原研哉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
世界はデザインで溢れている。紙が四角いのもボールが丸いのもデザインだ。四角いから省スペースにたくさん書けるし、丸いから転がっていく。デザインは人の行為の本質に寄り添う必要があるが、日本の生活に根付いたデザインを探っていく。
ダイハツの「タント」や日産の「キューブ」は、ヨーロッパの車と違い、四角いデザインだ。欧州ルーツの車は、空気抵抗を軽減するため、四方のウインドウは斜めに傾いている。したがって、タントやキューブは、遅そうに見える。しかし、空力特性を捨てることにより居住性が優先され、構造が安定するので前後のドアの間にある側面の支柱も不要になった。
現在、「シンプル」という言葉は、良い意味として捉えられているが、その概念が生まれたのは150年ほど前のことだという。シンプルを意識するためには、それとは逆の複雑さが存在しなければならない。昔から、物には権力の象徴という側面がある。椅子や青銅器、建築物にしても、所有者の権力や財力を示すために、きらびやかで複雑なデザインになっていった。しかし、近代社会の到来によって、価値の基準は、人が自由に生きることを基本に再編され、国は人々が生き生きと暮らすための仕組みを支えるサービスの一環となった。これによって、本来の機能を最短距離で発揮させようとする合理主義的な考え方が主流となり、デザインもシンプルなものが好まれるようになった。
日本の室町時代の書院造は、時代を先駆けてシンプルさを追求していたように映るが、筆者によれば、それはシンプルさとは違う「エンプティネス」(=空っぽ)だという。何もないことによって豊かな想像力が喚起される。そういう美しさだ。
他方で、現代の日本の家庭を見ると、(ボクも含め)ごちゃごちゃと物に溢れている家も多い。ものが少ないということは、それだけで美しい。もったいない精神を発揮するのではなく、エンプティネスを重視するのも良いかもしれない。 -
Posted by ブクログ
日本を代表するデザイナー・原研哉による日本のデザインの魅力・可能性に迫った一冊。
プロダクトやファッションから自動車、素材や観光業まで、カテゴリーを超えた話が200ページ強に詰まっていて、読み応えがあった。特に、日本には昔「阿弥」と呼ばれる茶道や華道、能から空間の演出まで手がけた、今でいうデザイナーのような人がいた、という話が面白かった。華美な装飾や複雑さがなく簡素さ、潔さ、モノの本質を突き詰めることを是とする美意識が日本人の中に宿っている、と言われている一方で、街の景観など俯瞰した時の美しさには鈍感だ、という話にはハッとさせられた。
今まで以上に文化や価値観が世界中から混ざり、人種や国籍以上に個性が問われる時代だからこそ、「日本人」や「日本の文化」という観点から日本特有のセンスについて改めて考えさせられた。 -
Posted by ブクログ
総評
日本の未来が明るく描かれている。日本が持っている美意識という強みを生かして世の中に価値を与える構想が垣間見えてとても良かった。
序
美意識は、石油や鉄鉱石などの天然資源などと同様な資源なのである。日本人は兼ね備えている。
1 移動
車の存在価値のパラダイムシフトが起こっている。
おもしろい。
2 シンプルとエンプティ
四角は人間が生み出した人工的な形。優れたデザインは人の行為の普遍性を表象している。
文化は複雑から始まったのではないかという話が面白い。シンプルは合理主義。エンプティは何もないこと、見立ての創造力。空白にイメージを誘う。
日本の美意識。繊細、丁寧、緻密、簡潔。
3 家
日本の家はモノで溢れかっている原因の1つが、戦後からの復興、モノへの渇望であるというところから来ているという視点が面白い。
また、リノベーションでの内需拡大や家×テクノロジーの可能性の大きさは興味深い。
URのノウハウが中国マーケットで活かせるなら、面白い。
4 観光
日本の美意識が未来資源。
アマンリゾーツなどの先行事例から、日本のおもてなしは今後重要度が増すのであろう。ホテルや旅館で経験のデザインをしていくことが必要。国立公園の運用を考えるなど、日本に希望を見出している。瀬戸内国際芸術祭にも、関与しているとのこと。この芸術祭の背景もまた、興味深かった。
5 未来素材
世界で評価されるのではなく、機能するという主体性。日本の最先端技術を如何にして世界で機能させるかを考えてきた著者には敬服するばかり。TOKYO FIBERにおいても取り組みもとても興味深かった。最先端の繊維を世界でどのように機能させていくかがテーマになりそう。ファッション情報の流れに乗るということは、フランスとイタリアの残業の隆盛を加速させるとのこと。
6 成長点
東日本大震災直後の執筆ということもあり、震災復興についてである。復興を復元にしない。日本の課題を踏まえたうえで未来構想を練っていくことがたいせつとの示唆がある。 -
Posted by ブクログ
たまには普段と全く異なるジャンルも読んでみようということで買ってみた。。
最近イベント関係の仕事(といってもBtoBだが)にも携わるようになってきて、今まで全く関心のな
かった「デザイン」「美意識」を否が応でも意識せざるを得なくなった。
そういう意味では、「未来素材」の章は、デザインど素人の自分でも読みやすい内容だった。著者が
関わった、「TOKYO FIBER '09/SENSEWARE」は、日本のハイテク繊維を可視化するという趣旨で開催
された。本章でクリエイターたちの作品のいくつかを紹介しているが、技術とデザインが融合すると
はこういうことかと教えてくれた気がする。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ原研哉さんは好きなアートディレクターの一人だ。
「HAPTIC」展等、非常に好奇心をくすぐられる美しいデザインに、10代の頃から憧れを抱いていた。
最近、研哉さんが携わった代官山Tサイトに行ってきた。ずっと行きたかったとこ。建設のサインやブランドロゴなどを担当している。居心地が良く、美しい空間だったな。
本著の中で語られてる「TOKYO FIBER」展が面白そうだな、と思った。見たかった。日産キューブの「笑うクルマ」が可愛かった。クラクションはいわば「威嚇」であるが、もしもクルマが「微笑」を表現出来るなら、街角は相当に和らぐはずだ、という考え。
考え方がスマートで、なるほど!と思わず微笑んでしまう、そんなデザインはやっぱ素晴らしい。 -
Posted by ブクログ
あなたのやりたいことなんて誰も興味ない。
でも、あなたができることには興味があるし、そこが仕事になる。
紛争や侵略で逃げた先の新しい住まいで、
もう会えないかもしれない家族の写真を飾ったとき、そこが自分の家になる。
ヨーロッパ人が壁いっぱいに家族の写真を飾るのは、そのため。
家族の写真を財布に入れるのも、何かあったとき、家族を探す手がかりにするため。
デザインは、広告で紹介されるものでも、買ってくるものでもなくて、
人が毎日の生活をいかに大切に慈しむか。
繊細でシンセンな目で毎日の生活を観察し、覚醒し、自らの生活文化を耕すこと。(阿部)
デザインは一般教養の一部であって、美術の一ジャンルじゃない。(原)
PENTAX I-10
肩が低く、思いのほか、ちいさい。
鏡筒を黒にして、おでこのストロボをポップアップ式にして目立たせなくすれば、
バランスが取れたはず。ISもちゃんと付いているまじめな商品なのに。
コスト制約からの中途半端な取り組みではブランド資産が台無しになる見本。
これがデザインと言うものなのか?
真面目なパロディ。 -
Posted by ブクログ
ドローイングとは頭の中を出すこと。恥ずかしい。
クロッキー教室で裸婦を書くトレーニングがよかった。
デッサンは物を見る、フォルムを見る目の訓練。
デザイナーは職業柄、誰も思いついたことのないような説明しにくいことを思いついてしまう。説明のプロでなければならない。
マテリアル・ワールド・プロジェクト。世界一家財道具を持っているのは日本人。
都市の建物はストック。
一家に一台の安物ではなく、高いものをシェア。
靴を脱いでくつろぐ。
シャボン玉デザインワーク建築ショップ。完成予想図を書かないデザイン。装置やシャボン液のデザイン。
デザインは生活文化をつくる仕事。
イタリアでは、建築も美術も子供のころからの一般教養。スペシャリスト向けに大学で始めるのではおそい
> 世界有数の技術大国でありながら、「技術は、何もハピネスを生み出していないのではないか」と、対談の中で原さんが、ふと漏らされたような現実は、戦後の日本が、半世紀以上にも渡って教養や哲学に時間を割く余裕のない、即戦力としての優秀な技術者ばかりを育ててきたことに帰するのかもしれない。確かに、ハピネスは、技術からではなく、教養や哲学から生まれてくるものだ。
> このような時代に必要とされるのは、ないがしろにしてきた日常生活を一つ一つ根気よく解いていくという、過去と未来の間のお百度参りのようなおそろしく地味な仕事を、嬉々としてこなせるだけの創造力を持った若者であろう。 -
Posted by ブクログ
グラフィック・デザイナーとして名高い著者の幻のエッセイ集のリニューアル復刻版。原本は「ポスターを盗んでください」(新潮社、1995年)だが、それに新しいまえがきとあとがき、さらにエッセイ3編を加えたもの。いかにデザインに興味がない人でも、この著者がデザインしたものを目にしたことのない人はいないはず。たとえばJRの切符を始め、無印良品の品物、ウイスキーのボトルにインスタント・コーヒーのビンなどなど。 さて、若くして成功を収めたデザイナーが、モノ書きの才能を発揮できたわけは、この本のまえがきに詳しい。岡山の高校時代からの悪友で作家の原田宗典の紹介によるものとのこと。収録されている50編のエッセイは、「それを創りながら。」と題され、「小説新潮」に5年にわたり連載されたものだ。 15年以上の年月を経て読み返せば、内容的にはいささか古臭さを感じさせるものもあるけれど、デザインの本質を突く言葉は、勢いのある当時のままに通用するようだ。