あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
駆け出しのグラフィックデザイナーとして、デザインと格闘する日々を描いたオリジナル版から十四年-。瑞々しいエッセイに記された、デザインを考え、創り上げていく姿に、「白」のデザインへと続く"感覚"と"思考"の航跡が見えてくる。新たに「国語入試問題にどうぞ」「ミラノに行く朝」「水の愉楽」を収録。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
新聞で連載されていた文章と言うだけあって、小気味良いテンポで読める短編随筆集である。
日々触れるものに対して、疑問を見出したり、その背景に想いを馳せたりする視点は、デザインをする上で必要不可欠である。
普段からささやかな気付きがあるからこそ、細やかな配慮のある気の利いた作品を生み出すことができる。
こういった地に足つけた視点は、何もデザインの仕事の中でしか養えない訳ではなく、普段から見るもの、触れるものから得られるはずだ。
デザイン的視点を持って、その作者の気持ちになって、ものづくりとは何かをじっくり考える機会を日頃から大切にしたい。
Posted by ブクログ
美しく、小気味よい文章。こういう文章を読むと、気分もリズミカルになる。
JRの切符の下地の話とか、香港でのデザイン審査の話とかも面白かったけれど、一番印象的なのは、ウイスキーの瓶のデザインの話。デザイナーとしての理想をいうために、製造プロセス上の人々からの反発とか消極性を乗り越えていく内容。
また、ロスの高名なデザイナーとの調整に当たって、ビッグネームに変に気負って多くを"つめて"しまった結果の失敗、という話も示唆深い。
「率直に本人に接するべきだった」「そしてもう少し気楽に、描いてもらいたい絵について語り合う時間を持てば良かった」と後悔。この「まず会う」という発想・視点は、仕事のやり方にもブレークスルーを与えうるのではないか、と思った。
とにかく読んでいると、はっとさせられる瞬間が多かった。
そんな原研哉、「ランニングハイ」と題して、日課として走ることの喜び、レースに出ることの楽しさを語っている。原に言わせれば、物をつくるのに必要な能力とは、
「一に体力、二に体力、三、四は自由に埋めてよろしいが、五は負けず嫌いな性格。才能とはこの五つを、別の角度から見た呼称にすぎない」という。
Posted by ブクログ
工業デザインやグラフィックデザインなどを手がける著者によるエッセイ。デザインに対する真摯な取り組みが文章から伝わってきてとても興味深い。10年以上前に雑誌連載されたコラムをまとめたものだが、まったく古さは感じない。インスタントコーヒーのラベルデザインの話や、ウィスキーの瓶のデザインの話などは、店で手にとって確認したくなった。
Posted by ブクログ
・駆け出しのデザイナーは、デザイン料はいらないから
自分の自由になる仕事が欲しいと思う時期が必ずある。
これはデザイナーの麻疹だ。
・ビッグ・ネームに気負うのではなく、まず本人に会って
企画について話し合うべきだった。
・「これ、というモデルはいつも急に現れ、迷いの余地がないほど抜きんでている。
それを待つのはほとんど「雨乞い」の心境に近い。」
・「しかし裏方に徹していたとはいえ、ポスターが盗まれたと言われれば嬉しい。
だからもし、持って帰りたくなるようなポスターを街で見掛けたら、
躊躇せず盗んでいただきたいのである。」
・デザインの目的がはっきりと決まっている仕事は気が楽だが、
どんな表現でも許される仕事は、納得がいくまで仕事が終わらない。
切符、ウイスキーの瓶とラベル、ワコールのカレンダー、劇団のパンフレット、
本の装丁、手漉紙展覧会の企画と展示、百貨店のサマーギフト・キャンペーン、
伊勢丹美術館のポスター、某クルマメーカーの新聞広告、
ホテルのレターヘッド・コレクションの企画、米袋、コーヒーのパッケージ、
箱の展覧会、紙、うどん、山陰の観光キャンペーン、マカロニ。
装丁:原研哉
1990~1995年に手がけた仕事や日常の出来事を綴ったエッセイ集。
デザインの仕事をしていると毎日の生活の目が変わってくるようで、
食パンの断面にまでデザイン性を感じるようになるとは感服いたしました。
リ・デザインが面白いです。
デザインの対象になりにくかった卑近なもののデザインをやり直す試み。
米袋なんてお米が入って丈夫なら改良の余地はないと思ってしまいますが、
スコッチをモデルに産地を売り出したラベルを作ったり、
一合単位で小袋に分けてアウトドア用にしたり、
ギフト用に和紙のようないい紙で包んだりと
まだまだ考える余地はあるようで。
そう思うと当たり前だと思われているものの形や様式って
誰が考えてどういう経緯で定着したのか気になります。
Posted by ブクログ
著者:原 研哉
グラフィックデザイナー原研哉のエッセイ集。
これは14年前に出た、エッセイ集に3つのエピソードをプラスしたもの。
とても勉強になる。どんな気持ちとか考え方でデザインしたのか。
自分と頭の作りが違うように感じた。
なるほど。
こんな視点があったとは。
一番印象に残ったのは切符というタイトルで一番最初に載っていた話。
これは電車の切符の背景として、描かれている地紋をデザインしたときの話。
人がなかなか見ない。注目してやっと見えるところでも誰かがデザインしている。
そういうものにも努力と汗がつまっている。
でもグラフィックデザインは基本的に使い捨てでどんどんリニューアルされていくもの。
なんだかせつなくなった。どんなにいいデザインでもなくなっていってしまうんだなー。
Posted by ブクログ
第一線でモノをつくる人の思考をのぞき見るのはたいへん楽しい。エッセイだし、ほんのさわりの部分でしかないのだけれど。
著者自身が書くに足らないと判断した、日々の仕事の中で無意識化された習慣にも、きっと創造のヒントがあるのだろうなぁ、などと思って想像を広げるのもワクワクする。
Posted by ブクログ
グラフィック・デザイナーとして名高い著者の幻のエッセイ集のリニューアル復刻版。原本は「ポスターを盗んでください」(新潮社、1995年)だが、それに新しいまえがきとあとがき、さらにエッセイ3編を加えたもの。いかにデザインに興味がない人でも、この著者がデザインしたものを目にしたことのない人はいないはず。たとえばJRの切符を始め、無印良品の品物、ウイスキーのボトルにインスタント・コーヒーのビンなどなど。 さて、若くして成功を収めたデザイナーが、モノ書きの才能を発揮できたわけは、この本のまえがきに詳しい。岡山の高校時代からの悪友で作家の原田宗典の紹介によるものとのこと。収録されている50編のエッセイは、「それを創りながら。」と題され、「小説新潮」に5年にわたり連載されたものだ。 15年以上の年月を経て読み返せば、内容的にはいささか古臭さを感じさせるものもあるけれど、デザインの本質を突く言葉は、勢いのある当時のままに通用するようだ。