藤沼貴のレビュー一覧
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ペーチャとカタラーエフの死が前半で、どちらもあっけなく戦場で亡くなり、戦争と平和というタイトルの感じでした。多くの登場人物が亡くなる中で、捕虜の苦しい生活に陥りながらも生きながらえるピエールは、幸運に恵まれた人物と言えると思います。最後はピエールとナターシャ、ニコライとマリアの夫婦の穏やかな生活で締めくくられます。ソーニャのニコライへの片思いが実らなかったのが残念でした。一番最後のエピローグの2の評論文は難解そうなので読んでいません。世界の名作文学と言われた戦争と平和をだいたい読み通せたことがうれしいです。最後になりましたが、レフ・トルストイというとアニメ「月とライカと吸血鬼」という私の好きな作品のレフ君を思い出しました。ロシアっぽい架空の国の宇宙開発事業が舞台だった作品です。
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この長編もいよいよ後半。モスクワ市街がフランス軍に制圧され市の大半が焼失、その中でピエールはナポレオン暗殺を考えるが、あっけなく捕虜にされ容疑者たちが銃殺される現場を見る。以来ピエールの中で宗教や政治、妻エレンのことは遠ざかってしまう。捕虜生活の中でプラトンという男と知り合う。これがトルストイの傾倒した老荘思想の持主ということらしい。しかし東洋的なことを言うわけではない。モスクワから逃げ延びたロストフ一家は負傷したアンドレイと偶然落合い、ナターシャとマリアはその臨終に立ち会う。末期のアンドレイも現世のことには興味がなくなっていたようだ。このあたり作者の無常観が漂っている感じだった。そんな中でニコライがソーニャからマリアに持参金のことで乗り換えるような展開に。最終巻ではどうなりますか。
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この巻は前半はマリアの父ボルコンスキー公爵の死 後半はナポレオンのロシアでの初めての敗北のボロジノ戦が描かれています。読んでいてじわじわ来たのは、私のように戦争経験のない人間にはわからない、軍事進攻の残酷さです。特に前半のアンドレイの故郷の荒廃ぶり、彼らが土地を転々としている事実、むろん彼らは裕福な何ヘクタールも農場を所有している豪農の領主なのですが、しかし物語で語られている時間経過でそれは感覚として理解できました。いわば都落ちです。後半の戦場の残酷な描写も克明であり、この時代の戦争ではあるのですが、指導者と現実の戦場の乖離など、読んでいてそうであろうと納得させられました。そんな中でアンドレイがナターシャと別れる原因となったアナトールの負傷した姿を見て、憐憫の情にかられるあたりが、この小説のヒューマニズムの肝なのだと思います。同様の場面はピエールとドローホフの和解の場面でもありました。アナトールと言えばアナトール・フランスを思い浮かべますが、おそらくそれでつけられた名前でしょう。トルストイの理想が掲げられた描写なのだと思いました。
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この巻は戦争関連の事柄は退き、ロストフ家とボルコンスキー家の縁組の話が主で、いろいろな結婚話が出てきます。年若いナターシャを巡る恋愛話が主なのでヒロインかなと思いますが、ソーニャが脇役で地味ながら聡明なこと、またアンドレイの妹のマリアが老父に支配され結婚もできずにいることなど、私もこの歳で読んでみて若い頃には気づかなかったであろう点が多々あり、非常に示唆に満ちた読書体験でした。持参金のあるなしで縁談もうまくいかないことも何度も出てきて、非常にシビアな作品だと思います。また登場人物らの心理描写が巧みで、ほんのちょっとしたことで気持ちが移りかわっていく描写が多かったです。まだ半分まで来たところなので、今後のあらすじがどうなるのか興味津々です。
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ピエール、ニコライ、アンドレイの三人を軸に話が進み、決闘や賭博、フリーメーソンと多彩な当時の庶民の暮らしの先端部分が描かれた巻。アンドレイは戦争で負傷し妻をお産で亡くし、フリーメーソンに入会して意気があがっているピエールと距離ができてしまう。またニコライは、妹のソーニャに思いを寄せたが断られたドーロホフに賭博で負けてしまう。ドーロホフはその前にピエールとその妻エレンを巡りピストルでの決闘で負けている。戦争はこの巻ではその背景に退き、複雑な人間模様が主として描かれる。フリーメーソンがこの先どう描かれているか知らないが、この巻での描写は新興宗教のようで不気味に思えた。ピエールはその教義に基づき農民たちを潤沢な父の遺産で解放しようとするが、かえって彼らが生活に苦しむことになったという著者の記述はとても皮肉めいている。トルストイの視点は非常に現代的で、数世紀も昔のものとは思えない小説である。
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ここ(3巻)まで来ないとこの本の良さが理解できなかった。1巻の時にさんざんに酷評したことを反省しているが、あの時点ではこんなに引き込まれることになるとは思っていなかった。この本は単なる小説ではなく、トルストイが考える戦争というものを表現している本だとやっとで理解した。ナポレオン戦争はナポレオンの英雄的な天才性によって勝ち進んだものではなく、戦争の中で一人の人間が担える役割や与える影響はたとえそれが皇帝であろうとも極わずかどころか皆無であり、人間の集団性とその中の個々人の動きの総和によってすべてが左右されるというトルストインの戦争観に全く賛成である。途中に入る訳者の解説も大変的を得ていて、本当に面白い。
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下巻のあとがきは、翻訳者の藤沼貴さんが急逝したことによって、弟子にあたる阿部昇吉さんが執筆している。しかし長編を読み終わったあと最後に現われる“代役”によるこの一文は、口直しのデザートのように作用して心地よい読後感で本を閉じることができる。
阿部さんは(おそらくわざとだろうが)藤沼先生による学術的な解説文からがらりとトーンを変え、先生の人柄を追憶するような、私的でくだけた内容で構成している。
私的な内容とは言うものの、研究者としてのあまりにも一途で一直線な姿と、それを裏返したかのように弟子や他の研究者に対してふと漏れる、先生のセンスのいい茶目っ気が書かれていて、もしネフリュードフの生き方に最後まで共感できなかったとしても、最後に先生の生き方に照らすことで、多くの人が肯定と共感へと転回するのではと思わせるくらいだ。
『辞書の完成を耳にした卒業間近の学生が、先生の研究室にやってきて、辞書の購入と、一筆書いて欲しい旨を申し出た。先生は「あなた、もう辞書は必要ないでしょ」と言いつつも、それに応じて「あと八十年ロシア語を学ぶために」としたためて、いたずらっ子のように、ニッと笑ったという。先生は、卒業生の熱意に免じて、辞書を献呈されたのだった。』(あとがきより)
この本をあとがきまで読み通せば、世間一般で人に対して使われる「器用」「不器用」の定義なんか、当てにならないものとして蹴り飛ばしたくなる。 -
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復活を読んで一番印象的だったのは、ネフリュードフがあまりにも達観しているところ。
もちろんカチューシャにはじめに出会ったときのような、若気の至りがあふれていた頃も彼にはあった。しかしカチューシャとの再会後は、どんなことが起ころうとも、世事にも他人にも自分自身にも、自分の判断に照らして、まっすぐ前を見るかのように右顧左眄なく対処し続けている。
そして特筆すべきは、若き頃にカチューシャに対して行った“過ち”と対比するかごとくに、彼女と再会後のネフリュードフは、「恥ずかしさと罪の意識」をいかに避けて自分にとって“正しい”と思われる道を進んで行くのかについて意識が集中していくこと。
時には同じところを何回も周回するかのように迷い、あるいは時にはオリンピック級のハードラーのように軽く飛び越していくネフリュードフ。本作に戦争と平和のような大事件が見当たらなくても、また、アンナ・カレーニナのように劇的な形の愛憎劇がなくても、そんなネフリュードフの足取りを自分事のように追うことで、十分な読み応えを得られる。
それは、作者が70歳近くの老境に達してから書かれた作品だからだろう。つまりトルストイは、自分が「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」の境地に達したものの、自分としてはあまりにも遅すぎたと感じ、もっと若い頃にこの境地に達していればという強い後悔の念が、30歳代と思われるネフリュードフの年齢不相応な達観に結実したのだ。
もちろんそれだけの単調な話では終わらない。
老齢のトルストイは、自分が最良と考える正義、幸福、愛、信仰というものが、いかに世間一般では通用しない、いやそれどころか排除されるのかを、筆を尽くして書き連ねる。一見愚直、言い方を変えれば馬鹿正直にも見える、老境にして理想だと思い至った生き方を、ネフリュードフにいわば押し付けた形。
そして本作が抜きん出ているのは、ネフリュードフの実直さに感化されてカチューシャや政治犯たちがまるで伝染するかのように実直になる様子を緻密に描き、他方で、多くの大衆や官憲などがどうやっても自分の現状の地位や思考から一歩たりとも出ていこうとしない意固地な姿も徹底して描いているところ。
つまり多くの理想が現実とは一致せず、高止まりのまま理想が多くの人から顧みられない非情な現状がありのままの姿で眼前に突きつけられる。しかしそれがドラマチックさの欠如につながり、本作の評価が戦争と平和やアンナ・カレーニナのレベルに及ばない理由になっているのかもしれない。
だが私は「ドラマチックでない」とは思わず、現実により接近したがゆえ、と考えている。したがってこの作品は、他のトルストイ作品よりも、今の日本の現実により近づけられる。
例えば「いいね」を求めるあまり、自分の感性によって評価するという本来のあり方を忘れて自分の判断のほとんどを他人の評価に委ねてしまっている本末転倒な現代人にとって、ネフリュードフが自分の価値基準のみによって行動し、一方で他人の評価を自然体で避けているような一連の描写を読むと、何かきまり悪さを感じるはずだ。
また、神への信仰に関しても、お祈りなどの儀式や儀礼的なものとは正反対なところにこそ本分があるということも本書から学べるだろう。
最近、スポーツでの応援やコンテストの結果待ちなどのときに、両手を組み合わせて目を伏せて祈る姿をテレビなどでよく目にするが、あれなんか、普段はキリスト教徒が食前にするように日常的に神様へ祈ることなんか一切していないくせに、いざというときだけ神様にすがろうとするということだから、真の信仰者の所作を猿真似しただけの本当にマヌケな姿だと思っている。
だから、信仰とその結果としての現実とが必ずしも軌を一にしない現実社会において、それでも神を信仰し、心の持ちようを手に入れたいと思っている人は、安直に手を組んで祈る暇があったら本作を読み解くことだ。そして、ネフリュードフの“愛”が自己から利他へと広がり、それが自己へと還元されていく本作の一連の過程から、精神的満足は無意味なパフォーマンスなんかではなく、相手を信じるという一念によってこそ、もたらされるということが本作から理解できた。 -
Posted by ブクログ
本巻では、ボロジノの戦いで戦略的撤退を敢行したロシア軍がさらにモスクワの街を捨てた状況が描かれる。
ナポレオン軍がモスクワに侵攻した時、すでにモスクワはほとんど無人の街になっていた。
ナポレオン軍は、そこで烏合の衆に成り果てる。
目の前に無人となった美しい街がそのまま残っているのを目にしたナポレオン軍の兵士達は、略奪の限りを尽くす。
その姿はもう、兵士ではなくただの略奪者だ。
そこには将軍も一兵卒もなく、誰もが馬車を奪い、美しい家具を奪い、金目になる物を残らず強奪していく。人間の浅ましさをまざまざと見せつけられる。
規律を失った組織の脆さ、脆弱さ。人間の弱さがこれでもかと描かれる。リーダーシップがいかに重要かということを改めて思い知らされた。
訳の分からないコンサルが書いたビジネス書なんかより本書の方が100倍勉強になる。
そこへ当時の街の4分3を焼いたと言われる「モスクワの大火」が起こる。
これはナポレオン軍の兵士による火の不始末なのか、ロシア軍側が故意に火を付けたものかは今も分かっていない。ただ、ロシア側がナポレオン軍の妨害をするため秘密裏に火を付けたという説が有力なようだ。
いずれにせよ、当時のモスクワのほとんどの建造物が木製だったため、歴史ある建築物の多くが灰と消えてしまったのだ。
そして本巻でのもう一つのクライマックスがアンドレイ・ボルコンスキー公爵、ナターシャ・ロストフ、ナターシャの兄のニコライ、ソーニャ、アンドレイの妹マリアという男女5人の5角関係だ。
アンドレイ公爵と美少女ナターシャは婚約していたが、ナターシャがアナトールというイケメンだけど女ったらしの馬鹿貴族(こいつは主人公ピエールの妻エレンの実兄だよ。とほほ)に騙され、ナターシャはアンドレイとの婚約を破棄してしまう。
そして、ニコライ公爵は無一文のいとこソーニャとラブラブだったのだが、アンドレイの妹マリアの危機を救ったことで、この二人の間に恋心が芽生える。
そこへアンドレイがボロジノの戦いで瀕死の重傷を負い、ロストフ家に運び込まれる。
ナターシャは献身的に瀕死のアンドレイの看病を行い、自分の過ちについてアンドレイに許しを請う。
また、ソーニャはニコライと結ばれることを望んでいるため、ナターシャとアンドレイが結婚してくれることを望む。なぜなら、ナターシャとアンドレイが結婚すればロストフ家とボルコンスキー家は親戚同士となり、ニコライとマリアは兄弟関係になるので、二人は結婚できなくなるからだ。
そして、その結果は・・・。
一方、主人公であるピエール・ベズーホフ伯爵は、火の海のモスクワを見て、一人、ナポレオンの暗殺を決意し、拳銃とナイフを胸に忍ばせ、普通の町人のような格好をしてナポレオン軍へ近づいていく。
モスクワを失ったロシアの運命は。
ナポレオンの次の一手は。
そして、この5人の男女の運命は。
ピエールのたどり着く先は。
もう、目が離せない。
ここまでくれば次はラストの第6巻。さあ、張り切って読むか! -
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本巻はついに恋愛小説編に突入!
妻を亡くしたアンドレイ・ボルコンスキー公爵(31)とロストフ伯爵家の次女ナターシャ(16)との恋愛、そして同じくナターシャの兄のニコライといとこのソーニャ(18)との恋愛がメインで語られている。
この時代の貴族の結婚というのは、財産目当てというか、いわゆる政略結婚が大きなウエイトを占めている。特に、貴族の男性にとっては持参金をたくさん持ってくる金持ちの貴族の娘と結婚することが一番の幸せだと言われていたんだね。
ロストフ伯爵家は財政が火の車なので、長男のニコライにはぜひ金持ちの貴族の娘と結婚して欲しいと両親は思っているのだけど、当のニコライは無一文(これは言い過ぎか)の娘であるソーニャと両思い。う~ん。どうなるんだろう。
それにしても、本巻で描かれる16歳のナターシャと18歳のソーニャの可愛らしさ、美しさは文章から溢れんばかり。男性読者にとっては眼福ですね。
「文章だから見えるはずないだろ」って突っ込みが来そうだけど(笑)。
見えないけど、頭の中でありありとイメージされるんですよ!凄まじく美しく可憐な美少女が!
このあたりの描写の素晴らしさは、「さすがレフ君やるじゃん!」って感じです(ロシアが誇る大文豪トルストイをレフ君呼ばわりする大馬鹿者がここにいます←)。
という訳で、やっとこの超大作『戦争と平和』も各巻約500ページ(しかも細かい文字がページびっしり)の3冊を読み終え、全体の半分が終わりました・・・。
よし、この調子でサクサク読んでいこう!(白目) -
Posted by ブクログ
この2巻では、主要なキャラクター3名、ピエール、アレドレイ、ニコライにそれぞれ試練が訪れる。
特に本書の後半で行われるアンドレイとピエールとの「人生の意味」ついての議論は本巻のクライマックスだ。
アンドレイは、アウステリッツでのナポレオン軍との戦闘で重傷を負って帰郷、さらに追い打ちをかけるように出産時に最愛の妻リーザを亡くし、軍での出世も人生への希望も失ってしまう。一方、妻エレナとの関係の悪化により、人生に絶望していたピエールは、秘密結社フリーメーソン(!)に入会したことにより再び人生の希望を見いだしていた。
この二人の議論は突き詰めれば「人生とは、善か悪か」ということであり、著者レフ・トルストイが人間の生きる意味をピエールとアンドレイとのやりとりを通して、深く読者に問いかけてくる。
この『戦争と平和』が上梓されたのが1869年(日本で言えば、明治維新の翌年)、今からちょうど150年前だが、「人生とはなにか?」と人生に悩む人々の苦悩は150年前でも今でも全く変わりないのだ。 -
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歴史に残る名作、大作の1つ。本当にそう。
名作を読んだ時、今まで読んだ本の大部分がへぼく見えてしまう。
読みこなすには一度ではすんなり入ってこない部分もあるけれど、登場人物の人間ドラマは生き生きと、戦争などはシーンが浮かぶように描写。
死がたくさんあるけれど、最初は思いもかけなかった人たちが結びつく。
『アンナ・カレーニナ』を読んだ時もそうだったけど、先が見えない大きな何かに包まれて生き、私たちはとても小さな存在でありながら今生きているという気持ちになる。
エピローグ2では、権力の定義、必然性と自由について、トルストイの哲学的な歴史の考察が書かれていた。 -
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ネタバレ何年も前から新潮文庫の方を何十回も本屋で開いては文章に謎の拒否感を感じて本棚に戻していたこの小説。
他の人の訳なら、脳が突っ張ねることもないかと、この岩波版を購入してみました。結果としては、他の方のレビューある通りにこちらも決して読みやすい訳文ではありませんが、それでも内容にぐいぐい引き込まれて最後まで(と言ってもまだ一巻だけですが)読み通すことができました。
この巻に収録されているのは第一部の第一遍と第二編。第一遍はモスクワの貴族社会が舞台で、主人公挌の青年ピエールの遺産相続の顛末。第二編は一転して対ナポレオン戦争の最前線で、主人公格の一人アンドレイを軸に戦場での日常風景から始まり、侵攻してきたフランス軍をアンドレイの所属するロシア軍の一部隊が食い止めるという壮絶な戦いをクライマックスにして終わります。
第一遍は正直、退屈でした。かなり進んでから出ないと誰が主要人物なのか掴みにくいし、公爵やら伯爵やら色んな地位の人が入り乱れて相関関係の把握も大変。ちょっと読んだだけで、この小説から脱落する人が多いのもすごく頷けます。ペテルブルグからモスクワに視点が移ったあたりでなんとなく話の筋が見えてきて、ドルベツコイ公爵夫人が自分の借金の心配がなくなる辺りからはよくある遺産相続争いのストーリーとして読めました。といっても、悪役であるワシーリー公爵とエカテリーナが何を考えてるかは最後まですごい掴みづらかったです。
第二編は、全く逆の感想で、読んでる途中は興奮しっぱなしでした。なぜ、これを第一遍にしなかった(笑)
トルストイは従軍経験もあるそうで、その経験を十分に生かして、当時の戦争の最前線で兵士たちが何をしていたのか、何を考えていたのかを非常に生々しく描けていると思います。特に自分のお気に入りは、はじめの方のロシア軍の兵士たちが橋の上を押し合いへし合いしながら渡っていくシーンです。雄大なオーストリアの大地の風景描写から始まって、無数の人間が川のように流れていく、その場所にまさにいるかのような臨場感があります。例えて言うなら気合の入った映画の導入部のよう。もっというと、テレビシリーズのアニメが劇場版になった感じ、でしょうか。デティールのある描写が散りばめられていて、自分の頭の中には実写映画のイメージとジブリアニメのイメージの二重写しで再生されました。
将軍から一兵卒まで、みな人間臭い思考形式で、戦争中なのに流れている空気にはユーモアを感じます。
クライマックスの一場面、準主人公のニコライが興奮のあまり砲撃を受けて馬が負傷して動けなくなっているのにしばらく気づかず突撃している気になっていて、はっと我にかえって、命からがらフランス兵から逃げ延びるシーンは滑稽さと暴力の恐ろしさが同居していて作者の現実に対する深い思慮を感じます。戦争は非人道的な行為ですが、戦争しているのは紛れも無い人間一人ひとりなのだな、というのがすごく伝わります。
総合すると、この作品を読まないでいたのはすごく勿体無い! といった感じです。幸い、まだ今年は時間が作れそうなので、最後のチャンスだと思いあとい五冊、読み切ろうと思います。