ちくま新書)」は本書とアプローチが全く異なっておりひたすら難解だった。ということは当然ではあるが「批判」の読み方も千差万別であり、この本通りの読み方が僕にできるかどうかも全く保証されていない、ということなのだろう。まあ読む前にごちゃごちゃいう前にとにかく読んでみるしかないのだが(以上、「批判」を読む前のメモより。実際に読み始めるとこの本を再び参照するということはなかった)。

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2021年07月16日

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難解で知られる「純粋理性批判」だが、これを読まずに、哲学は語ることができない、というようなものらしい。というわけで、カントの入門書とかも読んだりしたけど、結局、よくわからなくて、とてもよめそうにもないな〜と思っていた。

最近、「世界哲学史6」でカントに関する解説を読んで、やっと何を問題にしているのかがうっすらわかる気がして、この入門書を読んでみた。

読み進めていくうちにだんだん難しくなる感じはあるものの、これはかなりわかりやすいのではないだろうか?

細かいロジックはわからなくても、カントがなにを問題にしていたのかは、とてもよくわかった。そして、苦節10年、悩みに悩んで、問題への答えを見つけたと思いきや、まだまだ、悩むは続いていく。

そして、ヘーゲルやハイデカーのカント批判の論点。なるほど〜。

真理とはなにか?それを知ることは可能なのか?という哲学上の最難問にチャレンジしていたのだな〜。それは、いわゆる形而上学、哲学の中心的な課題なんだな。

が、実は、そういう問いに、私は、あんまり関心がないんだな〜と再確認。わたしは、より人間の行動とか政治に関係する哲学のほうに興味があるんだな。

カントだったら、純粋理性批判は、この本をもって、読んだことにして、実践理性批判と判断力批判を読みたいかな?

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2020年06月26日

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入門という名の通りに、著者が簡略的にして重要な概念を伝えてくれていてとても読みやすく、またわかりやすかったように思う。
カントについて知るには不十分だと感じたが、入門書として読む本の中の一冊にこれがあっても良いなと感じた。

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2012年07月27日

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カント哲学が、肯定否定含めてざっくり概観できます。
日本語ばかりなので初心者でも読みやすい。ここで引用されている坂部さんやヘーゲルの著作も読んでみたくなりました。

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2012年02月12日

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カント二冊目。相変わらず難しくて文字の上を目が滑る滑るorz けれどそれなりに分かりやすく、所々砕けた文章で書いてくれているので読むこと自体は苦ではありませんでした。
個人的に後半(特に第三章)が難しかった;;

「時間・空間や因果関係などのカテゴリーは、人間の認識の成立の条件、つまり、現象の成立の条件なのであって、物そのものの成立の条件では決してないのである」という文章にはっとさせられました。まさにコペルニクス的転回!

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2011年11月10日

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「カント入門」よりもくだけた文章で、また初心者への用語の解説も丁寧なので、こちらのほうが理解しやすい。
「純粋理性批判」って響きがいい。「相対性理論」と並ぶくらい惹かれる。バンドの名前にしても面白いかも。

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2011年07月09日

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一年に2度ほどは読み返さないと、だめだこりゃ。
あー大学のオープンキャンパスとか行ってみたい。
カント講義きいてみたいなぁ。

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2010年05月07日

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カント哲学は哲学の最終的な行き着き先であるため、カントを学ぶ前にプラトンやソクラテスは最低でも知って置く必要があるし、哲学とはと言う入門書は必ず必要となる。それ程までに純粋理性批判というものは取り扱うには難しい。ただ、ものすごく単純化すると、その存在の見る方向、その対象物からの方向がどちらに向いているのか、また、モノではなく事象としてどうなのか、だから、その事象は起こりうるのかなど、絶えず中心点は、軸をどこにおくのかだけ理解できていればなんとかなるかもしれない。本著については、入門書であるため、純粋理性批判がどのようなカントの生い立ちを背景にできたのか、カントという哲学者はどういったパーソナリティなのか、まずはそこから入るためには良著であると思われる。★を一つ減らしたのは著者がカントに傾倒しすぎて、感嘆文を入れているためである。

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2010年05月25日

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世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、という主張。
自分が十年以上前に、Newtonで「完全な客観性など存在しない」といった趣旨の対談を読んだ時の衝撃を思い出しました。
あれはここにリンクしていたんだ。
本の内容も興味深く、引き込まれました。
価値のある一冊です。

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2010年02月28日

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 カント『純理』入門のための第一冊目。非常に分かりやすく書かれてある。悟性と理性の違い、感性、構想力について、など、まずもって『純理』を読む際におおよそ知っておくべき用語の説明から、純理の全体的な構造と、その問題点などがうまくまとめられている。これを読めば純理が身近に感じられることだろう。11.23-26.

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

全体的にカント哲学を感性と悟性の二元論から止揚する観点で読み解く試み。

「建築現場」の章を読み通すのが困難だった。その後は著者も言うとおり、読みやすかったが。

ハイデガーやヘーゲルの内在的な矛盾をつくのとは次元が違い、ニーチェはカント哲学の限界に決定打を打ったんだな。超越論的構想力の改編を吟味する中で、カントは劣化しているとの指摘に、カント哲学を学ぶ意欲が萎えた。

全体的に良書で本質的な記述だと思うが、最後のカントの姿勢を批判する部分が、哲学を学問として専攻しない人間にとっては、繰り返すが萎えるものがあったので、入門書ととしてはどうかという意味で☆3つ。

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2016年03月06日

Posted by ブクログ

入門という名前だが、この本自体が非常に難解である。とはいえ、ツアーガイドとして、その醍醐味を伝えることには成功している。カントの内面と言うよりは後進がどのようにカントを捉えているかという内容となっている。
この本を読んで思い浮かんだのは、映画「マトリックス」である。映画の主人公たちはマトリックスと呼ばれるコンピュータの作り出す仮想空間にいるという設定であった。
本書で言うところの「現象」は、コンピュータが作っているのだが、その事実を知って、抜け出そうとするヒトもいたし、とどまることを選択したヒトもいた。感性と悟性の合一が、現象の理解を得るとした時に、選択の優劣があると言うよりも、本人の経験と価値観の問題に還元されるのだろう。
工学、エンジニアリングの世界に生きてきた自分としては、哲学の答えのなさや実用性の無さは理解しかねるものであった。しかし、工学も経験を積むにあたり、評価のパラメータが多くなれば、ひとつの答えが正解とは言えないという事実に数多くぶつかってきた。
工学では数学という道具を用いて、曖昧性を排除する。しかし、その数学を適用するために、実態の一部をある観点で切り取る。その時点で本質から離れているのだ。
一方哲学は、経験と論理のみでモノゴトの本質を捉えようとする。言葉の定義という曖昧さは内包しつつも、出来るだけ捉えようとする学問なんだと改めて思った。

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2014年12月17日

Posted by ブクログ

「主観(私)」は「物自体」ではなく、その現象を認識する。その限りにおいて、人間のカテゴリーが適用できる。また、感性によって知覚、受け取った現象を悟性によって認識するというプロセス。

「純粋理性批判」を書く前に、10年間何も著作を出さなかった時期がある。この間にカントの思想が熟成したという。

また、晩年に向かうにつれ、「悟性一元論」へ傾くなど「思想の衰退、退化」がみられるという。これは、カントがのぞき込んで尻込みしてしまった「超越論的構想力(≒想像力)」の問題と深い関わりがあるらしい。カントは真面目すぎて、下ネタに赤面するか怒りだすような、冗談が通じないようなひとなのだろうか。

かなりわかりやすくダイナミックでユーモアにも富んだ解説書。

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2013年11月24日

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