井上里のレビュー一覧
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作品の舞台となったシェイカーハイツという計画都市はオハイオ州に実在しているそうで、いろいろな人種の人が同じ場所に住むのは珍しい米国において、ある程度の成功を収めたということになっているらしい。作者はそこで育った経験をもとに、表向きは人種平等を具現化している場所でも、マイノリティの生きずらさはあることを小説を通して表している。他意はなくても傷つけてしまうのは集団生活の難しさで、本小説の登場人物達が、ささいなことで傷つくのを読むと、人間関係って面倒くさいと思ってしまう今日この頃である。
産みの親と育ての親問題は、赤ちゃんのことを考えて判断するべきというのが私の意見で、貧乏な片親より裕福な育ての親が -
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去り際に振り返る女性の顔は半分見えない。
こちらを向いた悲しそうな目、
向こう側の目は何を見ているのか……。
モノクロのカバーの絵が雰囲気をすでに物語っている。
カムチャツカ半島、シベリア極東部から突如として南へ飛び出しオホーツク海とベーリング海に囲まれた北の果ての半島。
作者はアメリカ人。よそ者としてカムチャツカ半島に住み、この本を書いた。
先住民族とロシア人。
登場人物の職業(勤め先)は、先住民族が行う狩猟やトナカイの牧畜以外には、警察、火山研究所、海洋研究所、看護師、教師など。
どこか無理のある人工的な生活圏。
二人の少女が行方不明になった時から1年。
そこに住む女性たちの悲しみ -
Posted by ブクログ
幼女誘拐事件を扱った小説となると、どんな内容を想像するだろうか?なぜその少女が狙われ、どんな方法で誘拐され、どう監禁されていたか?犯人はどうしてそのような事件を起こす人物になったか?その他諸々のことを書くとしても、読書としての私が興味を抱く点はそういったことだと思う。
しかし、この本の著者ジュリア・フィリップスはほとんどそういったことを書いていない。著者は、大衆にとって、この手の事件が娯楽のように扱われるのを忌み嫌っているようだ。
グロテスクな描写や異常犯罪者等のストーリーは、個人的に割と好きな方なので、その手の本を読んだ後、面白かったと思うと同時に、こんな自分で良いのだろうか?と罪 -
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2016年のディズニー映画封切後、出版された新訳。
原作は1894年とその翌年に出た続編だという。
つまり、一世紀生き延びた児童文学だという。
原作は短編集。
オオカミに育てられた少年、モーグリ(蛙という意味らしい)を主人公とする活劇。
人食いトラのシェア・カーンとの闘いや、実の母?のメスーアを迫害する人間たちとの闘いなどがいきいきと描かれる。
物語内時間は、発表順とは一致しない。
これまでに出た版の中には、時系列順に並べなおしたものもあるそうだが、本書はオリジナルの発表順に戻したそうだ。
そのせいか、若干読みにくい。
が、まず驚いたのは、ジャングルの動物たちの「歌」により物語が始まり、 -
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米国の地方都市で地域新聞を一人で編集発行していた独身の著者は、ミニチュアシュナウザーのアティカスと共に暮らすことになる。アティカスは町の人たちに愛され、著者とともに町のあらゆるところに取材についていくようになる。
そんな二人(一人と一匹)は、著者の友人が亡くなったことをきっかけに、チャリティのために冬の1シーズンに4000フッター(1200メートル級の山々)48峰を登ることとなる。
体格の小さな犬のアティカスが山登りをすること自体が注目にあたいするのに、二人は冬山を登ることを目標にしたのだ。注目を集めながらも、無事目的を果たしチャリティも成功するが、アティカスの目に異変が起こる。
数々の試練 -
Posted by ブクログ
『アラスカを追いかけて』と比べると、純文学だなあ、と思う。物語を楽しみたい人には『アラスカ』の方が面白いだろう。
これは、母から虐待を受け、大人になっても社会に馴染めない女性が、「書く」ということに、つまり自分が本当にやりたいことを見つけるまでの物語。読み物として面白くしようとするなら、もっと虐待部分を繰り返したり、大学生と交流する中には恋愛を盛り込んでも良かったが、著者は面白くしようとは思っていない。「書く」ということを発見した、自分を取り返した、苦いよろこびに至る道を書きたかったのだ。
YAとして出版されているので、10代向けに書かれた青春ものを期待すると、違和感があると思う。大人が、中高 -