黒柳徹子のレビュー一覧
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「この世界の片隅に」ですずさんが玉音放送を聞いて「まだここに五人おる!」といきり立っていたとき、トットちゃんは青森の諏訪ノ平駅前のお店でラジオを聞いて、もう空襲はない、もう爆弾は落ちてこないとほっとした気分になっていたし、ソウちゃんは海軍兵学校に入るという夢を絶たれ、悲しくて泣いて、泣き疲れて寝ていたのだ。
黒柳徹子さんの本として「窓ぎわのトットちゃん」は読んだことがあって、それと内容のかぶる部分もあるけれど、トモエ学園以外の話もあってなかなか興味深い。
田原総一郎さんと黒柳さんとは年代がほぼ同じで、場所が違うということで、東京~青森と彦根とでの違いも見えて面白い。
できることなら、検証班みたいなのを作って、お二人のお話を検証して、真偽や追加情報などの解説があれば、もっと質の高い戦争記録になるかと思う。 -
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黒柳徹子さんの疎開中の話って初めて読んだように思う。胸に迫って途中でやめることができず、一息に読んでしまった。戦前のいかにも山の手の家庭らしい暮らしぶり、だんだん物資が不足してきていつもお腹をすかせていたこと、とうとう召集されて戦地へ向かう父を見送ったときのこと、疎開先での母のたくましさ、戦後何年もたってから父が帰ってきたときの嬉しさ…、忘れがたく心に残る話ばかりだ。
たくさんの出来事を細部まで覚えていて、またそれを生き生きと目に見えるように綴る黒柳さんの力はすばらしいと思う。どんな言葉より、そうした実際の具体的な情景によって、戦争というものの非道さ不条理さが心にしみ通ってくる。こういうことがあってはならないのだ。決して。
「徹子の部屋」で戦争体験を語ってくれた方たちの話も紹介されていて、ここも強く印象に残った。なかでも芦田伸介氏の「無力の罪」という言葉には考えさせられる。
「なぜ、あんな悲惨な戦争を日本は始めてしまったのか。どうして、私たちはそれを止められなかったのか。たしかに戦争に向かう巨大な力の前では、私たちは無力だったかもしれないが、だからどうすることもできなかったではすまされない。戦争は大きな罪だが、戦争というものに無力だった自分にも、なにがしかの責任があるのではないか。それは無力の罪というものではないのか」
スルメ欲しさに旗を振って出征する兵士さんを見送ったことに、ずっと罪悪感を抱いてきたという黒柳さんは、「私は無責任だった。無責任だったことが、私にとっての戦争責任なのだ」と書いている。現在に至るまでユニセフの活動を精力的に続けてきたのは、著者の「責任の取り方」なのだ。言葉がとても重い。
(正直に言うが、「ソウ君」田原総一朗氏の文章を読むと、いかに黒柳さんの文章がうまいかよくわかる。悪いけど) -
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ネタバレ昭和28年(今から63年前)、日本にテレビ放送が生まれた。
みんな「ありがたみ」を持って「テレビジョン」と呼んでいた。
現場には生まれたてのテレビジョンを手探りで育て上げた人たちがいた。
日本のテレビ放送開始から現在までテレビ業界で活躍するトットちゃんこと黒柳徹子の自伝エッセイ。
生まれたてのテレビという教室の窓際からトットちゃんは何を見たのか?
スーパースターはあまり登場しない。
トットちゃんが見たのは名もなきクラスメイト達の苦難と奮闘だった。
「知床の岬に ハマナスが咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを」
放送開始当時は小さな悲喜劇が毎日数え切れずに起きた。
当時は録画機材の値段が高く、撮り直しの効かない一発勝負ナマ放送だった。
だから、言う事聞かないニワトリを紐でぐるぐる巻きにしたまま放送したり、
忍者の懐から「役者の給料袋」を取り出してしまい、咄嗟に「拙者の扶持でござる」と誤魔化したり。
大のおとなたちが、ばかばかしく、哀しく、切なく、一途で、面白い、ふざけたようなこと
をしたエピソードには失礼だが思わず笑ってしまう。
「今まで人類が夢想だに出来なかった国際間の、
より大いなる理解と永遠の平和の可能性が生まれてくる。
これがテレビジョンの力なのである。」これがテレビジョンの理想なのである。
みんな理想を持っていた。数多の失敗を乗り越えてテレビを必死に育てあげた。
そして現在のテレビ業界がある。
何をか言わんや。今のテレビは成熟しきって老練の域に達しているのだろう。
若い頃には戻れまい。ただ懐かしむことしかできなかろう。
しかし未だテレビというコンテンツに一縷の更なる成長を期待するとすれば、
今のテレビ業界人が、子供の頃に憧れたテレビの「理想」を改めて掲げることに他ならない。
石橋貴明は言った。「バラエティには人を笑わせ、何かを与えられる無限の可能性がある。」
大のおとなたちが、ばかばかしく、哀しく、切なく、一途で、面白い、ふざけたようなこと
に本気になればきっと何かが育っていくと信じたい。 -
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日本テレビの草創期、ナマ放送でしばしばトラブルが起こり、どうしようもなくなると「終」と書かれた紙をカメラに貼り付けて、番組を終わらせてしまう。今だからこそユニークに感じるけれど、当時は黒柳さんたちが戦って作り始めたテレビ。その始まりをめぐる物語、そして黒柳さんの青春記は興味深く読むことができました。
なによりこの作品を読んで、黒柳徹子さんを好きになりました。エキストラのおじいさんに関する話、作品への起用が決まり、あなたはその個性でいいと励まされた話、過労でテレビを休んだ話。このあたりが特に印象深い。どんどん進化していく世の中とテレビ。その中でも優しい心を持ち続け、今も大活躍の黒柳さんを、実に素晴らしいと思いました。 -
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子どもは実は思慮深い。生きてきた年数は少なくても、大人が経験を盾に理屈で判断するようなことが天性で判断できたりする。そして、その子どもの判断は、常識に縛られた大人とは相容れないものだったりするのだけど、世の中の良識や真理に沿うものだったり、その子なりの筋道だった考え(説明はできないのだけど)によるものだったりする――ということが確かにあると思う。自分の小さいときのことを思ってもそうだから。
黒柳徹子は、自分の子どもの頃の気持ちをよく記憶しているし、今も子どもの目線で物事を考えることのできる人。そのことは、本書の1編目「赤い松葉杖」をだけでも、十分に表れていると思う。小さかった頃の思い出ばなしや、途上国の子どもたちとの出会いを通して、子どもを尊重すること、子どもを守ることを切々と訴えている本。 -
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ネタバレ窓際のトットちゃんの頃から、ユニセフ親善大使の頃まで。
黒柳さんの人生の様々な場面が切り取られてて、
彼女の豊かな人生から、沢山のメッセ−ジがある。
するめ、というエピソードがある。
戦争に出兵する軍人さんの見送りをすると周りの人に配られる、そのするめが欲しくて、何回も見送りにいったトットちゃん。
その頃は意味もわからなかったけど、大人になってから、
自分はするめが欲しいままに、戦争に加担していたんじゃないかって、ずっと胸を痛めていた。
その話を聞いた戦争体験者から、「あのときの気持ちを忘れないでいてくれてありがとう」と言われて、少し許された気持ちになった、と。
戦争は、全ての年代の人を、傷つける。
何十年も。
私も知らず知らずに、何かに加担しているのではないか?
という気持ちになった。
原発も、日本の社会も、このままでよいのかと…。
他にも沢山の友人との話や、アフリカの話等、色々。
どれかこれか、誰にでも響くエピソードがあると思います。