原研哉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
日本を代表するデザイナーのひとりである原研哉による、岩波書店の月刊誌『図書』における「欲望のエデュケーション」という題名の連載(2009~2011年)をまとめたものである。
著者は、連載の題名「欲望のエデュケーション」について、「製品や環境は、人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」である。よい製品や環境を生み出すにはよく肥えた土壌、すなわち高い欲望の水準を実現しなくてはならない。デザインとは、そのような欲望の根底に影響をあたえるものである・・・よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊饒で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである」という。
また、本書の題名については、「こうなりたいと意図することがデザインであり、その姿を仮想・構想することがデザインの役割である。潜在する可能性を可視化し、具体的な未来の道筋を照らし出していくこと、あるいは多くの人々と共有できるヴィジョンを明快に描き出すことこそ、デザインの本質なのである」と語る。
著者は、「ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続していくための不断の資源である」とした上で、日本の「美意識」の中心は、「繊細」、「丁寧」、「緻密」、「簡潔」を旨とし、簡素さや空白に価値を見出していく感受性にあると言い切る。
そして、今後、日本に求められるのは、西欧中心の既成の価値観において「評価される」ことではなく、日本発の価値観において「機能する」ことであり、日本が如何にして世界で「機能する」べきかについて、移動手段、家、観光、素材などについて具体的に語っている。
著者のいう“デザイン”の意義・価値に大いに共感するとともに、その未来について考えさせてもらった。
(2014年3月了) -
Posted by ブクログ
美しく、小気味よい文章。こういう文章を読むと、気分もリズミカルになる。
JRの切符の下地の話とか、香港でのデザイン審査の話とかも面白かったけれど、一番印象的なのは、ウイスキーの瓶のデザインの話。デザイナーとしての理想をいうために、製造プロセス上の人々からの反発とか消極性を乗り越えていく内容。
また、ロスの高名なデザイナーとの調整に当たって、ビッグネームに変に気負って多くを"つめて"しまった結果の失敗、という話も示唆深い。
「率直に本人に接するべきだった」「そしてもう少し気楽に、描いてもらいたい絵について語り合う時間を持てば良かった」と後悔。この「まず会う」という発想・視点は、仕事のやり方にもブレークスルーを与えうるのではないか、と思った。
とにかく読んでいると、はっとさせられる瞬間が多かった。
そんな原研哉、「ランニングハイ」と題して、日課として走ることの喜び、レースに出ることの楽しさを語っている。原に言わせれば、物をつくるのに必要な能力とは、
「一に体力、二に体力、三、四は自由に埋めてよろしいが、五は負けず嫌いな性格。才能とはこの五つを、別の角度から見た呼称にすぎない」という。 -
Posted by ブクログ
デザイナーの言葉だな、としみじみ思う。どちらかというと無駄のない、洗練された日本語だ。言葉の選び方もハッとするものがある。
しかし、どこか物足りない。あくや癖がない。幕の内弁当的編集なのだ。「一冊を通して」何かを訴えようという本ではない。どこかお気に入りがあれば、というつくりで、未来への示唆はあちこちにあるが、骨が太くないのである。雑誌の連載をまとめたものとあって、合点がいった。
気になった示唆のいくつか
・住まいやオフィスの環境も、モビリティや通信文化の洗練も、医療や福祉の細やかさも、ホテルやリゾートの快適さも、美意識を資源とすることで、僕らは経済文化の新しいステージに立つことができるはず
・精度の高いボールが宇宙の原理を表象するように、優れたデザインは人の行為の普遍性を表象している。
・現代の日本人は、小さな美には敏感だが、巨大な醜さに鈍い
・抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い。
・ファッションとは衣服や装身具のことではなく、人間の存在感の競いであり交感である
・世界から評価されるのではなく、世界で機能するという主体性を持つ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ大好きなグラフィックデザイナー原研哉氏の著書。
【まえがきについて】
デザインとは欲望のエデュケーション。
この言葉の背景には、
製品や環境は人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」であり、それを生み出すにはよく肥えた土壌が必要。
デザインとは欲望の根底に影響を与えるものであるという考え方があるとのこと。
そして、エデュケーションという言葉をあえて選んだのは、この言葉に、教育するという視点に加えて、潜在するものを開花させるというニュアンスが含まれているからだとも。
このくだりにより、エデュケーションという表現がデザインにぴったりであることが納得できます。
「潜在するものを開花させる」
これがデザイナーの仕事であると思いました。
形になってない欲望。目に見えていない欲望。
それらを表現し、日常に送り出すことがデザイナーの使命であると思いました。
まえがきからはまずそのように感じました。
・・・続く。 -
Posted by ブクログ
日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)/ 原研哉
【ポイント】
3/全ての人が、丁寧に篤実に仕事をしている日本。
「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」←海外にはない日本の感受性、価値観。
展示会「Japan Car」= 移動への欲望と未来
19/日本では車は、ステイタスでも、スタイルに酔いしれる対象でなくなりつつある。
20/車は普通の道具。求められるのは、機能と効率、それを過不足なく体現するデザイン。
21/欧州では、遅い車は、走りへの意欲や、敏捷性を放擲した「負け犬」。
ダイハツの「タント」は、スピード感、精悍さは減少するが、暮しの道具としては日常になじむ。
33/日本のクルマがかわりはじめている。 →移動への欲望の形が変わり始めている。
42/シンプルとエンプティ(美意識の系譜) 柳宗理のやかん
44/人間は世界を四角くデザインしてきた。←自然中には四角はほとんどない。
51/人間の作り出すものは、プリミティブから複雑に向かう。
現存する人類の文化遺産は複雑。 ex:青銅器 ←「強い力」を表現する。
54/物の表面を覆い尽くすその稠密性によって威を発する。
56/世界が力によって統治され、「力」がせめぎあって世界の流動性をつくった時代は、
文化を象徴する人工物は力の象徴として示された。
57/近代市民社会が到来し、人間が等しく幸福に生きる権利を基礎とする社会になった。
58/物は「力」の表象である必要はなくなった。椅子は王の権力を表現する必要がなくなり、
単に「座る」機能を満たせばよくなった。
合理主義は、物と機能との関係を最短距離を志向する考え方。
84/富を所有するだけでは幸福になれない。手にしているものを適切に運用する文化の質に
関与する知恵があって初めて人は充足し、幸せになれる。
116/観光 -文化の遺伝子-
その国独自のもてなしと食の饗応を基本とした宿泊施設で、西洋式の高級ホテルより
高い対価を設定できるサービスの形式をもつ国は世界広しといえども日本をおいて
他にない。
152/工業生産と豊かさを経由した日本は、一つ洗練の度合いを増した美意識の国、ホス
ピタリティの国として、世界の人々を招きいれるビジョンを描かなくてはいけない。
162/瀬戸内国際芸術祭
瀬戸内はアートゾーンとして急激に成長してきた。
岡山の大原美術館、高松のイサムノグチ庭園美術館、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館
165/未来素材 「こと」のデザインとして
166/人間の創造意欲を喚起する物質を、僕は「センスウェア/SENSEWARE」と呼ぶ。
センスウェアとしての「人造繊維」
171/僕の仕事は、「もの」をつくるというより、「こと」をつくることであると普段から
言い募っている。
172/「VOGUE」の編集には筋の通った原則があった。ファッションとは、人間の存在感の
競いあいであり交感であるという暗黙の前提があった。
174/そういう雑誌を見るほどに、ファッションとは人生の芸術だというおもいがつのり、
おしゃれであるよりも存在感のある人になりたいと思うようになる。
219/成長点:未来社会のデザイン
現在の日本では、子供用のオムツよりも、大人用のオムツの生産量が多くなった。
222/女性は社会の中に相応のポジションを得て、賢く損のない人生を生きようとする。
少子化の根は、育児にお金がかかるからという単純な理由にあるものではない。
全ての人々が自由を享受する社会の趨勢に根をおろした現象である。
231/日本はようやく、自らの歴史と伝統が、世界の文脈で価値を生み出す稀有なソフト
資源であることに気づきはじめている。 -
Posted by ブクログ
・駆け出しのデザイナーは、デザイン料はいらないから
自分の自由になる仕事が欲しいと思う時期が必ずある。
これはデザイナーの麻疹だ。
・ビッグ・ネームに気負うのではなく、まず本人に会って
企画について話し合うべきだった。
・「これ、というモデルはいつも急に現れ、迷いの余地がないほど抜きんでている。
それを待つのはほとんど「雨乞い」の心境に近い。」
・「しかし裏方に徹していたとはいえ、ポスターが盗まれたと言われれば嬉しい。
だからもし、持って帰りたくなるようなポスターを街で見掛けたら、
躊躇せず盗んでいただきたいのである。」
・デザインの目的がはっきりと決まっている仕事は気が楽だが、
どんな表現でも許される仕事は、納得がいくまで仕事が終わらない。
切符、ウイスキーの瓶とラベル、ワコールのカレンダー、劇団のパンフレット、
本の装丁、手漉紙展覧会の企画と展示、百貨店のサマーギフト・キャンペーン、
伊勢丹美術館のポスター、某クルマメーカーの新聞広告、
ホテルのレターヘッド・コレクションの企画、米袋、コーヒーのパッケージ、
箱の展覧会、紙、うどん、山陰の観光キャンペーン、マカロニ。
装丁:原研哉
1990~1995年に手がけた仕事や日常の出来事を綴ったエッセイ集。
デザインの仕事をしていると毎日の生活の目が変わってくるようで、
食パンの断面にまでデザイン性を感じるようになるとは感服いたしました。
リ・デザインが面白いです。
デザインの対象になりにくかった卑近なもののデザインをやり直す試み。
米袋なんてお米が入って丈夫なら改良の余地はないと思ってしまいますが、
スコッチをモデルに産地を売り出したラベルを作ったり、
一合単位で小袋に分けてアウトドア用にしたり、
ギフト用に和紙のようないい紙で包んだりと
まだまだ考える余地はあるようで。
そう思うと当たり前だと思われているものの形や様式って
誰が考えてどういう経緯で定着したのか気になります。 -
Posted by ブクログ
無印良品のアートディレクションをやってる原研哉さんと
ヨーロッパで製品開発や素材の応用研究などのデザイン活動を
しているという阿部雅世さんの対談。
ヨーロッパ、特にイタリア、ドイツのデザインの歴史や
職人工芸の過去と現在、日本のそれらを対比させながら、
グローバルな資本主義経済の世界の中で、
あるいはその速度の速い大きな変化の中で
日本のデザイン=ものづくりは何を拠り所にすればいいのか
デザインの本質とは何なのかを語り合っている。
(余談:戦後、ものづくりをやってきた国は敗戦国ばかり。)
デザインにおけるモダニズムや知恵の器としてのデザイン、
ヨーロッパの生活習慣の伝わり方、
緑と湿気が豊かな日本の環境がデザインの考え方に与える影響など
こまごま勉強になる部分も多く、日本のデザインは
日本の感性の何を拠り所にしてどうしていけばいいのかという点は
先日読んだ松岡正剛の「世界と日本のまちがい」への
一つの解答のようでもあった。
これからは「ナー」のつく職業じゃない人たちが
デザインを担っていくのではないか。
本来デザインにできることは
取り残された毎日の普通の生活に対する解答をつくること、
いろんな分野の人が生活のための知恵を出し合って
新しい生活を提案すること。
普通に暮らす人たちが、デザインという概念に触れることで
どういう風に自分たちの暮らしを昨日よりもよくしたらいいかを
考え続ける局面で切実に機能する(のがデザイン)
といった言葉に、対談者二人が考えるデザインの未来が
表れていると思う。
さらに、マヨネーズのノズルの口の形を考えるというような
ワークショップなどで「デザインは小学校から始めたい」
「デザインは一般教養の一部」という言及もあり、
それには大いに同意するのだが、そうなるとそれはもう、
パフォーミングアーツと同じ領域の課題でもあるのかとさみしくもなる。
ちなみに、デザインと純粋に芸術的に何かをつくることとの
決定的な違いは、異分野の人に意図を伝えつつ、誤解を解きつつ
仕事を進めていかないといけないことだそう。
ひたすら考え続ける姿勢、試行錯誤の果てに最適な答えを見つけ、
バランスをとる合理性がデザインの本質、とあった。
しばらく勝間的ビジネス本を続けて読んでいたので
考えることのへのバランスがリセットできた気もする。
2009/6/24 -
Posted by ブクログ
著者:原 研哉
グラフィックデザイナー原研哉のエッセイ集。
これは14年前に出た、エッセイ集に3つのエピソードをプラスしたもの。
とても勉強になる。どんな気持ちとか考え方でデザインしたのか。
自分と頭の作りが違うように感じた。
なるほど。
こんな視点があったとは。
一番印象に残ったのは切符というタイトルで一番最初に載っていた話。
これは電車の切符の背景として、描かれている地紋をデザインしたときの話。
人がなかなか見ない。注目してやっと見えるところでも誰かがデザインしている。
そういうものにも努力と汗がつまっている。
でもグラフィックデザインは基本的に使い捨てでどんどんリニューアルされていくもの。
なんだかせつなくなった。どんなにいいデザインでもなくなっていってしまうんだなー。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ建築もデザインも、仕事はおおむねコンペの連続であるから、これくらいではへこたれない。コンペに勝てなくても、全力で考えた思考の成果はアイデアの貯金として蓄積されていく。それがたまればたまるほど、クリエイターとしての潜在力や爆発力は増していくのである。
[車が嗜好品から当たり前のものになり、実用性を優先して設計された似たような四角いデザインばかりになるのについて]
これを寂しいと感じるか、ものに対するふさわしい認識が成熟したと見るかは難しいところだが、大事なことは、そこに他の文化圏にはないオリジナリティが生まれている点である。
日本の車でユニークなもので共通意見
ダイハツのタント
ガソリンエンジンから電気自動車
ドライブ系→モバイル系
行くという能動性・主体性、エンジンを制御するという運転の美学
→スムーズに移動するという合理性、トランスポートを最短、最少エネルギーで実現したい冷静な意欲
若者の一人用マシンや歩行を好むベクトルも
ドライブ/モバイル
都市/自然
パブリック/パーソナル
宗教や文学、神話ではなく
物の表面に偉容をなす細部を付与するための装飾紋様が動物化したと考えるべきである。
阿弥とは、やや乱暴にたとえるなら、優れた技能や目利きの名称を付す「拡張子」のようなものだ。
…長く使う構造体スケルトンと、可変性のある内装インフィルを分けて考え、良質なスケルトンを吟味して入手し、インフィルを自分の暮らしに合わせて徹底改修すればいいのである。
伝統的な工芸品の再興に対して
…問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらを魅力的に味わう暮らしをいかに再興できるかである。
スピーカーは音響空間へ
テレビは壁の中に埋まるか、より存在を主張するか
照明器具は天井化
環境は静かに人や身体と交感を始めるのだ。
石元泰博
モホリ・ナギ『ヴィジョン・イン・モーション』
ゲオルグ・ケペシュ『視覚言語』
働きアリと怠けるアリ